日差しのまぶしい砂浜を歩いていると、ぽつんと立つ商店が見えた。
そこは、ナミが島に上陸した際に、道を尋ねた店だった。
ナミはまっすぐにその商店に向かう。






愛のある島2  



act10:花束


戸外の明るさもあいまって、店内はとても薄暗く見えた。ナミは、その中へ顔を覗き込ませるようにして、軽く頭を下げて会釈する。
商店の老婆はナミを覚えていたようで、ナミの顔を一目見るなり柔らかな笑顔を見せた。

「こちら、お花は売ってるの?」
「花?あるよ。少ないし、あんまりイキはよくないけど。」

そう言って、老婆はナミ達を店内に手招きする。すると青果品や日用雑貨品がところ狭しと置かれている奥に、ヒマワリ、ユリ、コスモス、キキョウといった花々が、つい先ほど道端で摘まれてきたという風情でバケツに生けられていた。

「なんでもいいわ。ありったけを花束にしてくれる?」

そう言って出来上がってきた花束は、色はてんでバラバラで、本当にありあわせのものという表現がピッタリ。その統一感の無さが返って面白みを誘うのか、ナミは花束を受け取ってから笑みを絶やさなかった。
店を出て、再び砂浜を歩いている時も機嫌が良く、花束を抱えて何度かくるりと身を翻す。
オレンジの髪と白いドレスと色とりどりの花々が、眩しいほどの陽光の下、美しく映えた。
そしてその笑顔のままサンジに向き直る。

「ルフィが消えた場所に、案内してくれる?」
「え?うん。」

桟橋に係留していた船に再び乗り込み、沖に出た。
サンジは慎重に島からの距離を測りながらナミに方向の指示を出す。
とは言うものの、サンジとて正確にその場所を覚えているわけではない。
あの時はサンジ自身も激しく波に翻弄されていたから。
しかし、その後海軍が捜索している光景を目の当たりにしたことがある。おそらくそこがルフィが沈んでいった地点なのだろう。
けれどその地点のことは、海軍の公文書にも記されているはずだから、ナミとて知らないはずがない。それをあえてサンジに案内させているのはどうしてだろうとチラと思う。

海は凪ぎ、時折穏やかな風が吹く。海水は光の届く範囲ならばどこまでも見通せそうなほど青く澄んでいる。その海原を舳先が切り裂いていく。船の後ろには二等辺の波紋が広がっていく。空にはカモメがゆったりと翼を広げている。

この海があの時は大荒れに荒れて、渦を巻き、ルフィはおろか、あらゆるものを飲み込んでいったなんて信じられないくらいだ。

あの酒場の店主は、ルフィがこの島の浜辺に打ち上げられていたと言った。
でもそれは嘘だと分かった。
ルフィはこの島に打ち上げられていないし、店主と会ってもいないし、ましてや麦わら帽子も託さなかった。
あの店主の言葉の全てが騙りだと分かったことで、ルフィの生死に関する情報は振り出しに戻ってしまった。
どこにいるのか、何をしているのか、生きているのか、死んでいるのかも分からない。
その状態がもう4年続いている。
メンツに賭けてルフィを探していた海軍もついに匙を投げ、ルフィの捜索を打ち切ることにした。
それはつまり海軍、引いては世界政府がルフィの死亡を認定するということ。
そしてナミは、花束を持って、ルフィが沈んだ場所へ行きたいという。
ここにきて、サンジはようやく自分の役割を悟った。

(そういうことか)

自分はルフィの消えた地点への水先案内人。
そしてナミは、花束をその場に沈んだルフィに贈るつもりでいる。

(でもナミさん)

(それじゃあまるで、)

(手向けの花みてぇじゃねぇか―――)

それはナミがルフィをもうこの世にいないものと認めるということ。
しかし、そのことには触れず、サンジは黙々と海と島を見つめ、間合いを測り続ける。
ナミのしたいようにさせるしかない。
ナミがそうしようというのなら、自分がとやかく言う筋合いはない。
全ては、ナミ次第なのだ。

「この辺りだと思うよ。」
「ありがとう。サンジくんが一緒に来てくれてよかった。」

ゾロじゃこうはいかないわねと独り言のように呟いたナミの声が、サンジの耳に届いて、確かにそうだと思うと笑いがこみ上げてきた。あの万年迷子にはこんな役割はハナから無理な相談だろう。

ナミは花束を持ち、船の先端まで行って両膝をついて海に面した。
それは、まるで祈りの姿のようにサンジの目に映った。
サンジは数歩下がった場所に立ち、ナミの背中を静かに見守る。
ここからは先は自分は立ち入れない。
ナミにとっての神聖にして犯すべからざる儀式なのだからと。

海風に少し涼が含まれるようになってきた。日が傾いてきている。そういえば日差しも弱まってきた。
風はナミのオレンジ色の髪を巻き上げ、白いサンドレスの裾も撫でていく。
白いドレス―――こうして見ると、まるでこの時のために用意された衣装のように見える。
いやもしかすると、ナミは今この時のためにこのドレスを身にまとっているのではないか。
サンジは今まで今回の航海を、ルフィの麦わら帽子を求めることが目的だと思ってきたが、ナミにとっては違ったのかもしれない。
むしろナミの目的は、まさにこうしてこの海と向き合うことにあったのではないか。
ナミもさっき言っていたではないか。

―――ルフィがいなくなった場所に、一度でいいから来てみたかったの

サンジはしばしタバコを吸うのも忘れて、凛とした佇まいのナミの後姿を見つめ続けた。

不意に、ナミが花束を捧げ持つ形で、両腕を海に向かって真っ直ぐに突き出した。
あとは手を放して、花束を海に落とすだけ。
それだけでいい




それだけで―――






しかし、花束が海に落とされることはなかった。






永遠のように感じた時間の後、花束を手元に引き戻したナミの肩が、細かく震えているように見えた。泣いているのだろうかと思ったサンジはナミの方へ一歩近づく。
すると、ナミはすっくと立ち上がり、サンジの方を振り向いた。
涙はなく、どこか寂しさを湛えた表情をしている。

「やっぱり、無理。」
「え?」
「手向けの花なんて、たとえ形だけでも、できない。」

そう言った瞬間、ナミは花束で顔を隠して、くしゃっと表情をゆがませた。

「4年待ったわ。」
「うん。」
「でもルフィは一度も私の前に姿を見せなかった。」
「うん。」
「消息すら分からない」
「うん。」
「だから、もうそろそろ・・・・なんて思ったけど、」
「・・・・・。」
「ルフィを諦めるなんてこと、私には、できない。」

そう言ってナミが目を伏せると、ハラハラと涙の粒が落ちていった。
サンジは大股で近寄って、ナミの手から花束を優しく取り上げ、そして片腕をナミの背に回し柔らかく抱き寄せた。
ナミも抵抗せず、おとなしくサンジの肩に顔を寄せる。

「ルフィは生きてるわ。」
「うん。」
「きっと、どこかで冒険してるのよ。」
「うん。」
「それが楽しくって、帰ってこれないだけなの。」

ナミのいつもの持論。
サンジの肩に顔を押し付けたまま、ナミはくぐもった声で搾り出すように言った。
それを、ただサンジはうんうんと頷きながら聞く。
声を抑えているが、肩の震えからナミが泣いているのが分かる。
それは、今まで耐えてきたものが堰を切ったかのようだった。
一通り慟哭が通り過ぎるのを待って、サンジは口を開いた。

「ルフィは生きてる。」

ビクッとナミの肩が震える。

「ナミさんがそう信じる限り。」

おとなしく腕の中に納まっているナミに言い聞かせるように話しかける。

「もちろん俺も信じてる。」

「俺だけじゃねぇ。昔の仲間達は全員そう信じてる。」

「だから、無理に別れとか区切りとか、つける必要なんて、全然ねぇんじゃねぇの?」

そうさ、ナミさんの言う通り、あいつはこの広い世界のどこかで冒険してるんだ。
それに夢中で戻ってこれないだけで・・・・・それでいいじゃねぇか。
な?とオレンジ頭に向かって問いかけると、サンジの肩に顔を埋めたままナミが僅かにコクリと頷いた。
それに満足して、サンジは悠然と笑う。
ひくっと喉を鳴らして、ようやくナミが顔を上げてサンジを見た。
少し恥ずかしげな顔をして、茶色の瞳に涙の膜が張って潤んでいる。
そんなナミに、サンジは目を細めて微笑んだ。


「さあ帰ろう、ナミさん。ジュニアが待ってる―――



―――カテドラルアイランドへ




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