グランドジパング平安草子〜慈雨篇〜  −八−
            

智弥 様




「あんのっ、馬鹿!飛び込んでいきやがった!」
 ゾロは精気を吸い取られたせいでまだ思うように動かせない体を、震える膝を叱咤して桜の木まで漸う運んだ。
 ゾロは幹へと手を当て、意識を凝らす。だが、力の残滓は感じられるが、それはもうただの桜の木だった。
 ヨウカはこれを、己の分身だと言っていた。ならば本体は別にある。消えたように見えた二人だが、それはヨウカがこの木を通じて本体へと空間と空間を繋げて道を作り、そこへ入り込んだからだ。もちろん、閉じる前に飛び込んだサンジも、ヨウカと同じ場所へ辿りついているはずだ。
 ヨウカは、これは枝分けされたものだと言った。たしか、場所は。
「本体は、キブネか」
 ゾロは北方を見やった。神隠しの大本である妖が去っていったのも北方だった。
 北方にはかの祭神の坐ます霊峰がある。これは何かの符合か。
 ゾロがそう考えていると、傍らに神気が降り立ち、ロビンが顕現する。
「邸にいなかったから、捜したわ、ゾロ」
「ロビン・・・。すまねぇ、約束、破っちまった」
 青ざめた顔で木にもたれかかりながら、ゾロは悪びれたふうもなく謝る。ロビンはそれに苦笑を返す。
「しかたのない子ね。でも、何かあったのでしょう?」
 ゾロが約束を破るには、それ相応の理由があることを、コウシロウを始め、懇意にしている全員が知っている。だからロビンは訊ねる。
「ぐる眉の奴に、何かありそうな予感がした。だから、追いかけた」
「そう・・・」
 ロビンの静かな反応に、ゾロは言い訳がましく続けた。
「邸には一度、戻ったんだがな。誰もいなかったから、そのまま出かけた」
「そういうときは、文のひとつでも残しておくものよ。心配するでしょう」
 とくにチョッパーが。と、チョッパーを引き合いに出してロビンが窘める。チョッパーの名を出されては、さすがのゾロもばつが悪そうに視線を逸らした。
「それで、予感は当たったのかしら?」
「ああ。当たっちまった、最悪なことにな」
 気怠げに木の根元に座り込んで、ゾロは顔を手で覆いながら、深々と息を吐いた。
 ゾロの常にはないその様子に、ロビンは訝しげに目を細めた。
「ゾロ?具合が悪いの?だから、あれほど無茶は・・・」
「いや・・・。少しばかり精気を吸い取られただけだ。少し休めば良くなる」
 片手をあげてロビンの言葉を遮ると、ゾロはさらにうなだれた。
 精気を吸い取られたせいで体が重いのは事実だろうが、それ以外にもおそらくゾロは、自分を責めている。ゾロの言った「最悪」という言葉がそれを表している。
 ロビンが手を伸ばして、子供をあやす母親のように、ゾロの頭を撫でる。そしてそのまま手を滑らせ、首筋に触れてみる。
 いつもより、わずかに体温が低い。軽く貧血を起こしているのだろう。ロビンはそう判断して、そっと神気を送り込んだ。
 あたたかな力が体に流れ込んできて、ゾロはきつく閉じていた瞼を緩め息を吐いた。
 しばらくそうして神気を受け取っていたゾロだったが、眩暈が治まり体の怠さが消えたころ、ようやく顔をあげた。
「・・・悪い。もう大丈夫だ」
 ゾロは一度夜空を見上げてから、気合いを入れて立ち上がった。心の内はわからないが、ゾロが意識を切り替えたのを察して、ロビンは一番触れられたくないだろうが、しかし、一番重要なことを訊ねる。
「・・・彼はどうしたの?」
「あいつは消えた」
「消えた?」
「ああ。枝分けされた、この木の本体に宿る木霊の後を追いかけていきやがったんだ」
「では、その木霊は女性の姿なのね」
 そう言うあたり、ロビンもサンジの為人をよく知っている。例えどんな姿だろうと、例えどんな存在だろうと、それが女人だというだけで、どこまでも限りなく優しく接するのがサンジという男の矜持なのだ。
「ああ。さらにそれだけでなく、最近付き合っていた想い人だったんだよ」
「あら、まあ・・・」
 驚いたかのように軽く目を瞠るロビンに、ゾロは肩を竦めてみせた。それにより、何がどう「最悪」なのかを悟ったロビンだったが、それを口には出さなかった。
「でも、おかしいわね。木霊は悪さはしないはずだけれど」
「ああ。そいつの後ろにサヨウっていう妖がいて、そいつが神隠しの元凶らしい。木霊はそいつと何らかの繋がりを持っちまったみたいだな」
「サヨウ・・・?いま、サヨウと言ったかしら?」
「ん?ああ、言ったが、どうかしたか?」
 何やら思い至った感のあるロビンは、おもむろに小石を拾うと、地面に何やら文字を書き出した。
 暗視の術をかけているゾロには、暗闇の中でもその文字が見えた。
『沙妖』と書いてある。
「沙妖・・・」
「西の大陸に棲む妖怪の名前よ。この国に渡る以前、一度だけ、話したことがあるわ」
 この大陸を、共に支配しないか―――。
 そう沙妖に誘われたということを、ロビンは隠さずに告げる。
「そのときと同じ妖怪かはわからないけれど、同類であることは確かでしょうね」
 そして、ロビンは「沙」を円で囲みゾロを見る。ゾロははっとする。
「沙・・・。そうか、砂の妖怪か!」
「ご名答」
 ロビンはくすりと笑う。
「沙」は「砂」となり、砂を意味する。だから「沙妖」で「砂の妖怪」となる。
「まさに砂の如く、一切の物理的攻撃は効かないわ。さすがに妖だから、ある程度の霊力や法力は通用するけれど」
 それ以外では打つ手なしね、とロビンはさらりと言う。その内容にゾロが唸っていると、ロビンはあることを示唆してくる。
「砂から連想される沙妖の弱点は、わかる?」
「弱点・・・?」
「そう、弱点」
 ロビンは意味ありげに微笑んでいる。
 ロビンを始めとした式神たちは時々、こうしてゾロ自身に考えさせる。それは、ただ教えるだけではなく、自分で答えを見つけ出すことの意味をわかっているからだ。
 自分で導き出した答えほど、確かなものはない。例えそれが間違っていたとしてもだ。もし間違っていたとしても、その時はそれに気づくまで存分にやらせてから、コウシロウや式神たちがそれを指摘するまでだ。
 それなくして、成長はありえないのだから。
 ゾロもそのことをわかっているから、必死に考える。考えて、もしかしたら、という答えに辿りつく。
「・・・水、か?」
「それはなぜ?」
「・・・砂は、乾いた状態では様々に姿形を変えるが、水を含むと固まる。とすると、沙妖は水をかけられると、物理的攻撃も通用するようになるってことじゃないのか」
 ゾロの答えに、ロビンは満足げに頷き、さらに問うてくる。
「では、沙妖と闘うにはどうすればいいかしら?」
「それは・・・。水をぶっかけりゃ話は早いが、水甕なんて持って闘うのはこっちが不利だしなぁ」
 腕を組んで考え込んだゾロの脳裏に、これまで得た情報が蘇る。
 ――ふた月あまり、雨が降っていない・・・
 ――クラオカミノ神のご依頼は・・・
 ――都中で神隠しが頻発してる・・・
 ――神を解き放つにしても・・・
 ――攫った人々は・・・
 ――俺が喰ってやった・・・
 そして、北方に飛び去っていった沙妖。
 これらが示しているのは―――。
「沙妖がタカオカミノ神を封じた張本人ってことか」
「なぜ、そう思うの?」
 ロビンが笑みを浮かべる。
「水が弱点なら雨だってそうだろう。この国を支配するつもりなら、雨は邪魔なはずだ。なんせ雨が降ったら自分が固まっちまうんだからな。だから、雨を司る竜神を封じ、雨をこの国から奪ったんだ」
 ゾロがそう断言すると、ロビンは感心した風情でぱちぱちと拍手した。ゾロが不機嫌そうな顔になる。
「よくできました。これでようやく、かの御祭神の依頼を果たせるわね」
「ああ、そうだな」
 ゾロは北方の霊峰を仰ぎ見た。
「さてと。問題は、今夜中にキブネにつけるかだな」
「そうね。人の足では時間がかかりすぎるわね。私が連れて行ければいいのだけれど」
 ロビンが残念そうに言うのに、ゾロは気にするなと笑う。
 たしかに式神たちは足が速い。その式神たちの神速をもってすれば、一刻とかからずに目的地に辿りつけるだろう。だが、ゾロを連れてとなると、ロビンには少しばかり荷が重い。
 式神たちは総じて、人より力が強い。女性であるロビンでさえも、剛健なゾロより力がある。だが、背はゾロよりも高いが、さすがに成人男性を連れて歩くのはロビンには無理なことだった。これがフランキーやブルックなら何ら問題はなかったのだが。
 走るしかないかとゾロが決心したとき、泣きだす寸前の声が聞こえてきた。
「ゾロ〜!どこ行ったんだよー!」
 ゾロとロビンは互いに顔を見合わせ、同時に苦笑した。
「そういや、いたな」
「ええ、いたわね。適任者が」
「泣きべそかいてんだろうなぁ、あいつ」
「今度からはちゃんと、文のひとつも書いておくことね」
「ああ、そうするよ」
 ゾロは頷くと、門から外に出る。
 この邸にはおそらく、内にいるものの気配を断つ結界のようなものが働いている。だから最初、ゾロの放った式もサンジを見失ったのだ。となれば、チョッパーもゾロの気配やら匂いやらを感知できないでいる可能性が高い。
 ゾロが外に出ると、右から左へとすごい勢いで目の前を走り抜けていったものがあった。
 ゾロは慌ててそれに声をかける。
「おい、チョッパー!」
「ゾロ!?」
 かなりの距離をおいて、土埃をあげて急停止したような音と、驚いたような声が同時に聞こえてきた。
 それからすぐに、こちらに向かって走ってくる足音が聞こえてきて、ほどなくその足音の主が姿を見せた。
「ゾ、ゾロ〜」
 えぐえぐと泣くのを我慢して、つぶらな瞳に涙をいっぱいに溜めたチョッパーはゾロに駆け寄る。ゾロもそんなチョッパーの姿に罪悪感を覚えながら、腰を落としてチョッパーを抱き留める。
 チョッパーはゾロの首に腕を回すと、ぎゅうっと抱きついた。
「ゾ、ゾロの馬鹿ぁ〜!おで・・・、おで、いっぱいざがじだんだがらな〜」
 とうとう泣きだしたチョッパーの背を慰めるように撫でながら、ゾロはとにかく謝る。
「ああ、悪かったな。おまえが一番、俺を気にかけていたのに、配慮がたりなかった」
 ひんひんと泣きぼろめるチョッパーに、ゾロは苦笑を深める。
「ほんっとーに、おまえの泣き虫は変わんねぇよなぁ。俺なんかよりもずっと長生きしてるくせになぁ」
 始めてチョッパーに会ったのは、ゾロが三歳のときだった。その頃から精霊であるチョッパーは変わらない、その外見も内面も。本当に何も変わらずに、純粋な好意と信頼を、ただひたむきにゾロに寄せてくれる。
「ああ、あったけぇなぁ」
 ゾロは無意識に呟いていた。まだ通常の体温に戻りきらない体に、チョッパーの体温がじんわりと染み込んでくる。盆地特有の蒸し暑い夜だが、それが気にならないくらい、ただ純粋に温かい。
 ロビンがそっと後ろから、労るようにゾロの頭を撫でる。
 ゾロは時々、考えてしまうことがある。それは、自分や師が亡くなったら、というものだ。
 人間である自分たちはいつかは死ぬ。神や精霊である彼らをおいて。そうなったら遺された式神たち―ロビンやフランキーやブルック、それからチョッパーはどうするのだろうか。
 きっと、哀しむにちがいない。もしくは哀しまないかもしれない。それでも、喪失感に苛まれることにはなるだろう。心優しい彼らには、そんな気持ちを抱かせたくはないのだが、そればかりはどうしようもない。
 自分と彼らの間でさえ、そういう気持ちを抱くのだ。神隠しにあった者たちの家族や親しい者たちの嘆きはいかばかりだろうか。理不尽にも命を絶たれた者たちの憤りや絶望は想像するにあまりある。
 だから、そんなことを仕出かした妖を、許すことはできないし、見逃すつもりもない。
「チョッパー、おちついたか?」
 いまだにしがみついているチョッパーの頭を、ゾロは軽くぽんぽんと叩く。それを受けてチョッパーはこくりと頷き、ゾロの腕に抱かれたまま身を離した。
「うん。ごめん、ゾロ」
「気にするな。それより、頼みがある」
「頼み?」
「ああ。俺をキブネまで連れていってくれ」




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(2010.10.23)



 

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