Nami My Nami ― ナミ、僕のナミ ―   −2−
            

ててこ 様






しばらくしてから、ゾロがチョッパーに声をかけた。

「・・・・・おい・・・。チョッパー・・・・」

「・・・・ん?」

チョッパーは俯いていた顔を上げてゾロを見上げた。
ゾロはじっと遠くを見つめている。そしてチョッパーに視線を合わせないまま言った。
少し口角を上げて・・・。

「・・・2時間くらいで行ける・・・かもしれないぜ」

「??」

「あれに・・・・乗ってければな・・・!」

ゾロはそこでチョッパーを見て、ルフィがするようにニシシシッと笑いながら、顎で前方を指し示した。
チョッパーが指し示めされた方に視線を向けるとそこには、2つの車輪を持ち、銀色に輝く乗り物・・・

・・・・・自転車があった。

民家の前でそれは夏の日差しを受けて、キラキラ輝きながら鎮座している。

「・・・・自転車・・・?」

チョッパーは図鑑で見たことのあるその乗り物の名前を思わず呟いた。本物を見るのは初めてだった。

「あぁ!あれなら歩きより断然早いし、風切って走るから涼しいぜッ!」

ゾロはそう言いながらもう自転車に向かって歩き出している。

「まっ待ってよ!あれ乗るの大変なんだろ?すっごく練習しなきゃ乗れないって図鑑に書いてたぞッ!!」

チョッパーは慌ててゾロの後を追いかけながら言った。

「俺乗れるぞ・・・・。自転車・・・。」

ゾロは当たり前のように答えた。自分を指差しながら・・・。

「・・・・乗れるのか・・・?」

チョッパーは目を丸くして驚いたように聞いた。

「あぁ。ガキの頃乗ってたから」

「・・・・・ゾロの家って・・・お金持ち・・・?」

チョッパーは小首をかしげて恐る恐る尋ねた。
確か自転車は大変高価な物の筈だ。

「んなわけあるかいっ!島でたった一人の医者のところに一台だけあったんだ。ガキの頃からよく医者にはいくはめになってたから、貸してもらって乗れるようになったんだ」

ゾロは思わず立ち止まって答えた。くいなにコテンパにやられていた頃の自分を、つい思い出してしまう。

「・・・・・子供の頃から医者とは縁が切れないのか・・・」

チョッパーは困ったように呟いた。

「大きなお世話だッ!!」

ゾロは珍しく赤面して乱暴に言い放った。

「とにかく!あれ貸してもらって行くぞ!」

ゾロは勝手に決定した。

自転車の置かれてある家の開き戸は、無用心にも開け放たれていた。少しでも風を入れようとの配慮だろう。薄暗い玄関には人影はなかった。

「誰かいねぇのか!?頼みがあんだけど!」

ゾロが玄関の奥を覗きこむようにしながら、大声を張り上げた。

「・・・留守か?」

2回目の声をあげた時、玄関の奥にあったドアがやっと開き中から、ランニングにステテコ姿の初老の親父が出てきた。

「何かよ・・・・・用・・・・か・・・・・」

見慣れない青年と、トナカイのぬいぐるみがそこに立っていたので思わず声が小さくなる。

青年は、島の若い女の子が見たらキャアキャア言って追いかけて行きそうなくらい端正な顔立ちをしていた。珍しい翡翠色の髪と目をを持ち、大胆さと繊細さ、緊張感と人懐っこさ、厳しさと優しさのない混ぜになった、複雑でそれでいてすがしさのある表情をしてる。手に持っている物騒なものはちょっとひっかかるが・・・。隣の2頭身のトナカイも、違う意味で島の女の子の黄色い声を上げさせるのに十分な愛らしさがあった。・・・特にあの青い鼻なんか・・・・。
 
とにかく、親父は、この一人と一匹が悪い奴らではなさそうだと直感的に判断した。

「頼みがあるんだが、この自転車、夕方くらいまで俺たちに貸してくれねぇか?」

青年のほうが自転車を指差して聞いてきた。

「あぁ。いいぜ。その代わり必ず返してくれよ」

親父はあっさり許可した。

「んじゃ、これ『ものじち』!」

ゾロはそういうと手に持っていた刀をポンと親父に投げてよこした。
親父は慌てて、両手でそれを受け止める。青年は軽々と片手で持っていたが、それはずっしりと重かった。思わず前のめりになる。

「ん。預かっておこう」

親父はそう言って、白い歯を見せた。

「・・・じゃ、これ借りるぜッ!」

ゾロはそう言ってハンドルに手をかけ、ストッパーを足で跳ね上げた。押して歩くと
チリチリチリとスポークが規則正しい音を出した。

道の真ん中まで来た時、さっきの親父が声をかけてきた。

「お〜い!大事に扱ってくれよ〜。大切にしてるんだから!」

ゾロはその問いかけに「見りゃわかる」と大声で答えた。確かにこの自転車からは持ち主の愛情が感じられる。型は古いが錆一つなく、車体はピカピカに磨かれていた。何年も大事に乗ってきたことが一目でうかがえる。

「・・・・さて」

ゾロはそういうとさっき雑貨屋で書いてもらった地図をチョッパーに手渡した。

「お前ナビな・・・」

チョッパーはそれを受け取ると、コクンと頷いた。
ゾロはそんなチョッパーを見てニヤリと意味深に笑うと、チョッパーの柔らかくてよく伸びるうなじのあたりをヒョイと摘み上げ、自転車のハンドルの前にある荷物用のかごの中に、チョッパーをポトンと降ろした。

ちんっ・・・・・!!

ってな具合でチョッパーはかごの中に収まる。

「・・・・・・・・?」

事態がのみこめないチョッパーは無言のままじっとしている。
そして・・・・・・

「こっ!これ荷物用のかごだぞっ!俺は物じゃねぇぞっ!!」

真っ赤になってチョッパーはゾロに食って掛かった。かごの中で立ち上がろうと身をよじる。

「黙って乗ってろっ!道案内役のお前を俺の後ろに乗せられるわけにゃあいかんだろ!?」

ゾロはもっともなことを言った。

「・・・・・・・・・・。」

チョッパーは反論しようとしたが、勿論出来なかった。ゾロの言うことはもっともだったからだ・・・・・

でも・・・でも・・・

「・・・・・何か大事なものをなくしてしまうような気がする・・・・。」

チョッパーは俯いて小さく呟いた。

「ハハハハハ!」

ゾロはそんなチョッパーの感傷を一笑にふした。

「さてっ!じゃあ 行きますかっ!」

ゾロがサドルをまたぎ、腰を降ろし、片足をペダルにかけた時、二人の背後で聞きなれた声がした。

「何やってんの?・・・2人とも・・・?」

振り向くと、そこには大きめの麦藁帽をかぶり、珍しく膝丈のフンワリとした白いサンドレスを着たナミが驚いた顔をして立っていた。




島が近づくにつれて風や、身体にまとわりつく空気に湿度が増していくのでナミは嫌な予感がしていた。
多分向かっている島は夏真っ盛りなのであろう・・・。

そしてナミの予感は必要以上に的中した。

その島に着いたのは、まだ陽が昇り始めたばかりの朝早い時刻だった。
なのに、もう空気は熱気を含み、湿気を帯びた潮風が船内を駆け巡った。
セミの鳴き声が遠くから聞こえてくる。

停泊の作業も、この慣れない暑さのためなかなか進まなかった。いつもの2倍時間がかかったくらいだ。

食事に関して一切の妥協を許さないサンジでさえ、この日の朝食はごく簡単のものしか作れないしまつで・・・。

「・・・すみません・・・。暑さで頭がまわんなくて・・・」

サンジはそういってナミとロビンには謝った。

といっても、この暑さの中では軽めの朝食はかえって助かったようだ。ルフィでさえあまり手をつけず、水とオレンジジュースを交互にがぶ飲みしていた。

食事が済むと三々五々、各自はまるでゾンビの行進のような重い足取りでキッチンを後にした。

ナミは照りつけるような日差しを避けるため女部屋に直行し、ベッドに倒れこんだ。
冷たいシーツが気持ちよく汗をかいた身体を冷やしてくれる。しかし、あっという間にシーツは湿度を伴った熱を帯びてくる。

「あっつぅぅぅいっ!!」

今日何度目の台詞だろう・・・。ナミのくぐもったうめき声が女部屋に響いた。

「・・・・・・・・?」

しばらくしてから、あまりまわらない頭の片隅に何か大事なものを忘れているような気がして、ナミはノロノロ起き上がると、ベッドの上にぺたんと座りなおした。

「・・・・あっ!!チョッパー!!」

突然そのことを思い出し。ナミはペシッと自分の額をはたいて(しまったっ!)と心の中で叫んだ。

この島に寄り道をするたった一つの目的をすっかり失念してしまっていた。

チョッパーは一人ではリステアルを買いに行けない。
気の弱いトナカイは、だれきっているクルーに気を使って今頃、焼けるような甲板の上でウロウロしながら困っているのではないだろうか?

「ゴメン!チョッパー!」

ナミは謝罪の言葉を口にして、素早く立ち上がると汗だらけのシャツとスカートを脱ぎ、ベッドの上に放り投げた。手っ取り早くたんすの引き出しの中の一番上にあった服を鷲掴みにする。そしてそれに袖を通そうとして・・・・

「!!」

それは以前同室だった空色の髪の少女 ビビがいた頃、連れ立って買い物に出かけ衝動買いで買ってしまった白いサンドレスだった。

(よく似合いますよ!ナミさん!)

試着室から出てきたナミに、ビビは大きな目をキラキラさせて言ったものだ。はっきり言って自分の趣味ではない。肩紐はリボン結びになっていて、レースが随所に施されている白い膝丈のフンワリと
したサンドレス・・・・・。何だかイメージに合わない。
着ていて自分が恥ずかしくなってくるのだ。どちらかというとビビに似合うよ、と進言しても

「いいえ!ナミさん、よく似合ってます!たまにはこういうの着てみたらいかがですか?」

ビビの有無を言わせない迫力に負けて、ナミは珍しく衝動買いをしてしまったのだ。

そしてずぅーっと、そのままたんすの肥やしになっていた。
タグまで付いたまま・・・。

「・・・・・・・・。」

ナミは少し感傷に浸って、それを手に取り眺めていたが、こうしてる場合じゃないと思い直し、タグを歯で引きちぎって外し、そのサンドレスを身にまとった。

「暑いんだし、ちょうどいいわ!」

自分に言い聞かせるようにそういうと、いつもみかんの手入れをする時に使う大きいつばの麦藁帽子をかぶり、女部屋を後にした。

廊下に出てナミは

「うひゃあ!」

と思わず叫んで後ずさった。
廊下にはまるで行き倒れのようにウソップがのびていたからだ。

「・・・・・・・。」

ナミは廊下の壁にへばりついたまま、足だけのばし、つま先でウソップの身体をつついてみた。

「・・・・・・死んでる・・・・?」
「・・・・・・死んで・・・ま・・・・す・・・・・。」

ウソップの口からうめき声が漏れた。

「あんたがここにいるってことは、チョッパーはまだ船にいるの?それともロビンと上陸したのかしら?」

ナミは聞いた。

「・・・・知ら・・・ねぇ・・・。そう・・・じゃ・・・ねぇ・・のか」

ウソップは力なく手を上げてヒラヒラさせると答えた。

ナミは船内から甲板に出た。

クラッ・・・・。
殺人的な日差しの真っ只中に出ると、ナミは少し立ちくらみを覚えた。
身体の周りの空気は熱いというより痛いに近く、呼吸するのさえ苦痛に感じるほどだ。

甲板にでると癖でみかん畑のほうを見上げてしまう。
その欄干の間から手がにゅっと突き出ていて、だらりと力なくぶら下がっているのが見えた。
サンジの手だ。サンジはみかん畑の木陰でダウンしているらしい。

甲板に目をやるとチョッパーの姿はどこにもなかった。
かわりに日陰で、ルフィが文字通りぐにゃりとおぞましい姿でのびていた。
その横でロビンも珍しく座り込んで、目を閉じ肩で息をしている。雑誌は膝から崩れ落ちていた。

(ロビンがここにいるってことは・・・・・・)

ナミは暑さでぼんやりする頭で、ここにいないメンバーを思い出そうとした。

(チョッパーはゾロと行ったのね・・・)

ナミはハッとなると、急いで、しかしスカートを気にしながら縄梯子を降りていった。



島の道はまっすぐにのびていた。ゆらゆら陽炎の立つ砂道を行くと、少し開けた広場が見えた。
お店らしい構えの家屋は5軒ほどしかなかった。誰もいない広場のはずれに、何やら見たこともない乗り物に乗っているチョッパーと、いつもとは違う服装のゾロがいるのが目に入った。
2人はもうその乗り物に乗って行ってしまいそうな勢いだったので、慌てて走りより声をかけた。

「何やってんの?・・・2人とも・・・。」


「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」

2人と1頭の視線が熱気の中、絡み合う。

「よぉ」

ゾロがいつもと同じように軽く手を上げてナミに言った。

「よぉ」

ナミも同じように返す。

「「・・・・・・・・・・。」」

また無言・・・。チョッパーは左目でゾロを、右目でナミをみるという器用なことをしながら、心の中で呟いた。

(この2人は言葉が足りなすぎる・・・・)

そしてチョッパーはナミに向き直ると今までの経緯を手っ取り早く説明した。

ゾロ以外は使い物にならないと判断したこと。
リステアルを持っているであろうヨハンじいさんはここから歩いて4時間もかかる湖のほとりにすんでいること。
そして自転車を貸してもらったこと。
ゾロが自転車に乗れること。
自分か前かごに乗っているのは見なかったことにして欲しいこと・・・・。

「・・・・・なる程。そういうわけなの・・・。」

ナミは珍しそうに自転車の周りを歩きながら、納得した風に言った。

「というわけだから、俺たちが帰ってくるのは夜になるかもしれねぇ。船に戻って、ルフィ達にそう伝えといてくれねぇか・・・」

ゾロが再度ペダルに足をかけながら、ナミに告げた。しかしナミはニコッと笑って首を左右に振った。

「それは無理よ!」

そう言って、ナミは被っていた麦藁帽をチョッパーが乗っているかごの中にねじこんだ。そしてゾロに向かってまたニッコリと満面の笑みで微笑んだ。
ナミの性格を知らない男ならイチコロで落ちそうなくらいの可愛らしい微笑み・・・

「・・・・・・・・・・・・・。」

ゾロの背中を別の種類の汗が伝った。
ゾロは嫌な予感がした。そしてゾロのナミがらみの嫌な予感は外れたためしがなかった。
次の瞬間、案の定ナミは自転車の荷台に横すわりになって腰をおろすと、前方を指差して涼しい声できっぱりとこう言った。

「さぁ!お行きなさい!ゾロ!」

パシッ!ゾロは片方の手のひらで自分の顔を覆ってうめいた。

「さぁ!急いで!ゾロ!時間がもったいないわよ!」

そんなゾロにはおかまいなしにナミは好奇心でバーガンディ色の瞳をキラキラさせながら、また叫んだ。

「あのなぁ!お前まで乗ったら、スピードが遅くなってよけい時間がかかっちまうだろうがっ!!」

ゾロがナミにかみついた。

「あ〜ら。私が増えたくらいでスピードが落ちるようじゃあ、あんたの脚力もたいしたことないわね〜」

ナミはサドルのくぼみに指をかけながら、上目遣いにゾロを見て、挑発するように言った。

ブチン・・・・!!

「ぬぅわぁにぃ〜!!」

額に血管を浮かして、勿論その挑発に乗るゾロ。

(ゾロ・・・。お約束通りすぎ・・・・)

チョッパーはかごの中で小さくため息をついた。

「ほらっ!さっさとこぐ!!」

「わあってる!!俺に命令すんなっ!!」

(結局・・・こうなる・・・・)

チョッパーは連続してため息をついた。




「よしっ!行くかっ!」

ゾロはそう掛け声をかけるとペダルをこぎだした。
自転車はすぐにスピードに乗る。

「うわぁ〜!!」

前かごに乗っているチョッパーが感嘆の声を上げた。

今まで経験したことのないスピード感だ。
風が自分の鼻先で左右に分かれていくのがわかる。
耳元で聞いたことのないような空気の振動が聞こえてくる。同時にゾロのピアスが軽く触れる金属音もその中に混じっているのがわかった。
風を切るってこういうことなのか!!
チョッパーは思わず白い歯を見せて笑った。

「すごいっ!すごいねっ!ゾロ!」

チョッパーはかごの端を掴んだまま、後ろを振り返りゾロを見上げて興奮気味に叫んだ。

「だろ!?」

ゾロは片眉をあげてニヤリと笑って答えた。

その後ろで、ナミは掴むところがなくて四苦八苦している最中だった。
サドルのくぼみを掴んではいたが、自転車が動き出すと思っていた以上のスピードで、それだけでは心もとなく、振り落とされそうになる。
風をはらんでふくれ、めくれあがりそうになるスカートも気になるし・・・。

その時前輪が大きめの石を跳ね飛ばし、弾みで車体が大きく飛び上がった。

「キャッ!!」

ナミは小さく悲鳴を上げてサドルから手を離し、思わずゾロの腰に両腕をまわして
しがみついてしまった。

「ゴッ!ゴメンッ・・・」

ナミは次の瞬間、慌ててまわしていた腕を離そうとしたが、
ゾロの片手がそれを止めた。
ナミの手首を握って自分の腰に手をまわした状態のままにさせる。

「そのままにしてろ。あぶねぇから」

そう言ってから、ナミの手首から手を離しハンドルを握りなおした。

「・・・・・・・うん」

ナミは少し頬を赤く染めて、俯いてしまった。
顔を見られないですむことを神様に感謝する。
ゾロの腰に手をまわしたままの腕も、必然的にゾロの背中によりかかってしまう頬も、ゾロに触れている部分だけが、熱を持ったように熱くなる。
心が少しざわつく感じがする・・・。

ナミはどうしてそうなってしまうのかわからない。

誕生日の時は、訳がわからないまま抱きしめられた。彼の腕の中で思いのほか落ち着いてしまった自分がいることに気づき、後になってナミはひどく狼狽した。
ホッとしていたくせに、心臓だけは嘘みたいに早く鳴り響いていたことをよく覚えている。

ナミはこの感情を何と呼ぶのかまだ知らない・・・。






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