Nami My Nami ― ナミ、僕のナミ ― −3−
ててこ 様
自転車のスピードはかなりのものだ。こいでいる人間の異常な脚力もその一翼を担ってはいるが、このスピード感は爽快だ。
身体にまとわりついた熱気を一気に剥ぎ取ってくれる。
舗装されていない砂道を、3人を乗せた自転車は縫うように走っていく。
しばらくいくと、左手に海岸線が現れた。白い美しい砂浜に波が打ち寄せては帰り、また打ち寄せている。
波の音が耳に涼しさを運んでくる。
かもめの鳴き声とセミの鳴き声が混ざり合う。
チョッパーはさっきから
「あっ!海だ!」
「おっ!入道雲だっ!」
「わっ!大きな石があるっ!」
などと目に飛び込んでくる光景をそのまま口に出して嬉しそうにはしゃいでいた。そして・・・・
「うわっ!すごい坂だ・・・・」
チョッパーは思わず叫んだ。
「・・・・・・・・。」
そこで、ゾロは初めて自転車のブレーキをかけた。
キィィ〜ッ!!
軋んだ金属音をたてながら、自転車は横滑りになりながら止まった。
目の前には山をかけのぼるような急勾配の坂道が現れた。頭上高くに見える頂上の景色が、陽炎でユラユラ揺れている。
「・・・・・まじ?」
流れ出る汗をこぶしで拭って、肩で息をしながらゾロはうめくように呟いた。
「私、降りるわ」
ナミがそれを見てピョンと座席から飛び降りた。
「俺も!」
チョッパーもそれに習おうと、かごからにじり出ようとした時・・・。
「いいから、乗ってろ!2人ともっ!」
ゾロはそう言って、2人を止めると、姿勢を正しくして挙手しながら高らかに宣言した。
「ロロノア・ゾロ!坂と戦いますッ!!」
「そうね・・・。そうよね・・・。『バカ』は『坂』と戦えばいいわ・・・」
ナミは遠くを見るような目をしてため息とともに呟いた。
「ホラ!乗れ!」
ゾロがナミを促す。ナミはため息をついてから
「ぜったい!降りないかねっ!!」
とゾロの顔に人差し指を突きつけて断言した。
「おうっ!!」
ゾロは顎を少し上げて、ナミを見下ろすように睨むとにやりと笑って答えた。
「よ〜しっ!ゾロ いけぇ〜!!」
チョッパーも面白くなってきたのか、そう大声で叫ぶと、坂の頂上をビシッとひずめで指し示した。
「うっしっ!!」
ゾロは一発気合を込めて、両手で自分の頬をピシャリと打つと、ハンドルに手をかけて、勢いよくペダルを踏み込んだ。
シャーというスポークの響く音が規則正しく聞こえてくる。
坂の途中まではゾロの半端ではない脚力で難なく登ってきた。
しかしそこから急にスピードが落ちる。
自転車がヨロヨロ右に左に揺れだす。
「ほら ほら どうしたの〜?」
ナミのさもバカにしたような声が後ろから聞こえてきた。
「歩いたほうが早いぞ〜!」
チョッパーもエッエッエッと笑いながら冷やかす。
「るっせぇーっ!!」
ゾロは食いしばった歯の間からうめくように文句を言うと、ナミに腕を離せと命じ、自分はサドルから腰を上げて前傾姿勢をとった。所謂『立ちこぎ』である。
ゾロの頭は今やチョッパーの角の上にある。
ハンドルを握る腕は汗まみれで、鍛えられた筋肉が盛り上がり、血管が浮き出ている。
「うおりゃあー!!」
うなり声を上げながら自転車を右左に揺らしてゾロは坂を駆け上っていく。さっきよりもややスピードが増したが、地球の重力には逆らいきれず、頂上が近づくにつれて、自転車はどんどん失速していった。
「止まっちゃうぞ〜!」
ナミは笑って叫ぶ。
「毛虫のほうが早いぞ〜!」
チョッパーもからかう。
「・・おっ・・・ぼっ・・・えっ・・・てろっ・・・よ・・・」
ゾロは滝のように汗を流し、額に血管を浮かせてしぼりだすような声で文句を言った。
「あと・・・3メートルッ!」
頂上が目に入り、チョッパーがカウントをいれる。
「ぐっ〜ぐっ〜!」
ゾロは最後の力を振り絞ってサドルを踏み込む。
倒れないのが不思議なくらいゆっくりしたスピードで、3人を乗せた自転車は頂上に近づいていく。
「あと2メートルッ!」
「がんばれ〜ゾロ〜!」
ナミの応援と、チョッパーのカウントが混じりあって聞こえてきた。
自転車の軋む音とゾロのうめき声が同調する。
「あと1メートルッ!」
「いっけぇーっ!!」
ゾロはそう叫ぶと最後のバカ力を振り絞り、ペダルを思いっきり踏み込んだ。
ぐんっ!!
その瞬間、坂を登りきり、自転車は頂上に着いた。
「「「とうちゃ〜くっっ!!」」」
3人は同時にそう叫ぶと、ぬけるような青空に向かって拳をつきつけた。
頂上についてゾロは初めてペダルから足を降ろした。
「うっへぇ〜。・・・疲れた・・・」
ハンドルに頭を着けるように突っ伏してうめく。
「すごかったぞっ!!ゾロッ!なぁ?ナミ!ゾロってすっごいよな〜っ!!」
チョッパーは目をキラキラさせて、ナミを振り返りながら言った。
「そうね チョッパー!ゾロはすごいねっ!」
ナミも笑って答えた。
ゾロは肩で息をしながらゆっくりと顔を上げた。目の前に広がっている光景を見てホッとした声をあげる。
「よし・・・。後はくだりだな・・・」
目の前になだらかな下り道がずっと続いていた。その先は大きく右にカーブし、林の中に入っていた。
しばらくは楽できそうだ・・・・。
ゾロはサドルに座ると軽くペダルを踏んだ。
ナミの腕がオズオズとゾロの腰に戻ってくる。
自転車はさっきとはうってかわって嘘のように軽く滑り出した。そして信じられないくらいのスピードでどんどん加速していった。
ゾロが静かに告げた。
「・・・今度は、おめぇらが・・・叫ぶ番だッ!!」
「「!!!」」
その瞬間チョッパーとナミの顔から血の気が引いた。
(「おぼえてろよ!」)
あぁ〜!ゾロはさっきそう言ってたっ!!
「「ぎゃあ〜!!」」
2人の叫び声が下り道に響く。自転車はそんな2人におかまいなく石ころを弾き飛ばしながら、猛スピードで坂道を下っていった。車体はガタガタときしみ、チョッパーの顔面は風圧で変形する。
「わっーはっはっはっ!!」
ゾロの悪魔のような笑い声が聞こえてくる。
そして、ゾロは益々スピードを上げるために前傾姿勢をとり、風の抵抗をなくした。
自転車は下りるというより、落ちるという感じで容赦なく駆け下りていく。
「だっず・・げっ・・でっー!!」
涙と鼻水をものすごい勢いで後方に撒き散らしながら、変な顔になったチョッパーが叫び声を上げた。
「キャー!やめてっー!!」
ナミがゾロにしがみつきながら、かなきり声を上げた。壊れそうな勢いの自転車のサスペンションは効かず、振動が3人を上下に激しく揺らす。
「しゃべるなよ!舌噛むかっ・・!!かんら・・・」
ゾロは墓穴を掘って一番最初に被害にあった。
「もうっ!やめて〜!!」
ナミの涙声が後ろから聞こえてきたので、ゾロは舌を出したまま、姿勢を戻した。
空気抵抗ができて、少しスピードが弱まる。
一番急な傾斜を過ぎたのだろう、坂はだんだんなだらかになって、しだいにゾロはゆっくりとペダルを回すようになった。
「・・・・・・・・・。」
チョッパーはかごの中で無言のままぐったりとしていた。
「殺す気かッ!!」
ナミはいまだに舌を出しているゾロの後頭部を張りたおした。
丁度その時、坂道が終わった。
大きく右にカーブして、林の中に入ると射すような太陽の日差しがとぎれ薄暗くなる。
さっきまでの暑さが嘘のように消え、涼やかな空気に囲まれた。
セミの鳴き声は2倍になったが、この涼しさはつかの間3人をホッとさせた。
「・・・・林の中は涼しいねぇ。ナミ マイ ナミ」
チョッパーが突然声を上げた。
「・・・・ん?そっ・・・そうね・・・・?」
ナミは聞き違えたのかと思い戸惑いながら答えた。
「ずーっと林ならいいのにね!ナミ マイ ナミ!」
「・・・・??チョッパー、何?その『ナミ マイ ナミ』って・・・?」
ナミはもうこれは聞き間違いではないと思って、思わず身を乗り出して尋ねた。
「エッエッエッ!」
チョッパーはひずめで口を押さえながら、不思議な笑い方をした。
「何だよ、その『ナミ マイ ナミ』って・・・」
もったいぶるチョッパーにゾロも聞く。
「思い出したんだ・・・。こんな緑のいっぱいある林の中を通ってたら・・・。思い出したんだ・・・。前読んだことのある本の中にな『リラ』っていう名前の女の子が出てくるんだ。ちょうどナミと同じ位の歳の・・・」
チョッパーは懐かしそうな顔をして話し出した。
「そのリラには兄弟がたくさんいるんだけど、リラは末っ子だから皆からよくからかわれるんだ。やんちゃなお兄さんからは『手足の長い蜘蛛みたいな女の子』って言われたり、頭のいいお姉さんからは『もっと本を読んで勉強しなさい』って怒られたり、でもたった一人だけ、そんなリラをレディみたいに優しく扱ってくれるお兄さんがいるんだ・・・」
「そのお兄さんはリラの名前を呼ぶ時、優しく必ずこう言うんだ・・・。
『リラ マイ リラ 僕のリラ』って・・・。
『リラ マイ リラ 泣かないで・・・』
『リラ マイ リラ 林に花を摘みに行こう』
『リラ マイ リラ 本読んであげるよ』って・・・・。」
「でもそのお兄さんは戦争で死んでしまう・・・。死んだ後、入れ違いでリラに彼からの手紙が届くんだ。その手紙の冒頭にも、こう書かれていたんだ・・。『リラ マイ リラ リラ僕のリラ・・・。僕が死んでも悲しまないでおくれ・・リラ マイ リラ 泣かないでおくれ』って・・・・」
チョッパーはそこで一息ついて、深く息を吸い込んでから続けた。
「なんて素敵な言葉だろうって!俺ずっーと思ってて!人の言葉を話せて良かったって思ったんだ!いつか大好きな人に遭えたら絶対言ってあげようって!自転車に乗って、楽しくって、幸せな気分になったら思い出したんだ。俺・・・今、思い出したんだ!」
チョッパーはそう言うと、後ろを振り返って澄んだ目でナミを見つめながら、ニッコリ笑ってまた言った。
「ナミ マイ ナミ・・・・」
「・・・僕の・・・ナミ!」
ナミの頬が一瞬で赤く染まった。
「俺ナミのこと、大好きだから!言ってやりたかったんだ!ナミ マイ ナミッ!」
「やっやだ・・・。何か恥ずかしいよ・・・」
ナミは俯いたまま照れくさそうに呟いた。
しかしチョッパーはそんなナミにはおかまいなく続けた。
「ねぇ、この天気はいつまで続くの?ナミ マイ ナミ!」
「もうっ!チョッパーったらっ!」
「洗濯しとけばよかったね!ナミ マイ ナミ!」
「・・・チョ・・・チョッパー・・・」
「自転車って楽しいね!ナミ マイ ナミ!」
「・・・・・・・・・。」
チョッパーの優しい声がナミの耳をくすぐる。彼が『ナミ マイ ナミ』と言うたびに、心の中が温かくなってくる。
すると今度は別の声が聞こえてきた。
「嬉しそうだなァ?・・・ナミ マイ ナミ!」
「あんたまで言わないでよッ!!」
ナミはびっくりして益々顔を赤らめてゾロに向かって叫んだ。
「いいじゃねぇか。なァ?チョッパー!」
ゾロはいたって普段どおりにチョッパーに聞く。
「そうだよ!ゾロだって言っていいさ!ナミ マイ ナミ!」
チョッパーはキャッキャッとはしゃぎながら答える。
「林を抜けるぞ!ナミ マイ ナミ!」
「また暑くなるよ!ナミ マイ ナミ!」
「スピードあげよう、もうすぐだ!ナミ マイ ナミ!」
「わぁ!まぶしいな!ナミ マイ ナミ!」
ナミ マイ ナミ!!・・・僕の・・・ナミ!!
もうナミはやめてよとは言わなくなった。二人に『ナミ マイ ナミ』と言われる度に、不覚にも涙が出そうになる。
優しさと暖かさが2人の言葉から押し寄せてきて、ナミの心をゆっくりと
ほぐしていく。心地よい痛みをともなって心臓がいつもより早く鼓動を打つ。
ナミは落としていた視線を上げて青く広がる空を見上げた。
視界がかすかに滲んだと感じた瞬間、暖かい涙が頬を伝って零れ落ちた。
(あぁ・・。手紙を書こう・・・。ノジコに・・・手紙を書こう
今なら・・・・沢山かける!)
「今頃みんな何してると思う?ナミ マイ ナミ?」
「しっかりつかまってろよ!ナミ マイ ナミ!」
二人の言葉が風に乗ってナミの耳に届く。
ナミ マイ ナミ 僕のナミ・・・・泣いてるの?
笑って・・・!笑ってよ・・・!ナミ マイ ナミ・・・・
僕の・・・・ナミ!!
(手紙を書こう・・・。帰ったら・・・手紙を書こう)
ナミはポタポタと涙をこぼしながら、心の中で何度でも何度でも呟いた。
「泣いてなんかないよ!チョッパー」
ナミはそう言って素早く涙を拭いた。
「そう?良かった!」
チョッパーが安心したように言った。
「・・・・・・・・・・・。」
ゾロが無言のまま間自分の腰に廻っているナミの手の甲をポンポンと軽くたたいた。
「・・・・・・・・。」
彼のこういう優しさはありがたいと思う反面、
(・・・・反則だわ・・・こういうの・・・)
とナミは苦笑しながらそう思った。
3人を乗せた自転車は道なりにまっすぐどんどん進んでいく。
すると、遠くに湖が見えてきた。
「あっ!湖だッ!もう少しだよ!」
チョッパーが思わずかごの中から立ち上がって前方を指差した。
「よしっ!!」
ゾロはそう言うとペダルをこぐ足に力を込めた。
自転車はすべるように湖に向かい、そしてようやく目的地に着いた。
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