蝶はどこへいった −3−
ててこ 様
〜 サンジの背中 〜
くいなの利発な顔を冷たく覆い隠してしまう白い布が目に飛び込んできた時、
ゾロは立っていられなくなり、その場にペタンと力なく座りこんだ。
彼女は死んでしまった。
あっけないくらいに簡単に死んでしまった。
彼女が死ぬ瞬間、俺は何をしていたんだろう?
メシを食ってたっけ・・・?
竹刀の手入れをしていったけ・・・?
母親に昨日のいたずらを見つかって怒られてたんだっけ?
日常生活の中に、まるで性質の悪い嘘の様な『死』がただ静かに横たわっていた。
彼女はもう二度と笑わない。二度と歌わない。二度と走らない。二度と・・・・
・
――― 同じ時間を歩めない ―――
彼女の肉体はすぐに朽ち果て、人々から彼女の存在が消えてしまうのに
そんなに時間はかからないだろう・・・。
彼女は『思い出の人』になってしまうのだ・・・。
(そんなのはイヤだ・・・。そんなのはイヤだ・・・)
ゾロは心の中で絶叫する。
悲しみで埋め尽くされた頭の中で必死になって考える。
(くいなを死なせたくない!くいなを死なせたくない!くいなを死なせたくない!)
(―― 思い出なんかに・・・したくない!!――)
ゾロが血が出るほど歯を食いしばった時、頭の中で火花が散った。
はかなげでいて、それでも眩しいほどの火花だった。
(俺がくいなのかわりになればいい!昨日誓いあったじゃねぇか!!くいなの夢は俺の夢だ!!俺の夢はくいなの夢だ!)
(俺が死なない限り・・・くいなは生き続ける!)
(剣さえ捨てなければ・・・、くいなはずっと生き続ける!)
(・・・・・剣の中で!俺の中で・・・・!!)
ゾロはその瞬間、青虫からサナギに変化してしまった。
サナギになる一歩手前で、死んでしまったくいなの腕を取り自分の殻の中に引き入れてしまう。
そして2人は一つのサナギの中で・・・・
――― ドロドロにとけてしまった ―――
ゾロはその瞬間から、ゆっくりと自分を殺していく。
今となってはもう溶け合った2人を解きほぐすことは無理だった。
一つの心を持ったサナギは蝶になる。
しかし、二つの心をもったサナギは、蝶になれるのだろうか?
――― 死んだ人間との約束・・・・。
(・・・拷問だ・・・・それは・・・)
と、ゾロは思う。
これから先も、俺は死んだ人間に足を引っ張られて生きていくんだ・・・。
自分の望んだことだから・・・。
自分の望んだ・・・・・ことだから・・・・。
ゾロはくいなが死んだその時から、歪んで成長してきた。
――― だから・・・・・。
――― 世界が歪んでいるのは・・・・
・・・・・俺のせいかもしれない ―――
「・・・・・かも・・・・・しれ・・・・ない・・・」
ゾロの掠れたうわ言が微かに聞こえたような気がしたので、慌ててサンジはベッドの上に横たわるゾロを振り返った。
ゾロはさっきチョッパーから打ってもらった鎮痛剤のおかげでか、幾分穏やかな顔をして眠っている。
顔色は相変わらず悪いが、少し落ち着いたように見える。と、いっても薬によって強制的になのだが・・・。
サンジは適当に冷ましたおかゆを入れた皿とスプーンを盆の上に乗せて持ってきたところだった。
ゾロは目を覚ます気配がないのを確認すると、サンジはベッドサイドボードの上に盆を乱暴に置いた。
ゾロが倒れた日に、台所で苦虫を噛み潰したような顔をしながらも、せっせとおかゆを作っているサンジに、チョッパーは困ったように笑ってこう言った。
「サンジ・・・。おかゆは作らなくていいぞ。ゾロはまだ口からものを食べられる状態じゃないから・・・。」
「・・・・うっせえ!俺のプライドの問題だ!」
サンジは舌打ちしながらそう答えるだけだった。
あれからサンジは毎日3食、ちゃんとメニューを変えてゾロのためにおかゆを作ってやっている。
勿論それは手付かずのまま、サンジが食堂に持って帰ることになるのだが・・・・。
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」
サンジは静かにベッドに横たわるゾロを見下ろしながらフと思う。
(こいつとはそりがあわねぇ・・・。絶対、一生・・・)
そう思いながらもサンジは、すっかり熱のこもってしまっているゾロの額の上のタオルを乱暴にとって、氷水につけた。ギュッと絞り、またそれを額に戻してやる。
サンジは最初にゾロに会った時から、ゾロのことが気に入らなかった。
何が気に入らなかったんだろう?と考える。
タメのくせに自分より身長が少し高いのも気にくわねぇ・・・。
自分とは違って、長い間一人で生きてきたらしいことも気にいらねぇ・・・。
バカみてぇに強いことも、それを己に課していることも、その珍しい翡翠色の瞳が自分より高みを見つめていることも・・・・・
何もかも気にいらねぇ!!
無口のくせにその行動は雄弁で、船長と同じくらい本質を一瞬で見抜く力を持ち、屈託なく笑ったかと思うと、次の瞬間にはどこも見てない目で船が進む方向を見つめている・・・・・。
とにかく、その全てが気にいらねぇ!!
サンジはその瞬間思わず眠っているゾロに向かって言い放った。
「俺とお前は正反対だッ!!」
そしてその時、サンジはあの夜のことを思い出した。
そう言えばあの夜も、俺はお前に同じ台詞を言ったんだったな・・・・。
それは誰かの誕生日だったのか、それとも船長のいつものきまぐれな提案だったのか・・・・。
ともかくその日の夕食は宴会となった。
天気も良かったので、満天の星空の下、甲板の上での宴となり、気分良く飲んで食って・・・・そしていつも通り、『うわばみゾロ』と『ザルのナミ』と適量を知っている大人のロビン以外は全員酔いつぶれた。
ナミとロビンは後片付けのため甲板からいなくなり、
ゾロはルフィ、チョッパー、ウソップ達を男部屋に放り込む作業を黙々とこなしていた。
最後に甲板に大の字になって酔いつぶれているサンジを抱え上げようとした時、
サンジはパッと目を覚まし、呂律の回らなくなった口調でゾロに向かって叫んだ。
「くっそ〜!俺に触るにゃ!気色わりぃ〜!」
そしてゾロの手を払いのけた。からみぐせのあるサンジはなおも続けた。
「ここにしゅわれぇ〜!クソマリモ!!」
バンバンと自分が横たわっているすぐ隣の甲板を乱暴に叩いて叫ぶ。
「・・・・・・・・・・・・・。」
ゾロはしかめっ面をしたが、酔っ払いを相手にするには素直にいうとうりにした方が良いと思ったのか、珍しくサンジの指し示した所にドッカと腰を降ろした。
サンジはそれに満足げに頷くと、ビシッとゾロの顔を指差して断言するように言った。
「俺とお前は正反対らっ!!」
「この世のはてとはてに立ってるんらっ!宇宙で一番離れた場所に立ってるんらっ!!」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
ゾロはついていけねぇという顔をしてサンジを見下ろした。
「てめぇなんか、でぇーキレーだっ!!」
べぇーと赤い舌を出して、笑いながら言い切る。
ゾロは間違ってカエルでも飲み込んだような困った顔になり、ガシガシと頭をかくと、サンジに言った。
「・・・・そうだな・・・。俺とお前は正反対で、宇宙で一番離れた場所に立ってる・・・・」
「その通り!!」
サンジは堂々と断言した。
するとゾロは満点の星が煌く夜空を何気なく見上げて言った。
「・・・知ってるか?サンジ。宇宙は完全な球形で、今でもどんどん膨張して広がってるんだとさ・・・」
「?????」
サンジは良く回らない頭の中をクエスチョンマークで一杯にしながらゾロを見上げた。
ゾロはサンジには目も向けず、話を続ける。
「宇宙が球形だとしてだ。俺が座ってるこの場所から宇宙で一番離れた場所はどこかわかるか?」
「???・・・あぁ??」
サンジは聞き返す。
「勿論、球なんだから・・・この場所からぐるーっと宇宙を一周した円周上の・・・・」
そこまで言うと、ゾロはサンジの寝ている場所を指差し、サンジを見て言った。
「・・・・・・・・そこだ。」
サンジはギョッとなって思わず頭を持ち上げて自分の身体を見た。
「・・・・・!!」
「宇宙で一番自分から離れている場所は、自分のすぐ真後ろの場所だ。」
「・・・・・・・・。」
「宇宙で一番離れた場所にいるんだろ?俺達は?」
サンジはポケッとした顔でゾロを見上げたままだ。
ゾロはそんなサンジにお構いなしで続ける。
「つまり、俺とお前は背中合わせに立っている事になる。」
そして、ゾロはため息混じりに、幾分悔しそうな声色で、それでもはっきりと言った。
「どうりで、お前には背中を預けられるわけだ」
ゾロはそう言うと、ニヤリと笑って立ち上がりさっさとその場所から立ち去って行った。
残されたサンジはただ目を丸くして無言のままその背中を見送ることしか出来なかった。
アルコールで自分の脳がやられたのかと思ったくらいだ。
(・・・・・背中を・・・・預けられる・・・?)
そうだ・・・。俺もそうだ・・・・。
あいつなら安心して背中を預けられる・・・・。
――― 気にいらねぇ理由は・・・・
――― それかもしれねぇ・・・・・・・。
俺達は宇宙で一番離れていて ―――
――― 背中合わせに立っている。
「・・・・おい・・・。ゾロ・・・・」
サンジは思い出からフと現実に戻ると、眠っているゾロに向かって声をかけた。
「さっさと良くなれよ・・・。クソうめぇもん、いっぱい作ってやっから・・・・」
そして、手のつけられなかったおかゆを置いているお盆を持つと、女部屋を後にした。
階段を二段登ったところで足を止めた。
ゾロには目も向けず、自分の足元も見つめたまま、独り言のように、
それにしては大きい声で言う。
「タメの友達なんか・・・おめぇしか・・・いねぇんだからな・・・」
サンジの背中から友情がヒラヒラと舞い降りる。
それは黒い蝶の形となり、ゾロの周りをゆっくりと飛び回る・・・。
「・・・セカイガ ユガンデいるのは おまえのせいだ・・・」
(・・・・俺のせいなのか?・・・本当に・・・そうなのか?)
〜 ウソップの言葉 〜
「ゾロ!気分はどうだ?」
ウソップは女部屋に入ってくるなり、眠っているゾロに声をかけた。
ウソップはゾロが眠っていようが、苦痛で身をよじっていようが、とにかく声をかけ続けた。
――― 自分にはそれしかできないから・・・・。
新しい氷水の入った桶をベッドサイドテーブルの上にコトリと置き、看病用の簡易イスを引き寄せると、その上に静かに腰を降ろし、また声をかける。
「疲れているときは寝るのが一番だ!」
そう言って、氷水からタオルを取り出しゾロの額にゆっくりと乗せてやる。
それを合図にしたかのようにゾロの目がうっすらと開いた。
「・・・・ゾロ・・・・わかるか?」
ウソップは思わず腰を浮かして囁くように尋ねる。
ゾロは目だけ動かし、ウソップを確認すると、
「・・・・・・・あぁ・・・」
と小さい声で答えた。
「大丈夫だ!すぐ良くなるからな!なんせこの男の中の男・大海賊キャプテン・ウソップ様が直々に看病してやってんだから!大丈夫だ!」
ウソップは明るく言うと胸をそらし、その胸をドンと拳で叩いてみせた。
ゾロはそれを見ると口の端をほんの少し上げてから
「・・・・・助かる・・・・」
と言って、また目を閉じた。一つ大きく息を吸い込んでから、また深い眠りに落ちる。
ウソップはその言葉を聞くと涙が出そうになるのを堪えきれなくなった。
「・・・くっ・・・くっ・・・・」
ゾロは『ありがとう』だの『礼を言う』だの、そんな言葉をウソップに言ったことはない。
何かしてやると必ず・・・・・。
「たすかる」
と言うのだ・・・・。
ウソップは思う。
その言葉で助かってるのは自分の方なのに・・・・。
男が見ても惚れ惚れするようなゾロの強さが正直うらやましいと思ったことは何度もある。
でも自分がそうなれないこともウソップは十分承知している。
いつの日だったか・・・・。
ゾロが船上で特注の重心をつけた練習用の刀を振りぬくトレーニングをしているのを、ウソップがそのかたわらに座ってボンヤリと見つめていた時、彼はつい呟いてしまったことがある。
「・・・・ゾロは・・・・強いな・・・・」
「・・・・・そうかぁ?」
ゾロは手を休めず呆れたように答えた。
ウソップはうっかり自分の気持ちを声に出してしまっていたことに気づき、
慌ててごまかすように怒鳴った。
「そりゃそうだろっ!!お前が強くないって言うんなら俺はどうなるっ!?」
「俺は強くねぇぞ・・・・。ただ・・・・」
「・・・・・・・・・?」
「・・・強くなりたいと思ってるだけだ。」
そしてゾロは顔だけウソップに向けてこう付け加えた。
「ウソップ・・。案外お前の方が強いかもな・・・」
ウソップは驚いて思わず立ち上がり叫んだ。
「かっからかうなよ!俺はお前と違う!逃げ足が速いだけだし!よく泣いちまうし!
・・・それに細かいことばっか気ィ使っちまうし・・・・」
最後の方は小声になってしまう。
ゾロはそれを聞くと、持っていた刀をドサッと甲板に下ろすと、今度は身体ごとウソップに向き直ってこう言った。
「逃げ足が速いのは『臆病』とは違う。泣き虫は『弱虫』じゃねぇ。心使いが細やかなのは『優しい』に近い・・・・」
「『優しい』ことは・・・・
・・・・・・・・すぐれていることだ。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
ウソップは思わず息を呑み、目を見張ってゾロを見た。
ゾロは珍しくフッと笑うとまた刀をとり、何事もなかったように素振りを始めた。
ウソップは照れくさくなり、その場を足早に離れた。
しかし、去り際にゾロに言った。
「その・・・刀・・・重さが調節できるように今度してやっからな・・・!」
ゾロの声が背中から聞こえてきた。
「・・・・・・助かる。」
その時もゾロはそう言ってくれた・・・・。
――― 「助かる」と・・・・・。
「ぐっ・・・・うっ・・・・ぐっ・・・」
ウソップはぽろぽろと涙を落としながらゾロを起こしてはいけないと、声を殺して泣いた。
(助かってるのは・・・俺の方なんだ・・・ゾロ・・・)
「お前が俺に誇りをくれたんだ!」
ウソップの嗚咽が女部屋に静かに響く。
ウソップの言葉から感謝がひらひらと漂い、それが黒い蝶になっていく・・・。
ゾロのまわりを舞うように飛び回り、そして告げる。
「セカイガ ゆがんでいるのは おまえのせいだ」
(もうわからない・・・。俺には・・・もう・・・・わからない)
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