グランドジパング平安草子〜慈雨篇〜  −四−
            

智弥 様




 その日の夕刻。
「くあぁ〜っ。あー、よく寝た」
 ゾロはルフィとナミ、出仕を終えて邸を訪ねてきたサンジとウソップが見守る中、ようやく目を覚ました。そして第一声が、これである。
 これにはさすがの幼馴染み組も、拍子抜けしてしまった。ルフィだけは笑っていたが。
 そんなことは露にもかけず、ゾロは脇の筋を伸ばしたり、肩を回したり、体を捻ったり屈伸したりと、やたらと動き回っている。
「あー、ずいぶんと体がなまっていやがる」
「ゾロ、急に動き回っちゃだめだよ!丸三日もずっっと寝てたんだよ!」
 呑気に動き回っているゾロに、チョッパーは仁王立ちで睨みつけながら怒号を飛ばした。
「あ〜、なんか調子はいいみたいだな。体が軽い」
 幼馴染み組にはチョッパーの姿は見えない。だから、どちらにも聞こえるような言い回しをしながら、肩に手を置いて首を鳴らしたゾロは腑に落ちない顔をした。
「ん?俺ぁ、なんで寝てたんだ?」
「今ごろかっ!」
「ああ?」
 つい突っ込んでしまった幼馴染み組とチョッパーに、ゾロは訳がわからない、といった顔をした。
「この鈍さ、ゾロだな」
「ああ、ゾロだな」
「紛うことなく、藻だな」
 内裏でのゾロの豹変ぶりを知っているウソップとサンジは、元通りのゾロにほっとしていた。
「眉間のしわに愛想のない仏頂面。うん、いつもの強面のゾロだわ」
「てめぇら、何が言いてぇんだ!」
「いやぁ〜、べっつにぃ〜」
 全員が半眼で、声を揃えて呆れたように投げやりに言う。その反応にゾロのこめかみ付近に青筋が浮かんだ。
 朝方のやり取りを思い出し、さきほどまでゾロの顔をまともに見られなかったナミだったが、普段通りのゾロを確認したことで、ようやくほっとして肩の力を抜いた。
 そんな彼らのやり取りを少し離れたところから見ていたコウシロウは、ちらりと北方を眺めやった。
 どうやらクラオカミノ神はゾロに憑依した際に、損なわれていた体力を補ってくれたらしい。それでも基本的な体力はまだ戻っていないだろうが。しかしそこはゾロのこと、眠ったことで気力は回復しているだろうから、あと数日もすれば以前のように動き回れるようになるだろう。
 しかし、これはただの好意だと思っておいていいのだろうか。
(手付け・・・ということでしょうか?)
 そうだとしたら、こちらも本腰をいれて、神の頼み事にかからなければならない。
 もちろんゾロは、北方の祭神が訪れてきたことをまったく覚えていない。
 コウシロウはひとつため息を吐くと、ひとしきりゾロを囲んで騒いでいる面々へと声をかけた。
「皆様、盛り上がっているところ申し訳ありませんが、ゾロ君をしばらくお借りしてもよろしいでしょうか。あれからのことを教えてあげたいと思うのですが」
 コウシロウのその言葉に皆一様にはっとする。目を覚ましたことを喜び、それを体全体を使って表しはしたが、まだ誰も、ゾロに状況説明を一切していないことに気づいたからだ。
 とりあえず、落ち着いて話しができる環境をと配慮したのか、まだ騒ぎ足りないルフィをサンジとウソップが引きずりナミが窘めながら部屋から退出していった。
 それを見届けると、ゾロは辟易したようなため息を吐いた。
「大丈夫ですか?辛いのなら、横になりますか」
「いえ、大丈夫です。久しぶりにうるさかったなと、思っただけですから」
 ゾロは茵の上で姿勢を正すと、真摯な顔で訊ねる。
「途中から記憶がないんですが・・・、俺は、失敗したんですね」
 ちらりと外を見て、ゾロは苦渋に顔をしかめる。空気の乾燥具合から、雨が降らなかったことを察したからだ。それはすなわち、自分の失敗に原因があるとゾロは自責の念にかられた。
 自分を責めるゾロに、コウシロウはそっと首を振る。
「いいえ。招神は成功しました」
「ですが・・・」
「雨が降らなかったのは、降臨あそばした祭神にお断りされたからです」
「・・・は?」
 きょとんとしたような顔になったゾロに、コウシロウは祭神が降臨した際からのやり取りを話し、そのあとの内裏の様子も教えた。
 ルフィがゾロを連れて退出したあと、コウシロウは右大臣や左大臣などの要職の面々に囲まれながら、帝に謁見した。とは言っても、直接顔を会わせるわけではなく御簾越しでの謁見、なのだが。
 祭神が降臨したというわりには内裏にいる者たちは落ち着いているようで、どうやらシャンクスが上手く立ち回って動揺を静めてくれたようだった。おかげでコウシロウは、落ち着いて帝との謁見に臨むことができた。
 いかような処分も覚悟して、コウシロウはクラオカミノ神の言葉を伝えた。この場合、コウシロウは殿上を許されていない身分なため、コウシロウの言葉はすべて、帝の最も近くに座している左大臣が帝に奏上する、という体裁を取る。
 すると、たいして大きな声で話していたわけではないのだが、神の言葉はその場にいた者すべてに聞こえていたらしく、相好を崩した帝にかえって労われてしまった。
「師弟共々よくやってくれた。雨が降らぬは天意であるならば、致しかたない。このうえは、お前の弟子をよく労ってやりなさい」
との過分なお言葉を頂いてしまった。それにはさすがのゾロも恐縮していたが、明らかにほっとしたようだった。
「じゃあ、お咎めは・・・」
「はい、ありません。むしろ、皆様方からは手放しで褒められてしまいました」
 そう言ってコウシロウは微笑んだ。それから、いま居るのは右大臣邸で、あれからずっと世話になっていることと、今朝方のクラオカミノ神降臨の話に移った。
 始めゾロは神の降臨に気づかなかったことに焦っていたようだったが、話が続くにつれて唖然となっていった。クラオカミノ神からの頼み事のくだりでは、「はあっ!?」と素っ頓狂な声を出して目を剥いていた。
 ゾロは幼い頃からいろいろとそれなりに場数を踏んでいるのでそれなりの度胸の持ち主なのだが、そんなゾロでも話が終わる頃には、唖然に呆然が加わり、終いには頭を抱えて唸っていた。
 そんなゾロを心配して、肩に袿をかけてやり、後ろに脇息を置いて背をもたせかけてやりと、かいがいしく世話を焼きつつもチョッパーはコウシロウを眺めやった。
(あ、あの顔は・・・。絶対、楽しんでる・・・)
 何かしらを含んだような顔をしたコウシロウの背後に、三つの気配が降り立つ。コウシロウの式神たちだ。
 彼らは当然、朝方のクラオカミノ神降臨に気づいていた。しかし、別に自分たちが呼ばれたわけではないし、コウシロウがその場にいることを知っていたので顔を出さなかっただけだった。
「ようやく目を覚ましやがったな、ゾロ坊」
「ご気分はいかがですか?」
「まだ、無理しちゃだめよ。あなたはすぐに動き回るから」
 フランキー、ブルック、ロビンがそれぞれに気遣ってくる。ゾロはそれに片手を上げて応える。
「ああ、悪い。心配かけたな」
 口端を片方だけあげて笑って言うゾロに、式神たちは心から安心したように微笑んだ。
「さあ、そろそろゾロ君を休ませてあげましょう。そうは見えなくても、一応病み上がりなんですから」
 そう言ってコウシロウはその場をチョッパーに任せ、式神たちを伴って部屋を出ていった。任されたチョッパーはすぐさまゾロを茵に寝かせつけると、袿をしっかりと被せ、その上から覆いかぶさった。
「・・・チョッパー」
「なんだ?ゾロ」
「・・・暑いんだが」
「うん、わかってる。でも、こうでもしないとゾロはすぐに動き回ろうとするからな」
 チョッパーは医師の顔で答える。そんなチョッパーに根負けしたように、ゾロはため息を吐いた。
「わかった。今日はこのまま、おとなしくしてる」
「本当か?約束だぞ、ゾロ」
「・・・・・・・・・約束だ」
 チョッパーに切り札を出され、ゾロは渋々頷いた。
 なにしろ、ゾロは約束という言葉に弱い。どんなに一方的な『約束』でも、どんなに相手が酷い奴であろうとも、一度それを交わしてしまうと何があっても守ろうとする性癖がある。そのせいで、たぬき二人からいろいろと厄介事を押し付けられているということに、彼は未だに気づいていない。まあ、気づいたところで、どうにかなるものでもないが。
 ゾロが諦めてチョッパーを胸に乗せたまま寝ていると、ナミが一人で入ってきた。
「ゾロ、お腹空いてるでしょう。いま汁粥を用意させてるから」
「ああ、すまない」
 ゾロはチョッパーの脇に手を入れて持ち上げると同時に自分も上体を起こし、チョッパーを組んだ足の上に降ろす。その動作を不思議そうに見ていたナミだったが、すぐに合点がいったように頷いた。
「チョッパー、そこにいるのね」
「ああ、俺がおとなしく寝てるか、見張りだとよ」
「ああ、なるほどね。ね、チョッパー、ちょっとだけ姿を見せてくれないかな」
 ナミのその言葉に応えるように、チョッパーは力を強め、ナミにも見えるように顕現した。
 すると、ナミは油で揚げられた唐菓子を差し出す。
「がんばってるチョッパーに差し入れよ。あ、でも、食べられるの?」
「うん、大丈夫だよ。食べる必要はないけど、食べられないわけじゃないから」
「そう、よかった」
 チョッパーはゾロの足の上から下りると、唐菓子を手に取り口に入れる。すると目をきらきらさせて、次へと手を伸ばした。
「気に入ったみたいだな」
「うん、おいしいよ。ゾロは・・・、まだだめだな」
「ああ。俺は気にせずに全部食っていいぞ」
「うん」
 丸三日もの間意識がない状態で、その前には精進潔斎までしていたゾロに、いきなり油物を食べさせるわけにはいかないと医師として判断したチョッパー。ゾロもそれをわかっているので、チョッパーに遠慮せずに食べるように言う。
 唐菓子を一生懸命食べているチョッパーを微笑ましく見守りながら、ゾロはナミへと声をかける。
「ありがとな」
「うん・・・?」
 ナミは何のことかわからずに首を傾げる。
「師匠から聞いた。ずっと、ついててくれたんだってな」
「あぁ・・・、うん。とくにすることもなかったし。それに、見張ってないとルフィが騒ぎ出しそうだったしね」
「ははっ、違いねぇ」
 どことなく早口で話すナミには気づかず、ゾロはナミが話した内容に笑っている。
「あ、そうだ。ゾロこれ」
「ん?」
 ナミが手を差し出してくる。その手にあったのは見慣れたもので、ゾロは無意識に胸元に手を当てていた。それを見たナミはわずかに目を瞠り、ついで嬉しそうに笑った。
「本当にいつも、持っててくれたんだぁ」
「・・・ああ、まあ、な」
 照れ臭そうにそっぽを向いて、ナミから視線を外すゾロ。
「紐が切れてたから直しておいたわね。それからお香のほうも、だいぶ香りが薄くなってたみたいだったから新しくしておいたから」
「ああ・・・。ありがとう」
 そう言ってゾロは、ナミの手から新しい匂袋を受け取った。


 一方その頃コウシロウは、式神たちから報告を受けていた。
「やはり、わかりませんでしたか・・・」
「ええ。あの時は私たちも、突発的なことで動揺していたから」
「本当に、面目次第もございません」
「いえ、そんなに気にしないでください」
 ロビンやブルックの言葉に、コウシロウは首を振って応える。
 彼ら式神たちには、あの儀式の時に榊立てを倒したのものが一体何なのか、その痕跡を追ってもらっていた。
 実際、あの時に張った結界は内部を清浄に保つためのものであって、外部からの侵入を防ぐためのものではなかったのだから。そこを突かれたのだとしたら、何かしらの妨害があるとわかっていながら考えが及ばなかった自分にも非があると、コウシロウは考えていた。だが、それを告げればかえって式神たちに気を使わせることがわかっているため、あえて口には出さないでいる。
「もしかしたら、鹿の野郎なら何か見ているんじゃねぇのか?」
 フランキーがおもむろに口を開く。
「そうですね・・・。後で訊いてみましょう」
 すると、彼らに穏やかに声をかけてくる者がいた。
「何やらお困りのようだね。私に手伝えることは何かあるかな?」
「あなたは・・・!」




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(2010.10.04)



 

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