誓い −3−
ナミからゾロへの手紙
「親愛なるゾロ。
お手紙、どうもありがとう。ちゃんと約束を守ってくれたことを大変嬉しく思います。
朝の教練は大変ですね。ゾロは睡眠が命だから、夜は早く休んでください。
それにしても、成績順位が63位というのは私もショックです。ゾロは最初こそひどかったけど、その後メキメキ実力をつけていたし、私も自信を持ってあなたを学校へ送り出したというのに。それだけ周りの人達が優秀だということですね。私も井の中の蛙でした。もっと精進しなくてはいけませんね。ゾロも勉強に困ったら、手紙の中で質問してください。私で解るものであればお答えします。
それから、同室者のランスール伯爵家のサンジさん。確か、ランスール家は事業をされていたのではなかったでしょうか。貴族の人で事業をされている方は非常に珍しいのでお名前を記憶していました。私も噂でしか聞いたことはありませんが、美しいお城でレストランを開かれているそうですよ。幅広い事業を手がけられているそうです。
さて、私の方はといいますと、相変わらずな毎日です。
ウソップとカヤと一緒に私の家で勉強しています。ウソップは今年、行政試験を受けるそうです。
試験に受かれば彼は晴れて公務員です。何でも、ルフィの力になりたいから、とか。
その心意気に感心しています。
ゾロもゆくゆくは軍人になって、ルフィを支えていくのですから偉いです。
私だけがなんだか取り残されたような気持ちです。私もルフィの役に立ちたいのに。
でも女の身ではこの国では限界があります。この国では女性は大学にも入学することはできないし。
外国では女でも大学へ行けるのですって。
私は今、外国語を勉強していて、いつか外国の大学へ行きたいと思っています。
そしてキチンと学問を身に付けて国に戻ってきて、ルフィの役に立つような仕事に就きたいです。
もっとも、父の許しが出ればの話ですが。この前、父に話したところ、一笑されてしまいました。
それでは、お身体に気をつけて、勉学に励んで下さい。
次のゾロからの手紙を楽しみにしていますね。
ステーシア・ナミ」
懐かしいナミの字。美しく、そして力強い。
文章にして改まって書いているせいか、普段のナミより大人びて、しとやかな印象を与える。
それにしても、外国へ留学したいとは・・・。全く、ナミの発想にはいつも驚かされる。
普通の貴族女性ならまず思いつかない内容だ。
ゾロはナミからの手紙を見つめながら溜息をついた。その時、
「女からか?」
突如背後から声がかかり、ゾロは腰を抜かしそうになるほど驚いた。
バサバサッと手紙を折り畳んだ。
振り返ると、そこにはサンジの姿。
「何だよ。見せろよ。女からなんだろ?」
「あ、う。」
「お前もすみにおけないね。恋人か?婚約者か?」
「違う!」
「じゃ、何だ?」
何だ?何だって言われても・・・何だ?
「その、妹みたいなもんだ。」
どこか違うと思いながらもゾロはそれ以外の言葉が思いつかなかった。
「へえ。妹ねぇ。」
サンジはそういいながら意味ありげな笑みをゾロに向けた。
「それに、婚約者ってのは何だ。俺達今年16になるんだぞ。そんなもんいるわけがないだろう。」
ゾロのその言葉にサンジは少しキョトンとした表情をした。
「何言ってんの、お前。別にフツーだよ。隣りの部屋の奴にはいるぜ、婚約者。奴も俺らと同い年だけど。」
「へぇ。」
「ま、いいや。で、その妹みたいなナミさんは何て?」
こいつ、しっかり見てやがったな。
「いや、別に大した内容じゃない。近況を知らせてきただけだ。」
「ナミさんて美人?」
この質問にゾロはいささか困惑した。そういう目であまりナミを見たことがなかったから。
「どうかな、普通じゃねえの。」
「何だ、張り合いの無い答えだな。」
「てめぇに張り合い与えてどうすんだよ。」
「それもそうだな。おい、6時過ぎたぜ。メシ食いに行こうぜ。」
ああ、もうそんな時間か。ゾロは手紙を封筒に入れ直し、引出しに仕舞った。
軍人士官学校は1学年当たり3クラス、約90名が在籍している。学年は3学年まであるから、おおよそ270名が同じ時刻に一つの食堂に集まってくる。そのため、ひどい喧騒であった。
しかも、この食堂は1棟独立しているのはいいが、非常に狭く、席数も少ない。もともと270名もの人数を捌くために用意された建物ではないようである。まだ学生数が少なかった昔の時代に建てられたものと思われ、たいそうボロかった。
また、ここには一つ珍しい風習があった。
入校前から聞いてはいた、軍人士官学校名物、「食堂席取り合戦」。食堂では自由に席に着いて、食事をしていいことになっている。
しかし、自由というのは不自由なもので、混乱の源でもある。
男達は我も我もと先を争って、テーブルの席取りに尽力せねばならない。
暗黙のルールで、席だけを事前に確保しておくということはしてはいけない。なぜかは不明だ。それが伝統となっているらしい。
いずれにせよ、なんとも面倒な伝統である。
それらを考えると食事時間が憂鬱になることもあるゾロだった。
今日も食堂の入る前から男達の大声が聞こえていた。
皆育ち盛りばかりなので、食べることに関しては獰猛なまでに意欲を見せる。
ゾロとサンジは順番通り食事の乗ったトレイを引っ掴むと、席取り合戦に参戦した。
なかなか見つからない。見つけても、上級生が傍にいたりすると、これも暗黙の了解で譲らなければならないことになっている。駆け引きがけっこう必要なのだ。
周りの様子を観察し、敵(この場合は席を狙っている者)は周りに何人いるか、陣地(この場合は席)での食事の進み具合はどうか、あと何分で席が空きそうか、などなど頭を働かせなくてはならなかった。
段々とイライラしてくる。エサを持っているのに、食べられないというのは。
やがて、目の前で3人の上級生達が食事を終えて立ち上がった。そこをすかさず、ゾロとサンジは確保する。もう一席も名前は知らないが同学年の男が確保した。その時、
「おい、平民が俺たちを差し置いて、席を取ってもいいのか?」
という声。
ゾロとサンジもその声の主の方を振り返ると、自分達と同じクラスの侯爵家の息子だった。
その男が『平民』と呼んだ、ゾロ達の隣りに着席している男を睨みつけている。
「え・・・。」
「お前、平民だろ?それなら貴族に席を譲るのが常識ってもんじゃないのか?」
侯爵家の息子はそう言い募った。
この国は典型的な封建社会で、国王を頂点に、人々は完全な身分階級制度で固められていた。
生れ落ちた身分階級を越えることは生涯できないし、その身分はもちろん世襲制である。
そして、自分の身分より上の階級の者には逆らえないことになっている。
それに気付いたのか、言われた方の平民の男は苦渋の表情で席を立った。
「そう、それでいいんだよ。」
侯爵家の息子はさも当然という風にその席に着こうとした。
「ちょっと、タンマ。」
サンジはそう言って、侯爵家の息子が食事トレイを置こうとしていたテーブルの上に手を置いた。
「何だ、お前。」
トレイを置くに置けず、侯爵家の息子は今度はサンジを睨みつけた。
「何だじゃねぇよ。あんた、馬鹿じゃねぇの?順番はきちんと待たなきゃ。そんなこと、子供でも知ってるよ。さ、お兄さん、あんたが先だよね。」
そう言って、サンジは平民の男を手招きする。
「貴様、何のつもりだ。平民が貴族を差し置いていいと思っているのか。」
「貴族?それがどうかしたのか?ここは軍人士官学校だぜ。」
サンジがそう言うと、
「そう、入校資格に身分は関係無い。あんたもそれを承知で入ってきたんだろ?しかもここは食堂。自由に席を取っていいことになっている。自由にな。つまり、あんたもこの人も同学年なんだから、この人があんたに席を譲る理由はない。」
ゾロもサンジの後を受けるようにして言った。
「こんなところで身分を振りかざすなんて、格好悪いぜ。」
サンジが更にそう言った。
ぐっと言葉に一瞬詰まった侯爵家の息子は、サンジの顔を見て何かを思い出した。
「お前、ランスール家の息子だな?落ちぶれ伯爵家の。」
「・・・・。」
「そうだろ?身分を持ち崩して、城を平民どもにまで開放してメシを食わせる始末だ。よほど金に困ってるんだろうよ。貴族が商売なんざ、世も末だぜ。」
「貴様、言いたいことはそれだけか?」
サンジはいきり立って、侯爵家の息子の胸倉を掴んだ。
「おい、サンジ、やめろ。」
ゾロも立ち上がり、サンジの腕を掴む。
「落ちぶれると、平民の気持ちもよく分かるってわけだ。全く、ランスール家は貴族界の恥だよ。」
侯爵家の息子が吐き捨てるように言うと、サンジは無表情なまま、侯爵家の息子の胸倉の手を一旦離した。
その様子を見て、ゾロはサンジの腕を掴んでいた手の力を、一瞬緩めてしまう。
その隙をついて、サンジはゾロに掴まれた腕を振り解き、次の瞬間には侯爵家の息子の腹を蹴り飛ばしていた。
侯爵家の息子は約2メートル吹っ飛ばされて、ぐえっといううめき声がとともに、壁にぶち当たって崩れ落ちた。
この出来事で食堂は騒然となり、何人かが教官を呼びに食堂を出て行った。
謹慎室1日の処分がサンジに下された。
喧嘩両成敗で、侯爵家の息子は自室謹慎1日。
やはり、先に手を出したということで、サンジの方が多少重い処罰となった。
冷め切った食事の乗ったトレイを片手に持ち、ゾロは謹慎室に向かった。
「何の用だ。」
「騒動で食べそびれたんで、奴に食事を持って来ました。」
見張りの教官にそう告げると、謹慎室の入室の許可が出た。
灯りの無い部屋の中、ベッドを背に地べたに座りこんでいたサンジがゾロに気付いた。
「何しに来たんだよ。」
サンジはしかめ面で言う。
教官と全く同じ問いだな、と思いながら、ゾロも同じ答えを返す。
「食事だ。食いそびれたろ?」
「別にいいのに。」
「まあ、そう言うなって。」
ゾロはトレイをサンジの横に置いてやったが、サンジは見向きもしない。
「お前の好きな物も持ってきてやったよ。」
それを聞いて、サンジは少し怪訝そうな顔をゾロに向けた。そして、トレイの方を見やる。
「お前、いつから気づいてた?」
サンジは食器皿の下に隠されていたタバコを見つけ出し、取り上げる。
「気づかないわけないだろ。初日から気づいてたさ。」
「何だ。俺、お前に気ぃ使って、影でこっそり吸ってたつもりだったのに。」
「バレバレなんだよ。」
ゾロはサンジにマッチを投げ渡し、自らも腰を下ろした。
サンジはタバコを咥え、マッチを擦って火を点ける。
「俺も。」
そう言って、ゾロはトレイの上のタバコをもう一本取り出した。
え、とサンジは意外そうな顔をする。しかし、そのままマッチの火をゾロのタバコにも点けてやる。
ゾロは慣れた風にタバコを吸うと、長い煙を吐き出した。
「驚いた。優等生と思っていたロロノア家の坊ちゃんがこんな不良だったとは。」
「てめぇと連れ立って歩いてる時点でもう立派な不良だ。」
「そりゃどういう意味だ。」
「そのまんまの意味だよ。」
二人して紫煙をくゆらせる。
「格好悪いことした。」
やがて、サンジが自嘲気味に言う。
「仕方ない。肉親のことを悪く言われりゃ、誰だって腹が立つ。」
「いや、それだけじゃない。図星を指されたから怒ったんだ。」
ゾロは黙ってサンジの顔を見た。
サンジは俯き加減に話続ける。
「落ちぶれ貴族だっていうところ。俺の家はこの国の創始の頃からの家柄には違いないが、曽祖父の浪費が祟って現在も台所は火の車さ。それを立て直すために祖父が城をレストランに改装したんだ。それが事業の事始。父がその事業を継いで、さらに拡大させた。
俺にとっては小さい頃からそれが当たり前だったがね、世間の貴族はそんなことしてない。貴族には国から金が出るし、地方には膨大な荘園を抱えている。商売なんてしないのが普通だ。
だから、小さい頃から言われてたよ、『落ちぶれ貴族』ってね。
最初はそれが恥ずかしかったが、祖父達の事業を間近で見ているうちにそういう気持ちは薄くなった。商売の、労働の何が卑しいのか。結局、貴族どもが自分達の立場を正当化するために、商売を下賎なものとしているだけだと気付いた。
でも、『落ちぶれ貴族』言われるとやはり堪える。これは貴族の性なのかね。」
「・・・・。」
「なぁ、何で身分制度なんてあるんだろうな?」
「え?」
「これのせいで、どれだけ不自由か。
どんなに身を持ち崩しても貴族。どれだけ金を持っても平民。
本人の能力に関係なく尊卑が決まる。
商売は貴族の中では下賎で、平民の中では美徳とされる。
王の息子は王になる。鍛冶屋の息子は一生鍛冶屋。
男は必ず家督を継がねばならず、女は教育を受ける権利すら抑えられている。
身分が違えば好きな女と結婚もできない。」
「お前・・・。」
「心配すんな。俺は別に革命起こそうって思っているわけじゃない。
何となく不満に思っている程度だ。
事実、俺も貴族であることで数限りない恩恵を蒙っているわけだし。
でも時々、こんな窮屈な世界を飛び出したくなることがあるんだ。」
そのサンジの言葉を聞いて、ゾロはなぜかナミの手紙の内容を思い出した。
『でも女の身ではこの国では限界があります。
この国では女性は大学にも入学することはできないし。
外国では女でも大学へ行けるのですって。
私は今、外国語を勉強していて、いつか外国の大学へ行きたいと思っています。』
ナミは幼い頃から才に長けていて、自由奔放だった。
男のような服を着て、髪も短く切りそろえ、ルフィ達と一緒にいるとよく少年と見間違われていた。
ナミが男だったら間違いなく家督を継がすのに、と嘆いていた父親のステーシア伯爵。
父親の命令で結婚させられることを恐れているナミ。
ナミが外国まで行きたいと思う真の理由は、実はこういうことだったのだろうか。
この国のシステムが、ナミのような女には窮屈すぎるということか。
だから、ナミはこの国を飛び出したいと―――。
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