誓い −10−





階下では、既に"拝謁の儀"が進行中だった。
女性達が次々と名前を呼ばれ、国王陛下のもとへと赴いていく。
玉座の前でひざまづき、深々と頭を垂れて、王の祝辞の言葉を受ける。
その間、頭を上げることはできない。
そして、玉座の前の階段を下りて儀式は終了となる。
それが順次繰り返される。

ナミもその順番を待っていた。顎を引いて、緊張した面持ち。遠目からでもそれが伺い知れた。
その様子を見て、居ても立ってもいられず、ゾロは階段の方へと身体を向けた。
しかし、すぐに背後から腕を掴まれる。

「てめ、何する気だ。」

サンジが、後ろに立つ父親達をはばかるようにして、小声でささやいてきた。
ゾロは振り返り、サンジを睨みつけた。

「ナミを連れて帰る。これ以上ここにいても無意味だ。こんな茶番、やってられるか。」

ゾロもサンジと同様に父親達に気取られぬよう話す。

「落ち着けって。お前が今儀式に乗り込んでいくのがどういうことか分かるか?」

頭の中ではサンジの言うことは理解できている。
その行動は儀式の妨害行為に他ならず、それは王に対して仇なす行為。
ゾロはもちろんのこと、ゾロの父、果てはナミもただでは済まないだろう。
だから、滞りなく儀式を済ませて、その後、目立たず騒がずこの場を退出するのが一番理にかなっている。

しかし、この儀式こそが、実質的な公への紹介の儀式で、ステーシア伯が最もナミに受けさせたかった儀式だと思うと、このままにしておくのは我慢ならない。
なぜむざむざと策略に嵌るような行為をしなくてはならないのか。
そして、そうせざるを得ないナミがいっそう憐れだった。

「とにかく、頭を冷やせ。ゆっくりと落ち着いてナミさんのもとへ行くんだ。そして、ナミさんを支えてやれ。」

舞踏会の後にナミが直面する現実を踏まえてのサンジの言葉だった。
そんな風に諭すように言われて、ゾロは自分を落ち着かせようと大きく息を吐いた。

その時、ナミの名前が読み上げられた―――ステーシア伯爵令嬢ナミと。
それにつられるように、ゾロは再び階下を見下ろす。

ナミがしずしずと玉座へと続く階段を上り、王の前にひざまづき、頭を垂れた。
王がナミの頭に手を掲げ、ナミへの祝福の言葉を呟く。
その後、ナミは顔を上げることを許された。
この儀式の最中に王の尊顔を拝せるなど、通常ならありえない特別な計らいだ。
王は笑顔でもってナミに何かを語りかけている。
王にとって、ナミは親友の娘であり、息子の幼なじみ。
小さい頃からナミのことをよく知っていることもあって、王の親愛の情が見て取れた。

これが、賭けなど介在しない普通の儀式だったら、いや少なくともステーシア伯の裏切りを知る前だったら、今のナミを誇らしく思ったに違いない。
しかし、知ってしまった今となっては、王のナミへの特別な待遇もナミの立派な立ち居振舞いも虚しく目に映るだけだった。

ゾロはナミから目を逸らし、ナミのもと戻るべく、階段を降り始めた。
だが、次の瞬間、会場全体から一斉に悲鳴が沸き起こった。
何事かと思い、足を止めて目を向けた時、あまりの事態にゾロは我が目を疑った。

ナミが、
ナミが玉座の前の階段下で倒れていたのだ。
先ほどまでつつがなく儀式を受けていたのに、どうして―――

そんな疑問を差し挟む間もなく、舞踏会会場からは次々に失笑の声が漏れ出した。
明らかに転倒したナミに対してのもの。


(ナミ!!)


ゾロは急いで階段を駆け下りた。
一刻も早くナミのもとへ行かねば。

脳裏で勝ち誇ったステーシア伯の顔が見えたような気がした。





***





当のナミは、動揺と恥ずかしさの余り、蒼白になってその場から立ち上がれないでいた。

早く立ち上がらなければ。そう思うのだが、下半身にも腕にも力が入らない。
まだまだ儀式は続く。今ナミは玉座への通路を防ぐようにしてうずくまっているので、儀式進行上の妨げになっている。自力で立ち上がれなければ、衛兵に担ぎ上げられてその場を退かされるという屈辱を味わうことになるだろう。

周囲の目は冷ややかにナミの失態を見つめている。
むしろ面白がっているような。
小娘一人の失態など、座興の一つに過ぎぬというように。

そんな視線に晒されて、ナミは全身が凍りついてしまった。
とても顔をまともに上げていられない。
俯きながら目を閉じ、必死で祈った。


だれか、


たすけて―――


その時、ナミの前に誰かが近づき、膝を着いたのが分かった。
そっと顔を上げると、そこには、



(ルフィ・・・)



「大丈夫か?」

そう言ってナミの顔を覗き込むルフィの表情は、いつものおどけたものではなく、真剣なものだった。
ルフィが、ナミの窮状を察して来てくれたのだと一瞬で分かった。

「ほら、立てるか?」

ルフィが手を差し伸べてくる。
ナミは藁にもすがる思いで、その手につかまった。

突然の王太子の登場に、会場を埋めていた失笑が一瞬で止んだ。この状況では、王太子をその対象にすることになり、それは不敬罪に当たるからだ。
それどころか、窮地に陥った女性に手を差し伸べる行為は紳士的ですらあり、とても絵になっていた。
粗暴な行動の多い王太子がこんな振る舞いを見せたことに、周囲の人々は少なからず驚き、むしろ感嘆の声すら上げたのだ。

そしてその様子を、ゾロは傍観者の一人のように眺めていた。
もう数十秒早く辿り着いていれば、ゾロもルフィと同じ行動に出ていただろう。
しかし、間に合わなかった。
ルフィに出し抜かれた。

(出し抜かれた?)

ゾロは、そんな風にルフィのことを考えたことに自分で驚いていた。

ルフィがナミの手を引いて玉座の前から退くと、人々の関心は再び謁見の儀に戻った。
ただ一人、ゾロだけはその場に立ち尽くして、2人を見つめ続けた。我知らず握り拳に力が入る。
ルフィが励ますようにナミの両肩に手を置いて、しきりにナミの表情を伺いながら話し掛けている。ナミも硬質な笑顔を向けながら応えていた。
少年のようだったルフィも、いつの間にかナミの背を上回っており、細身のナミといると、十分に男らしさを漂わせていた。
そんなルフィがナミと並び立つ。それを見ているだけで、ますます苦々しい気持ちになった。
おそらく、ルフィを睨みつけていたのだろう。だから、最初にゾロに気がついたはルフィだった。

「お、ゾロだ。こっちこっち!」

ルフィがナミの肩から手を離し、手を振ってくる。
その言葉を聞いて、ナミは弾かれたように顔を上げ、ゾロの方に向けた。
目が合うと、途端にやわらかな笑み。
ルフィに見せていたような硬い笑顔ではない。心から安堵感に満ちた笑み。
少し救われたような気がした。

「ナミ、大丈夫か?」
「うん、もう平気。ルフィが助けてくれたから・・・・。」
「助けたってほどのことしてねーけどな!だいたいそんな格好してるからズッコケるんだ!いつもの格好ならコケてなかったのに。」
「そんなこと言っても、こういうカッコするしきたりなんだから・・・・。」
「ふーん、ま、いいや。とにかくゾロがいるからもう安心だな。俺は向こうに戻るぞ。ゾロ、もうナミのそばから離れたりすんなよ!」

なぜだろう?
サンジと同じような言葉なのに、ルフィに言われる方が遥かに堪えるなんて。

また後でな!と言いながら席に戻っていくルフィをナミが呼び止めて「ありがとう」と呟くと、ルフィは振り返らずに手を振ってきた。
ルフィを見送った後、不意に腕に重みを感じた。
ナミが、ゾロの腕にすがってきている。
驚いて、ナミを見る。

「どうした?」
「ね・・・・お願い。どこか人のいない所に連れて行ってくれる?」

ナミの瞳から、今にも涙がこぼれ落ちそうになっていた。





***




庭へ続く屋外テラスは比較的人もまばらだった。
大きなガラスがはめ込まれた扉越しに舞踏会広間の喧騒が見える。音楽が途切れ途切れに聞こえてくる。
ナミはテラスへ出ると、庭とテラスを仕切る胸あたりの高さの欄干に両手を置いて立ち、灯された明かりと月光でぼんやりと浮かび上がる庭園を見るともなく眺めているようだった。

ゾロは数歩後ろに立ち、ナミの後ろ姿を見ていた。
いつもより、ずっとずっと小さく見えるナミの背中。ひどく儚げだ。
今にも月の光とともに、夜の闇の中に溶けていってしまいそうだった。

ここへ来るまでの間、ゾロは何度かナミに話し掛けたが、ナミは思いつめた表情をするだけで、何も語ってはくれなかった。
しばらくして、ナミは欄干に乗せている両の手の上にゆっくりと額を置いて、ポツリと漏らした。

「私って、ばか・・・・。」
「ナミ?」
「あんな肝心な場面であんな失敗するなんて・・・・転ぶなんて・・・・。自分で自分が信じられない。」

ナミの両肩が小刻みに震えている。

「自分ではもうちょっと出来る人間だと思ってたのに、とんだ買いかぶりだった。」
「ナミ・・・・。」
「ノジコにも、みんなにも協力してもらって、ゾロも巻き込んで大騒ぎして、それなのに・・・なんてお粗末な結果・・・・」

ナミが自嘲気味に言い募る。
ゾロが後ろから近づき、ナミの肩に手を掛けると、ナミはくるりとゾロの方に振り返った。
その時、ナミの両目から大粒の涙が一つ零れ落ちた。
そして、ゾロの軍服の胸元を両手できゅっと掴み、頭を寄せてきた。
瞬間、ゾロの鼓動が跳ね上がる。
そして、ナミはそのまま肩を震わせて泣き始めた。

子供の頃は、ゾロはよくナミを泣かせていた。
だから、ナミの泣いた顔は何度も見たことがある。
でも、ここ数年はナミの泣いたところなど、見たことがなかった。
いつもいつも明るくて、気丈に振舞っていたナミ。
そのナミが泣くなんて・・・・

ナミは、自分の失態で賭けに負けたと思い、それを深く嘆いていた。
ゾロの胸に顔を寄せたまま、ナミがなおも呟いた。

「せっかくお父様がくださったチャンスだったのに、フイにしてしまって・・・・本当にばか。」

それは違う。
ステーシア伯は最初からチャンスなど与えてはいない。
ナミが成功しようが失敗しようが、留学させる気など毛頭無かったのだ。
これは巧妙に仕組まれた罠。
だからさっきの失敗だって気に病むことはない。
結果など、始めから決まっていたのだから。

それなのに、ナミは父親のことを信じて疑っていないのだ。

ナミに伝えるべきだろうか?
けれど、
ナミに伝えてなんになる?
ただでさえ、打ちひしがれているというのに。
その上、父親の裏切りを知ったら、どんな思いになるだろう?
悲しみが増えることはあっても、減ることは決してないはず。
それならば、せめて父親への信頼は打ち砕かず、守ってやるべきではないか。

伝えないでおこう。少なくとも今は伝えるべきではない。
そしてもうひとつ、決断した。
父親にはできなくても、他の男達にはできなくても、自分ならできることがある。
いや、自分にしかできないことが。

「お父様はもう二度とこんなチャンスはくださらないわ。私は行けない。もうどこにも行けないんだ!」
「ナミ。」

自分にできうる限りのやさしさで、名前を呼び、胸にすがるナミの両肩に手を置いた。
震えるな、自分の手。少しでもナミを安心させられるように。
ナミがすがれるほどの手になるんだ。

「どこにも行けないのよ、これからもずっと!一生この国に縛りつけられたまま!」
「行けるよ。」
「行けないわ。気休めはやめて!」
「行ける。」
「ゾロ!お願いだから、」

そんなこと言わないで

ほとんど泣き叫ばんばかりになりながら、ナミが顔を上げてゾロを見た。
ゾロとナミの視線がぶつかる。

「俺が、俺がいつかお前を連れて行ってやる。」

ナミの目が大きく見開かれた。

「必ず行かせてやるから。だから、」


だから、もう泣くな


驚いたナミが、意味を必死で推し量るかのようにゾロを見つめてくる。
その視線に耐え切れなくなって、今度はゾロが自分からナミの身体を抱き寄せた。
ナミの頭を自分の胸に納め、ゾロはナミの肩に顔を埋め、思い切り抱きしめる。
力いっぱい抱きしめる。
柔らかな身体と、ナミ自身の優しげな香りに眩暈がする。
鼻の奥がツンとなる。


されるがままだったナミの手がゆっくりと上がり、ゾロの背にそっと添えられた。
それだけのことだったが、とても衝撃的だった。
でも、自分の気持ちが通じたように思えて、喜びとも驚きともつかぬものがゾロの全身を駆け巡る。

「本当に・・・・本当に連れて行ってくれる・・・・?」

ゾロの胸元から、ナミのくぐもった声が響く。
そして、再びナミが顔を上げてきた。
間近で見るナミの瞳はまだ涙で揺れていたが、悲しみだけではない別の表情が浮かんでいる。


「ああ、約束する。俺を信じろ。」


そう言うと、ナミの瞳から、また一粒涙がこぼれ落ちた。



やがて、見詰め合う二人の顔がどちらからともなく近づき、

生まれて初めて、
二人の唇が重なった。






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