4年前、ルフィが行方不明になったという知らせが舞い込んだ日。
瞬間、心臓が凍え、全身が震えた。

けれど次の瞬間には、強く否定していた。
ルフィは生きている。
ルフィが死ぬはずないじゃない?

だからルフィが消えたというこの海にも一度も出向いたことがなかった。

だっておかしいじゃない。
行ったらまるで、弔いに行くみたいでしょう。
ルフィは死んでないんだから、そんなことする必要はないの。







愛のある島2  



act11:ここは愛のある島


ナミとサンジを乗せた船は、ルフィが沈んだ海域を抜けて、カテドラルアイランドへの航路を取る。
帰りの航海は、主にサンジが舵を取った。
ナミはどこか気抜けしたようで、船室のソファに寝そべって、一日をぼんやりと過ごすことが多かった。

数日が過ぎて、カテドラルアイランドまでの距離をあと半分残すまでになった頃、ようやくナミは本来の生気を取り戻してきた。
電伝虫でジュニアに連絡も取り、帰着予定日を告げる。
ナミが元気かと問うと、ジュニアは元気にしてると口では答えたが、どこか不貞腐れた声だった。一人置いていかれたことに、まだわだかまりを持っているようだ。

長らく夜も早々に寝室に入っていたが、この頃はサンジとお酒を酌み交わして話しをするようになった。
今夜もサンジが作ってくれたロックグラスを片手で揺らしている。

「サンジくんがうちに来た日の朝にね、ルフィの夢を見たの。」
「え?」
「今から思うと、それがきっかけだった。」
「・・・・・どんな夢だったの?」
「ルフィが何かを必死に私に語りかけてるの。でも雑音に阻まれて、何を言ってるかまでは聞き取れなくて・・・・とてももどかしかった。」
「へぇ。」
「それに、ルフィの夢を見たのって、すごく久しぶりだった。それで、ああ私ってルフィのこと忘れかけてるのかなって思ったのよね。」
「―――。」

ルフィの夢を見た同じ日に、海軍がルフィの麦わら帽子の話を持ってきて。
それはルフィが沈んだ海域の島にあるって聞いて。
なんていうのかな、何か一つに繋がってるように感じた。
そこへ行けと言われているような気がした。

一連の出来事がナミをあの海へと駆り立てる。
もしかしたら、夢の中のルフィもそう伝えたかったのではないか?―――あの海に来いと。

けれど、ナミにとってあそこは禁忌の海。
あの海へ行くことはルフィの死を認めるに等しい。
決して軽い気持ちで行ける場所ではなかった。

「でも、ジュニアが強く言ってくれて、」


―――母さん、見に行こうよ!
―――写真だけじゃ分からないよ。見に行ったら、本物かもしれない!


「それで行ってみようって決心したの。」

カランと氷がグラスの中で音を立てた。
サンジはしばらく逡巡した後、これまで気がかりだったことを口にする。

「あのさ・・・どうしてジュニアを連れてこなかったの?」

ジュニアがあそこまで言ったのは、ジュニア自身が行きたかったからだ。
ナミとてジュニアの言葉で決心したというのに、ジュニアをカテドラルアイランドに残した。
ジュニアはパスポートを持っていなかったので、あの時すぐに出発するのは無理だったかもしれないが、1週間あれば取得できる。それから出発してもよかったのだ。それなのにナミはすぐさま出発した。ジュニアを置いて。

「ナミさん、意図的にジュニアを置いてったよね?」

その指摘に、ナミは肩をすくめ困ったようにサンジを見た。

「ジュニアはね、私以上にルフィは生きてるって信じてるの。あの子に私の気持ちを悟られたくなかった。」

ルフィがいなくなって4年。
ルフィの生存を前提に行われていた海軍の捜索も打ち切られるという。
もうそろそろ、何か区切りをつけるべきなのかもしれない。
そうでないと、このままずっと時間が止まったままのような気がして。
けれど、ジュニアはこんな気弱になったナミを受け入れられないだろう。

「それに私自身、この海にきたら自分がどうなってしまうのか、分からなくて怖かったし。」
「・・・・・。」
「そんなところ見たら、ジュニアが傷つくだろうし。母親の威厳にかけて、そんな姿は見せられないって思ってね。」

ナミは苦笑いを浮かべる。

「それに実際、無様なことになったしね・・・・。」

そんなことはないと言い掛けて、サンジは止めた。
そう言われることをナミは望んでいないと分かったから。
ナミは大きく息を吐き出して、膝の上に肩肘をついて頬杖する。
もう片方の手はグラスを灯にかざして見つめる。
ナミの白い顔に琥珀色の波紋が揺れていた。



***



カテドラルアイランドの領海近辺は、いつになく海軍船が物々しく往来していた。
それらを上手く掻い潜り、なんとか無事に領海内に入る。
入国審査所でナミは再びクリマ・タクトを、サンジは愛用のナイフを預けて、それぞれ引き換え証としてナンバープレートを受け取る。その他の諸々の手続きを終えて、駐車場に置きっぱなしにしていたナミの車に乗り込み帰路についた。

ナミの自宅へ辿り着いた頃には、日もとっぷりと暮れていた。
大き目の荷物は明日の朝にまとめて運び込むことにして、とりあえず身の回りのものが入ったカバンだけを持って家に入ることにした。
家の鍵は開いていたが、明かりは消えている。
ジュニアは寝ているのだろうか。
といってもまだ午後8時。寝るにはちょっと早すぎる。

玄関ホールに入って、手探りで電気のスイッチを探り当てた。
パッとホールの明かりが灯る。
まずは階段に向かい、2階に向かって呼んでみた。しかし何の音沙汰もない。

「出かけてんのかな?」

サンジも首を傾げる。
仮に出かけているとしたら、鍵も掛けずに大変無用心だが。

「今日の夜に帰るって知らせておいたから、出かけたりしないと思うんだけど・・・・。」

自信なさげに言いながら、ナミは居間へと入って行った。同じように電気のスイッチを手で探り、灯りを点けようとしてその手を止めた。
カーテンを引いていない部屋の薄明かりの中、人影が見えた。
それは居間のソファに、ジュニアはいた。
両腕を枕にして、ソファに仰向けで寝転んでいる。気持ち良さそうな寝息とともに。
ナミ達が出かけた時と同じように、顔には麦わら帽子を被せて。
ナミの後ろから覗き込んだサンジと顔を見合わせて笑う。
けれどジュニアを起こそうと、ナミがそっと足音を忍ばせてソファに近寄った瞬間、ある違和感に気づき、身体に緊張が走った。

ジュニアは、髪の色以外はルフィとそっくりだ。
特に成長した昨今は、仕草も身体つきも似てきていた。
腕枕で突き出た肘の形、何気なく投げ出された両足の膝小僧、足の指の曲がり具合まで―――そして、どこからともなく手に入れてきた麦わら帽子を被っては、ナミを驚かせようとしたものだ。

ソファの上の人影を見下ろしながら、一歩、また一歩と近づいていく。
心を静めようと思うのに、近づくにつれてどんどん鼓動が激しくなっていく。

ひどく緩慢な動作でソファの傍らに両膝をついて、息を詰めながら麦わら帽子に顔を寄せる。

瞬間、息を呑んだ。

麦わら帽子のツバから、ジュニアのオレンジ色の髪ではなく、黒い髪が、覗いて見える。
それに身体つきもよく見れば、ジュニアのそれよりもずっとガッシリしていた。
明らかに違うのに、暗闇と先入観でジュニアだと思い込んでいた。

予感と疑念に苛まれながらナミは麦わら帽子に手を伸ばす。もう震える手を抑えられないでいた。
ナミの手が帽子に触れる前に、ナミの手首が伸びてきた手に力強く掴まれた。
そして、もう片方の手も伸びてきて、その顔を覆う麦わら帽子を持ち上げた。
すると、ニカッと満面の笑みを浮かべたルフィの顔が現れた。

「おかえり、ナミ。」

「・・・・!!」

もう言葉にならなかった。
ただもう体当たりする勢いで、ルフィに抱きついた。
ちょうど起き上がろうとしていたルフィの身体が、ナミを受け止めて再びソファに沈み込む。
しばらくそうした後、ナミはがばっと顔を上げて、ルフィの頬を両手で挟みこんで視線を合わせた。

「ホントにホントに、ルフィなのね?」
「そんなの見れば分かる・・・・にゃへーかぁぁぁぁ。」

憎たらしい言い草に、頬の肉をつまみ、思いっきり横に引っぱってやった。
ゴムなので面白いように伸びる。

「アンタね! 今の今まで! いったい! どこほっつき歩いてたのよ!??」

これでもかというぐらい横に引っぱった後に手を放したら、バチンと音を立ててルフィの頬は元に戻った。
イテテと頬を押さえながら特に悪びれた様子も見せずにルフィが言うには、

「えーと、冒険だけど。」

その返答にナミは気が遠くなりそうだった。

「それがめちゃくちゃ面白くってさー!だからここになかなか帰ってこれなくて・・・・あ、怒ってるか?」

はっと思い出したかのように、心配そうに恐る恐るナミの目を覗き込んできた。
ルフィとバッチリ目が合うと、そのあまりに真剣な様子が可笑しくて、ぷっと吹き出してしまう。

「・・・・フフ、アハハハハ!」

ナミは大声を上げて笑わずにはいられない。
自分が予想したとおりの、あまりにもルフィらしい答えだったので。
こんなことってあるのだろうか。
けれどルフィはナミが突然笑い出した理由が分からず、明らかに怪訝そうな顔をしていた。

「この前、夢を見てさ。」
「え?」

笑いを止めて、聞き返す。

「ナミが怒ってる夢。」
「・・・・。」
「俺がおーいって手を振って、ナミはなんかしゃべってんだけど、声がぜんぜん聞こえねぇんだよ。でもすごい剣幕で怒ってるっていうのだけは分かって、ああそういや長いこと帰ってねぇなって、」

それで慌てて帰ってきたんだと、ルフィは言った。

「んで、飛んで帰ってきたら、ジュニアしかいねぇし。でも、今日帰ってくるって言うし、どうせなら驚かせようってジュニアが。なぁ、ジュニア!」

そうルフィが居間の奥、キッチンに向かって叫ぶと、ゆらりと黒い影が現れた。
今度こそ、ジュニアだった。
ジュニアはしてやったりというようなご満悦の顔だ。

「ジュニア、てめぇ!」

それまで驚きと混乱のあまり言葉を発せずにいたサンジがようやく口を開いた。
その声にルフィは首を回して玄関ホールの方を見やる。それで初めてサンジの存在に気がついた。

「あ、サンジだ。お前、老けたなぁ。」
「てめぇに言われたくねぇよ!それに会って最初の一言がそれかよ!」

言ってやりたいことは山ほどあったが、ここはぐっと堪えることにする。
ルフィはというと相変わらずひょうひょうとした顔をしている。
そしてその顔つきのまま言った。

「とりあえず、お前ら二人、どっか行け。」
「は?」
「邪魔。」

そうハッキリ言って、ルフィは腕をナミの身体に回し抱きすくめる。
あまりにストレートな言葉と態度に、ルフィ以外は全員が赤面した。
ナミは顔を上げようともがいたが、ルフィの手でがっちりと後頭部を押さえつけられて、無理矢理ルフィの胸に顔を埋める形となる。そのままルフィはニヤリと笑った口元をナミのオレンジ色の髪に押し付けて、上目遣いにサンジを見つめた。

(ったく、こいつは性質の悪りぃ)

サンジは観念して、ジュニアに向き直る。

「ハッ。おいジュニア、俺達はオジャマ虫だとよ。」
「そんな、また俺は除け者なの!?」

ジュニアの言い様が可笑しくて、サンジはこみ上げそうになる笑いを噛み殺す。
そして納得しかねるジュニアに近づいて、首に腕を回すと、ずるずると引きずっていく。
玄関先まで来て、ようやくジュニアを解放した。
胸ポケットからタバコを一本取り出して火をつける。煙をフーッと高く吐き出して、ジュニアを見下ろした。

「さぁて、どうしようかね?」
「・・・・。」
「別荘にでも避難するかー。」

この家にいたら、二人にアテられっぱなしになりそうで、それもぞっとしない。
それにこの時間なら、まだ別荘がある島までの定期便が出ているだろう。

「まったく、勝手なんだから。」

ジュニアが顔をしかめ、ため息まじりに我が親を嘆く。
けれど、その声は不思議と怒りは微塵も感じられなくて、逆に満足そうな響きをもってサンジの耳に届いた。
そんなジュニアの頭をポンポンと叩き、サンジは静かに笑う。

「じゃあ行くか。」

無造作に下駄箱の上に置いてあるナミの車のキーを取り上げる。
ドアを開けてジュニアを先に通した後、サンジは居間をもう一度振り返る。
灯りが消されたままの居間は暗いまま。
耳を澄ましても、もうルフィの声もナミの声も聞こえない。
サンジは暗闇をしばらく見つめ、やがて目を閉じ、ドアの外へと出ていった。

ゆらりとドアが閉じられる。
そこから先は、二人だけの世界となった。






さまざまな形の愛があり


誰もが愛を胸に生きている


もし誰かが尋ねたら、教えてやってはくれまいか


ここは愛のある島だと―――




FIN





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<あとがき或いは言い訳>
長くなったので(汗)、こちらに→

 

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