グランドジパング平安草子〜慈雨篇〜  −六−
            

智弥 様




 ゾロは足早に移動していた。
 大内裏を退出したゾロはいったん邸に戻ると、烏帽子を外し、髷をといて首の後ろで括ると、出仕用の直衣から松葉の緑の狩衣へと着替える。できるだけ色合いの濃いものを選んだのは、闇と同化するためだ。それから黒の手甲をはめながら必要なものを揃えると、再び邸を出てこの方向へと足を向けた。
 それは、ひと足先に退出したサンジを追いかけてのことだった。
 あのあと二人と別れ仕事に戻ったゾロは、雑務をこなしながら普段は気にもかけない他人の噂話に注意を払い、いたるところで交わされている神隠しの噂話に聞き耳を立ててみた。貴族というのは基本的に、常に情報交換を心がけているので、水を向ければ大概話してくれる。
 陰陽生とはいえ、つい先日に招神をはたした「コウシロウの弟子」で、その身に神を憑依させたあの「ロロノア・ゾロ」が気にかけているとなれば、こちらが聞くよりも先に率先して語りかけてくる。
 そのほとんどが、「コウシロウ殿はどのように考えておられるのだ」というものなのだが、ゾロは当たり障りのない宮中用の受け答えでその場をしのいだ。
 それでわかったことは、失踪者はすでに十名を超すということ。
 もしも、何某かの妖に攫われ、そのまま餌食となってしまったのだとしたら、彼らが今も生存している可能性は限りなく低い。
 妖たちの中には、人を極上の餌としているものもいるからだ。
 ゾロはその事実に思い至り、渋い顔をした。
 大内裏で情報収集をしたはいいものの、慣れないことをしたゾロの頭は様々な情報で溢れ反りそうになり、少し整理しようと思い、ウソップを訪ねていった。自分の得た情報と、ウソップが知っている話を照らし合わせて、時系列で整理していこうと考えたからだ。
 ウソップは最初驚いていたようだったが、ゾロが訳を話すと快く引き受けてくれた。
 ウソップの上司にそれを伝えると、二つ返事で了解の意が返ってきたのにはゾロもウソップも驚いたが、それだけ事態は深刻で、そして、それだけゾロの存在が知れ渡っているということでもあった。
 二人は部署の片隅を借りて、料紙に失踪した日付や時刻、人数や場所などを時系列に書き込んでいった。さらには、いつ、どこで、といった目撃者の証言などもそれに加えた。それにより、ずいぶんと明確に、失踪日時や人数などがわかるようになった。ひと月に平均四人から五人、多いときは七日の間に二人から三人といった具合だった。
 それらをゾロが眺めていると、ウソップがふと口を開いた。
「こうして見るとサンジの奴、運がいいんだなぁ」
「・・・どういう意味だ?」
 ゾロは眉を寄せて、ウソップを怪訝そうに見やる。
「いやな。失踪者が出た前後の日とか当日とかに、あいつ、例の姫君に会いに行ってんだよ。しかも、そのうちの何回かは、失踪者が出た前後で目撃されている唐衣の女が現れたって場所の近くとかを通ってるし」
 それを聞いた瞬間、ふっとゾロの目の前が暗くなる。
 本当に、あいつ悪運強いよなぁ、と妙なところに感心しているウソップだが、ゾロはそれを遠くで聞いていた。
 どこかの邸の中で、サンジが一人の姫と寄り添いあっている。その姫の後ろから、得体の知れない黒い影が迫っている。それは、今にも二人を飲み込もうとするかのように広がっていく―――。
 ゾロは脳裏を駆け抜けた光景を軽く頭を振って打ち消すと、感情を抑えたような声でウソップに訊ねる。
「ウソップ・・・。それは間違いないのか?勘違いとかじゃなく・・・」
「ああ、間違いないぜ。なにしろ、本人から事細かに、逢瀬の際の話を嫌ってほど聞かされてるからな。まあ、主に、サンジが姫君に対して何をしたかってことだけだがな」
 そう言ってウソップは筆を取り、サンジの逢瀬の日時を書き込んでいった。
 その日時は、見事なまでに重なりをみせていた。
 ゾロは食い入るようにそれを見つめ、はっとしたように呟いた。先程の光景が甦る。
「まさか、今度はサンジが・・・?」
 ありえないことではない。
 氷塊が背筋を滑り落ちたような感覚といい、脳裏に浮かんだ光景といい、これは予言や予感の類いなのではないか。
 陰陽師の勘は無視できるものではないことを、ゾロは身をもって知っている。
「ウソップ、サンジは今日、定刻通りに退出するんだな?」
「ああ。姫に会いに行くときは、必ずそうしてるな、あいつ。で、邸に戻って身なりを整えて、みやげやら何やらをしっかり準備してから出かけるんだ」
 どうやら、余計な詮索をされないためらしい。しかも、本人は無自覚無意識でそれを行っている節があると、ウソップは言う。
 そのうえ、いつものサンジならば、とっくに意中の姫の許に通っていることを自慢たらしく周りに話しているのだが、今回はルフィとウソップにしか話していない。それにより、サンジの本気の度合いが窺える。
 だから、というわけではないのだが、ゾロはふと思ってしまったのだ。
 性格も趣味趣向も正反対で、普段から顔を突き合わせれば喧嘩ばかりでいけ好かない奴ではあるが、性差で取る態度は違うものの分け隔てなく誰にでも優しいこの男の想いが叶えばいい、と思ってしまったのだ。
 だから、もしサンジが次に狙われているのなら、守らねばならない。自分が陰陽師だからという前に、自分も間違いなくあの男の友人なのだ。まあ、後から余計な世話だと言われそうだが、それは不本意ではあるが甘んじて受けよう。
 だからゾロは、急いでサンジの後を追っている。


 左京の北の外れ近くまで来たゾロは、目標を見失ったかのように辺りを見回した。
 サンジを追うために式を飛ばし、ここに来るまでにそれを追いかけてきたのだが、どうやらサンジの気配が途絶えているようで、飛ばした式がゾロの許に戻ってきてしまった。
 それは、サンジがこの近くにいるためなのか、何ものかの領域に入り込んでしまったからなのか。前者ならば本人を捜せばすむことなので何も問題はないが、後者だった場合、下手をすれば取り返しがつかなくなる。
「チョッパーがいれば、匂いで追ってもらえるんだがなぁ」
 ゾロは困った風情でぼやく。
 いつもゾロの側にいるそのチョッパーだが、何日か前からコウシロウの調査のために奔走している。式神たちも一緒に調査に乗り出しているため、いま現在ゾロの側にいる人外の者はいない。
 本当なら今日もう一日、護衛に当たる者がいないからという理由で、ゾロは休む予定だった。しかし、いい加減おとなしくしていることに飽き飽きしていたゾロが、絶対に無茶はしないことを条件に出仕させてもらったのだ。
「約束、破っちまうなぁ」
 ゾロは苦笑気味に呟く。このままいけばまず間違いなく無茶をするはめになると、引き返すなら今だと、ゾロの直感が告げている。
 師との約束を破ってしまうことは不本意だが、それを守って友人一人も助けられないのでは本末転倒だ。この際だから、多少の無茶には目をつぶってもらおう。
「と、決まれば」
 ゾロは勝手にそう決めて、とりあえずサンジを捜すことにした。
 日が傾き、辺りは橙色に染まり始めている。
 辺りには人気はなく、築地塀が並んでいる。ゾロは意識を凝らして、塀の内側にサンジの気配がないかを探る。時々、式を飛ばしては内部を探ったりなどしてサンジを捜した。
 そしてある邸の前まで来たとき、その中からサンジの気配を感じた。ゾロは気配を殺すと、そっと開かれた門から中へと入っていった。
 その邸は、とても人が住んでいるように見えないくらいには荒れている。庭も草が生え放題で荒れていて、そんな中で、植えられた一本の木だけがそれらとは一線を画し、なぜかそれが異質なものにゾロには見えた。
 そして、ゾロが捜していたその人物は、邸の庭に面した簀子に件の姫君と共に座していた。楽しそうに語らうその二人の姿に、ゾロはそっと安堵の息を吐いた。
 ゾロは二人からは死角になる位置に音もなく移動すると、これからどうしようかと考える。
 今のところサンジは無事だし、朴念仁のゾロとはいえ二人の邪魔をするほど野暮でもない。
 ならば、気づかれる前にこのまま退散して、門の前で待ち伏せてからかってやろうか。まあ、その場合まず間違いなく、喧嘩へと発展することは請け合いだが。だが、そう思う反面、ここからサンジが立ち去るまで絶対に動くな、という勘も働いている。
 こういう時は、自分の勘に従ったほうがいい場合が多い。ゾロはひとつため息を吐くと、完全に気配を消し、暗がりへと身を潜めた。
 それからどのくらい経ったのか。
 空はすっかり夜の帳に覆われ、星が瞬いている。ゾロは空を仰ぎ見て、星の位置からだいたいの時刻を割り出した。
(戌の刻にさしかかったあたりか・・・)
 ここに来たのが酉の刻半ばくらいだったから、約半刻以上は経ったことになる。それでもまだ、二人の話は尽きないようだった。
 ゾロは辺りが完全に暗くなったときに、自分に暗視の術をかけていた。もし何かあったときに、即座に動けないと困るからだ。しかし、暗視の術をかけているとはいえ、京の闇は深い。
(しかし、妙だな・・・)
 この邸には、ゾロとサンジと姫君の三人しかいない。なのに、感じ取れる気配は一人だけ―サンジのものだけなのだ。それだけ姫君の気配が希薄ともいえる。まるで意図的に消しているような感じさえするくらいに。
 それに時が経つほどに邸の中から、何か不穏なものを感じるのだ。
 さらに半刻が経ち、ゾロが本気でどうするかを考えていると、人が動く気配が伝わってくる。
「じゃあ、またね、ヨウカちゃん。気をつけて帰るんだよ」
「はい。サンジ様もお気をつけて」
「ん〜、やっぱり心配だなぁ。なんなら朝まで俺が一緒に」
「本当にサンジ様は心配性なんですから。私は大丈夫ですよ」
「そう?」
「はい」
「・・・わかったよ。じゃあ、またね」
 名残惜しげに食い下がるサンジだったが、子供を優しく諭すかのような姫の言葉に渋々折れたようだった。
 何度も姫を振り返りながら、サンジが門をくぐっていったのが、ゾロのいる場所からは見えた。
 しばらくはサンジが戻ってこないかを警戒していたゾロだったが、その心配もなく、さて次はどうしようかと考えていると、思わぬ人から声をかけられる。
「一刻ほど前よりそこに潜んでいる方、どうぞ出てきてくださいませ」
 姫はまだ、邸の中に入ってはいなかった。
 声をかけられたことよりも、自分に気づかれていたことに驚きながら、ゾロは表面は平静を装って姫の前に進み出る。
「よくわかったな。気配は完全に消していたはずだが」
「ええ、たしかに。気配は感じませんでした」
 姫はころころと鈴のような声で笑う。ゾロは油断なく、姫君から目を離さないようにして、正面の位置まで移動した。
 サンジに「ヨウカ」と呼ばれていたその姫君は、ゾロの目から見ても美しかった。
 濡れたような黒絹の髪、白皙の顔に桜のような唇、華奢な体に儚げな雰囲気。サンジでなくとも、守ってやりたくなる女人の見本のような姫が、そこにはいた。しかし、その姫の纏う空気はどこか険呑なもので。
 姫の腕がすいっと動き、ゾロを指す。
「ですが、匂いがしたのです」
「匂い?」
「はい。サンジ様が焚きしめている香とは違う匂い。それがそちらより流れてまいりました」
 そう言って、ゾロが潜んでいた場所を指し示す。
 ゾロははっとして胸元を握りしめた。正しくは、狩衣の下にあるナミからもらった真新しい匂い袋を。
 つねに身につけていたせいか、すでに匂い袋の香りに慣れてしまっていた。まさか、そこからばれようとはゾロも考えつかなかったのだ。
 しかし、あの離れた場所から漂う香の匂いに気づくあたり、すでに只者でない。
「あんた、何者だ。ただの姫様ってわけはないよな」
 しっかりと相手を見据え、ゾロは素性を問い質す。姫は蠱惑的な笑みを浮かべると、ゾロの後ろを指し示す。
「それが私。私の分身」
 ゾロが用心しながら、後ろを見やる。そこにあるのは、一本の木。
「私は永い時の間に、いつしか力を持った桜の木」




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(2010.10.13)



 

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