誓い −8−





一般に王宮と呼ばれる「サウス宮殿」は、とある国の第7代国王が造営した。
第7代国王は戦上手で、隣接する列強をことごとく撃ち滅ぼし、とある国の大国化の基礎を築いた。
その過程で、それまで内陸の一小国に過ぎなかったとある国が、ついに海と接する領土を手に入れた。
この海によって、とある国はかつてない繁栄を迎える。

国王はその富と覇権の象徴として、当時最高の技術と芸術を駆使し、『サウス宮殿』、『ノース宮殿』、『ウェスト宮殿』を建立する。
そして、行政機能をサウス宮に、後宮機能をノース宮に集約した。
それまで使われていた王宮は『イースト宮殿』とその名称を変え、しばらくは離宮として使用されていたが、後年には成人した王太子の宮殿とされるようになった。



今、サウス宮殿の車寄せには、御前舞踏会に出席する人々の馬車が次から次へと到着し、付近一帯は大変な喧騒だった。
ゾロは御者に車寄せから少し離れた場所で停車するよう頼んだ。
車寄せに横付けしようとしたら、かなり順番を待たねばならないと判断したからだ。
幸い今夜は天気もよく、夜空には白い月が輝いている。
少しくらい歩くのも悪くない。

ゾロが先に馬車から降り、後のナミの乗降を助けるために手を差し出す。
車の奥から、白い手が現れ、ゾロのそれに添えられた。
その手は微かに震えていた。
果たして、姿を現したナミの表情は青ざめているといってもよかった。
これは相当な緊張ぶりだ。
ナミがこんな状態になるのを、ゾロは初めて見た。
物事に聡いナミは、仲間達の中でも一番順応性が高い。そのナミがこんな状態になるとは。
先ほどまで、ナミは興奮気味に自分の夢について語っていたのに、今は見る影もない。
夢を語ったことが、逆に今日という日の重要さを思い知ることになり、返ってプレッシャーとなってしまったようだ。

(まずいな)

これはどうにかしてほぐさないと。しかし、どうやって?

ナミがちゃんと地面に足を下ろしたことを確認すると、今度は宮殿の玄関へ導こうとするのだが、彼女はすっかり硬直してしまって動かない。

「ナミ。」

ゾロの声にナミはビクリとした反応を返し、瞳だけをゾロに向ける。

「なに?」
「大丈夫か?」
「大丈夫よ。」

しかし、相変わらずナミは動かない。

(どこが大丈夫なんだ)

ため息をついて、ゾロは捨て身の戦法に出ることにした。

「ナミ!ほら、これを見てみろ!」

大声を張り上げて、ゾロは今降りたばかりの馬車の車体の側面を指差す。

「ど、どうしたの?」

驚いたナミは、先ほどよりは滑らかに顔をゾロの方に向けた。

「いいから、早くこれ見てみろって!」

更に言い募り、ナミの手を掴んで思いっきり引っ張り、二人して馬車のそばに近寄る。
ゾロはそのまま車体の表面に指を沿わせ、その差し示す場所を凝視した。
ナミもゾロの様子に「何か馬車に異常でもあるのだろうか」と心配になり、同じようにゾロの指先を見つめた。

「何?傷でもついてるの?」
「この指の先に何があるか分かるか?」

そう言われて、ナミは目を凝らしてゾロの指先が差し示すものを睨みつけるが、そこには黒い塗装の滑らかな表面があるだけで、特に損傷は無いように思える。
ゾロが気づいて自分が気づかないものがあるのだろうか?
どうして?なぜ、自分には見えないのだろう?
そんな焦りが募り、ナミが少し苛立ったような声を上げた。

「わかんない!指先に一体何があるっていうのよ!?」


「爪。」


「・・・・・。」
「・・・・・。」


瞬間、ガクッとナミの肩から力が抜け落ち、同時にナミは顔を伏せて、はぁ〜と大きなため息をついた。
次に顔を上げた時には、いつもの勝気な表情が戻っていた。

「何、つまんないこと言ってんの!!」

ナミは怒りの声を張り上げると、ゾロの首を勢いよく絞めにかかった。

「おわっと!やめろって!今日はそれはマズイだろ!」

その言葉に、ナミは我に返ると、パッとゾロの首から手を離した

「しまった。つい、いつもの調子で。誰かに見られなかったでしょうね?」

2人してキョロキョロと辺りを見渡すが、車寄せから少し離れたところで馬車から降りたのが幸いした。付近には誰もいなかった。

「大丈夫みたいだな。」
「でも、あんまりアホなことしないでよ。力抜けちゃうわ―――って、もしかして、それが狙いだったの?」

ゾロがニヤリと笑う。

「おっどろいた。ゾロがこんなマネするなんて。ウソップ達に会ったら報告しなくっちゃ。」
「バカ、やめろ、てめ!」
「冗談よ。ありがと。緊張をほぐしてくれたのね。」
「緊張のために失敗するなんて目も当てられないからな。どうせなら実力で堂々と失敗した方がいい。」
「あのねぇ。縁起でもないから、あんまり失敗失敗って言わないでくれる?」

ナミが苦々しげに笑いながら言った。





***





“王侯の間”と呼ばれる大きなホールが、今夜の舞踏会会場だった。
ここは、サウス宮殿の中で最も格式の高い広間である。
立太子の礼、戴冠式、婚礼の儀、葬儀などの国王の一生にまつわる大切な行事の全てがこの広間で行われる。

両開きの扉は大きく、3mはあるかと思われた。重厚な造りで、職人芸の微細な細工が施してある。
その扉の向こうに続く“王侯の間”は、3階まで吹抜けの大空間で、遥か上の天井から大きくて精巧な装飾の美しいシャンデリアがいくつも下がり、大きな広間全体をやわらかく照らしていた。
床はクリーム色の大理石を基調としながら、ところどころに黒い御影石を幾何学模様的に配してある。
そして一番奥の上座に、一般の床よりは3段ほど高い上段の間があり、そこに玉座が置かれていた。

また、一方の壁際にはガラス張りの扉がいくつも並んでおり、その向こうに庭が見える。灯りが点されているようで、夜であるにもかかわらず、かすかに緑陰が見えた。舞踏会中、庭へも自由に行き来できるようになっているようだ。

オーケストラが聞き覚えのあるワルツを演奏している。
その音楽に合わせ、中央では既に多くの人たちがダンスに興じていた。

国王陛下はまだご臨席になっていないようだ。
だから、どことなく、ゆるやかな雰囲気が漂う。
国王陛下がいるとこうはいかない。
ゾロとナミは、ルフィの立太子の礼に出席した時にこの広間に入ったことがあるが、その時のみなぎる緊張感が忘れられない。

広間に入ったものの、この後どうすればいいのかよく分からなかった。
二人は、とりあえず他の人々に倣って踊ってみることにした。
今日こそ、今までの練習の成果を発揮する時だ。

「いくぞ!」

ゾロがナミに手を差し出す。

「ええ!」

今度はナミもそれはそれは優雅にその白い手を置いた。
掛け声が、どこか何かの競技会にでも出場するかのようであるが、当人達はいたって真面目なのである。
二人は目を交わし合うと、ゆったりとした足取りで広間の中央へと歩いていった。
開き直ってしまうと二人は強い。また、本番にも強い。
ナミの館を出立する時のようなぎこちなさは、今は全くといっていいほど消えていた。


その登場に、踊っていた人々が一瞬目を二人の方へ走らせた。
ゾロは、この国の最高学府の軍人仕官学校の制服を着用している。これだけで、年頃のお嬢さんを持つ親達から注目の的だ。上背もあり、歳の割りに実に威風堂々としている。
ナミも、純白のドレスがよく映えて、やわらかなシャンデリアの光を全身に浴びて、輝くばかりの美しさだった。
また、とても今日デビューする人々とは思えぬ物怖じしたところのない、堂々とした身のこなしに、周りから嘆息が漏れた。
周囲の人々は、その初めて見る顔に、「一体どちらのご子息とご令嬢かしら?」と囁き合っている風な様子であった。

ダンスの練習を始めたばかりの頃は、ゾロはナミに触れるのが恥かしくて仕方がなかった。
組む際に重なる手は柔らかで、握っているといつまでも握り締めていたくなる。
腰に置いた手は、それだけでは物足りず、腕をどこまでも回したくなる。

こういう意識が働いている間は、全然ダンスに集中できず、上達しなかった。
しかし、一緒に練習していたウソップ・カヤ組がメキメキと実力をつけてくると、元来負けん気の強いゾロとナミは急にやる気になった。
集中して練習すると成果も上がる。成果が上がると、ダンスというものが面白いと思えるようになった。
上手くなると、どんなスポーツでも楽しく感じるのと同じ心理だ。
だからといって、他の誰かと踊りたいわけではない。
ナミ以外の相手と踊りたいかと問われれば、首を横に振るだろう。

そして今では、踊りながら周りに目を配ったり、ナミと会話を交わす余裕もできた。
これも練習を積んだ成果のなせる技である。

「すごい人出だな。一体何人ぐらいが出席してるんだろう。」
「まだまだ増えるんでしょうけど・・・500人くらいじゃない?」
「500人?! そんなに?・・・・それにしても、けっこう年寄りが多いんだな。」

ゾロはザッと辺りを見渡して言った。
今日はナミのように社交界デビューをする新人が多い舞踏会なのだと思っていた。
それなのに、けっこう中年や白髪混じりの人々が多い。

「そりゃ、もともと社交界なんだもの。そういう人達が主流でしょ。それにきっと、デビューする子達の親が一緒に来てるんだわ。」

なるほど。愛する息子や娘の晴れ舞台を一目見ようというわけだ。
しかし、周りにいる団体構成を見ていると、どうも親兄弟ばかりではなさそうだ。
一族総出でこの栄誉あるイベントを見に来ている、という感じである。

果たして、自分達家族はどうだろう・・・・。

「そういえば、今日は伯爵は?」

ナミの姉のノジコは確か後から来るとか言ってたな、と思い出しながらゾロは訊いた。

「お父様は早朝から王宮に行ったきり。たぶん、国王陛下と一緒にこの会場に来るんじゃないかしら。ゾロのお父様、お母様は見にいらっしゃるの?」
「親父も国王陛下や伯爵と行動を共にしているはずだ。お袋はもともとこういう催しものが苦手だしな。」

来るわけねぇよ、とゾロが言うと、
そうだったわね、とナミが呟いて、続けて訊いた。

「くいなは?」
「姉貴はおそらくダンナと一緒に来るんじゃないかな。どうだろう。」

ゾロの姉のくいなは、一昨年前に嫁いでいた。

「なんか、私達ってすごく寂しい境遇ね。一応、人生の晴れ舞台だっていうのに、だーれも熱心に見に来てくれないんだもの。」

そんなことを言いながら、ナミはクスクスと笑う。
その言葉に悲壮さやみじめさはちっとも含まれていない。
こんなことは小さい頃から慣れていた。
自分達の親は国の重鎮としての役目が忙しく、今までもろくに子供達にかまってなどいられなかった。
だから、普通の親達なら子供にするようなことも、特にされたことがない。
でもそれで困ったり、寂しく思ったこともない。
子供達が寄り集まって助け合い、たくましく育ってきたから。


「ま、別にいいさ。」


俺にはお前が、お前には俺がいるんだし


危うくそんなことを言いそうになって、ゾロは慌てて口をつぐんだ。


「あ、ウソップ達だわ。」

そんな時、ナミがゾロの肩越しに、広間に入ってきたウソップとカヤを見つけた。
二人は踊りを中断して、彼らの方へと向かう。

この日、ウソップも正装してはいたが、やはり目はカヤの方へ行ってしまう。
ナミと同じく純白のドレスだが、スカート部分がふわっと膨らんでいて可愛らしい。襟元はナミよりもずっと詰まってて、とても慎ましやかな印象を与えた。
最初、型どおり挨拶を交わす4人だったが、ナミはすぐにウソップの様子がいつもと違うことに気がついた。

「どうしたの?なんだかすごく嬉しそうね。」
「そ、そうか?」
「ええ、そうよ。どうしたの?何かあったの?」

とぼけるウソップに問い掛けた後、カヤの方を見た。カヤなら何か知っているのかと。
しかし、カヤも頬を赤く染めて俯いてしまった。
それでピンと来たナミは、目をキラリと光らせて、更に執拗に答えを迫った。

「何よ。白状しなさいよ!」

ウソップとカヤは恥ずかしそうにお互いの顔を見ながら、「カヤから言えよ」「いや、ウソップさんから言って」、としばしの押し問答を続けた。
その微笑ましい様子を見つめ、ジリジリしながらゾロとナミはひたすら回答を待った。

「ハハハハハ。実は・・・・俺達、婚約したんだ・・・・。」

ようやくウソップが自白した。しかし、その衝撃的な告白に、

「婚約?!」

ゾロは大声を張り上げてしまった。

「マジかよ・・・・。信じられねぇ・・・・ってイテ!」

更にそこまで呟いてしまったところで、ナミにわき腹をつねられた。

(めでたいことなのに、水を差すようなこと言うんじゃないの!)

ナミを見ると、目がそう語っている。
その後ナミは何事も無かったように、二人交互に笑顔を向けて言った。

「素晴らしいわ!おめでとう、ウソップ!カヤ!」
「ありがとう」

カヤが本当に幸せそうに微笑んだ。

「しかし・・・・ウソップ・・・お前、もうすぐやっと15になるところだろう・・・・。」

いくらなんでも早すぎないか。ゾロは素直にそう思い、呟いた。

「ルフィだってそうだろ。でも、もうすぐ結婚することが決まってる。ルフィに釣り合った年齢の女性がお妃候補になるワケだからさ、カヤもその範囲に入るし・・・・。ま、とりあえず婚約だけ。」

やはり、先日のナミの発言が相当影響しているらしい。
お妃候補には内偵が入り、結婚する相手がいるかどうか調べられる、とナミは言った。
結婚相手がいると分かれば、お妃候補から外されると。
つまり、意中の相手がお妃候補になるのを阻止するには、その娘と婚約をするのが一番なのだ。
しかし、そうは言っても気軽にできることではない。貴族の婚約は一度整うと、解消することは難しい。
それはやはり人生の決断と言っても過言ではない。
それを圧して、ウソップはカヤと結婚することを決めた。
それだけウソップはカヤのことを想っているということだ。

「俺も春から侍従として就職するし、ようやく一人前ってことで。でも、結婚はまだ先になるけどな。」
「でも・・・・本当によく決断したわね。」

ナミは感慨深かげに少し目を潤ませてウソップを見た。

「ま、まーな。」

ウソップは頭を掻いて照れている。

「ご両親はさぞかし驚かれたでしょうね。」
「そうでもないの。ウソップさんのこの申し出に、すごく喜んでいたわ。」

カヤがはにかみながら答えた。
娘が王室に嫁ぐのは貴族一門にとってはこの上なく栄えあることではあるが、権謀術策が蠢く後宮で娘に苦労をさせたくないと思うのも、人の親というもの。
王太子の結婚候補になる年頃の娘を持つ親達は、この時期、娘の婚約を急がせる傾向がある。
だから、王太子の結婚の時期は、貴族界でも結婚ラッシュとなるのだ。

「ホラ、あそこに両親達がいるの。」

カヤが指差した方を見てみると、ウソップの家族ご一行様とカヤの家族ご一行様が、仲良く歓談していた。そこだけで総勢50人はいそうだ。

その時、それまで演奏されていたワルツの音楽が途絶え、続いて国歌の吹奏が始まった。

国王陛下が広間へ入ってきたのだ。






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恋はハリケーンの若林もとみさんが、ゾロナミの社交界デビューのイラストを描いてくださいました。
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