グランドジパング平安草子〜春愁篇〜  −五−
            

智弥 様




「立ち枯れたあと、あの木を処分するってんで譲ってもらったんだ。まあ、そうは言っても俺は動けなかったから、師匠に頼んだんだけどな」
 そのあとコウシロウのつてを頼りに、知り合いの仏具職人に頼み込んで数珠を造ってもらい、つい先日、ようやくゾロの元へと届いたのだ。あとはサンジに渡すだけというところにきての、今回のお花見騒動だった。ゾロにとってはまさに、渡りに船だった。
 何の反応もないサンジの様子に、ゾロは眉宇を顰めた。
 やはり、まだ早かったか。後悔がゾロを襲う。
「・・・これ、本当に貰ってもいいのか?」
 サンジが遠慮がちにぽつりと呟いた。
「辛いんなら、べつに受け取らなくてもかまわねぇぞ。その時は、俺が預かっておくからよ」
 気持ちの整理がついたら、いつでもいいから取りに来い。
 ゾロがそう言うと、サンジはいつもの人を食ったような顔になる。
「金は払わねぇぞ」
「・・・誰が取るかよ、ばーか」
 そこでようやく、サンジは笑みを浮かべた。ゾロは照れ臭いのか、普段に輪をかけた仏頂面でそっぽを向いた。
「でも、何で数珠なんだ?置物とかでも良かったんじゃ」
「それなら、いつでも身につけていられるだろ。それに、まあ、魔除けも兼ねてるからな」
「魔除け?」
 ゾロの言葉に、サンジは首を傾げた。ゾロは深々とため息を吐いた。
 サンジは徒人なので当然のことながら、内裏に蠢く異形たちの姿などは一切見えていない。
 例えば、仕事の最中に彼の肩に猫ほどの大きさの小鬼が乗っているとか、歩く彼の足元を手足が短くてまん丸な妖がごろごろと転がりまわっているとかいう事態が起こっていても、見えないから気づかない。
 彼の気質故なのか、案外サンジは異形のものとの相性がいいらしい。
 ゾロがそうと気づいたのは、出仕を始めてしばらく経ってからだった。なにせ部署が違ううえに、相手は武官、こっちは文官の下っ端とあって接点がほとんどなかったのだ。気づくのが遅れてもしかたがない。
 まあ、相性がいいといっても見えないので意味はないのだが、嫌われるよりは好かれたほうがいいものだろうと、ゾロは自分を納得させていた。
 だが、まさか精霊まで誑かすとは思わなかったゾロは、見えないが故に次もまた同じことをしでかすのではないかと考え、一計を案じた。
 精霊を宿すほどの桜の木は、立ち枯れたとはいえ、その身に宿す霊力はそこら辺の低級な妖くらいならば寄せ付けない威力を持つ。そして、数珠は珱華とを繋ぐ神具にもなるし、そこにあるだけで結界の役割を果たす。そうなれば必然的に、珱華の加護をサンジは受けることになる。
 珱華は神の眷属。その後ろにはこの国でも屈指の神がいる。そんな者の加護を受けているサンジに、そうそうちょっかいをかけてくる酔狂なものはいないはずだ。というより、いないと思いたい。
 そして数珠は、サンジが珱華のものであるという目印でもある。これでサンジが再び精霊を口説くなどという愚行を犯したとしても、本気になる精霊や妖はいなくなるはずだ。神の眷属を相手に喧嘩を売るような物好きはそうはいない。売ってきたとしてもそれは、同じように神の眷属だろうし、そうなると主神の格が物を言う。オカミノ神を超えるほどの神格はそうはいないから、これも万事まるく収まるはずだ。
 こういった様々な思惑を込めて、ゾロはこの品を造ってもらったのだった。もちろん、それらの効果を確かなものにするために禁厭もかけておいた。
 しかしそれらを説明したところで、見えないサンジにとっては馬の耳に何とやらで、聞き分けることはないだろうということもわかっている。
 本当に自覚がないというのは恐ろしいと、ゾロは自分を棚に上げて思ったのだった。
 サンジはしばらく、自分の手に納まったそれを眺めていた。
(材料を持ち込んでの依頼なんて、結構値が張ったんじゃねぇか?こいつの薄給で払えたのかよ。・・・だが、まあ、ありがたく貰っておいてやるよ。もったいないからな)
 内心そんなことを思っていたが、ゾロがなぜこれを用意したのか、サンジにはなんとなくわかっていた。
 サンジの憶測でしかないが、きっとゾロはサンジに、珱花との思い出を何かしらの形で残しておいてやりたいと思ったのだろう。たとえそれが後々、サンジの心の傷を広げるかもしれない危険性を持つ、ゾロの無自覚で利己的な思いであったとしても。
 あの日もただ「忘れるな」とも「おまえだけは覚えていてやれ」とも言われた。これはその証だ。
 彼女との逢瀬の日々はまるで、夢の中での出来事のようだった。いくら覚えていようとしても、月日が経てば人間の記憶などあっという間に色褪せてしまうものだ。
 だからこうして確かな証があれば、それを見るにつけ思い出す。短くも濃密だったあの日々を、彼女が最期に見せたあの美しい桜の木を。多少は美化されるだろうが、思い出としてならば、それもいいだろう。そしていつか、いい思い出だったと、皆で笑って語り合える日が来るだろう。それまでは、これは肌身離さず身につけていよう。
 きっとその頃には、触れられて磨かれて、もっと美しい光沢となんとも言えない風情が出ているだろう。
 サンジは数珠を左腕につけると、それを愛おしそうにひとつ撫でると、おもむろに口を開いた。
「礼にひとつ、教えてやるよ」
「何をだ?」
「あの邸な、もうすぐ人が住めるようになるってよ。そうしたらさ、皆で騒ごうぜ」
 あの邸とはつまり、珱華の分身があるあの荒れた邸のことだと、ゾロは察しがついて頷いた。
「・・・そうか。だが、いいのか?」
「何が?」
 ゾロが少し言いにくそうに先を続けた。
「いや・・・女との逢瀬に使うのかと思ったんだが…」
 それをサンジはやんわりと否定した。
「べつに、珱花ちゃんとのことを引きずってるわけじゃないんだけどさ・・・あの邸はさ、そういうことに使っちゃいけないような気がするんだよな」
「そうか」
 今度こそ納得して、ゾロはしっかりと頷いた。
 直後、ゾロの片眉がぴくりと器用に上がり、あらぬほうを見たかと思うとすっくと立ち上がった。サンジはそれを不思議そうに見つめた。
「そろそろ戻るぞ。どうやらルフィの奴、俺の部屋で何かやらかそうとしてるらしい」
「何かって・・・」
 というより、なぜそんなことがわかるのかと、サンジが訝しげにゾロを見ると、ゾロは自分の肩の辺りの何もない空間を指差した。
「いま、師匠の式がここにいるんだが、それが教えに来た。客人の一人が、何やら部屋を物色してるってな」
「そりゃまた、便利っつうかなんつうか・・・」
 常人であるサンジには理解しかねる現状に、それ以上言葉が見つからず、サンジは軽く肩を竦めて立ち上がった。
「荒らされちゃ困るもんでもあるのか?」
「・・・まあ、それなりにな」
「どんなのだ?」
「書きかけや完成した呪符とか、読んでも意味はわからんだろうが、陰陽道関係の書物や巻物だとか。あと、占に使う式盤はかなり重いからな、落としたら怪我くらいはするだろうな」
 陰陽道関係の巻物は大陸伝来のものなうえにコウシロウ所有のもので、いまはゾロの勉強のために貸してもらっている。ルフィなら、広げたうえで絡まって破くくらいはやってのけるだろう。式盤は文台の上に乗っていて、結構な重さがある。ルフィなら、いじってみたくて動かしたあげく足の上に落とすくらいはやるに違いない。
 呪符だって、ようやく完成したものもあるのだ。ルフィならそれこそ物珍しさで、自分の真似をして投げたり叩いたりして、しまいには無残な姿の呪符が床に散らばっていることだろう。
 ゾロが考えたことをサンジも容易に想像がついたらしく、神妙な面持ちで同意を示した。
「・・・たしかに。ルフィの興味を引くうえに、荒らされたら困るものばかりだな」
「だろう・・・急いで戻るぞ」
「ああ、そうだな」
 主が不在なのをいいことに、二人は部屋を目指して廊下を走り出した。
 二人が部屋に戻ったとき、ルフィはいつの間にか戻っていたロビンが咲かせた幾つもの手によって羽交い絞めにされて、まるで手足を振り上げて踊っている途中のような妙な体勢で固まっていた。しかもロビンは、わざわざ徒人にも見えるように顕現までしてそれをしていたのだ。
 すでに顔見知りの面々だからこその、ロビンなりの少し手荒な窘めだった。


 それからサンジの周りには、妖たちの姿はほとんど見かけなくなった。
 サンジはルフィほどではないにしろ、通常の人よりも少しだけ勘が良かった。式や式神たちの姿を感知することは出来ないが、妖怪が寄り集まる吹き溜まりのような場所に行けば、気分が悪くなる程度には勘が良かった。だが、気分が悪くなっても、その場を離れればすぐに治まるという程度―――のはずだった。
 しかしゾロとの出会いにより、その感性が磨かれてしまったらしい。さらに、あの数珠の恩恵もあったのかもしれない。
 サンジはある程度霊性の高いものならば、それらを感知出来るようになったらしい。とは言っても、あいかわらず姿は見えていないのだが。だからこそ厄介だった。
「ああ!なんて美しいんだ!」
「こんなに美しいものは見たことがない!」
「出来ることなら、手元に置いておきたい!」
 そんな感じで、手当たり次第に口説いて回っているようなありさまだった。
 その相手が人間ならば、ああまたか、で済まされるのだ。だが相手は霊性の高い物体、下手をしたらそれこそ精霊が宿っているようなものばかり。
 どうやらサンジの目には、霊性の高さが美しさに変換されて見えているらしい。そしてサンジはそれらを、愛でるべき物として見ているだけなのだ。だから、気安く声をかける、口説く、触れる、身近に置こうとする。この意識の違いが、本当に厄介だった。
 珱華の存在を知っているのだから、精霊が存在することは理解している。だがそれらがどういうものに宿るのかまでは、考えが及ばないらしい。だから心惹かれたものを手当たり次第に褒めちぎる。
 そういうものには注意しろと、何度もゾロが忠告しているのだが改まらない。しまいには、美しいものを褒めて何が悪い、と開き直られてしまった。
(珱華の件で懲りたかと思ったんだが・・・まったく反省してねぇな、ありゃ)
 ゾロは深々とため息を吐いた。
 懸念している厄介な事態はいまのところ起きてはいない。これは間違いなく、珱華と繋がっている数珠のおかげだろう。しかし、この状態がいつまでも続くとは思えない。そうなれば、その事態を収めるために奔走するのは自分なのだ。いろんな意味で自分の力の至らなさを痛感させられるような、あんな事態はもうこりごりだ。
(もういっぺん、痛い目を見ないとわからねぇな、あいつはきっと。今度、式でもけしかけて、痛い目に遭わせてやろうか・・・)
 だがそれも、陰陽師として何か間違っているような気もするし、何度同じ目に遭ったとしても、サンジのあの性質は変わらないだろう。
 それだけは嫌というほどわかっているから、ゾロは一応の警告を与えるだけで、いまのところ見守りながら、ある程度の厄介ごとに対処するだけに留めているのが現状だった。

 そして今日もまた、サンジが身から出た錆でゾロに助けを求めて泣きついてくる。
「頼むのも嫌だし癪だが・・・・・・頼む!何とかしてくれぇっ!」
「だったら素直に人の言うことを聞け!それから、いい加減にしろ!俺はもう知らんからな!」
「嫌々だけど、こうして頭を下げてるだろうが!そんな俺を見捨てる気か!仲間だろうが、なんとかしろ!」
「嫌々かよ・・・だから、知らんと言っている!」
 口ではそう言いつつも、ゾロはサンジの泣き言を結局は聞き入れてやり、事態の収拾に走り回るのだった。
「いや、本当に、後生だから・・・」
「・・・で?今度は何を引っ掛けたんだ?」
「藤の花を、ちょっと・・・」
「・・・・・・てめえ、いっぺん死んでこい」
 ほんっとうに懲りないサンジに、ゾロは深々と息を吐き出して、痛む頭を抱えながら今日も今日とて重い腰をあげるのだった。




FIN


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(2011.07.04)


<管理人のつぶやき>
前作『〜慈雨編〜』の出来事を引きずっているサンジくんでしたが、ふたたびキブネへ行くことによって、そしてゾロの笛の音と珱華さんの舞によって、心のわだかまりをきちんと昇華できたようです。これもルフィの動物的勘のような差配のおかげかな?(笑) ゾロは一連の出来事に責任を感じ、最後までサンジくんへの気遣いを忘れずで・・・ホントいい人ですね><。けれど、ルフィに加えてサンジくんの面倒も見なければならず、これからもゾロの苦労は耐えない絶えないことでしょう(笑)。

智弥さんの7作目の投稿作品であり、『グランドジパング平安草子』『〜邂逅篇〜』『〜鎮魂篇〜』『〜夢路篇〜』『〜慈雨編〜』の続編でした。素晴らしいお話をありがとうございました^^。

 

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