店主はいったん店の奥に引っ込んだ。
そして再び現れた時には、手に麦わら帽子を持っていた。





愛のある島2  



act9:取引U


ナミは胸の谷間から小切手帳を取り出し、右手に羽ペンを持つ。いくら?と店主に目で問いかけると、頬を紅潮させた店主が声を上ずらせて5000万ベリーと告げる。
その金額を額面欄にサラサラと書き込み、サインも入れる。
ペリッと小切手を切り取って店主に差し出すと、店主はナミの手からもぎ取るように奪った。
目を爛々と輝かせ、小切手の額面を舐めるように視線でなぞる。

「はいはいはいはい、確かに確かに、5000万ベリー、5000万ベリーですね。」

興奮しているのだろう、店主は完全に小切手に心を奪われていて、同じ言葉を繰り返す。
カウンターには、取引の対象である麦わら帽子が無造作に置かれている。
今まで写真でだけで見てきたそれは、実際に見てみるとますます本物に見えた。
少なくともサンジには。
ナミはというと、恐る恐る手を伸ばし、麦わら帽子を両手で持ち上げた。
帽子の天辺、ひっくり返して裏側、その他にも2、3度角度を変えて眺めている。

「サンジくん、ライター貸してくれる?」
「え?」

よく分からないまま、ほとんど無意識でサンジは懐からライターを取り出し、ナミに手渡した。
するとナミは、今まで脇にどけていたグラスを引っ掴むと、帽子に酒をぶちまける。
サンジが何かを言う間もなく、ナミは酒のしたたる麦わら帽子にライターの火を近づけた。
酒は、ナミがわざわざ「この店で一番アルコール度の高い酒」と指定したものだ。
そうなると当然。

ボッ!!

麦わら帽子は音を立てて燃え上がった。ナミはそれをそのまま無表情に店主に向かって投げつける。
それは小切手に夢中だった店主の胸にもろにぶつかり、たちまち服に火が燃え移った。
ぎゃッと叫び声を上げて店主は立ち上がり、恐慌を来たした手で炎をバタバタと払うが、埒が明かず、とうとう上着を脱ぎ捨てた。
店主は床に打ち捨てた服と麦わら帽子をバンバンと足で踏みつけて火を消すと、鬼のような形相でナミに食ってかかった。

「このアマ、何しやがる!!!」
「何しやがるは、こっちのセリフよ!!」

バンとカウンターテーブルを手で叩きつけ、負けじとナミも啖呵を切る。

「よくもこんな偽物で客釣りなんてしてくれたわね!もう二度とすんじゃないわよ!!」
「な・・・・!」

なんで分かったんだ、と店主は言いたかったのかもしれない。
店主は明らかにぎょっとしていたが、すぐに表情を引き締め歪んだ笑みを浮かべる。
小切手のことを思い出し、立ち直ったようだ。
5000万ベリーの小切手は既に我が手中にあるわけで、儲けはもう十分に取れている。

「けッ、なーに、これさえあれば・・・・・って、あ、あれ?」

店主は全身を見て、両手を世話しなく身体に這わせる。次いでカウンターの上下をきょろきょろと何度も見回す。
手元にあったはずの小切手が、ない。どこにもない。
火の対処にかまけていた時でも離さず手に持っていたつもりだったが、それが無い。

「お探し物はコレかしら?」

ナミはニンマリと笑って、指先で摘んだ小切手を店主の顔前でヒラヒラと揺らめかせる。

「な、いつのまに!返せ!!」

慌てた店主が手を出すよりも早く、ナミは手を引っ込め、カウンターから軽やかに飛びずさる。

「大切な物は、すぐに仕舞っておくものよ。」

ナミはイタズラっぽくウインクした。

「私の二つ名、知らないワケじゃないんでしょ?」

ナミの手配書についた名前は―――泥棒猫。

「か、返しやがれーーーーッ!!! それは俺のものだ!!」
「おーっと。」

次の瞬間、顔を真っ赤にし、カウンターを飛び越えてナミに掴みかからんとする店主の顔面スレスレに、サンジの黒い靴裏がぴたりと合わせられる。

「オッサン、もう十分儲けたろ?欲の皮つっぱらかすのも、たいがいにしておいた方がいいんじゃねぇの?」

言葉の調子とは裏腹に視線に篭められたサンジの殺気を感じて、ぐぅの音も上げられずすっかり青くなった店主がガタガタと身体を震わせている。
その目の前で、ナミは小切手を破り捨てた。



***



「あースッキリした!」

店を出ると、ナミは両手を突き上げて伸びをしながら第一声にそう言った。
陰気な店内と違って外は明るく、夏の日差しが照りつけている。
時折爽やかな風が吹いて、ナミの白いサンドレスを撫でていく。

「ナミさん!」

大声で呼ばれ、ん?とナミは振り返る。
すると後から来たサンジがバツの悪そうな顔をして佇んでいた。

「どうしたの?」
「ナミさんは・・・・・アレが偽物だってこと、分かってたんだね。」

最初から。
そうだ、最初から―――海軍少尉が麦わら帽子の写真を持ってきた時から、ナミは一瞥しただけで違うと言い切っていた。

「私が何度アレを繕ってきたと思うの?」

フフッとナミは愉快そうに笑う。
ルフィが帽子を破く度に、ナミはそれを託され、直してきた。それこそ数え切れないぐらいに。
誰の目を誤魔化せても、自分の目だけは誤魔化されないという強い自負がある。
今回のケースも、写真を一目見た時からとうに偽物だと見破っていた。

しかしそうなると、サンジの中では新たな疑問が湧いてくる。
ならばなぜ、ナミはこんな所まで来たのか。
偽物だとハナから分かっていたのなら、わざわざ出向く必要はなかった。
ルフィにまつわる物が見つかったと騙られるのは、何も今回が初めてではない。これまでも何度となくあった。今回のことも悪質な騙りとはいえ、いつものナミなら放っておいたはずだ。現に今まではそうしてきたのであるし。それなのにどうして―――
そこまで思い返して、サンジはハッとする。
もしかしたら。

「俺が余計なこと言ったからか?」

海軍少尉からルフィの捜査が打ち切られると聞いて、これが最後の手がかりかもしれないなどと、ナミをそそのかすようなことを言ったのは、他でもないサンジだった。

「そうね、それは少しあるかも。」

ナミは風で煽られるオレンジの髪を右手で押さえて、少し神妙な面持ちでサンジを見返している。

「ごめんな。」

サンジは自分自身に舌打ちしたくなった。
自分の不用意な発言のせいで、ナミを安全なカテドラルアイランドから身の危険な外海のこんなところにまで来させるハメになってしまったのだ。
けれどナミは、サンジの憂いを払拭するように明るい声で言った。

「サンジくんが謝ることないわ。それに理由はそれだけじゃないのよ。せっかくの機会だから、ルフィの帽子を騙って悪徳商法してる輩をとっちめてやろうって思ったの。」
「だからあんな取引に乗ったんだね。」
「一番悔しいのって、一度手に入ったものが目の前で失われることだと思わない?」

ナミが人の悪い笑みを見せた。
道理で無謀な要求にも従順に応じていたワケだ。取引においてブツの真偽も確かめず、金を先に与えるなんてのは本来なら愚の骨頂だ。
そして確かに、一度は手中に納めた大金が目の前で無くなった時の店主の落胆ぶりときたら、今思い出しても胸のすく思いがする。
けれど、

「結局、コトが荒立っちまったな。」

もし店主がこのことを海軍や世界政府に通報したら、ナミはカテドラルアイランドに再入国できなくなる可能性がある。

「大丈夫よ。あの男が抱えてる脛の傷は一つや二つなんて生易しいものじゃないわよ。だから自分から海軍に近づくなんてこと、絶対にしやしないわ。」

これにはサンジも同意見だった。海軍に出向いたりしたら、逆に痛くもない腹を探られることになるに違いない。
それに、仮にもしこのことでナミが国外追放の憂き目になったとしたら、今度は店主がナミの報復に遭うことになる。それが嫌なら通報などという真似は絶対にできないだろう。
不意に、一陣の強い風が二人の間を駆け抜けた。
海風だ。
ナミは黙り込み、風の吹く方向―――海の方を見やり、やがてゆっくりと歩き始めた。
サンジもそれに続く。
風に乗って潮の香りがここまで届いている。そしてそれは段々と強くなっていく。
砂浜に一歩足を踏み入れた時、ようやくナミはまた口を開いた。

「もう一つの理由はね、単にここに来たかったから。」
「え?」
「ここはルフィが消えた場所だから・・・・。」
「・・・・。」

「ルフィがいなくなった場所に、一度でいいから来てみたかったの。」




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