「そう、休講よ、休講! 夏休みまでもう間もないんだし、問題ないでしょ。え? ええ、夏休み中には戻るわ。じゃあ、後のことヨロシク!!」

思い立ったが吉日とばかりに、ナミは旅支度に追われた。
ナミが勤めている大学関係者にも電話を掛けまくる。
出航に向けての根回しだ。





愛のある島2  



act6:ナンバープレート


元々別荘に向かおうと旅の準備をしていたので、支度はそう時間はかからなかった。
ナミが所有している船はレジャーボートながら、常に相当程度の長期の航海にも耐えられるだけの備蓄がある。だから、あとは手荷物をどれぐらい持ち込むかだけだった。

ナミが荷物の運び込みのため忙しく自室と車を往復しているのを尻目に、ジュニアはすっかり不貞腐れていた。居間のソファに両腕を腕枕にして、ゴロンと横になったままだ。
嫌味のつもりなのか、はたまた顔を見られたくないのか、またもや麦わら帽子を顔にかぶせている。
その態度はいただけないが、ジュニアの仰向けに寝転んでいる姿形をしげしげと眺めては、やはりルフィに似てるなぁとサンジは思った。

「じゃあ、ジュニア、私たち行くから。」

支度を終えたナミが、最後にジュニアが寝転ぶソファの前、ちょうどジュニアの頭の位置にひざまづいた。
ジュニアは気配を感じているはずなのに、顔を隠したまま動かない。

「ご飯ちゃんと食べるのよ? 食べないと頭も働かないんだから。自分で作れるわよね?」
「・・・・・。」
「買い物にも行ってね。洗濯もして、たまには掃除もして。」
「・・・・・。」
「お隣は明日まで留守だけど、手紙をポストに入れておいたからね、アンタのことよろしくって。会ったらちゃんと挨拶するのよ?」

そこまで言って、ナミはハァとため息をつくと、今度は諭すように語り掛けた。

「そんなに拗ねないの。すぐ戻るわ。その間、ちゃんと勉強すんのよ?」

「私が帰るまできちんと家を守れたら、一人前って認めてあげる。」

「そしたら、もういつでも外海へ行っていいわ。」

そうしてナミは、麦わら帽子のツバからはみ出ているジュニアのオレンジ色の髪を撫でつけ、そこにいつもより長く、キスを落とした。
それでも、ジュニアは動かなかった。
ナミももう何も言わずに立ち上がり、サンジを目線で促した。

サンジはナミの後に続いて玄関先に向かうが、チラリとジュニアの方を振り返る。
少し可哀想な気がした。
ジュニアは、最後までナミが「一緒に行こう」と言ってくれるのを待っていたに違いない。

後ろ髪を引かれつつ、サンジはナミの車の助手席に乗り込んだ。
車が発進して、ナミの自宅から遠ざかる。
その時、玄関のドアが開き、少年が駆け出してくるのがバックミラー越しに見えた。
小さな人影が茫然と立ち尽くし、車を見送っていた。




***




ナミは黙々と運転を続ける。
サンジも話しかける言葉が見つからなかった。いや、問いたいことはあった。
どうして急に旅立とうと思ったのか。
しかし、ナミはいつになく思いつめた表情でじっと進行方向を見つめている。
気圧されて、気軽に声を掛かることができなかったのだ。
それでも、街中を抜け、緑の木々の風景が増えだしたところでようやくサンジがぼそっと呟いた。

「ジュニアも連れて来てやってもよかったんじゃない?」

ナミはちらっとサンジを横目で見て、そうねと割とあっさりと答えた。

「でも、ジュニアはまだ外海へは出られないのよ。」
「なんで?」
「あの子のパスポートを、まだ作ってない。」
「ああー・・・。」
「あれを作るのに1週間はかかるわ。だから、今日出発なんてどのみち無理なのよ。」

それならば、1週間後に出発すりゃいい。
もしもそれ以上待てば、ジュニアだって夏休みに入るんだし
何も今日すぐでなくてもよかったのではないか。
どうしてこんなに急いで発とうとするのだろう。

案外、あの写真の麦わら帽子はビンゴだったりして、とサンジは考える。
ナミはそれを早く確認したくて、それでこんなに急に動いているのでは。
それぐらいしか、ナミのこの行動を説明できない。

やがて車は今日の昼過ぎにサンジを出迎えた出入国審査所にまで辿り着いた。
サンジは今回入国したばかりですぐに出国することになった。今までで一番短い滞在時間だろう。

衛兵が立ち並ぶゲートを抜け、更に数分走ると駐車場があり、そこに車を置く。
出入国審査所は石造りの堂々とした古典様式の建築物の中にある。
そこへ二人で入っていく。
サンジはカテドラルアイランドの出入国を何度となく繰り返しているので、ここ所には何度も訪れている。
もちろん、ナミとも入ったことがある。
しかし、ナミと一緒に出国するべく入るというのは、初めてだった。

出国は、持ち出し品が特にない限り、入国よりも審査がはるかに簡便だ。
銀行の窓口よろしく、人々が並び、審査所に預けていた荷物(カテドラルアイランド内に持ち込み不可の荷物)を、手持ちのナンバープレートと次々交換していく。
サンジもまたポケットに入れていた真鍮製のナンバープレートを取り出し、窓口職員に手渡した。
代わりに預けていた包丁やペティナイフがサンジに返された。それらを手に持って眺める。愛用の品々がようやく我が手に戻ってきた感触を確かめた。

自分の用が済むと、サンジはナミを探した。
ナミはそこからかなり離れた、大理石の低いカウンターテーブルの前に座って、何か書類を記入している。
サンジが利用した手荷物交換窓口とは違い、喧騒から隔絶されたそこは、カテドラルアイランド国民用の出国審査スペースだった。
外国人とはえらい待遇が違いだなと内心つぶやきつつ、サンジナミの元へ近づいていった。

サンジがナミの席の隣に立った時、ナミがカバンの中から、一枚のプレートを取り出した。
ナンバープレートだ。サンジも先ほど愛用の品と交換したあのナンバープレート。サンジのは真鍮製で銀色だったが、ナミのそれは黄金色をしていた。
ナミはそれを職員に手渡す。

ナミもナンバープレートを持っていることが意外だった。
しかし、そういえば、入国してきたばかりのサンジが手にしていたナンバープレートを見て、

―――私も一つ持ってるわ

と、言っていた。
その時も、どうしてそれを持っているのか?と疑問に思ったものだが。

しばらくして、白い手袋をはめた職員が黒い皮革のケースを恭しく運んできた。
それがクリーム色の大理石のローカウンターの上に置かれる。
中を検めるべく、そのケースを開ける。ナミはその中に手を差し入れて、それをゆっくりと取り出した。

サンジは目を見開く。

それが、あまりにも懐かしい品だったので。



天候棒―――クリマ・タクトだった。



ナミの武器。


ナミが海賊であった証。



ナミは立ち上がり、その場でそれらを組み立て、素早く一振りし、保存状態を確認する。
もう一振り。棒の切っ先が空を切り、弧を描く。
一振りごとに、ナミの顔つきが変わっていく。
取り澄ました大学教授から、勇ましい海賊のそれへと。
従順な飼い猫が、恐ろしい雌豹に変わるかのごとく。

一通り振った後、ナミは恍惚とした表情で愛しそうにタクトを見つめると、そっと目を閉じ、それに口付けた。
次に目を開いた時は、そのまま上目遣いでサンジに視線を寄越す。
サンジと目が合うと、不敵な笑みを浮かべる。


魔女の微笑み。


海に、魔女が戻ってきた。




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