誓い −9−





ルフィの父であり、とある国の第16代目の国王が、気さくに手を振りながら入場してくる。
人々は敬意と親愛の情を込めて次々に頭を下げる。

ルフィやエースと同じ黒髪に堂々とした体躯。
性格は温厚だが、いざという時は決断力や統率力を発揮するというのが民衆達の国王評だった。
先代の王の意志を受け継ぎ、内政重視を推し進めてきた。
政治手腕を発揮して頻発していた戦争や内乱を沈静化。
外交面では他国と次々と停戦協定や不可侵条約を結び、とある国に長い平和の時代をもたらした。

そんな国王の後を、ルフィが歩く。濃紺の詰襟服に白いマントを付けている姿だった。

ゾロは、ルフィを見て少しばかり驚いた。
立太子の礼を受けてからも、ゾロが会うルフィは王子時代となんら変わらなかった。
明るくて、溌剌としてて。
それなのに―――

「つまらなそうな顔してるわね。」

ゾロの内心を代弁するかのようにナミが言った。
そう、今日のルフィはいかにもこの場にいることが不本意だ、という態度が見て取れる。

ルフィは第二王子であったので、第一王子が受けるような帝王学を学ぶことが無かった。
それだけでなく、性格的にも型にはまったことや窮屈なことが嫌いなので、こういう式典に出ることにも我慢ならないようだ。
ゾロは、公式の場で王太子として振舞う姿をほとんど見たことが無く、またこんなに精彩を欠いたルフィを今まで見たことが無かった。

国王が玉座に着席すると、音楽がまた元に戻り、人々も再びダンスに興じ始めた。

「なぁ、ナミ」
「なに?」
「ルフィって、こういう場所ではあんななのか?」

先日、ゾロ達がイースト宮(王太子の宮殿)へ出向いた時のルフィは全然違う。
それに対し、ナミは少し肩を竦めてみせた。

「そうね。というか・・・・ルフィ、王太子になってからどんどん元気が無くなってきたの。なんだかまるで・・・・」



翼をもがれたみたいなの



自由に大空を飛びまわっていた鳥が、小さな籠に閉じ込められて、大人しく飼いならされて。
瞳は今も空の向こうを見つめているのに。
そんなイメージがゾロの脳裏に浮かんだ。

「私も気になって、なるべく頻繁にルフィに会いに行くようにしてるの。なかなか思うようには会えないんだけどね。」
「そうか。」
「ねぇ、ナミ。そろそろ時間よ。」

そこへカヤが話し掛けてきた。

「あ、そうね。」
「時間てなんだ?」
「"拝謁の儀"よ。今日のメインイベント。」

"拝謁の儀"とは、今夜デビューした新人女性が国王にあいさつし、祝福を受ける儀式だ。
御前舞踏会ではこれを受けて晴れて社交界の仲間入りになるとされている。
この儀式では、女性一人一人が玉座の前まで行かなければならない。
たった一人で国王の前に立つことなど、人生のうちでそうそうあるものではない。
ましてや今日初めて公式の場に出てきた女性ばかりである。緊張の余り倒れる人もいるくらいだ。
しかしここでの失敗は、衆人環視にさらされることになるので、なんとしても避けたい。
この儀式をソツ無くこなしてこそ一人前というところか。

「そろそろあちらに集合しておいた方がいいんじゃないかしら。」
「そうしましょう、そうしましょう。」

新人女性は一ヶ所に集つめられ、そこから名簿の順番に名前を呼ばれて儀式を受ける。
昔は別の日に行われていたが、儀式の簡略化が進み、舞踏会の日に一緒に済ませてしまうようになった。
今では、この名前の読み上げが、同時に公への紹介も兼ねている。
男性陣はここで名前と素性をチェックし、ちょっと気に入った娘がいれば、この後のダンスに申し込んだりする。もっと気に入った娘がいれば縁談の申し込みへと発展していく。

移動しようとして、不意にナミが顔を上げた時、何かに気づいて、ある一点を目をこらすように見つめた。
そして、笑顔を見せて、右手を上げて親しげに振る。
ゾロも追うようにナミが見つめる先を見上げてみた。
吹き抜けの2階に、サンジが立っているのが目に入った。
こちらに向って手を振っている。

「ゾロ、サンジさんが呼んでるわ。何か用があるんじゃない?行ってあげたら?」

そうは言われたものの、咄嗟に判断がつきかねた。
逡巡していると、

「拝謁の儀が終わるまではゾロに用は無いから行ってきていいわよ。その代わり、私の番が終わるまでに戻ってきてよ?儀式の後は、すぐにダンスしなくちゃならないんだからね!その時そばにパートナーがいなかったらカッコつかないもの。」

そして、ナミは更にこう付け加えた。


「私、ゾロ以外と踊る気ないからね。」





***





階段を上ってサンジのもとへ行く。
サンジはゾロと同じ軍服姿。
同じ軍人仕官学校生なのだから当然なのだが、

おそろい

という言葉が頭に浮かんで、ゾロは顔をしかめた。

遠くから見てた時から、サンジは手のジェスチャーで『シッ!シッ!』とまるで犬猫を追い払うような仕草をしていた。
それが近くまで寄ると、ビシッと指を差されていきなり言われた。

「ロロノア・ゾロくん、50点減点!」

訳がわからず、ゾロは思いっきり怪訝そうな顔をする。

「なんだいきなり。」
「クソ馬鹿野郎!なんでお前がここに来るんだ!」
「てめぇが呼んだからだろ。」
「俺は呼んでねぇ!ナミさんに手を振っただけだ!」

ゾロはますます顔をしかめた。
そんなゾロにお構いなしにサンジは喚きたてた。

「ああ、ナミさん、めちゃくちゃキレイだったなぁ〜vvv ドレス姿があんなに似合うとはな!・・・それにお前もダンス上達したよな?」

そう言いながら、にやにやとした目でゾロを見てくる。
確かに先ほどナミと踊った。
だから誰かに見られているのは当然のことなのに、サンジに見られたかと思うと急に気恥ずかしくなった。

「お前は誰と来たんだ?」

思わず話を逸らすゾロ。

「俺は手伝いで来たんだ。」
「手伝い?なんの?」
「今日の料理はうちの店の提供なんだよ。だから厨房の手伝い。」
「へえ。で?今はサボリ?」
「ちげーよ!ノルマこなしたから、無罪放免されたんだ!さぁ、これから相手探しだ。」
「そいつはご苦労さん。」
「お前、なんか馬鹿にしてるな?ちょっと自分はかわいいパートナーがいるからって。」
「いや、別に。」
「今、優越感で輝いてんぞ、お前の顔。」
「お前が卑屈になってるだけだろ。」
「否定しないところがむかつくぜ。まあいい。ここでかわいい娘を捕まえて、この冬期休暇中に絶対に済ませてやる。」
「済ませる?」

ゾロが訊き返すと、サンジは男なら決まってんだろと意味ありげに笑っている。
それで思い当たる。初めてサンジと会った時に投げつけられた質問。

『済みか?まだか?』

「お前なぁ・・・。」
「ま、お前もがんばってみろ。無理とは思うがな。」

呆れ口調で言っても、サンジ悪びれる様子もなかった。

「あ、そうだ。後で俺もナミさんと躍らせてくれよな?」
「はぁ?!」
「いいだろ?一回くらい。」
「それ、無理。」
「なんでだよ?」

ゾロの断言にサンジが眉をひそめる。

「俺以外とは踊る気は無いって言ってたから。」


“私、ゾロ以外と踊る気ないからね”


正直、あの言葉は心に響いた。

「うわー、こんなマリモのどこがいいんだろー・・・・ってそれどころじゃない。だからお前、こういう場所でレディのそばから離れるヤツがあるかっての!」

サンジが急に思い出したように、またもやゾロに指を突きつけた。
そう言われて、ゾロが2階から1階を見下ろすと、拝謁の儀に望むべく待機しているナミ、カヤ、ついでにウソップの姿が目に止まった。
あのオレンジ色の髪の色は、どこからでもすぐに見つけられる。

「儀式が終わる頃には戻るから。」
「あほう!今すぐ戻れ!速攻で戻れ!ナミさんのそばに行け!そして片時も離れるな!俺がこの賭けの審査員だったら、まずお前を即失格にしてるぞ。」
「そういうものなのか?」
「そういうもんだ!」

もう一度階下を見る。なるほど、ウソップは模範的だ。ピッタリとカヤに付き添っている。

「分かったよ、戻るよ。」

勘念してサンジのそばから離れようとうした。


「やあ、ゾロ。」


突然名前を呼ばれて、一瞬驚きでゾロはその場に立ち尽くした。
振り返ると、

「伯爵!・・・・父上!」

そこに立っていたのは、ナミの父親のステーシア伯爵とゾロの父親のロロノア公爵だった。
ステーシア伯爵は現在この国の財務長官、ロロノア公爵は国防長官。どちらも現国王に仕える側近であり、かつ、とある国の重鎮だ。

「久しぶりだな、ゾロ。ちょっと見ない間に随分たくましくなって。これはお父上も先が楽しみだろうね。」

伯爵そう言って笑いながら、ゾロの父の顔を覗き込んだ。
公爵は"まだまだ"という風に苦笑いした。

「ところで、こちらは?」

伯爵がサンジの方を見ながら言った。

「仕官学校の同級生のランスール・サンジです。」

ゾロがサンジのことを紹介すると、サンジが父親達に恭しく礼をした。

「ランスール伯爵の?おお、お孫さんがいるとは聞いていたが、こんなに大きいとは思わなかった。」
「お父様よりおじい様に似ていると言われないかい?お若い頃のゼフ卿にそっくりだ。」

サンジは自分があのクソジジイと似てるなんて冗談じゃねぇ、と内心思いながらも表情は崩さずにいた。
ポーカーフェースはランスール家の信条だ。

「あの、祖父をご存知なんですか?」
「そりゃそうさ!彼の料理は天下一品だからね。」
「私達も公私にわたってバラティエ城にはよく足を運ばせてもらってるよ。」
「むしろ、足繁く通う常連客である私達のことをキミが知らなかったことの方がショックだね。」
「も、申し訳ありません。まだ修行が足りないものでして。」

珍しくサンジがすっかり恐縮して頭を下げた。

「なーに、冗談だよ。」

ステーシア伯爵が朗らかな声をたてて笑いながら、サンジの肩をバンバンと叩く。

「ところでゾロ、今夜はうちの娘のワガママに付き合わせて悪かったね。」

ステーシア伯爵が、ゾロに向き直り、改まった態度で切り出した。
ナミと伯爵との賭けのことを指しているのだろう。

「いえ、そんなことは。」
「ナミには困ったものだ。いつも無理難題を要求してくる。今度は国外留学だって?我が娘ながらどうしてあんなに突拍子もないことを思い付くのか。」
「それがナミの魅力だよ。お前も実はそう思ってるんだろう?」

やれやれと頭を振るステーシア伯爵に対し、今度はロロノア公爵が笑顔でフォローするように言った。

「しかし・・・・今夜、なんとかあのじゃじゃ馬娘を社交界に引っ張り出すことができた。これで誰かに見初められて、早くどこかに縁付いてくれると私も安心なんだが。ノジコは片付いたし、後はナミだけだ。」
「ナミはあれだけの美人なんだ。すぐに良縁が見つかるよ。」
「そうだといいんだが。」

ああ、やはり。
やはりステーシア伯爵の賭けの目的はそこにあったのか。
ナミを社交界入りさせて、早く結婚させる。ノジコと同じように。姉くいなと同じように。

「残念ながら、"早く"というのは無理そうですね。おそらく、ナミは賭けに勝つでしょう 。」

我知らずゾロは得意満面な顔をして、伯爵に告げていた。
この賭け、もう勝利は目前。これまでナミは大きな失敗はしてないし、今後もありそうにない。
ナミは本番に強い性質なので、それは十分予想できた。
賭けに勝てば、いよいよナミに留学の道が開ける。
留学期間は留学先の国の学制によって異なるだろうが、おそらく最低でも2年間は、ナミの縁談は遠のくことになるだろう。

それにもかかわらず、ステーシア伯は少し不思議そうな顔をして、ゾロを見つめ返してきた。
ゾロもそれに気づいて、緩んだ表情を引き締めた。

「ゾロは・・・・ナミが賭けに勝ったら、私が留学を許すと本気で思っているのかい?」

ステーシア伯のその言葉に、ゾロもサンジも同時に彼を見た。

「私が年端もいかない娘を国外に送り出すと本気で?―――まさか。そんな訳ないだろう。」


なんだって?


ゾロは声も出せずに伯爵の言葉を聞き入った。

「とある国が各国と不戦協定・不可侵条約を結ぶようになったとはいえ、正常に国交が回復しているのはアラバスタ王国だけだ。ではアラバスタにナミを送り込むか?いいや!アラバスタはまだ近隣国との戦争に晒されている。そんな危険な国に娘を行かせられるわけがないだろう?」

ゾロは自分達が拠りどころにしてた足元の土台に亀裂が入ったのを感じた。
信じていたものがボロボロと崩れて落ちていく。

「でも、それでは・・・・約束が、約束が違うじゃないですか!」

湧き上がる怒りを辛うじて押さえていた。

「私は『留学について考える』と言っただけだ。何も許可するとは言ってない。」
「しかし、ナミは!」

父親の留学の許しが出ることを信じていたのに。
この日のためにナミがどれだけ必死で努力してきたか。
たったの数週間ではあるが、それを間近かで見てきた。
カゴの中の鳥のようなナミが、羽ばたける唯一のチャンス
このチャンスを逃すことはできないと―――

「ナミが勝手にそう思い込んでいただけだ。賭けの勝敗がどうであれ、前提条件がどうであれ、私はナミを国外へやる気は無い。」
「そんな…!! じゃあナミが賭けに勝った時、一体ナミに何て言うんです?!」
「『国の許可が下りなかった』『相手国側が拒否した』『前例がない』・・・理由はなんとでも言える。」

どれもナミにはどうしようもない理由ばかりだった。
父親の許可があっても実現するものでもないのだと、ナミは思うしかないだろう。
それでも、ゾロは思わず口走っていた。

「それにしても、やり方が汚なすぎませんか!」

許可する気もないのに留学を餌にして、よりによってナミが最も忌避する結婚のために社交界へ引っ張り出すなどと。

「ゾロ、口を慎め。」

ゾロの父親から警告が飛ぶ。
それをステーシア伯が手で制する。

「いいんだ。でも、ゾロ、これだけは分かってほしい。これがナミのためなんだよ。」

父親としての、思いのこもった伯爵の言葉。
でも、ゾロには分からなかった。ゾロの心には何一つ響いてこない。
ただ分かるのは、このことを知ったら、ナミが嘆くだろうということだけ。
一体どんなに悲しむだろう?
まさか父親に裏切られるなんて―――

不意にサンジの顔を見た。
サンジもゾロを見返して、悲しげに頭を振る。

なんということだろう。
このまま伯爵が翻意しなければ、ナミの留学の道は永遠に絶たれる。
ナミが父親の庇護の下から離れない限りは。
ナミが父親の支配下から逃れられるのは、皮肉にも結婚する時だけだ。
けれど、それは決して自由を意味しているのではない。
夫という新たな支配下に入るということに過ぎないのだから。
その夫がナミの留学を許可すれば別だが―――

(馬鹿な。せっかく結婚した妻の留学を許す夫などいるわけがない。)

ゾロは絶望的な気持ちになった。

やはり、ナミはカゴの中の鳥なのだ。
一生自由に空を飛べることは無い。


"翼をもがれたみたいなの"


ルフィを表現して言ったナミの言葉。
それはそのままナミにも当てはまる。
いや、ナミの場合、一度も羽ばたくことすらできずに・・・・


目の前が暗くなる思いになりながら、ゾロは階下のナミに再び目を向けた。






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