グランドジパング平安草子〜春愁篇〜  −三−
            

智弥 様




 サンジと初めて会ったのは、都に咲く桜が盛りの頃だったと記憶している。
 自分がもう長くはないとわかってしまった故に会、かつて枝分けされた分身ともいえる木の状態が気になってしまった。だからあの日、初めてその木へと道を繋げた。
 枝分けしてから初めて見るその木は、順調に成長しているようだった。これならば、本体が枯れて、自分が消えた後でも大丈夫だと安心した。
 そんな時に、ゾロの邸に所用で出かけ、その帰りになにげなく北のほうに足をのばした彼に会ったのだ。打ち捨てられた邸に足を踏み入れる者がいるなど思ってもいなかったから、自分は力を抑制してはいなかった。だから、彼にも見えただろう、満開の桜の木の下に静かに佇む自分の姿が。
 彼の存在に気づいてはいたが、あえて知らぬふりをしていた。相手をしなければそのうちいなくなるだろうと思っていたのだ。だが、いつまで経っても立ち去る気配がなく、どうしたのかと怪訝に思い、私は彼を見やった。
 春の日差しが燦燦と降り注ぐその庭に、彼は呆けたような風情でいた。
 陽の光が当たり、彼の金の髪はそれを弾いてきらきらと輝いていた。青空よりも深い色の青い瞳は澄んでいて力強く、彼が善人であることを垣間見せていた。
 このときの自分には、まだ人間らしい感情は全くなかった。もちろん喜怒哀楽はあるのだが人間と同じようには物事を捉えられず、どちらかといえばそれは、天上に坐す神々に通じるものであったのだ。
 なのに、ただの人間であるはずの彼に、心が動かされた。
 こんなにも綺麗な人間がいるのかと、私は驚いたように目を瞠ったあと、自分でも知らず知らずのうちに微笑んでいた。
 そのすぐ後に突風が吹き、彼が目を閉じたのを機会に私は元の住処へと帰ったため、その後、彼がどうしたのか私は知らなかったし、それから何度も彼が自分に会うためだけに、その邸に足を運んでいることも知らなかった。
 だから、あの日、驚いたのだ。まさか本体のあるこの山の中で彼に会おうとは、思ってもみなかったから。
 そして、囁かれた言葉の数々。
 嬉しかった、本当に。
 年月が経つにつれて、誰もが見向きしなくなっていったから、余計にその言葉が嬉しかったのだ。それが、自分という存在に気づいてはいなかったとしても。
 そのときは、それが人間の言うところの恋かどうかなんて、わからなかった。ただあの時、あの瞬間から、私の胸の中には、光の化身のような彼の姿が住みついていたことだけは確かだった。
 梅雨が明けたころ、私は再びあの邸へと道を繋げてみた。
 私が緑の葉が繁った桜の木の下に降り立ち、あの日のように木を見上げ佇んでいると、門の方から息を呑む気配が伝わってきた。
 声をかけあぐねているのが気配で判り、私はそこでようやく振り向いた。そこにはあの時と同じように光を浴びて輝く彼がいた。
 その彼があまりにも真摯に自分を見つめていたことに気づき、私は軽く目を瞠ったあとすぐに微笑んでみせ、自分から声をかけた。
「こんにちは。以前にも一度、お会いしましたね」
 本当は三度目だけれど、と思いつつも笑みは崩さない。
「こ、こんにちは」
 いささか緊張したような声音で彼は笑顔で答え、普段の自分なら厚かましいとも思えることを言ってきた。
「あなたさえよければ、少しお話などいかがでしょう」
「私と、ですか?」
「ええ。あ、いや、無理にとは言いません。お時間があるのでしたらと、思ったまでですから」
 微かに頬を染めながらそう言う彼の無理強いすることのない態度に、私はくすりと笑うと頷いた。
「私でよければ、お相手いたしますわ。ここで立ち話も何ですから、あちらに座りませんか」
 そう言って私が邸の方を示すと、サンジはぱっと顔を輝かせた。それに好感を覚え、私はまたくすりと笑った。
 たぶん、離れたくないと、自分でも無意識に思っていたのだと思う。
 それから私たちは、何度もあの荒れた邸で逢瀬を重ねた。私が道を繋げるのは、この邸の桜の木だけ。そのために、会うのは必ずこの邸でだった。それ以外では会ったことはないし、会うことも出来ない。
 それでも彼はかまわず、毎度律儀なほどに通ってきた。文句も言わずに私との逢瀬を重ねる彼に、一度だけ問おうと思ったこともあった。なぜここに来るのかと。
 だが彼が浮かべる子供のように嬉しそうな笑顔に何も言えなくなって、それ以来、彼が何も言わないのをいいことに、私は自分から真実を話すことを止めた。
 いつしか私は、この時間を心待ちにしている自分に気づいていた。だから言い出せなかった。この時間を自分か手放すようなことは。
 この時間がずっと続けばいい。それでも、確実に自分の寿命はやってくる。人である彼が、老いるよりも早く。
『嫌だ。まだ・・・せめて、来年までは!』
 そうして私は、禁忌に手を染めた。それが、異邦の妖異に付け込まれることになってしまうとは、露とも思わずに。
 それからは、異邦の妖異の言うがままに、彼と会う日の前後や邸の周辺で人々から生気を奪っていった。彼に気づかれてはいけない。それだけを念頭に入れ、私は凶行を続けていった。
 人を襲ったあとは、いつも罪悪感に苛まれていた。わずか一年足らずの自分の寿命を伸ばすためだけに罪もない人々を襲う自分の醜さに、そんなことをしてもいつかは必ずやってくる終焉に怯えることさえ、必死で気づかないふりをした。そうでもしなければ、彼の顔をまっすぐには見られなくなっていたから。
 だから、気づけなかった。よもや彼が、自分が人ではないということに気づいていたことに。神隠しと呼ばれる騒動に、自分が関わっているということを確信していたことに。
 彼はそのとき、どう思っていたのだろう。
 いつか別れなければならない女との逢瀬を繰り返していた彼の葛藤は、きっと自分が思うよりも深いものだったに違いない。
 けれど、心のどこかでは願っていなかったか。
 彼には、受け入れてもらいたいと。
 たとえ自分の正体が、物の怪だったとしても―――。


 初めて聞かされた二人の出会いに、まさか自分も一役かっていたことにゾロは複雑そうな顔をみせた。
 あの時、もう少しサンジを自分が引き止めていたら、それ以降の災厄は事前に防げたうえに、自分が疲労困憊の態に陥ることもなかったのか、とすら思ってしまった自分にゾロはため息を吐いた。
 どのみち、二人の出会いが定められたものならば、嫌でもどこかで出会っていただろう。それが遅いか早いかの違いだけだ。全ては終わったことだ。いまさら嘆いても仕方ない。
 ゾロの内心の葛藤を見抜いたのか、珱華はさりげなく話題を変えてきた。
『この後、本宮まで行かれますか?』
「あ〜・・・」
 ゾロは本宮のほうに目を向けた。
 たぶんあの祭神のことだから、ゾロたちがこの地を訪れたことに気づいてはいるだろう。だがここまで何かしらの反応がないということは、とりあえず今日は挨拶に行かなくても大丈夫だろうとゾロは考え、念のためサンジには聞こえないように声量を抑えて、珱華へと返事をした。
「下に仲間を待たせているからな。今日はここで帰るさ」
『さようですか』
 ゾロは頷くと、サンジに声をかける。
「おい、もう行くぞ」
 それでもサンジは動こうとしない。
 おそらく一年前のことに想いを馳せているのだろう。それがわかるだけに、ゾロは無理強いをする気にはなれなかった。しかしいつまでも、このままここにいる訳にもいかない。
 さてどうしたもんかな、とゾロが考えていると、珱華が静かに口を開いた。
『ゾロ様、しばらく私にお付き合いくださいませんか?』
「・・・何をする気だ?」
 訝しげにゾロは珱華を見やる。
『今、笛はお持ちですか?』
「あ〜・・・あるにはあるが・・・、どうする気だ?」
『一曲、お願いしてもよろしいですか?』
 珱華の声音は決して強要するものではなかった。だがなぜか逆らえない響きを持っていて、ゾロはわずかな逡巡のあと懐から笛を取り出した。
 なぜゾロが苦手としている笛を持ってきたのか。それは直感としか言いようがなかった。なんとなく、必要になるような気がしたのだ。
 だが、だいぶ上達したとはいえ、まだまだ人様に聞かせるような腕ではない。ナミ相手ならば、どれだけ下手であろうともいつものことなので気にはならないのだが、それ以外の者の前で、しかもサンジの前で吹くことには抵抗がある。どうせこのあと、散々馬鹿にされるに決まっている。
 だがゾロはここで、ブルックの教えを思い出した。
『楽とは、心で奏でるものなのです。どんなに上手でも、そこに心がなければ、それを聞いている相手には何も与えることは出来ないのです』
 ああ、そうだったな。今はここにいる二人のために吹こう。
 ゾロは笛を構えると、そっと吹き出した。出来るだけこの場に相応しい、緩やかで穏やかな曲調を心掛けて。
 笛の音が辺りに響いていく。
 ふわりと花の香が広がり、それに気づいたゾロが伏せた目を上げると、サンジの側で珱華が曲に合わせて静かに舞を踊っていた。
 それに気づいたわけでもないだろうに、サンジは夢から醒めたような顔をして辺りを見回すと、ある一点で目を見開き、その動きを止めた。
「珱花、ちゃん・・・?」
 サンジのその呟きに、ゾロは珱華がサンジにも見えるように顕現していることを知った。しかし、その理由がわからない。あえて姿を見せる必要があるのだろうか。
 ゾロがサンジに目をやると、珱華の姿をただひたすらに凝視している。珱華の意図は掴めないが、とにかく今は笛に専念しようと、ゾロは意識を切り替えた。
 サンジは、わずかな風にはらはらと舞い散ってくる薄紅の花弁と共に舞を踊っている珱華を見ているうちに、その姿に違和感を覚えた。
 自分が知っている珱花は、果たして彼女だっただろうか、と。
 サンジが知っている珱花は、一本芯が通っていながらも、どこか儚さを感じさせる女性だった。だが目の前の女性には、それを感じさせない力強さがあった。
「ああ、そうか・・・」
 サンジは唐突に納得した。  




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(2011.07.04)



 

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