グランドジパング平安草子〜慈雨篇〜  −十八−
            

智弥 様




「恨むなら恨め。それでてめぇの気が済むんならな」
 ゾロの凛とした声に、サンジは弾かれたようにゾロを見た。
 ゾロの予想外の反応に、サンジは戸惑う。
 本当は、サンジの理不尽な言い分に、いつものように喧嘩腰で食ってかかってくると思っていたのだ。それに乗っかって、気が済むまでおもいっきり喧嘩して、もやもやとしたこの気分を払拭しようと思ったのだ。
 そうすれば、一時的にとはいえ、彼女への想いを忘れられると考えていたのに。
 なのにゾロは、忘れるなと言わんばかりに、事実を突き付けてくる。
 サンジは無駄な足掻きと知りつつ、鼻息も荒く食ってかかろうとしたのだが。
「なんだと・・・!」
「俺は、陰陽師だ」
「・・・だから、なんだ」
 あまりにも静かなゾロの声に、サンジは鼻白む。
「陰陽師は、いま生きている人間を第一に考えなければならねぇ。たとえそれで恨まれても、それはそれだ」
「・・・」
「―――護るべきものを護る、それが陰陽師としての、俺の誇りだ。だから、俺を許せねぇなら、許さなくていい」
 それが、陰陽師としてのゾロの覚悟。痛いほどにそれが伝わり、サンジは何も言えなくなってしまう。
 ゾロに真摯に見据えられ、喉元まで出かかった声は言葉にならず、そのまま呑み込まれて消えた。
「だから、ヨウカだけは恨むな。そして、おまえだけは覚えていてやれ」
「な、にを・・・」
「本当にヨウカを想うなら、さっきの姿も、春に見た姿も・・・全部目に焼き付けて、心に刻み込んで、忘れねぇでいてやれ」
 ゾロの言葉に、サンジは目を見開き、息を呑んだ。
「そう、か・・・」
 さきほどまで千々に乱れていた心が、ゾロの言葉で不思議なまでに凪いでいった。
 サンジは幹から手を離し、空を仰いだ。
 いつのまにか雨雲がかかった空から、ぽつり、ぽつり、と雫が落ちてくる。
「あ・・・雨・・・」
 成り行きを見守っていた仲間のうちの誰かが、そう呟いた。
 それは仰向いたサンジの顔にもあたり、目尻から流れ落ちていく。
 降り出した雨は徐々にその雨粒を増やし、ふた月ぶりの自由を謳歌するかのように、次第に激しさを増していった。
 激しい雨で煙るなか、サンジはただ空を仰ぎ、動かなかった。


 ゾロは茵の上に身を起こし、立てた片膝に腕をのせて頬杖をつき、雨が降りしきる庭を見るともなしに眺めていた。
 ふた月ぶりに雨が降ったあの日から、ゾロは再び茵の住人と化していた。
 珱花の願いを叶えたあと、ゾロは限界を迎えた体力による疲労感と、使い果たした気力による倦怠感と、底を突いてもなお捻り出して完全になくなった霊力による虚脱感とで、朦朧としてくる意識を必死に繋ぎとめながらサンジに言うべきことを伝えた。
 その後、サンジの気持ちに踏ん切りがつくまで、全員が降りしきる雨の中に佇んでそれを待っていた。その間、皆が濡れないようにとロビンに結界を張らせていたのだが、ゾロだけはサンジと共に雨にうたれていた。
 それが悪かったのか、なけなしの気力でもって皆と共に山を下り、ルフィたちが乗ってきた二頭の馬にサンジが分乗し、ゾロはチョッパーに乗せてもらい無事にコウシロウ邸へと辿りついた頃には、眩暈と耳鳴りが加わっていた。
 そして全員が自邸への帰途についたのを見届けたあと、どうやら倒れたらしい。
 らしい、というのは、ゾロにはその記憶がないからだった。
 皆の後ろ姿を見送り、門をくぐったところまではゾロも覚えている。しかし先に帰邸していたコウシロウがゾロを穏やかな笑顔で出迎えたのを見た瞬間、ふっと張り詰めていたものが失せ、ついで目の前が真っ暗になった。
 そして目覚めたときには、自室の茵に寝かされていて、額には冷たく濡らされた手抜いが乗せられていた。
 ゾロは沙妖との闘いでひどく消耗し衰弱しきっていた。そこに加えて、長い時間雨にうたれていたこともあり、三日三晩高熱にうなされていた。
 そんなゾロをチョッパーは文字通り付きっきりで看病した。なにしろチョッパーは精霊なので、人間のように寝食を取る必要はないし、よほどのことがない限り疲れることもない。
 その甲斐あって、ゾロの熱は微熱程度まで下がり、四日目で目を覚ました。もちろんゾロの意識がはっきりと覚醒したあとには、チョッパーのお小言と泣き言と絶対安静の宣告が待っていた。
 熱が完全に下がり、そしてぶりかえすこともなくなると、じっとしていられなくなるのがゾロだ。
 倒れてから十日後、さっそく出仕しようと考えていたゾロに、コウシロウは夜のうちに先手を打ってきた。
 ゾロが寝ているうちに、ゾロにしか作用しない結界を邸全体に張り巡らせたのだ。
 その結界は治癒を促すものではあるのだが、それは霊力に焦点を絞ったものだった。
 その作用としては、霊力の回復に合わせて体力も回復する、というものだった。つまり、霊力が完全に回復しない限り、体力もまた回復しない、ということだ。
 霊力というのは、湧き出た清水が窪地に溜まるように、満たされるまでに時間がかかるものなのだ。おかげで霊力が全くない状態の最初の頃は、とにかく眠くてしかたがなかった。気がつけば日がな一日、食事も取らずにまるっと寝ていたこともあったほどだ。九月の始めの最近になってようやく、ゾロは一日中起きていられるようになった。
 そして今のゾロの霊力は、ひと月かけて万全の状態にまで回復してきていた。だが、まだ完全ではない。
 そのため、寝ても覚めても、常に全身を包む虚脱感と倦怠感に苛まれていた。これではさすがのゾロとて動くことすらままならない。そんな中で、疲労感がなくなったことだけが唯一の救いだろか。
 霊力を手っ取り早く増やす方法はあるにはあるのだが、反動があとでくるのだ。
 そのため、コウシロウを始めとした式神全員に止められ、懇々と諭され、最後にはチョッパーの泣き落としでとどめをさされてしまったゾロは、おとなしく自己治癒力に任せているのだった。
 思うように動かせない体に舌打ちのひとつもしたいところだが、コウシロウのこの仕打ちにもちゃんと理由があることを、ゾロはわかっていた。
(前科持ちだから、強くも出れねぇし・・・待つしかねぇよなぁ)
 わかってはいるのだ。コウシロウが前回無茶をしたゾロを気遣って、こんなことをしたのだということを。たぶん放っておけば、また同じことを繰り返すのではないかと危ぶんだのだろう。
 だがしかし、一度張ってしまえば対象者が完全回復して自力で解除しない限り、それを施した術者といえど解除できない代物というのはいかがなものだろうか。
 というか、霊力の回復に焦点を絞った結界などという、そんなありえないものを考えついて実行に移せるなんて、どれだけ人間離れしているのだろう。自分には到底真似できることではないと、改めてゾロは師の偉大さを噛み締めていた。
 ゾロは盛大にため息を吐き出すと、茵の上に大の字に寝転がった。
「それにしても、腹減った・・・」
 ゾロはそこで、はたと気づいた。そういえば、いま邸には誰もいないんだった。
 コウシロウは某かの貴族に呼ばれて夜まで帰らないし、その護衛にフランキーとブルックがついて行っている。ロビンはコウシロウの命で、知り合いの陰陽師に符を届けるために遠出をしているし、いつも一緒にいるチョッパーはゾロのために薬の材料を仕入れに出ている。
 おそらく厨に行けば、何かしらのものが用意されているとは思うのだが、とにかく立ち上がるのすら億劫で、ゾロは空腹を抱えたまま夜まで寝てしまおうかと、療養中にもかかわらず体に良くないことを考えていた。
 ゾロはぼんやりと天井を見つめた。
 こうして何もせずにいると、思考はどうしてもあの桜の木のことへと向かってしまう。
 あの春の日、どうしてちゃんと対応しなかったのかと悔やまれる。
 そうすれば、竜神が封じ込められて雨が降らなくなることもなかっただろうし、異邦の妖怪に入り込まれることもなく、少なくともサンジと珱花の別れという悲劇は回避できたのだ。
 それもこれも、すべては陰陽師として状況を甘く見た自分の責任だ。
 いまさら終わったことをつらつらと埒もなく考えているうちに、ゾロはうつらうつらとし始める。
 いつのまにか雨も上がり、雲間からは穏やかな陽射しが差し込んできていた。だが、秋の長雨でここ最近、気温が急激に下がってきていた。
 このまま袿もかけずに寝てしまったら風邪を引くだろうかと思いながらも、ゾロは寝返りをうって本格的に寝の体勢に入った。
(あ〜・・・もう、本当にこのまま寝ちまおう・・・)
 そう決めてしまえば早いもので、ゾロの意識はあっという間に眠りの淵に沈んでいった。
 しばらくの間、邸は静謐な空気に包まれた。
 だがその静寂は、ひとりの闖入者によって突然に破られてしまった。
 どたどたと足音をたてて、その人物はゾロの自室に現れた。
「お〜い、藻。見舞いにきてやったぜ〜・・・って、なんだ寝てんのかよ」
 サンジは部屋を覗き込み、呆れたように呟いた。
「ったく、でかい図体して、餓鬼みたいな恰好で寝てんじゃねぇよ」
 サンジは部屋の中に足を踏み入れると、完全に寝入っているゾロを見下ろした。
 その姿はまるで、がんぜない子供が親の温もりを求めるかのように、はたまた、傷を負った獣が自らの身を守るかのように、ゾロは手足を縮め体を丸くして眠っていた。その寝顔は普段の強面を強調する眉間のしわがなりを潜め、実際の年齢よりも幼くみせているほどだ。
 しばらくゾロを眺めていたサンジだったが、どうやら寒かったのかゾロが小さく身震いし、さらに体を縮こめたのに気づき、それでもなお起きないゾロに苦笑した。
「まったく・・・おら、風邪引くぞ」
 サンジはゾロの足元に丸まっていた大袿に手を伸ばすと、それを引き上げ、しっかりと肩までかけてやる。すると縮こまったゾロの体から力が抜け、元の体勢へと戻った。
 それに呆れ果てたようにため息を吐いたサンジの耳に、ある音が届いた。
 それを聞いたサンジは目を丸くし、ついで目をしばたたかせると、さもおかしいといわんばかりにくつくつと喉の奥で笑った。
「しょうがねぇ野郎だな。起きたら感謝しろよ?」
 そう言うと、サンジは邸のある場所を目指して、ゾロの部屋を後にした。

 ゾロは鼻先をくすぐる、何かしらのいい匂いにつられ、空腹を思い出した腹がたてる盛大な音で目を覚ました。しかし、意識はまだ眠りのふちをさ迷っていた。
 だが、ふいに人の気配を感じゾロはがばっと跳ね起きた。までは良かったが、急に起きたことによる眩暈によって、茵の上に逆戻りしてしまう。
 その様子を、ゾロの部屋の前の簀子に座りじっと見ていたサンジは、ゾロの体調がまだ完全ではないことに気づき、微かに顔をしかめた。
「おっ、やっと起きたな」
 サンジはそれに気づかれないうちに、ゾロに声をかけた。
「あ?」
 ようやく眩暈がおさまりサンジの存在に気づいたゾロが、不思議そうな声をだした。
 自分はいつの間に袿をかたんだろうか、何もかけずに寝たはずなのに。それに、なぜここにサンジがいるのだろう。
 そう疑問に思いつつ、ゾロはのそのそと起き上がる。そんなゾロに、サンジは声をかけつつ自分の隣を指し示した。
「起きたんなら、こっちに来い」
 いつの間に持ってきたのか、そこには円座が置かれていた。そして、膳には竹の皮に包まれた強飯の握りと鮎の干物を焼いたものと白湯が用意されていた。さきほどのいい匂いの正体ははこれだったのかと、ゾロは得心した。
 ゾロは、髷をといたぼさぼさの髪に、はだけた単衣一枚という格好でサンジのいる方へと向かう。
「おまえ・・・いつ来たんだ?」
「いいから、こっち来て食え。腹減ってんだろう?おまえ、寝てる間中もずっと腹なってんだもんよ、笑っちまったぜ」
「・・・悪かったな」
 どれくらい自分が寝ていたのかは定かではないが、それなりに長くサンジがこの邸にいたことに気づき、さらに、サンジが来たことにも気づかずに寝ていた自分を思い出し、ゾロはばつが悪そうに顔をしかめた。




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(2011.01.04)



 

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