カテドラルアイランド領海を抜ければ、本当の外海だ。
ここから先は、いつなんどき海軍に攻撃されようと、最早文句は言えない。
ナミ達は、海賊なのだから。





愛のある島2  



act7:航海


出国審査を終えて出航すると、既に日が傾いていた。
しかし、夏の日は長く、まだまだ外は明るい。
傾きかけた太陽を追うかのように、船は広い大海原を征く。

白くシャープな流線型の船は小型ながらも客室を2つ備えていて、一つは寝室、もう一つはキッチン兼ダイニング兼居間となっている。ユニットバスも付いていて、船内の居住性はかなり高い。
けれど、今日は甲板でやたらとザーザーと水が流れる音がしている。
そしてサンジは先ほどから居間となる部屋に閉じこもっていて、目を閉じ、できるだけ水の音が聞こえないように耳を塞いでいる。

(こりゃ耳の毒っつーよりも、気の毒だ)

サンジは心の中で呟く。
この水音は、ナミが甲板で水浴びをしている音だ。
しかも衣服を全て脱ぎ払い、全裸で。




船が外海へ出て、大きな潮流に乗ったことを確認すると、ナミは操舵を止め、あとの航行は潮と風に任せた。
ここまでの航海を、ナミは淀みなくこなした。
ナミがカテドラルアイランドに移住して5年。その間、別荘のある島への移動のめに短時間の航行はしてはいたが、それはあくまでも内海でのこと。外海に出たのは5年ぶりだ。
しかし、ブランクなど全く感じさせない安定した航海術だった。

「海よ!海だわ、サンジくん!」

内海よりも激しい外海の波立ちに久しぶりに接したナミがはしゃいだ声を上げる。
ナミは船のへりで寝そべり、うっとりとした表情で波間を見つめ、しなやかな白い腕を海面へと伸ばす。
船は波に乗って上下して、海水に手が届きそうで届かない。時折、船体にぶつかった波が水しぶきを上げ、ナミの腕を、顔を、濡らす。
それだけのことで、ナミは朗らかな笑い声をたてた。
その時はまだ微笑ましい光景として見ていたサンジだったが、次のナミの行動には目を剥いた。
ナミはおもむろに立ち上がり、Tシャツの裾を交差させた両手で引っぱり上げ、脱ぎ捨てたのだ。
黒いブラだけの白い上半身が現れる。
サンジが声も出せずにいると、次にナミはGパンのベルトを緩め始める。
あっという間にそれも引き下ろす。まず黒いショーツに覆われたお尻が現れ、次に滑らかな白い太もも、緩やかな曲線を描くふくらはぎ、そして最後に足元でぐちゃっと絡まったGパンを蹴飛ばすように脱ぐと、キュッと締まった細い足首が現れた。
そのままナミは駆け足で助走をつけて船のヘリを蹴ると、惚れ惚れするような美しいフォームで、ザブンと海に飛び込んだ。

サンジは声も出せずに、その一連の動作を、ただただ息を詰めて眺めていた。
ナミは海中深く潜ったようで、なかなか浮上してこない。あまりに遅いので心配になった頃、海面が盛り上がり、ナミが顔を出した。水しぶきを振り払うようにプルプルと頭を振っている。
ホッとしたサンジに、ナミはあどけなくにっこりと笑って手を振る。サンジも力なく笑って手を振り返した。
その後もクロール、平泳ぎ、背泳ぎを交えながら、随分と長い時間をナミはひたすら泳ぎ続けた。
水を得た魚とはよく言ったものだ。
その昔、彼女を人魚と喩えたことを、サンジは懐かしく思い出す。今の彼女は、さながら人魚であった。
不意にナミが船に近づいてきたかと思うと、ポンと何かを船の中に投げ入れてきた。
見てみると、魚だった。
それはビチビチとイキオイよく甲板の上を飛び跳ねている。
ナミが素手で捕まえたのだ。

サンジもいつまでも突っ立っているのもナンなので、Tシャツと短パンに着替えて、甲板にデッキチェアを出し、ゴロリと寝転びすっかり寛ぎ体勢に入った。
しかし、船に上がってきたナミが次に取った行動には、声を上げて叫びそうになった。
ナミは、一度はユニットバスへと入ったものの、すぐにホースを一本を引っぱり出して甲板に戻ってきた。
それで何をするのかとサンジがじっと見ていたら、ナミは船の舳先に立つやいなや、背中に両手を回し、ブラのホックを外し、それをも取り払ったのだ―――




その後のことは、サンジは見ていない。
大慌てで船室に飛び込んだから。
それからほどなく、ホースから水がほとばしる音が聞こえてきて、ナミが水浴びをしていることが分かった。
おそらく、ショーツも脱ぎ捨てているということは想像に難くない。

とうに30を過ぎている。経験もそれなりに積んできた。
死線を越え、荒波をくぐり、ちょっとやそっとのことでは動揺しない肝も備えたはずだ。
それなのに、いまだにナミには動揺させられる。

目を閉じていると、一瞬だけ垣間見た、水が滴り落ちるオレンジ色の髪と、白くて張りのある流線を描く背中、可愛らしく浮き出た二つの肩甲骨、そしてその先に見えた柔らかそうな丸い胸のふくらみが、まぶたの裏に浮かぶ。
ナミだってもう30を超えている。しかしナミの肢体は、サンジが初めて出会った頃からそんなに変わってないようだ。いやあえて言えば、あの頃よりもずっと柔らかく熟して見えた。

今になって、ようやくサンジは気づいた。
そんなナミと、これからしばらくの間、船の上で過ごすのだ。
二人っきりで。

(大丈夫か俺?)

心の中で冷や汗が流れた。



***



夕食はナミが採った魚が饗された。
ふと、こんな風にサンジくんと二人だけで航海するのなんて初めてね、とナミが言った。

「そうだね。あーそういえば俺は、ルフィとヨサクの3人で船に乗ったことがあったなぁ。」

そうあれは、ルフィと出会ったばかりの時で、アーロンパークへと逃げたナミを追いかけていたのだった。
形は違うけれど、今はルフィを追いかけて、今度はナミと航海をしているのかと思うと、なんだか不思議な気持ちになる。

ナミがサンジの肝を冷やすような大胆な行動を取ったのは、航海初日だけだった。
翌日からはいつものナミに戻り、サンジとは堅苦しくない程度に打ち解けすぎない、着かず離れずの絶妙な距離感が保たれる。

毎夜ナミは寝室で、サンジはもう一つの船室(居間)のソファで眠った。
ナミはサンジを信用していて、二つの部屋を隔てるドアの鍵を掛けない。
もっとも、この程度のドアなら鍵が掛かっていても容易く蹴破れるのだけれど、それはナミのサンジへの信頼も蹴破ることになり、そんなことはもちろんできない。そんなことになるぐらいなら、海の藻屑になった方がマシだ。さすがにそれぐらいの分別は備えている。そんなサンジのことをよく分かっているから、ナミも鍵を掛けない。

しかし、日が経つにつれて、その信頼が重く感じるようにもなってきた。
ゾロが去り、ルフィもいないこの状況。
そして、常日頃の最大の安全装置であるジュニアが、今ここにはいない。
ジュニアがいれば、サンジは自然と伯父か兄のような役割を演じることができる。だからナミとはジュニアを介して、家族のような繋がりを感じていた。
けれど、ジュニアがいない今は、緩衝材無しにサンジはナミと直接対峙することになり、家族から仲間へ、もっと原点へと辿ると、ただの男と女に行き着いてしまう。
ナミがそれを意識しているか否かは定かではない。
いや、しているのかもしれないが、サンジほどには追い詰められてはいまい。
なぜならナミの心の中にはルフィが存在しているから。
ルフィの手掛かりを追い求めて、彼女はカテドラルアイランドを飛び出して、今まさに航海しているのだから。
分が悪いのはサンジだ。
サンジだけはナミを女として意識している。
しかもこれは明らかにサンジの一人相撲。
そう気がつくと、虚しさが涼風のように胸の奥に吹き込んでくる。

その一方で、ナミに無防備に目の前のソファで眠りこけられたりすると、昔の悪い虫が騒ぎ出す。
タオルケットを掛けるついでに、さりげなくタンクトップから剥き出しの滑らかな肩にタッチ。さくらんぼのように色づいた唇にかかる髪を掬い上げて耳に掛けつつ白い頬を指で擽ってその手触りを楽しむ。
ただ触れているだけなのに、イイ年してドキドキしたりして。
でも、かつては心から憧れて求めた女性なのだ。
ゾロに奪われ、ルフィに掻っ攫われるまでは。
そんなこと考えていると、いつの間にか自分の息がナミの前髪にかかるまで顔を近づけていた。
はっと息を呑んで顔を逸らす。

(イカンイカン。彼女は人妻なんだから)

(・・・・・・人妻ってのも、そそるものがあるよな)

(ってナニ考えてんだ。仮にもルフィの女なんだから)

(・・・・・うーん、それがまたいっそう)

こんな不埒な思考の繰り返し。

最近、こんなに心を乱されたことがあっただろうか。
良くも悪くも老成してきて、こんなにも気持ちをあっちに持っていかれたり、こっちに持っていかれたりなど、したことがない。
彼女に振り回されている。
いつも心がざわめいて落ち着かない。
身体はふわふわと浮いたように心もとない。
クラクラと眩暈がする。
ひどくイラつくこともある。
けれど、こういうのもいいものだ、とも思う。
凪のような何も無い日々よりも、大波小波で心動かされる日々の方が。
その先に全身が打ち震えるような感動が待っているような気がして。
気疲れもするけれど、それさえひどく心地も良いのも確かなのだ。

しかし、ルフィが沈んだ海域に到達する頃、ついにサンジはダウンした。
なんかもう、いろいろ限界で。

サンジはいつもナミが使っているベッドに寝かしつけられた。
薄目を開けて見てみると、枕元で心配そうにナミが覗き込んでいる。
ごめんねサンジくん、無理させちゃってと、その瞳が語りかけている。

(いいんだよナミさん。オレは貴女にこの身を捧げるために生まれてきたんだから)

そうカッコつけて心の中で呟いたまではよかったが、いかんせん目蓋が重くて否応なく視界は閉ざされる。
あっという間に深くて暗い眠りの世界に引きずり込まれていく。
唇に何か柔らかいものが触れた気がしたが、気のせいかもしれない。
でも、この言葉だけはやけに耳に残っている。


―――今まで、ずっと見守ってくれてありがとう


頭の中に直接響いてきたみたいだった。

(やめてくれよナミさん)

(それじゃぁまるで、別れの言葉みたいじゃねぇか)

でもすぐに思考に霞がかかり、どれが夢でどれが現実なのか、何も分からなくなってしまった。




←act6へ  act8へ→




 

戻る