Butterfly in shades of grey −1−
うきき 様
1) Undercover
「お?ゾロ、やっと来たか。また会社ん中で迷ってたんじゃないかと心配したぜ」
柔らかな午後の陽差しに包まれるオフィスに入るなり、上司であるシャンクスが目ざとく俺を見つけて声をかけてきた。心底、人をからかうのが好きらしい。
「誰が迷うかっ。今日は午後から出るって言っといただろーが」
「方向音痴が直らない捜査員も困りモンだぞ。それより、ほれ、次の任務だ」
シャンクスは束になった書類を俺に放ってよこした。
「・・・俺は昨夜、この国の裏側から戻ってきたばかりだぞ?ちったぁ休ませろっ」
「まぁまぁ。今回はかなり腕の立つヤツが必要なんだ。国軍機密情報部スモーカー大佐のご依頼さ。売れっ子はつらいねぇ〜、ゾロクン」
そう言いながら俺の頭に手を伸ばし、短く刈り込んだ緑色の髪をわしゃわしゃとかき混ぜる。
コイツ、マジで斬ったろか。
この国では要人ボディガードや機密情報調査、特殊任務の類は国家機関によるものだけではなく、それらを代行し得る民間シークレットサービスが存在する。もちろん独立した民間企業である以上、一般民からの依頼も引き受ける。
片手で数えられるほどしか存在しない同業者の中でも俺が所属している会社はいわゆる老舗で、国からの依頼も多く、事実上は国家機関とほぼ同等の特権を有していた。
入社と同時に一年間の特殊訓練を受けた俺が、特殊機密捜査員としてシャンクスの下に配属され、すでに数年が過ぎようとしていた。
「腕の立つヤツが欲しいなら、今はルフィが空いてるだろ?」
ルフィは俺より二つ年下の同僚なのだが、何故この職業を選んだのか不思議なくらい裏工作など縁の無いヤツで、手を焼くこともしばしばだった。しかしその天性の勘と直球勝負の姿勢には、絶対的な信頼を置かずにはいられない。
「表向きインストラクター、同時に重要な裏情報を探るのが今回の目的なんだ。お前、あのルフィが2ヶ月も秘密裏に動けると思うか?」
「・・・ったく。あの、絶対的な野生の勘に、ぜひとも計画性を備えて欲しいモンだ」
ため息をつき天井を仰ぐと、シャンクスが、諦めろ、と俺の肩を叩いた。
「それより例の噂、知ってるか?」
「噂?」
「数年前に突如現れた正体不明の凄腕スパイが、最近この界隈で活動してるって噂だよ。何でも、シークレットサービス顔負けの情報を盗って来るらしいぞ」
「ああ、そいつの事なら先日チラッと聞いた。へぇ、そんなに腕がいいなら今回はヤツに頼めば・・・」
「あほう、老舗としてのプライドを持て!!下手したら商売上がったりだ」
「所詮個人で動いてるんだ、それほど大きな仕事はしてねぇんだろ?」
「まぁそうだろうな。勿体ないねぇ。ヤツがウチに入ってくれれば鬼に金棒なんだがなぁ」
「・・・さっき何て言った?テメェ」
「上司をテメェ呼ばわりする暇あったら、さっさと稼いで来いっ!!」
左耳のピアスを引っ張って耳元でがなリ立てるシャンクスから逃れ、俺は自分のデスクで書類に目を通し始めた。
思えば、この時からすでに始まっていたのかもしれない。
2) The first contact
標的会社の本社ビルはガラス張りの瀟洒な装いだったが、中はいたって簡素な造りだった。1階ロビーに入るとあちらこちらに各階の明確な案内図が掲示されており、とりあえず胸をなで下ろす。ここに辿り着くまでにかなりの時間を要してしまい、気が付けば約束の時間ギリギリだった。
あわててエレベーターに乗り込み、目的の階のボタンを押して、続けて閉ボタンを押す。両側からスルリと出てきた扉がまさに視界を遮ろうとした瞬間、張り裂けんばかりの女の声が聞こえた。
「そこのエレベーター、ちょっと待ってぇ!!」
一瞬どこのことやら分からなかったが、すぐに開ボタンを押して扉を開くと、女が一人、俺の胸元めがけて飛び込んで来た。ぶつかった拍子に二人とも床に倒れ込み、再び扉が閉まった。
イテェと呟いて身を起こそうとすると、俺を下敷きにしている女から微かに甘酸っぱい、蜜柑のような香りがした。これほど接近していなければ気付かないくらい、ごく控えめなそれは、人工的な香水とは違う柔らかな香りだった。
「いたたた・・・」
女はやっとの事で起き上がると、ストレートの長い黒髪を揺らしゼェゼェと肩で息をしながら、キッと俺を睨んだ。見た目は年上に見えなくもないが、少々あどけなさが残る表情から、実際は俺より若干年下というところか。
「何よ、待って、て言ったじゃない!!」
イキナリの物言いに、自称温厚な俺も少々ムッときた。
「だから待っただろーが!」
「反応が遅いわよ!乗り遅れるところだったじゃない!!」
「テメェが無理言ってんだよ!!一台待ちゃいいだろっ」
「このビルのエレベーター、待ち時間が長いの!出社2日目で遅刻するわけにはいかないでしょっ」
「そりゃ、テメェの勝手な都合だろっ」
こんな言い争いをしているうちにも、エレベーターは目的の階に向けて上がっていく。俺はボタンが一箇所しか点灯していない事に気付いた。
「それよりお前、何階に行くんだ?」
女はハッとして、エレベーターのボタンを振り返った。
「ええと・・・あら、同じだわ。あなた、海物(カイブツ)商事の社員?」
「いや、臨時の雇われ人だ。今日が初出社」
「あら、そうなの?あたしも昨日から2ヶ月期契約で来たのよ。あたしはニコ・ロビン。あなたは?」
「ダズ・ボーネスだ」
女が大きな目を細めてにっこり笑ったと同時に、エレベーターの扉が開いた。
「やあ、ダズ君だったね。私が人事部のネズミだ」
応接室で俺を出迎えた、両頬に3本ずつ妙な髭を生やした痩せ男は、握手を求めて神経質そうな手を差し出してきた。
「ボーネスでけっこう。思いの外、人の出入りが多いようですね」
「現在、事業拡大とそれに伴う新システムの導入準備で社内がごった返していてね。警備が手薄になっていたところだ。君のような経歴を持つ人物にわが社の警備員をレクチャーしてもらえるのは、非常にありがたい」
俺は今回、シークレットサービス社が用意した偽名と経歴を手に、主任警備員兼インストラクターとしてこの商社と短期契約したことになっている。もちろんそれは表向きの役割で、海産物の輸入から金融業まで手広く扱うこの会社が麻薬密輸入に手を染めている証拠と、その現場を押さえるのが真の目的だ。期間は2ヶ月。事前調査によれば、この間に何らかの動きがあるはずだ。
「そういえば先程も、短期契約という女性とエレベーターで一緒になりましたが」
「ああ、この一週間で数人、臨時社員が雇われていますよ。主に端末操作とファイリングが業務です。やはり慣れた人間に短期で整理してもらうのが一番ですからな。それにしても、こういった職種には美しい女性が多くて結構ですな」
呼吸困難でも起こしそうな引きつった笑い方をする髭オヤジに、では任務に就きますので、と言い残し部屋を出ると、先程の女が書類の山を抱えてドアの前を横切ったところだった。
「よう。早速、忙しそうだな」
「まあね。そっちも早速お仕事?とりあえずしばらくの間、よろしくね」
女は軽くウィンクを投げてよこすと、書類を抱え直して立ち去った。
さて。まずはどこから手を付けるべきかな。
3) No time to rest
警備員たちと軽く挨拶を交わし、自己紹介を済ませて第一日目は終了した。
本格的な訓練は明日からになるが、その前に夜間のビル内を軽く見回りたいと言って居残る口実を作った。警備に関しては隙が多い会社で、案外、楽できるかもしれねぇなと密かに期待してみる。
守衛室以外、誰もいなくなった深夜のビル。
手始めに、まずは要注意人物の挙動を把握すべきだろう。目指すは社長室と第一秘書室。今日は二人とも接待予定が入っていて、早々に退社したことは確認済みだった。
第一秘書室のドアに近づき、辺りに人気がない事を確認する。事前にセキュリティ回線をつなぎ替えておいたドアノブをそっと回して室内に入り、足早に目当ての場所に近付いた。
ポケットから取り出した小型盗聴器を取り付けようとして・・・この俺が一瞬、ポカンと呆けてしまった。
先客がいたのだ。
いや、こんな腹黒い会社なのだから盗聴器の一つや二つ見つかったって、今更驚きはしない。何に驚いたかというと、昼間のうちに俺はここを下見して、この場所には盗聴器が仕掛けられていないことを確認していたのだ。
つまり、その後の短期間に誰かが仕掛けていったことになる。
巧妙にこんな場所を選ぶのだ、探偵もどきの素人手口とは思えない。しかもこのタイプの超小型盗聴器は、同業者でもそう簡単に入手出来るものではないはずだ。考えられる可能性は、俺の他にもプロが入り込んだってことだ。
おそらく持ち主は今頃コレが見つかったことを悟り、すでに使用放棄したかもしれない。後日新たに違う場所を選んでくるか、全く別のアプローチに切り替えてくるか。
少し慎重にやるか・・・相手の動きまで探るほど暇じゃねぇが、こちらの正体がバレちまったらやべぇしな。
今回は予想以上に厄介な任務になりそうだと、手にした盗聴器に向かって思わず深いため息を漏らした。
(to be continued)
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(2003.11.16)Copyright(C)うきき,All rights reserved.
<管理人のつぶやき>
シークレットサービス社のゾロ、謎のスパイの噂を聞く。それとほぼ同時期に潜入先で出会った一人の女。
今回の任務は一筋縄ではいきそうもない予感。さて、どうなる!?
うききさんの「Style」で登場したハードボイルド・ゾロナミの馴れ初め編スタート!