グランドジパング平安草子〜春愁篇〜  −四−
            

智弥 様




 あの事件のあと、サンジがゾロから聞かされた事実。それは。
「あの日、おまえが『珱花』と名付けた木霊は、確かに甦った。だがそれは・・・それまでに培ったおまえとの記憶も思いも何もかもを失くして、まったく新しい、まっさらな魂で再生したんだ」
 ―――だから、甦った桜の精霊はもう、サンジの知っている『珱花』ではない、と。
 そう聞かされ、サンジは失意の底に沈みながらも、自分なりにその事実を受け入れた、と思っていた。今日、この日までは。
 だが、理性は受け入れていたとしても、感情は納得していなかったようだ。
 そして今実際に、思い出の中の彼女と目の前の彼女の差異を自分の目で確かめたことによって、理性と感情がようやく一致し、どうやら完全に事実を事実として受け入れられたようだ。
 珱花は、自分の理想像。目の前の彼女は、現実を生きる実像。
「なんか俺って・・・自分が思っていたよりも、女々しい奴だったみたいだな」
 サンジは片手で目元を覆い、自嘲の笑みを浮かべた。
 だがそこで、ふと我に返る。あるはずのものが、何故かない。
あるはずのもの――それは、ゾロからの辛辣な突っ込みだ。こういう時、大抵ゾロが何かしらの嫌味を言ってくるはずなのだ。
「いまさら気づいたのか?どこまでも救えねぇ奴だな、てめえは」
 といった感じで。
 そこに来てようやくサンジは笛の音に気づき、その奏者であるゾロを呆気に取られたように見つめてきた。しかし、その顔が徐々に、ゾロをからかういつものものになっていくのを、ゾロははっきりと見て取った。
 それがいけなかったのか、ゾロの集中が途切れ、指使いを間違えてしまう。
 笛の音がふつりと途切れる。
「・・・なんだよ」
 ばつが悪そうにゾロは目線をあらぬ方向に泳がせた。どうせサンジはからかい倒してくるのだから、謝るのすら癪というものだ。
「いえいえ、なかなかのものでございました。こうして精霊様が参られたようでしたし?」
 サンジが意地悪くそう言うと、ゾロは微かに頬を染めながらそっぽを向いてしまった。
 笛の音が途切れると同時に、珱華の姿もまた、掻き消えてしまった。こうなってはもう、サンジの目には彼女の姿を捉えることは出来ない。だが、今もまだこの場にいるのはゾロの様子を見ればわかる。ゾロは桜の木があった場所を見て、一つ頷いてみせたのだから。
『生まれ変わって俺との記憶がなくなっても、心配してくれるくらいには落ち込んで見えたってことか・・・。返す返すも、俺って情けねぇ。しかも、奴にまた借りを作っちまったみたいだしなぁ』
 サンジはゾロの笛の音を思い出す。そこに込められていたのは、サンジへの気遣いと同情ではない慰め。下手な同情はかえってサンジを傷つけるとわかっているからこその、ゾロなりの思いやり。
 だいぶ練習はしたのだろうが、まだまだ、たどたどしいその指使いと音色。それだけならば、自分のほうがずっと上手い。だが、そこに込められたものは一級品。良い師匠がついていることが、それだけでもわかるというものだ。
 サンジは照れ臭そうにふっと口元を緩めると、ゾロに見つからないうちにそれを皮肉気な笑みにすり替える。
「さて、そろそろ下りましょうかね。ナミさんをこれ以上、お待たせするわけにもいかねぇしな」
「・・・・・・そうだな」
 ゾロとサンジはようやくその場から動き始めた。
 ゾロはさりげなさを装い、サンジがいた場所を見やる。そこにはまだ珱華が佇んでいたが、ゾロの視線に気づき頭を垂れた。ゾロはそれに軽く手を振ることで応えた。
 こいつはもう大丈夫だと。


 日がだいぶ西に傾いてきた頃、山から下りてきた五人はゾロの邸まで来ると、そこで休憩をとらせてもらうことにした。
 邸に入るとすぐに、そこの主であるコウシロウが全員を笑顔で出迎え、どこかへと出かけていった。ゾロに訊ねると、某かの貴族から祈祷を頼まれているとの旨が返ってきた。
 もしかして自分たちの帰りを待っていてくれたのかと心配するナミに、ゾロは手を振って否定した。元々夕刻からの約束だったから大丈夫だと言って。
 ゾロは邸にある気配を探るが、どうやら全員出払っているらしい。式神たちの気配も自分の式の気配も感じない。隠形しているのかとも思ったが、それらしい気配もない。そういえば、出掛けに用事を言い付かっているようなことを言われたな。
(誰か一人でも残っていれば、もてなしの用意を手伝ってもらおうと思ってたんだが、しかたねぇな)
 ゾロは気を取り直すと、自分の部屋の方を示して言った。
「先に部屋に行ってろ。白湯でも持ってきてやるから」
 そう言い置いて厨へと向かうゾロの後を、サンジが追いかける。
「おい、待てよ。ナミさんの分は俺が淹れるからな。女性に変なもんだされちゃ、堪ったもんじゃないからな」
「変なもんってなんだよ、変なもんって。一通りの炊事は出来んだよ、これでも」
「ばーか。淹れ方が違えば、白湯だって美味くなるんだよ。ただ沸かしゃいいってもんじゃねぇんだよ。素人は黙って見てろ」
 騒がしく立ち去る二人の後姿に、残された三人は誰からともなく顔を見合わせたあと、一斉に破顔した。
「おいおいおいおい、上手くいったんじゃねぇか!?」
「そうよね、絶対そうよね!?いつもの二人だったわよね、今の!」
「いや〜、上手くいくとは思ってなかったんだけどなぁ」
「って、おい!」
 興奮気味なウソップとナミとは裏腹に、ルフィはあっけらかんと心境を吐露した。それに思わず突っ込むウソップに、いささか呆れ顔でナミが言った。
「諦めなさい。こういう奴だって、嫌って言うほど知ってるでしょ」
「まあ、そうなんだけどな。なんつうか、こう、改めて思い知らされるっつうか、なんつうか・・・」
 はあ、と二人は深々とため息を吐き出した。
「いやいやいや。上手くいってよかったよかった。なあ!」
 力なく項垂れる二人の側で、ルフィだけは得られた好結果に、相好を崩して高らかに笑っていた。
「こいつは放っておいて、行きましょ」
「ああ、そうだな」
 ウソップとナミは、すたすたとゾロの部屋へと向かって歩き出した。言葉通り、ルフィをそのままにして。
 二人が部屋に着くと程なくして、ルフィを伴ってゾロとサンジが各々の手に盆を持って部屋へと入ってきた。
「待たせたな。師匠が何かしら用意してくれてたから、それも持ってきた」
 そう言ってゾロが差し出した盆には、唐菓子や日持ちがするように天日で干された枇杷や山葡萄、杏に桃などの果実類や殻のままの胡桃などが山のように乗っていた。
 下級貴族のゾロとは違い、皆がみな、中流以上の貴族。普段から美味いものを食している面々に差し出すのは気が引けたが、実際こういうものしか用意出来ないのだからしかたがない。
「あら、干し杏ね。私、これ好きよ。甘酸っぱくておいしもの」
 ナミは嬉しそうに橙色の平らかな丸いものに手を伸ばすと、それをひとつ口の中に放り込んだ。乾燥していても柔らかい果肉を噛むと、甘酸っぱい味が口中に広がっていく。
 目元を和らげてナミを見ていたゾロがふと他を見れば、ルフィとウソップも競うように用意したものを次々に口に運んでいた。どうやらお気に召したらしい。ゾロはそれに安堵した。
「すまんが、ちょっと席を外す。おい、ぐる眉。以前頼まれていたものが出来上がっている、取りに来い」
 全員が一息ついた頃合いを見計らい、ゾロはそう言って立ち上がると、サンジを伴って部屋を出て行った。向かうはコウシロウの部屋の隣りの空き部屋だ。
「おいおい、俺は何も頼んじゃいないぜ。呆けたのか?」
 心当たりのないサンジは首を傾げて訊ねた。それにゾロはしれっと答えた。
「別に、おまえだけを呼び出す口実だ、気にするな。渡すものがあるのは本当だしな」
「皆の前で渡せばいいじゃねぇか」
「俺はそれでもかまわないんだが、物がものだけに、後で困るのはおまえだからな。これでも気を使ってやってんだよ」
 部屋に入ると、ゾロは円座をすすめた。サンジがそれに腰を下ろすと同時に、目の前に布に包まれた四角いものを差し出された。
 一瞬面食らったサンジだが、これが自分に渡すものかと合点がいって、その包みを開いた。
「これは・・・桐箱、か?」
 包みの中から現れたのは細長い桐箱だった。
 ゾロが先を促すように言った。
「中を見てみろ」
「中を?」
 サンジは言われるがままに蓋を持ち上げた。
「・・・?」
 中に入っていたのは、どう見ても数珠だった。
 かなりの樹齢を経たような原木を使用したようで、深みのある渋い木目が木玉へと加工され、うっすらと縞目のあるなかなかに面白い木玉に仕上がっている。それが数珠に仕立てられ、非常に上品で素朴なものへと仕上がっていた。
「これが、渡すものか?」
 サンジが訝しそうに訊くと、ゾロは頷いた。
「それは、キブネの桜の木を用いて造られたものだ」
「キブネ、の・・・!」
 サンジははっと目を見開いた。
 ゾロが言わんとしていることがわかり、サンジは震える手で中に納まっているそれを取り上げた。




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(2011.07.04)



 

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