グランドジパング平安草子〜慈雨篇〜  −十九−
            

智弥 様




「ついでに、おまえに袿をかけてやったのも俺だから」
「・・・それは、すまなかったな」
 追い討ちをかけるサンジの言葉に、ゾロはさらに顔をしかめた。いったい自分は、どれだけ呑気に寝こけていたんだろう。そう思うと、いたたまれない気分になってくる。
 それに気づいたのか、サンジは気にするなとばかりに手を振った。
「それにしても、誰もいねぇなんて、不用心な邸だな」
「誰もいないわけじゃない。おまえには見えていないだけだ」
「そうなのか?・・・ああ、式神がいるのか」
「まあ、そんなとこだ」
 ゾロはあえて本当のことは伝えずにおいた。
 実際式神たちは誰もいないが、コウシロウの式たちが庭のいたるところに存在していて、目には見えない番人となっている。それに加えて、邸の敷地をコウシロウの結界が覆っているため、害意をもった人間や妖、異形の類は入り込めないようになっているのだ。
 そうでなければいくら豪胆なゾロでも、闖入者にも気づかず無防備に爆睡することなどありえない。
「おまえ、それどうした?」
 ゾロは膳を指差して訊く。
「ん?・・・ああ、干物は俺からの手土産だ。握りは厨に用意されてた」
「・・・そうか」
「干物焼くのに、勝手に厨を使わせてもらったぜ」
「それは、かまわねぇが・・・」
 サンジの家には昔から、代々の当主が料理を作っては家人や使用人にそれを振る舞う、という変わった慣習がある。そして現当主でサンジの父親のゼフは、玄人はだしの料理の腕前をもっている。
 そして、そんな父親に幼い頃から仕込まれているサンジも、長年勤めている厨女も驚くほどの美味い料理を作るのだ。
 そんなサンジが手土産にと選び、手ずから焼いた干物だ、食べる前からそれが美味いとわかっている。
 だが、そこまでされていて気づかなかったとは、とゾロはずいぶんと自分の気が弛んでいることを自覚した。回復したら一から鍛え直さねばとゾロはひそかに決心した。
 それを察したのか、サンジは微かに苦笑して言った。
「少なくとも、俺が来てからまだ半刻と経っちゃいねぇよ」
「・・・そうか」
 ゾロは頷くと円座に腰を下ろし、いただきます、と顔の前で拝をして、強飯に手を伸ばした。
 黙々と食べはじめたゾロのそのうすら寒そうな単衣姿を認めたサンジは、辺りを見回し近くにあった袿を体と腕を伸ばして引き寄せると、ゾロの肩にかけてやった。
「・・・すまない」
「まったくだ。女性ならいざ知らず、この俺が野郎の世話を焼くなんざありえねぇってんだ。平身低頭して感謝しろよ」
「・・・・・・感謝はしてる」
 ただサンジの場合、男が相手だと憎まれ口が先にきてしまうせいで、何となくこちらも素直に感謝を表せないのだ。本人もそれはわかっているらしく、こちらが何も言わなくとも、とくにそれについて突っ込んでくることはなかった。
 だが、今回はどうやら違うらしい。いつもとは違う反応が返ってきた。
「感謝してるってんなら、誠意をみせてもらおうか」
「なに?」
「ま。とりあえず、それ、さっさと食っちまえよ。話はそのあとだ」
「・・・わかった」
 それからゾロは、せっせと膳の上のものを平らげた。
 最後に白湯を飲み一息ついたゾロは、目線でサンジに話の先を促した。サンジはそれに肩を竦めてみせる。
「もうちょっとゆっくり食えばいいのに。せっかちな奴だな」
「ほっとけ。いいから、先を聞かせろ」
 サンジはしかたなさげに口を開いた。
「少し長くなるが・・・体はいいのか?」
「最近は、だいぶいい」
「・・・そうか」
 サンジは黙って立ち上がると部屋の中に入り、脇息を持って戻ってくる。そして持ってきた脇息をゾロの後ろへ置くと、再び元の位置に座り込んだ。
 ゾロは目をしばたたかせると、脇息を右脇へと移動させもたれかかった。
 いったいどうしたことか。この男が男相手に、ここまで気を遣うなど。いや、男女関係なく優しい奴であることはゾロとて知っているが、それを表立ってみせることはあまりないはずなのだが。
 ゾロが内心首を捻っていると、そこでようやく、サンジは本題を切り出した。
「あの日、何があった?」
「・・・なんのことだ?」
 瞬間、ゾロの肩が微かに揺れたことにサンジは気づいた。本当に、隠し事はできても嘘をつくのは下手な奴だなと、いつになく感心してしまった。
「キブネで、季節外れの桜が狂い咲いた日だ。あの日、本宮で何があった?」
「べつに・・・何も、なかった」
 ゾロは庭を見据えたままサンジと目を合わすことなく、それでもきっぱりと否定してくる。
「それは嘘だな」
「なぜ、そう言い切れる?」
「ほら、そう言ってくるのが怪しいっていうんだよ。いつものおまえなら、鼻であしらって終わりだろ。ああ、だからって黙るなよ」
 サンジに先手を打たれ、ゾロはそっぽを向いた。そんな態度が、あの日何かがあったとしらしめているのに、当の本人は気づいていない。
 とりあえずサンジは、ゾロの口を割らせるために理詰めで押し進めることにした。
「本宮に向かう前、おまえは彼女が夏までは保つと言った。それなのに、本宮から戻ってきたおまえは、彼女の願いを叶えると言い出した。そんなことをすればどうなるのか、おまえは知っていたにもかかわらず、だ」
 サンジはちらりとゾロを見遣るが、ゾロはあいかわらずそっぽを向いたままだ。
「と、なりゃあ、本宮で何かがあったと考えるのは当然だろ。ルフィに聞いても、ゾロに聞け、の一点張りだし。あいつがそこまで言うからには、よっぽど大変なことがあったんじゃないかと、俺は思ったんだがな」
 ここまで言い聞かせても、ゾロは口を開こうとはしなかった。
 しかたなく、サンジは切り札をだすことにした。
「おまえは、俺に話す義務がある。俺は、おまえから話を聞く権利がある・・・違うか?ゾロ」
「・・・いや・・・違わねぇな」
 ゾロは片手で目元を覆うと、重々しくため息を吐いた。サンジは一瞬、具合でも悪くなったかと焦ったが、それは杞憂だった。
 ゾロはまっすぐにサンジを見据え、口を開いた。
「あの日、解放した祭神に言われた。あの桜の精を自分たちに返せ、ってな」
「返せ、て・・・」
「あれは永いこと、桜の時期に神たちの心を鎮めるためにあった。それなのに、神から見ればたかだか瞬き程度の命しかない人間に、心を奪われた。しかもその人間が発した言霊を、自ら喜んで受け入れるなんてことまでしでかした」
「だから、返せ・・・か」
「ああ。神ってのは利己的なもんなんだよ」
 沈んだような顔をするサンジに、ゾロは慰めめいた言葉をかける。
「べつに、おまえに責任はねぇよ」
「いや、だってよ・・・」
「責められるべきは俺だ。俺はどの面さげて陰陽師だ、という失態を犯したんだからな」
「失態って・・・」
 ゾロの大袈裟な言い回しに、サンジは面食らった。
「俺は、おまえが発した言霊を打ち消すことができた。だが、それをしなかった。おまえが徒人だからという理由だけで、言霊の力を侮ったんだ。徒人の言葉に精霊を縛るほどの力はないと、陰陽師としてとるべき判断を誤ったんだ」
 サンジはゾロの語る内容と、いつにない饒舌さに絶句していた。
 元々自分に厳しい奴ではあると思っていたが、まさかここまで自分を追い込んでいたとは。このひと月、何もかもを独りで抱え込んで、ずっとそれだけを考えていたのだろうか。それでは治るものも治らないのではないか。何しろ、病は気からというくらいだから、このひと月の間にゾロがやつれたように見えたのは、どうやら気のせいではないようだ。
 いやそれでも、こうして話し出したということは、少しは進歩した、ということだろうか。以前ならば、いくら問い詰めても全てを自分の胸の内に秘めて、誰にも話すことはなかっただろうから。
 それとも―――。
(許されたい、のか・・・俺に・・・)
 だとしたら、自分は何と言葉をかけたらいいのだろうか。
 サンジは悩むが、ひとつだけ引っかかることがあるのに気づいた。
「なあ、聞いてもいいか?」
 突然サンジに聞かれ、ゾロは驚きながらも無言で頷いた。
「返せってことはさ、珱花ちゃんは生きてるってことか?」
 サンジの問いにゾロは目を眇めた。そして、どう答えたらいいものかと僅かに逡巡した。
 サンジはその間、黙ってゾロが答えを出すのを待っていた。
「珱花、という存在はもういない」
「あ?だって返せって・・・」
「いいから黙って聞け。俺だって、おまえにわかりやすいように説明すんのが大変なんだよ」
 ゾロは手を伸ばしてサンジの口を塞ぐと、苦々しくそう言った。
 元々ゾロは口数が多いほうでも、口が上手いほうでもない。そんなゾロには陰陽師や術者といった、常人にはわからない感覚を口に出して、サンジにもわかりやすいように説明するのは難しいのだろう。
 サンジはそう判断して、軽く首を竦めることで肯定を示した。
 ゾロはサンジから手を離すと、腕を伸ばした拍子にずり下がった袿を肩にかけ直した。
「つまり、だな・・・」
 ゾロは言葉を慎重に選びながら、あの日の出来事を語りはじめた。

 あの日、神からの命を実行する際、問答無用でそれを出来たにもかかわらず、ゾロは珱花の願いを優先させた。それは、珱花に心残りがあると、術を行使しても失敗する恐れがある、という判断からだった。
 ゾロは秋水に宿っていた神の力の残滓を桜の古木へと吸収させ、浄化され足りなくなった分の力を補った。神の力は微々たるものではあったが、それでも古木への力を補って余りあった。
 それからゾロは、珱花を木霊本来の姿に戻すべく太刀を振るった。それに際して使用した太刀は白鞘の太刀で、銘を「和道一文字」という。
 この太刀は、元々はコウシロウの娘であるくいなの護り刀として、コウシロウが特別に手をかけて鍛え上げた太刀だった。そのためか強い浄化の力を秘めていて、そして浄化の力を持つが故に、和道一文字は退魔の太刀として存在することとなる。
 くいなの死後それは、くいなの遺言で形見としてゾロへと引き継がれた。ゾロはそこに込められたくいなの遺志をしっかりと太刀と共に受け止め、いまに至っている。
 その太刀でゾロは、沙妖亡き後も珱花を縛りつけ、古木から珱花を切り離していたその妖力を浄化し断ち切った。傍目には珱花自身を斬りつけたように見えたことだろう。
 あのとき砂になった唐衣は、沙妖の力を具現化し、珱花の姿を徒人の目にも見えるようにするための呪具だった。あれが珱花を、本来宿るべき古木から遠ざけていたのだ。
 沙妖の呪縛から解放された珱花は、ようやく精霊としての本来の姿に戻り、古木へと還った。
 それを確認したのち、ゾロはなけなしの霊力を古木へと注ぎ、花を咲かせるための力へと働きかけ、導き、後押しした。あのとき呟いた言はそのための言霊だった。
 桜を咲かせ、珱花は無に帰る、はずだった。
 しかし、祭神は「返せ」と言った。
 だからゾロは、古木に宿っていたそれ自身の力を自らの霊力でかき集め、消滅寸前の珱花だった魂にその力を注ぎ込み、「珱花」という名と姿になる前の、本来の姿に立ち戻らせた。その際に、かの祭神たちが力を貸してくれた。そうでなければ、復活までにはまた、数百年の年月が必要だっただろう。
 そして祭神たちはそのまま、本来の姿形へと立ち戻った桜の精霊を自分たちの眷属として迎え入れ、自分たちの領域へと帰っていった。雨だけを降らせたままにして。
 そのために、精霊という魂を失った桜の古木という器は、そのまま立ち枯れるしかなかったのだ。
 神の力が降り注いだあのとき、古木を跡形もなく消し去ろうと思えばそう出来たのにそれをしなかったのは、あとに遺された者たちへの神の慈悲だったのかもしれない。

「だから、おまえが名付け姿を与えた『珱花』という存在は、もういない」
 おとなしく最後まで話を聞いていたサンジが、諦めきれないように呟いた。
「でもよ、姿形が変わったって、記憶までなくなったわけじゃないんだろう?」
 サンジの言にゾロは口を閉ざして、視線を庭に落とした。




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(2011.01.04)



 

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