4月――軍人仕官学校内は、にわかに活気づいてきた。
春休みを終えて、帰省から戻ってきた者達と、新入生達。

明日は始業式。ゾロも2年生に進級するという日。





誓い −14−





1人の青年が、教官室で話す教官達の話を小耳に挟んだ。
王都からもたらされた一つのニュースと、それに伴う朗報。
朗報の内容に、青年は喜びを抑えられなくなる。
正式な発表は明日らしいが、一刻も早く皆に伝えたい。

走り出しそうになるのを懸命にこらえ、教官室からそろそろと離れると、油引きで鈍く光る木製の長い廊下を通って、総務室の前までやってきた。
総務室はエントランスホールのすぐそば。
そこには数個の長いすと書類を置くラックがある。
ラックには今日届いたばかりの新聞があった。思わず手に取る。
教官達が話していたニュースが、新聞のトップに大きく報じられていた。

(このおかげで、あいつは無罪放免されるんだ!)

青年は笑みを漏らしながら、その新聞を懐に納めると、大広間へと戻っていった。




屋外演習中に起こった食堂焼失事件の後、ゾロ達が謹慎室から出てきた頃には、全焼した食堂の焼け跡は既に残らず取り払われていた。
ただ黒く変色した土の色が、あの日の火の勢いを物語る。

食堂が無くなってしまったので、士官学校生達の食事は、大広間でありあわせのテーブルを並べて取ることになった。
厨房も一緒に焼けてしまったので、供される食事は近くの村から調達しているらしい。北の地方の貧しい村にとっては願ってもない突然の特需である。

食堂の機能が大広間に移ったことで、一つ無くなってしまったものがある。
それは、士官学校名物の食堂席取り合戦だ。
元々は学生数の割りに収容人数の少ない食堂であったことから始まった風習だった。
仮の食堂となった大広間では、十分な広さとテーブルが確保されたため、席を取り合う必要が無くなった。
また後に、食堂が立て替えられたのだが、その時には学生数に見合うだけの広さを確保したので、伝統的な風習(?)は、ゾロの代を最期に幕を閉じることになった。
これについては、在校生からは歓迎されたが、卒業生からは惜しむ声も聞こえたという。




青年は、朝食の時間である大広間に駆け込むと、大声で叫んだ。
まだ全員が揃ってる訳ではなかったが、言わずにはおれなかった。

「おい、無期停学が解かれたぞ!明日から復学だ!」

ゾロが属してた屋外演習チームのリーダーは、食堂焼失事件の責任をとらされ、一人無期停学処分をくらっていた。
ゾロ達の謹慎処分よりもずっと重い。チームメンバー達は、謹慎を終えたらリーダーの処分減免を訴えようと話し合っていた。その処分が解かれたという。

その知らせを聞いた学生達から、一斉に歓声が沸き起こる。そのことからも彼の人望のほどが知れる。

「良かったなー!」
「それにしても、どうして突然処分が取り消しに?」
「恩赦が出たんだ。」
「恩赦?なんで?」

青年がその説明をすると、また一層大きなどよめきと歓声が上がった。
青年はその反応にすこぶる気を良くした。
その後は広間はその話題で持ちきりになった。

しばらくしたところで、青年に声が掛かる。

「どうした?何の騒ぎだ?」

振り返ると、2人の青年が立っていた。緑髪と金髪―――ゾロとサンジだ。
二人とも青年と同い年でありながら、青年よりも身長はずっと高かった。
一年間の士官学校生活で鍛えぬかれ、体格も良い。
黒の詰襟の制服に身を包み、二人して並び立つと、まさに双璧と呼ぶに相応しい。
また、二人とも実家は現王朝と同じぐらいの歴史を持つ名門だ。ただ立っているだけでどこかしら貫禄と気品が漂う。
大広間にやって来たばかりの二人は、学生達の喧騒を不思議そうに眺めている。

青年はそんな二人の威容に一瞬少し気押されたが、気を取り直して話し始めた。
この吉報を彼らにも早く伝えなくてはと。

「実は、リーダーの無期停学処分が解除になったんだ!」
「「本当か!?」」

二人は声を揃えて同時に言った。その声音には喜色が浮かんでいる。青年の予想通りの反応。

「本当だ。さっき教官室で教官達が話しているのを聞いたんだ!正式には明日発表らしいが、黙ってられなくて。」

そう言って青年が苦笑いする。

「そりゃそうだろうよ。」

その気持ちはよく分かるとばかりにサンジがニヤッと笑った。

「ああ、本当に良かった。あの人一人の責任ではないのに、と思っていたんだ。」

ゾロが、深い声で心の底から安堵したように言う。

「それにしても、どうして急に謹慎が解かれたんだ?」

それに対して、さっき他の学生達にしたのと同じ説明を始める。

「恩赦が出たんだ。」
「恩赦? なんでそんなもんが出たんだ?」
「国の慶事で。」
「慶事?なんかメデタイことでもあったか?」
「どこかの戦で勝ったとか?」
「違う!今朝ここにも新聞が届いたんだが・・・・」

青年は先ほどまで他の学生達に見せていた新聞を、今度はゾロとサンジに見せる。

「王太子の婚約が整ったんだ!ポートガス公爵家の娘が落選したぞ!」

新聞のトップは『王太子妃内定』の文字で華々しく飾られていた。また、王太子ルフィの細密画とその略歴、王太子妃となる者の素性についても詳しく報じられていた。
ゾロとサンジは、二人して渡された新聞のトップページを食い入るように見つめる。
そんな二人を前にして、青年は更に話し続けた。

「相手は誰だと思う?なんと財務長官の娘だ!ステーシア伯爵令嬢ナミ!大番狂わせだよ!」

多かれ少なかれ、とある国の人々は、この王太子の婚姻レースの行方をある種のゴシップ記事を眺めるかのように、興味本位で見守っていた。
大本命は現第一王妃の実家でもあるポートガス家の娘だった。その娘の姉は、前の王太子エースの妃でもある。ポートガス家にしてみれば、妹の方を弟のルフィにあてがう腹づもりだったらしい。
それなのに、その名門の娘を蹴落とし、新興のステーシア伯爵家の娘が第一王太子妃に選ばれたのだ。
ポートガス家が今頃どんなに地団駄を踏んでいるか、想像に難くない。
更に青年は言い募る。

「同時に第二王太子妃も決まった。アラバスタ王国のネフェルタル・ビビ王女。第二王太子妃からもポートガス家は選に漏れたんだ。こりゃ一体どういうことだ?」

青年は大げさに肩を竦めて見せた。こんなことはありえないとばかりに。
他の学生達は、この話を聞いて意地の悪い笑い声を上げたものだ。
最近のポートガス家の権勢ぶりは目に余るものがあり、それだけにこの落選はいい気味だばかりに世間では受け止められていた。

しかし、目の前の二人はただじっと、息すら止めて、ただ新聞記事を見詰めているだけ。
いやむしろ、その顔は青ざめているといっていい。
そんな二人の反応に、青年は少なからず驚いた。

しばらく、硬直したようにして動かなかった二人だが、やがてゾロだけが一歩後ずさりした。
一切の表情が消え、何か恐ろしいものを見たかのように目は見開かれていた。
口がかすかに動き、何かを口走っている。よく聞き取れないが、うそだ、とか、そんな、とか聞こえたような気がするが定かではない。
ついには、くるりと背を向けて覚束ない足取りで大広間から出て行った。
青年は、その様子をただ唖然としながら見送った。

どん、と胸元に新聞を押し返され、青年は我に返る。

「ちくしょうめ」

サンジが苦渋に満ちた表情で苦々しく吐き出した。
そして、ゾロの後を追うようにその場から立ち去った。

青年はサンジをも茫然と見送った。
そして、どうして二人があんな反応をしたのか分からなくて、ただじっと手元の新聞記事を見つめていた。





***





ゾロは自室へと急いだ。
始めは頼りない足取りで、やがては早足に、最後には走っていた。

自室のドアを音を立てて開くと、机に真っ直ぐ向い、その上に置いてあるたくさんの書類を手で無造作に薙ぎ払う。
心の中を凶暴な気持ちが埋め尽くし、粗暴な振る舞いをせずにはいられなかった。
バラバラと落ちていく紙の中に潜り込み、泳ぐように探す。

探すって、何を―――?
分からない。ただ何か。何かあるはずだ。
何か手掛かりが。
なんでこんなことになったのかを、説明する何かが。

(なんでこんなことになるんだ)

(そんなわけない)

(どうしてこんな―――ナミが王太子妃なんて・・・・・)

(そして、どうして俺は何も知らない?)

まとめて置いてあったナミの手紙の束すら見つけられない。
手が震える。知らずに冷や汗を掻いていた。
動悸が激しくて止まらない。
額に吹き出す汗を手の甲で拭い、ゾロは一つ深呼吸した。

そうすると―――見つけた、ナミの手紙だ。

やさしいナミの文字を見て、少しだけ心が落ち着いた。
ひとつひとつ日付を確認する。
なんということだ、2月の日付のものまでしかない。3月になってからの手紙は一通も無い。
最近来ないと思ってはいたが、こうして確認したことはなかった。そして、もちろん自分もナミに手紙を書いていなかった。

(これが予兆だったんだ)

ゾロは歯を食いしばる。

次に見つけたのは、くいなからの手紙だった。
日付は3月下旬。丁度ゾロが野外演習に参加してた頃のものだ。
演習の続きで謹慎室へ入ったので、この手紙は謹慎を解かれてから受け取ったのだが、まだ開封してなかった。
ぜな開封しなかったのか―――おそらく、また小言を言われるのだろうと思い込んでいて―――

(なんで読まなかったんだ)

自分を罵りつつ、ゾロは焦る心を必死でなだめて手紙の封を切る。
軽く捻ったつもりなのに、封筒はひどく裂けてしまった。


「ゾロへ

大変なことになりました。
私も今日、お父様から聞いたばかりなのですが、王太子妃にナミが内々定してるというのです。
どうしてこんなことになったのか分かりません。
あなたとナミのことは、お父様とステーシア伯爵とが元老院へ届けられたはずなのに。

今ナミは、自邸で軽い軟禁状態にあり、外部との接触を著しく断たれています。手紙も検閲される有様です。

あなたには言わないように、とお父様は私に口止めされました。
お父様は全てが決まってからあなたに知らせるつもりなのです。

でも、私はこんなことは許せません。
ですから、この手紙を書きました。
どう考えてもおかしい。明らかに世の理を無視したやり方です。
王陛下も元老院の方々も、そしてお父様も、一体何を考えておられるのか。

一刻も早く王都へ戻ってくるように。今ならまだ間に合うかもしれないから。


                                                       くいな 」


手紙を持つ手がわなないた。
そのまま、その紙をくしゃくしゃと握り締める。

しばらく微動だにできなかった。
後悔と焦りが胸を焼く。
どうしてこの手紙をもっと早く見なかったのか。
野外演習などなければ、謹慎処分などなければ、という憤りが渦巻いた。
でも何よりも、手紙を受け取ってからも今日まで開けなかった自分が、一番腹立たしい。

ゾロはおもむろに立ち上がり、壁のフックに掛かっている外套を引っ手繰るようにして羽織る。
そのままドアへと向かい、そこで初めてサンジがそこに立っていることに気付いた。

「どうするんだ?」
「帰る。王都へ。」

サンジに問われ、有無を言わせぬ口調で答えた。

「そうか。」

サンジは否やを唱えなかった。最初からそう予想してたようだ。
始業式はどうするんだとか、もう間に合わないだとか、そんなことを言い咎められるのではないかと思ってただけに、サンジのその反応はありがたかった。
もっとも、たとえどんなに止められても、絶対に王都へ帰るつもりではあったが。

「なんで帰る?馬か?」
「ああ。」
「じゃ、ソルティア号がいい。あいつの馬脚はいいぞ。耐久力もある。」
「そうだな。」


総務室の事務官吏に見咎められないよう気をつけて外へ出る。
幸い入学式の前日とあって、到着する新入生達でエントランスホールはごった返していた。
ゾロ一人が紛れて外へ出るなど訳も無かった。

厩へ行き、ソルティア号に鞍とあぶみを付け、ハミをかませる。
ソルティア号は鹿毛の牡馬で、サンジも言ったように仕官学校では一番いい馬だ。
それをコッソリ拝借するわけだ。気付かれたら・・・・それなりの騒ぎになるだろう。しかし、今はそんなことはどうでも良かった。頭の中は、既に王都へと飛んでいた。
馬は素直にゾロにつき従い、厩から出た。
そこにサンジが待っていた。

「お前、金は?」
「・・・・・全然」
「アホか。おら、持ってけ。」

サンジは手の平サイズのなめし皮の袋を投げて寄越した。
ゾロが受け止めると、ずっしりした重み。

「おい・・・・」
「貸すだけだ!利子はトイチでつけるからな。持っていけって。路銀は多い方がいい。絶対に役立つ。」

それだけ言う、とサンジは手でゾロをしっしっと追い払うような仕草をした。

「悪い・・・・・」
「いいから行け!今門番は見回りに出てる。門を通るなら今がチャンスだ。」

その言葉に背中を押され、ゾロは馬にまたがると、勢いよく馬の腹を蹴りつけて駆け出した。
ただひたすら、ナミがいる王都を目指して。




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