グランドジパング平安草子〜慈雨篇〜  −七−
            

智弥 様




「桜、だと・・・?」
 ゾロは木をよく見る。たしかに、古そうなわりには細い感じのする桜の木だ。
「そうです。ずいぶんと前に枝分けをされたのです。キブネの山からここに」
「キブネ・・・」
 ゾロは姫へと視線を戻す。
 瞬間、姫の唐衣が色を変えた。美しい桜色から、綺麗な若草色へと。
 ―――人が消える前後で、若草色の唐衣を着た妙齢の女が・・・
 ゾロの脳裏にウソップの言葉が浮かんだ。
「まさか・・・」
 ゾロは言葉を発するのに躊躇した。それを口にしてしまえば、後戻りはできない気がしたのだ。
 しかし、もしそうであるなら、自分は問わねばならない。それがいかに、友人の想い人であろうともだ。
 そんなゾロを余所に、姫君は色の変わった唐衣を眺めやっている。そんな姫の気配はさきほどまでの人間だったときのものとは違い、完全に人外のものとなっている。おそらく、今の彼女の姿はサンジには見えないだろう。
「ああ、やはり今回も・・・」
 悲しげに呟いている姫に、ゾロは葛藤の末にようやく重い口を開く。
「おまえが、神隠しの元凶、なのか?」
 ゾロの問いに、姫はわずかに目を瞠る。ゾロはそれに一縷の望みを賭けたが、それは無惨にも打ち砕かれてしまった。姫の放ったひと言によって。
「ええ、そうです。私が人々を誘い込みました」
「・・・なんの、ためにだ」
 ゾロの声から感情が消える。
「あなたに何の関係があるのです?見たところ、検非違使などではないようですが」
 姫は一蹴する。
 ゾロは迷いを吹っ切るかのように言い放つ。
「関係ならある。俺は、サンジの友人で、陰陽師だ!」
「・・・!?」
 泰然としていた姫が、ここで始めて動揺する。それは、どれに対してのものなのか、ゾロには判然としなかった。
「陰陽師・・・。そういえば、あの方がそのようなことを言っていたような・・・」
「あいつから聞いてたんなら話は早い。攫った奴らはどうした」
 ゾロは懐に手を入れ、いつでも符を出せるように態勢を整える。
「攫った人々は・・・」
 ゾロの問いに答えるのに、姫は酷く躊躇っているようだった。ゾロはそれに少し、救われたような気がした。
 これが、さきほどまでの泰然とした態度のままならば、サンジとのことまで疑わしく思えてしまうのだが、今はこうして口ごもっている。おそらくは自分が陰陽師だからではなく、サンジの友人だとわかったから。だから、真実を告げられないのではないかと、都合のいいほうに考えてしまう。
 少なくとも、姫もサンジのことを、憎からず思っているのだと。
 それでは駄目だと陰陽師としてわかってはいるが、そうであってほしいと願う友人としての自分もいる。
 やがて決心がついたのか、姫は毅然としてゾロを見つめてくる。
「攫った人々は」
「俺が喰ってやったのさ」
「なっ・・・!?」
 ゾロは突然、何かに弾き飛ばされ、後ろにある桜の木へと叩きつけられ、地面へと倒れ込んだ。
 衝突の寸前に体を丸めて衝撃に耐えたが、一瞬息が詰まり、意識が遠退きかけた。だが、咳き込みながらもゾロは、すぐに起き上がり、姫へと目を向ける。
 驚愕に目を見開く姫の後ろに、白昼夢で見た黒い影が蟠っていた。
 あれは、瘴気だ。
「つまり、そいつが大本ってことか」
 その中に姿を隠した何かがいて、それがゾロに攻撃を仕掛けたのだ。
 ぞわりと影が動き、刃となってゾロに襲いかかる。ゾロはとっさに叫んだ。
「我が身は我にあらじ、神の御盾を翳すものなり!」
 神呪を受けて具現化された見えざる盾が、影を撥ね返し打ち砕く。
 さらに第三刃がゾロに襲いかかろうとした時、姫が声をあげる。
「お待ちください、沙妖様!その方は・・・!」
「何だ?」
「その方は、あの方のご友人なのです」
「だから何だってんだ。餌には変わりねぇ」
 にべもない影の言葉に、姫は青ざめる。
「それでは約束が・・・!」
「そんなことは知らねぇな。これほどまでの極上の餌、みすみす見逃すはずねぇだろうが」
「そんな・・・!あの方に繋がる方たちには、危害は加えないと・・・!」
 姫は必死になって言いすがる。しかし、影は相手にしない。
「たかが朽ち果てる寸前の木霊風情が、この俺に意見しようっていうのか」
「それは・・・!」
「邪魔だ」
 傲然と言い放って、影は伸ばした刃を姫にも向けてくる。
 ゾロは懐から符を引き抜き、気合いもろとも放つ。
「砕破!」
 影から伸びた刃は符に触れた瞬間、姫に届く前に砕け散った。
「おい!こっちへ来い!」
「・・・は、はい!」
 まさかゾロに助けられるとは思わなかったのか、姫は一瞬呆けたようになったが、ゾロの鋭いひと言で我に返ると、弾かれたようにゾロの側へと駆け寄っていった。
 ゾロは側に来た姫を、躊躇いもなく背後に庇う。
「どうして・・・」
 と言う、姫の戸惑ったような呟きが聞こえた。ゾロはちらりと肩越しに目線をやり、すぐに前へと戻す。
「勘違いするな」
「え・・・」
「あんたに何かあったら、あいつがうるさいからな」
 だからしかたなくだ、と渋い顔でゾロは言う。
 それを聞くと姫は俯き、一瞬だけゾロの背に触れると、そっと後ろにさがる。
「ごめんなさい・・・」
 感情を押し殺したような声にゾロが訝しんで振り返ろうとした瞬間、細く冷たいものが首に巻きついた。
 ぎりぎりと締め上げてくる細いものを引き剥がそうと両手で掴んだゾロは、それが長い黒髪だということに気がついた。姫の髪が、首に巻きつけられているのだ。
 そのうえ、巻きついているところから急激に体温が奪われ、一気に力が削がれていくのを感じた。精気が吸い取られているのだ。
 しまった、とゾロは思う。警戒を解いたわけではなかったが、油断していた。まさか、反目したように見せかけていたとは。
 しかし、さきほどまでの姫の様子は、とても嘘をついているようには見えなかった。それこそ必死に、ゾロの助命を請うていたように見えたのだ。
 だとすれば、こちらに来る前に、一瞬呆けたように見えたあのときに、奴との間で何かしらのやり取りがあったに違いない。
 相手の心の隙につけこみ、甘言をもって篭絡するのは、質の悪い妖や異形どもの常套手段だ。それを鵜呑みにすれば、痛い目をみるのはこちらのほうだ。
「ごめんなさい」
 首をめぐらせたゾロは、姫の瞳が迷いを浮かべているのを見た。
「あなたを引き渡せば、あのものが私の願いを叶えてくれるというのです」
 姫の目が悲痛に細められた。どうやら、決心がついたらしい。ゾロをあの影に引き渡すという、ゾロにとってはありがたくない決心が。
「だからって・・・!奴がそれを、守るとでも、思っているのか!」
 こんなことをして、サンジが喜ぶとでも思っているのか、という言葉をゾロは飲み込む。それはゾロに言われずとも、姫もよくわかっているだろうからだ。
 姫は必死に言葉を紡ぐゾロを悲しげに一瞥すると、ゾロの首をきりきりと締め上げ、さらに宙へと吊り上げる。自分の重さによってゾロの首はさらに締めつけられ、声を発することもままならなくなる。
 ゾロが苦しげに顔を歪めた。少しでも苦しさから逃れようと、首元を指で掻きむしる。
「よくやった。そいつをこっちに」
 影がその触手を伸ばす。姫は髪で締め上げたゾロを連れて、その影に近づいていく。
 そのとき、不意に聞こえてきた聞き覚えのある声に、姫の動きが止まる。
「ゾロ?おまえ、そこで何やって・・・!?」
 不自然に言葉が途切れる。その場の異様な光景に、息を呑むのが伝わってくる。
 酸欠によって霞み始めた目の端で、ゾロは驚きに目を見開くサンジの姿を捉らえ、内心で自嘲した。何もないところで人が宙吊りになっていたら、それは驚くだろう。
 しかし、サンジの驚きはそれだけではなかった。
「ヨウカちゃん?」
 どうやら、かの姫の姿も見えているらしい。
 だとすると、サンジから見れば、愛しの姫が人間離れした風情でもって、自分の友人の首をその美しい黒髪で締めつけたうえで吊り上げている、という風に見えているに違いない。
 姫の名を呼ぶサンジの声も、緊張のためかいささか上擦っている。名を呼ばれた姫は、サンジ以上に動揺しているようだった。
「ヨウカちゃん、なんだろ。何やってんだよ。何かの余興?」
「サンジ、さま・・・」
 姫―ヨウカの声が震える。サンジがゆっくりと近づき、そっと話しかける。
「と、とりあえずさ。そいつ、下に降ろしてくれないかな。あ、いや、俺はそのままでも、全然かまわないんだけどさ」
 サンジのその言い草に、ゾロは霞む意識の中で精一杯、サンジを睨みつけた。
 なかなかゾロを離そうとしないヨウカに、サンジはさらに声をかける。
「そんな奴でもさ、大切に想っている人がいるんだ。だから、降ろしてやってくれないかな」
 サンジの真摯な声に、ヨウカはようやくゾロを地に降ろし、首に巻きつけていた髪も解く。
 髪が解かれ、首にかかる圧迫感がなくなった瞬間、ひゅっとひとつ鋭く息を吸い込むと、ゾロは印を切って叫んだ。
「オンキリキリバザラウンハッタ!」
 途端、サンジの目には映らない何かが、音を立てて弾き飛ばされた。
 サンジは驚いて目を瞠ったが、呪文を言い終えた途端、喉元を手で押さえながら盛大に咳き込んで足元にうずくまったゾロの傍に片膝をついて、その背をさする。
「おいおい、大丈夫かよ」
 内心の動揺を隠し、呆れたふうを装いながらサンジは声をかけるが、ゾロはそれに応えるどころではない。
 ただでさえ首を絞められて呼吸も満足にできなかったのに、解放された瞬間、空気をほとんど取り込む間もなく、呪文を裂帛の気合いをもって言い放ったのだ。そして、その反動で勢いよく空気を吸い込んでしまい、萎縮していた喉やら気管やら肺やらの部分が悲鳴をあげているのだ。
 ひゅうひゅうと喉を鳴らしながらもようやく人心地がついたのか、ゾロは片手をあげてサンジの背をさする手を止めた。
 その間も、周りでは何かが弾かれる音が鳴り続けている。
「おい、これはいったい何が・・・」
「おまえには、見えない、だろうが、俺たちの他にもう一体、妖がいる」
 そこだ、と言ってゾロは正面を指さす。
 しかし、やはりサンジには何も見えない。ただ荒れた邸が見えるだけだ。
「おまえ、狙われてたんだよ、邪魔だってな。だから結界を張った」
「なっ・・・。それは、また・・・」
「あいつはどうやら、俺を餌として認識したらしい。結界を破ろうとして、躍起になっていやがる」
 ゾロは油断なく前方を睨みつけている。
 ヨウカがサンジに従った瞬間、影はサンジに狙いを定めて刃を振るってきたのだ。それを認めたゾロは、解放されるやいなや術を放ち、自分とサンジ、ヨウカを囲む結界を張ったのだった。
「ふん、まあいい。お前の気配は覚えた。今日のところは見逃してやろう」
 笑みを含んだ声でそうゾロに告げると、影は正体を一切見せぬままに北方へと飛び去っていった。ゾロはそれを目で追い、目視できなくなったところで全身から力を抜き、結界を解いた。
 それからヨウカに目をやれば、唐衣が上部から裾にかけて、桜色から若葉色へ段階的に濃淡がついて変化していた。
 人の精気を取り込むことで、一時的に徒人にも見える姿になれるのだろう。それが唐衣の色の変化として現れると、ゾロは推測した。
 立ち上がろうとするゾロに手を貸しながら、サンジが何かを言おうと口を開くが。
「あ・・・。ああぁぁあ・・・っ!」
 突如、ヨウカは髪を掻きむしり半狂乱の体で、聞いているこちらの胸が締めつけられるような悲痛な声を張り上げる。
「見られた・・・。見られてしまった!こんな浅ましい姿を、一番知られてはならない方に・・・!」
 ヨウカの嘆きに感応するかのように、風が巻き起こる。
「待って、ヨウカちゃん!」
 裾を翻して桜の木に駆け寄るヨウカに、サンジが慌てて追い縋ろうとする。
「待て、サンジ!」
 ゾロがはっとして制止の声をかける。
 しかし、二人の姿は桜の木に飲み込まれるかのように、ふっと掻き消えてしまった。




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(2010.10.13)



 

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