Butterfly in shades of grey −4−
            

うきき 様




13) Listen to your heart

結局、昨夜ナミが取り乱したのはほんの数秒間だった。
すぐにいつもの冷静さを取り戻すと、自ら映像を巻き戻して解像度を上げ、再び画面に釘付けになっていた。それを黙って見つめる俺の視線にも、"この業界でヤツを知らない人間はいないでしょ?ちょっと興味が湧くじゃない?"と答えるだけだった。
翌日、商社で顔を合わせても通常通りの会話を交わすのみ。問い質したくてもナミが全身でそれを拒んでいるのは一目瞭然だった。

人の心に土足で踏み込むつもりは無ェ。かといって放っておけない自分もいる。

休憩室でコーヒーカップを前に悶々と考え込んでいた俺に、部屋に入ってきた当人が明るい声で話しかけてきた。

「ねぇ、明日の休日は何か予定ある?」
「なんだ、急に」
「映画でも見に行かない?今度はあたしからデートのお誘いよ」
「何、企んでやがる?金ならねぇぞ」
「ただのデートよ、デート!ただし費用はあんた持ち!」

ナミはカラ元気と言えるほど明るく笑った。


***************


言葉に違わず、俺たちはごく普通に映画を見て(俺は寝ていたが)、ごく普通に食事をし、ごく普通に洒落た店で酒を飲んだ。ナミはよくしゃべり、終始明るい笑顔を見せていたが、ふとした拍子に暗い表情を落とすこともあった。
店を出た時、いつもより儚げに感じるナミの背中を見て、このまま帰したくないと強く思った。
ウチで飲み直すか?と何気なく誘うと、意外にも快諾の返事が返ってきた。


グラス片手に部屋の窓辺に座るナミは、先程までの明るさとは打って変わって、黙ったままずっと月を眺めている。そういう自分もそんなナミを見つめるだけで、胸の内に渦巻いている憶測を口に出すことが出来ずにいた。

ナミが語った御伽噺。もし、母親を殺された娘が復讐を誓ったままだとすれば。

現実には彼女を救う王子様など現れず、復讐劇が続いているのだとすれば。
前途有望だった彼女が自らその未来を絶ち闇に身を置いたのは、危険な仕事に手を染め裏側の情報を探り続けるのは、全てその為だったとすれば。

そして今、その相手に手が届くところまで近付いているとしたら?

いや、全ては仮説に過ぎない。ベルメールが殺されたという証拠も、ナミがベルメールの娘だという確証もないし、彼女がどういう意図で裏世界に生きるのかなど知る由もない。

しかし、もしこれが彼女の真実だとすれば。

「ナミ。お前は何をしでかすつもりだ?」

俺の声が届いているのかいないのか、ナミはひざを抱えて相変わらず月を眺めていた。

「ナミ、答えろよ」
「ゾロ、あんた忘れてるわ。質問は無し、よ。約束でしょ?」

そう言われて思わず言葉に詰まった俺に、ナミはようやく視線を合わせた。

「前にも言ったけど、何をどう思おうとあんたの勝手よ。それが勘違いでも、あたしの知った事じゃない。でも・・・」

ナミは強い眼差しで俺を見据えた。

「邪魔はしないで」

凛とした、静かな声が静寂に包まれた室内に響く。固く、何かに覚悟を決めた人間のような、そんな痛みと潔さが伝わってくる。

今はどんなに呼びかけても、まだ心を明かせないということか。
それならそれでいい。どんな結論でも変わりはしねぇ。

俺の中にはすでに一つの答えが出来上がっていた。

お前が何者であろうと、どんな過去があろうと、そしてどんな事情があろう
と、関係無ェ。ただ、ありのままのお前を信じるだけだ。

「分かった。じゃあ、今夜はただの男と女だ。お互い、そういう勘違いならいいだろう?」

俺の言葉に、妖艶な色を湛えながらも何処か寂しげな瞳が、じっと俺を見つめた。
俺はただの女であるナミを黙って抱き寄せ、その柔らかな唇に自分のそれを深く重ねた。


***************


かすかな物音を感じて、ふと目が覚める。気だるさの残る重い瞼をゆっくり開くと、わずかに開いたベランダの窓から月がこちらを窺っていた。
状況を把握するのに一瞬戸惑ったが、すぐに腕を動かし、隣にいるはずの女を引き寄せようとした。しかしつい先程まで確かに腕の中にあった温もりは、まるで一夜の幻の如く消えていた。

「・・・ナミ?」

暗い部屋の片隅に声をかけてみたが返事はなく、かわりにベランダからひんやりとした風が流れ込んで来た。

ただ、ベッドに残る体温と微かな蜜柑の香りだけが、彼女がここにいた事実を物語っていた。




14) A friend in deed

休日明けの夕方。商社から一旦自宅に戻るとシークレットサービス社に車で乗り付けた。

商社の荷揚げは順調に完了していた。税関と沿岸警備隊に協力を要請し、わざと泳がせたのだ。そしてその餌に食い付くが如く、裏取引がこの数日間の夜に進められそうだとの情報が入り、いつでも現場に駆けつけられる体制を整えることになったのだ。

オフィスのドアを開けた途端、凄まじい衝撃が顔面にヒットする。中ではルフィが得意の拳を振り回していた。

「何してくれてんだよっっ!!」
「あ〜、ゾロか。悪ィ、悪ィ」

動きを止めてニシシと笑うルフィに、部屋の端に退避していたサンジから蹴りが、ウソップからパチンコ玉が飛んできた。

「ゾロ、大物取りだってなー!!俺、ワクワクしてしょうがねーんだ!」
「いいからお前は自分の仕事してろよ・・・」

ため息混じりに呟き、辺りを見回す。

「シャンクスは?」
「スモーカーんとこ。今回のテメェんとこの件で、最終調整だとよ」

サンジは吸殻を指で弾きながら、珍しくマトモに答えた。

「とうとう、あのギザッ鼻を押さえるんだってな」
「結果的にそうなる可能性もあるだけだ。現場にヤツが現れるかは分からねぇ」
「サンジ〜、お前も大物取り行くだろ〜?」 

ルフィが、まるでピクニックにでも行くように誘っている。

「俺は別件で忙しいんだ。ウソップ、たまにはテメェも参加してみちゃどうだ?」

サンジがニヤニヤしながらウソップ を振り返る。

「い、い、いや、百戦錬磨の俺様がお前らの貴重な経験の場を奪っては・・・」
「長っ鼻にギザッ鼻。おっ?鼻つながりじゃん」
「つなげてんじゃねぇぞ!ヲイ!」

連中のいつもと変わらぬやり取りを見つめながら、俺は商社でのことを思い返していた。

昨夜の様子が気になっていた俺はすぐにもナミの顔を見たかったのだが、休日明けの今日はどの部署も忙しく、結局その機会も得られなかった。そして帰り支度をする頃になってナミと同じ部署の社員から、彼女は休みだったと聞かされ、釈然としないまま商社を後にしたのだ。


「じゃあ俺は仮眠室にいるぜ。ウソップ、シャンクスが戻ったら起こしてくれ」

大あくびをしながら廊下に出ると、ルフィが後ろから付いて来た。

「なんだよ〜ゾロ。寝ちまうのかよ〜」
「だからお前は自分の仕事しろって・・・」

がっくりと肩を落とす俺に、通りかかった事務員が書類を渡してきた。

「ロロノアさん、鑑識課からデータを預かってますよ。今、届けに行くところでした」
「おー、サンキュ」

受け取った書類は、先日の録画映像をコンピュータの読唇技術で解析してもらった報告書だ。録音までは出来なかったので、映像中で交わされる会話を読み取れる部分だけでも読んでもらったのだ。鑑識課は指示に従い調べただけで内容まで十分把握しているわけではないので、こちらでチェックするのだ。

早速アローンが映っていた日付の内容に目を通していると、横からルフィがふざけて首を突っ込んで来る。それを押しやりながらさらに読み進めていくと、会話中に特定数字と特定場所が繰り返されている。これまでの状況を念頭に少し頭をめぐらせると、これはもしかして・・・

しまった!アローンとの取引は今夜かもしれねぇぞ。ヤツは単身で商談場所に乗りつける気だ。
ヤベぇな、時間が無ェ。このままじゃ再びヤツを捕り逃がしちまうかも。映像をチェックしてた時に分かってりゃ・・・。

そこで、ハッと思い出した。ナミがこの映像を拡大し、念入りに見ていたことを。
もしかしてアイツ、読唇術が使えんのか!?すでに今日のことが分かってたのか!?
そうだとすれば、全てに納得がいく。ここ数日のナミの不安定な態度。何処か張り詰めたような表情。そして今日の欠勤。
すでにヤツのもとに向かっているのか!?

シャンクスの指示を仰いでいる暇なんて無ェ。かといって単独行動はかなり危険だ。
それに。
"邪魔はしないで"――あの時のナミの顔が脳裏に蘇る。

んなこと言っても、テメェ独りでどうにかなる相手かよっ!

「くそっ、あのバカ女っ!」

無意識に口走っていた。
苛立ちをぶつけるように柱に拳を叩きつけると、その音にルフィの冷静な声が重なった。

「ゾロ。お前、行くんだろ?」
「!?」

俺はルフィの顔を凝視した。

「・・・何か、知ってんのか?」
「いや、何も知らねぇ!けど、何か迷ってるみてぇだから」
「・・・」
「いいんじゃねぇの?ゾロがしたいようにすれば。俺は今まで、ゾロがやった
ことが間違いだと思ったこと、一度もねぇぞ」

そしてバシッと俺の背中を叩いた。

「だから、絶対大丈夫だ!!」

まだ少年のようなあどけなさを残したルフィの笑顔は、俺の背中を押すには十分なものだった。

「・・・ありがとよ」

それだけ言うと、持っていた書類をルフィに押し付け、駐車場へ駆け出していた。

車にすばやく乗り込むと、後部座席に手を伸ばす。念のため積んでおいた刀を手に取り、その白い鞘を、呼吸を整えるように強く握り締めた。

そして取引場所である、今は使われていない街外れの埠頭へ向け、車を急発進させた。




15) Ashes to ashes

寂れた埠頭の駐車場は、闇に浮かぶ街頭の灯の中で静まり返っていた。空には重い雲が垂れ込め、月光を閉ざしている。
そろそろと車を進めていくと、ずっと奥に中型バイクが一台、目立たぬようにひっそり停められていた。俺はその横に静かに車を滑らせていった。
刀を腰に挿し、片手にコルトパイソンを構え、そっと車から降りて辺りの様子を伺う。

妙に静か過ぎる。今日じゃなかったのか?それとも手遅れか?
そんな疑念を振り払い、埠頭の奥に眠る廃屋となった倉庫にゆっくりと忍び寄っていった。

商談が行われるはずの朽ちかけた倉庫手前には、すでに一台、黒塗りの高級車が止まっていた。足音を忍ばせ倉庫に侵入すると、中央に人影を感じ一瞬身構える。
例の商社の社長に第一秘書、それに運転手。全員眠らされ、縛り上げられていた。
ナミの仕業か?やるときゃやる女だな。

辺りは物音一つ無く、嵐の前の静けさといったところだ。
ナミ、何処だ?
辺りを見回してみるが、薄闇に包まれる倉庫の中では彼女の気配すら察知するのは困難だった。

その時、扉のすぐ向こうに高級車の低いエンジン音が聞こえた。あわてて近くの古びたコンテナの陰に身を潜ませる。
すぐに鉄の重々しい扉が大きく開かれ、入り口の街灯の灯が倉庫内に差し込む。その光を遮るように立っていた大きな影が、ゆっくりと足音を響かせながら入って来た。アローンだ。

「なんだ、これは? どういうことだ?」

目の前の状況をいぶかしがる相手に、女の声が答えた。

「残念ね。あんたの大事な商談相手には、しばらく眠ってもらっているわ」

物陰から姿を現したのは、黒いジャンプスーツに身を包み、手にベレッタM92FSを握ったナミだった。

「お前は・・・?」
「あんたから見ればお久しぶりというべきかしら?といっても、覚えてないでしょうけど」

ナミはゆっくり前に歩み出る。

「あんたが尻尾を出すのを、ずっとずっと待ってたのよ。・・・ずいぶん長かったわ」

ナミはフッと蔑むような笑みを浮かべて、アローンを見据えた。その目にはそれ以外の何も映っていなかった。

「あんたは自ら重ねてきた罪を、そろそろ償うべきよ。二十数年にわたって犯した罪を、ね」
「ほう。何処かの組織の回し者か?」
「生憎、そんな事務的なお話じゃないわ。もっと心情的なものよ」

相手を睨むナミの目は、静かに、冷たい炎を宿していた。

「あたしの生まれたココヤシ島を襲い、罪も無い人々を地獄に落とし続け、そして全ての証拠を掴んだベルメールさんを殺したあんたを、あたしは絶対許さない」

ナミ、やはりお前は・・・。

「なるほど。あの軍人の娘か。あの女は知り過ぎた。あの島も、素直にファミリーに協力すれば良かったものを。その他の連中もそうだ。自業自得だな」

シャーッハハハハッ、と、反吐が出そうなほど胸くそ悪い声で楽しそうに笑うアローンに、ナミはギラギラした目を向けた。

「あんたは一つだけ、社会に貢献できたわね。あたしを生かしておいたということよ!」
「少々お前を見くびっていたかな?何も知らない小娘だったお前をあの女と一緒に殺さなかったのは、私なりの温情だったんだがね」

薄笑いを浮かべる相手に、ナミは血が流れるかと思うほど唇を噛み締め、銃を持つ手に力を込めた。

「あたしがあんたを、闇に葬ってあげる」
「哀れな野良猫だ。お前も下らんゲームに身を投じたものだな」

アローンが敏速な動きで懐から銃を取り出すのと、ナミがベレッタを構えるのは同時だった。

「アローン!!地獄に落ちなさい!」
「ナミ!!」

ナミがアローンに、アローンがナミに狙いを定めた瞬間、俺は飛び出していた。




16) It's all in the game

森閑とした倉庫に、二つの銃声がこだまする。
しかしナミの放った銃弾はわずかに相手の腕をかすめただけで、逆にナミは肩を打たれてその場に崩れた。
俺はナミの前に立ちふさがり、手にした銃で威嚇射撃すると、アローンはすばやく物陰へ逃れた。

「怪我は!?」
「ええ、大丈夫」

突然現れた俺の存在に一瞬躊躇していたアローンが、再びこちらに狙いを定めた。俺はナミを抱えて扉手前のコンテナの陰に隠れると、さらに銃撃戦を続ける。
相手が弾切れになった瞬間、腰に挿していた刀を抜いて一気に相手めがけて突進した。
その途端、前方から飛んできたスペツナズナイフが脇腹を切り付け、激痛が走る。
物騒なモン持ってんじゃねぇぞ!コラァ!!

なだれ込むように一気に斬りつけたが、しかし怪物のごとく強靭な相手は更に凄まじい勢いで襲い掛かって来る。
あと一太刀!そこまで追い詰めた刹那、脇腹からの出血がひどくなり目が霞んだ。
くっそうっ、血が足りねぇ!

その時、いきなり相手が猛烈な勢いで俺の方にぶっ倒れてきた。
「うがあーっっ!!!」

負ったばかりの傷口がモロに下敷きとなり、思わず叫び声を上げた。意識が遠のきそうになるのを必死に堪え、そのドでかい身体の下から這い出すと、目の前に見覚えのある人物が立っていた。

「ゾロ、大丈夫か?」

そこにはルフィが立っていた。彼が背後からの凄まじい一撃でヤツにとどめを刺したのだ。
そして、ついでに俺にも。

「・・・いつかコロス」

恩人に悪態をついて起き上がると、すばやく後ろを振り返りナミが無事である事を確かめた。

「ゾロ!!間に合ったか!!」

ルフィの後ろから、スモーカーと数名の国軍捜査官を引き連れたシャンクスが駆け寄って来るのが見えた。


捜査官たちが後始末を始める様子を見届けると、俺は眠気を振り払い、ナミが隠れているはずの扉の陰に歩み寄った。しかしそこにはナミの姿はなく、同時に遠くでバイクの排気音が聞こえた。

ナミ、ナミ、ナミ!!!

心の中で必死に呼びかけ、呆気に取られるシャンクスたちを尻目に駐車場に向かって駆け出した。
しかしすでに人影はなく、寒々とした街灯の灯が冷たいフェンスの影を落とすだけだった。
俺はその場に片足を折ると、しばらく呼吸を整えた。
全力で走ったせいだけではない胸の痛みを、じっと堪える。
やっとの思いで起き上がると、自分が乗りつけた車のボンネットで何かが光っているのが目に留まった。
近寄ってみると、そこにはナミに預けたはずの3つ揃いのピアスを重石に、折りたたまれた紙片が置かれていた。
紙片には淡い色のルージュで手短に書きなぐられていた。

"ゲームは終わり。いつかまた会いましょう"

俺は今度こそ、再起不能のボクサーの如く、その場にへたり込んで動けなくなった。



(continued on the last section)

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(2003.11.16)

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