短い夏と秋が過ぎ去り、厳しい冬将軍がどっかりとノースウッドに訪れた。
宗教上の祝祭期間である12月後半から新年にかけて、軍人士官学校は完全な休校となる。
特別な理由がない限り、学生達は郷里へと帰っていく。
つまり、冬期の長期休暇。

ゾロは久しぶりに王都の土を踏んだ。





誓い −5−





家に帰って、荷物を解くのもそこそこに、ゾロは隣りのナミの館へと出かけた。

「しかし、何でお前も一緒に来るんだ?」

ゾロが金魚のフンのようについて来るサンジに向かって言う。

「まあ、いいじゃないか。俺だってナミさんに会いたいんだ。」

サンジはニヤついた表情を浮かべて答えた。
そんなサンジをゾロは冷めた目で見つめる。

「お前、早く自分の家に帰れよ。」

「俺の家は王都とはいっても郊外にあるんだ。家に帰ったら、中心街になかなか遊びにこれねぇ。だからできるだけ帰るのを遅らせたいんだよ。」

まったく、と思いながらも、サンジの好きなようにさせる。
正直言うとサンジとナミを会わせたくない。
しかし、何故そう思ってしまうのかゾロには分からなかった。

ゾロはいつものように、生垣をくぐり抜けて、ナミとともに受験勉強をした図書室へと向かう。
たいていの場合、ナミはここで勉強をしているから。
ところが、今日は図書室の窓を覗いても、ナミの姿は見当たらなかった。
おかしいな、とゾロは思った。
手紙で今日帰ると知らせておいたから、ナミは当然待っているものとばかり思っていたのに。
仕方なく、ゾロ(とサンジ)は正面玄関へと向かう。

「これは、ゾロ様。お久しぶりでございます。ご立派になられて。」

ステーシア家の執事とゾロは、幼い頃からよく知った仲だ。

「ありがとう。ナミはいるかな?」

「申し訳ございません。お嬢様は今、お客様の応対中でして。」

「客の応対?ナミが?」

客はたいていの場合、ステーシア伯爵に会うことを目的として訪れる。
しかし、伯爵はめったに館にはいないので、代わりに伯爵夫人が応接する。
ところが、ステーシア伯爵夫人は、ナミが10歳の時に既に亡くなっていた。
そのため、今まではナミの姉のノジコが伯爵の名代として立っていたのだが。

「はい。本日ノジコ様はお式の最終的な打ち合わせのため、先方様とお出かけになっておられますので、代わりにナミ様が…。それにしても、本日のお客様はアラバスタ王国のお方でして、私どもでは言葉が通じないので、お嬢様がいてくださって本当に助かりました。」

ノジコもこの冬に結婚することが決まっている。ステーシア家には他に男子がいないので、ノジコが養子を取る形となる。
不在の姉に代わり、伯爵代理としての応対の役目がナミに回ってきたというわけだ。

とその時、応接間の扉が開き、ナミと客人が出てきた。

実に約9ヶ月ぶりに見るナミだった。
スカイブルーのパンツスーツに包まれて、ゾロの記憶にある時よりも随分と伸びたオレンジ色の髪を後ろで無造作に一つに束ねている。
スラリとしていて、立ち姿だけを見ていると青年貴族のようだ。
客人とゾロ達には解らない言葉で話しながら、玄関の方へ近づいてくる。

「おい、あれがナミさんか?」

「お、おお。」

サンジの問いにゾロは生返事をする。

「お前、何が普通なんだよ。めちゃくちゃかわいいじゃんか。」

「ああ?」

あれをどう見ればかわいいになるんだ?相変わらずの格好しやがって、まるで男みたいなのに。
でも、確かに少しナミは変わったような気がする。大人っぽくなったというか・・・。
この変化をどう表現すればいいのだろう・・・?

ナミは客人を見送った後、振り返り、ゾロの存在に気付いた。
琥珀色の瞳がゾロを捉え、見開かれる。
次に満面の笑み。

「ゾロ!おかえりっ!!」

そう叫んで、ナミはゾロに飛びつくようにして抱きついてきた。

―――ああ、やっぱりナミだ。ちっとも変わっていない。

いつもならゾロは恥ずかしくてすぐにナミを引き離すのだが、今日はなぜか心地よくて、そのままにしていた。

サンジは呆気に取られていた。
ナミのその貴族令嬢らしからぬ振る舞いに。
サンジの知る貴族の令嬢達というのは、ゴテゴテとしたドレスで着飾って、奥歯にものが挟まったような話し方をし、ゆっくりのんびりと、よく言えば優雅に、悪く言えばトロイ動作しかしないものだからだ。間違ってもこんな風に飛ぶような仕草をしない。

「ああっ!ごめん!ゾロ、こうされるの嫌いなのに。・・・・えと、ところでこちらはどちら様?」

ナミはバツが悪そうにしてゾロから離れ、ようやくサンジの存在に気づいたかのように問い掛ける。

「手紙にも書いただろ。同室者のランスール・サンジだ。」

「まあ、あなたがサンジさん?初めまして、ステーシア・ナミです。お名前はゾロから何度かお伺いしています。」

「初めまして。ナミさん。お会いできて光栄です。」

サンジは恭しくナミの手を取ってキスする。
ナミはあまり若い男性の女性扱いに慣れてなくて、サンジの振る舞いに少し顔を赤らめた。
その表情を見て、なんだかゾロは面白くない気分になる。

「そうだ、ゾロ。丁度今、ウソップとカヤが来ているの。私の部屋へ行こう。」

ナミの部屋に。だから図書室には人影が無かったわけか。
しかし珍しい。いつも集うのは図書室なのに、どうして今日はナミの部屋なのだろうか。

「僕も行っていいでしょうか?」

サンジは見るからに行く気という感じだったが、一応礼儀としてお伺いを立てる。
ゾロとナミは少し顔を見合わせた。
ゾロが好きなようにという顔を示すと、ナミは言った。

「どうぞ。よろしければサンジさんもお越しください。」





***





「ゾロー!!会いたかったぞーー!!」

ウソップがガシガシとゾロを殴りながら叫ぶ。
ゾロはウソップの手痛い歓迎に苦笑いする。

「で、何で今日は集まってるんだ?」

ゾロは、ナミのそばで微笑んでいるカヤに話し掛けた。

「ダンスの練習よ。」

カヤが少しはにかんで答えた。

「ダンス?」

「ああ、社交界ですね。」

サンジが返した。

「社交界?」

「そうよ。サンジさん、よく分かったわね。」

「毎年新年に御前舞踏会が行われますからね。お二人は今回デビューなんですか?」

「そうなんです。」

「デビュー?」

全く話について行けないゾロ。

社交界デビューはこの国の貴族女性の成人式とも言える一大イベントだ。
毎年新年最初に王宮で行われる盛大な舞踏会は国王陛下が臨席するため、御前舞踏会と呼ばれる。
だいたい14歳から19歳くらいの間に貴族の娘達はこれに出席し、公に紹介される。
簡単に言うと、貴族女性の見本市会場のようなもので、貴族女性はこれに出席することで、結婚レースに参戦することになる。
別に他の舞踏会でデビューしてもいいのだが、御前舞踏会は舞踏会の中で最も格式が高いので、ここでデビューすることが一種のステータスとなっているのは確かだ。

一通り説明を聞いた後、

「へえ。」

とゾロは呟いた。
社交界デビューのことを知らないわけではなかったが、全然全く関心のないことだったので、自分達と同世代の女性がそういうイベントに参加する年齢に達していたとは気づかなかった。
実は男性もこの御前舞踏会で社交界入りするのだが、こちらは形骸化していて、完全に女性達のイベントの添え物のようになっている。

「そうだ、ナミ。パートナー役、ゾロに頼めば?」

「ちょっと、何言い出すのよ!」

「だって、せっかくゾロが帰ってきたんだし。義理のお兄さんにエスコートされるよりはいいんじゃない?」

カヤがさもいいことを思いついたという風に顔を輝かせた。

「ダメ!絶対ダメ!!ゾロなんかに務まるわけない!!」

しかし、ナミは思いっきり否定した。
もちろん、ゾロはダンスとか舞踏会とか社交界とかには全く興味がないし、行きたいとも思わないが、そこまで否定されると逆に腹が立つもので。

「何でダメなんだよ。」

「あんたにダンスなんてできないでしょ?今度の舞踏会は私の運命が懸かっているのよ!」

「ああ?どういうこった。」

ナミはしまった、口が滑った、という風に口を手で抑えた。

「ナミはな、この社交界デビューでステーシア伯爵と賭けをしたんだ。ナミは始め絶対に行かないって宣言してたんだが、伯爵が『舞踏会に行って完璧に立ち居振舞いができたら、国外留学について考える』って言ったもんだから、ナミは急に俄然やる気になったってワケさ。」

すかさずウソップが答える。

「ウソップ、何ペラペラしゃべってんのよ!」

なるほど、そういう訳か。
そうでなければ普段ドレスを着るのも嫌がるナミが舞踏会なんぞへ行こうとするハズが無い。
また、ナミは早々に独身女性の舞踏会の目的が最終的には結婚にあることを見抜いていたので、絶対に行かないと豪語していたからだ。
特に、ノジコが社交界入りしてから、あれよあれよと言う間に結婚が決まったのを目の当たりにしているだけあって、断固拒否の構えであったくらいだ。
ステーシア伯爵もそれがよく分かっているから、このような条件を出してきたのだろう。
この条件ならナミは必ず飛びついてくると。
やはり娘にはキチンと社交界入りしてほしいというのが親としての伯爵の本音なのだ。

「じゃあ、僕がパートナー役、引き受けましょうか?」

突然の提案にみんなの視線が提案者のサンジに注がれる。

「僕は何回も舞踏会に行っています。ダンスも人並み以上にはできます。未経験者のゾロよりは経験者を連れ添った方がいいんじゃないですか?義理のお兄さんと行くのも悪くはないけど、親戚と行くというのは気分的に盛り上がりに欠けるんじゃないかと思いますけどね。」

そのもっともらしいサンジの物言いに、ナミは「なるほどその方が有利かも」と思う。
サンジとは今日会ったばかりだが、『完璧な社交界デビュー』という目的達成のためには手段を選んでいられないというのがナミの率直な気持ちであった。

「そうね…。」

今にもその提案を受け入れそうなナミを、ゾロはぼーっと眺めていた。
先ほどは頭ごなしに否定されて少しムキになったが、もともと武闘ならともかく舞踏になど全く興味の無いゾロは、自分の預かり知らぬ展開にもはやこれ以上何ら関与するつもりもなかった。
しかし、横からウソップがやたらとゾロをつついてくる。ウソップに目をやると、ゾロを睨みながら口をパクパクさせて何か抗議をしている。読唇術など持たないが、彼の言わんとすることは分かった。

(あんな奴にパートナーなんかさせるな)

と言いたいようだ。
もう一方からも痛い視線が突き刺さる。そちらに目をやると、今度はカヤが珍しくジト目でゾロを見ている。彼女もウソップと同意見のようだ。

俺にどうしろって言うんだよ。

というのがゾロの正直な感想だったが、次に自分で発した言葉に自分が一番驚いた。

「おい、ナミ」

呼ばれてナミがゾロの方を向く。

「俺が行ってやる。」

ゾロのその言葉を聞いて、ナミが目を見開く。

「って、ゾロ、あんた踊れんの?」

「いや、今は基本ぐらいしかできないが、練習すりゃいいんだろ?」

言葉というのは一度発すると、後は冷静に紡ぎ出されるもので。

「それがいい!ナミ、そうしろよ!」

「そうよ、それが一番だわ!」

ウソップとカヤはよくぞ言った!という面持ちでわざとらしくゾロに加勢する。

「ゾロは運動神経がピカイチだし、スポーツと一緒でダンスなんて覚えればすぐ上達するわよ!」

「そうだ!それに俺とカヤは舞踏会の初心者同士なんだから、ナミも初心者の奴と組まないとズルイぞ!」

別に勝負ではないのだからズルイも何もあるまい、と傍で聞いていたサンジは思ったが、どうも周りは自分とナミを組ませたくないという空気がありありという風なので、もはや口を挟まなかった。

「そう?そうかな?」

ウソップになんだかアンフェアだと指摘されたような気がして、ナミは初心者コンビの案に心が傾いていく。
そうだ!そうよ!というウソップとカヤの更なる意見でナミは決断した。

「分かった!フェアにいこう!私、ゾロと組むわ!」

完全に何かのゲームと勘違いしてしまったナミは言い放つ。

「ごめんなさい、サンジさん、せっかくのお申し出なのに。」

「いえ、お気になさらず。やはりここは気心が知れてるゾロの方がいいでしょう。」

そう言いながら、サンジはゾロに目をやる。

「なんだよ。」

「おまえ、ほんとに踊れんのか?」

「踊れるよ・・・少しなら。」

「じゃ、ちょっと踊ってみろ。」

「い?」

ゾロの調子の外れたような声に、一堂がゾロを見入る。

「そういや、ゾロがダンスしているところなんて見たこと無いな。」

「そうね。ゾロはいつもこんな女々しいことは嫌だって避けてたものね。」

ゾロは貴族のたしなみとしてダンスの訓練は受けてはいた。
しかし、実践となると嫌で、逃げまくっていた。

「百聞は一見にしかず。ゾロ、踊ろう!」

ナミはやる気満々でゾロと向かい合わせに立った。

「おう。」

返事は力強くしたものの、ゾロは困った。
ダンスは男女が組して踊るものだが、どう組んでいいのかすら、もうゾロには分からなくなっていた。
必死で昔習った記憶を辿る。
ナミは両手を上げて、ゾロと組む仕草をしてくれている。
組むからにはナミの身体のどこかに手をかけるのだろう。でも一体どこに触れたらいいのか?
ゾロがナミを目の前にして固まっていると、ナミはそれと気づいて、ゾロの手を取り、一方を自分の手に、もう一方を自分のウエストに導く。
ナミの腰に手を置いて、ゾロは一瞬息が詰まった。


―――細い


スーツの上からでも分かるその細さ。
組み合ったことで随分と近くにナミの顔を見ることになった。
幼馴染みとして育ってきたが、ここ最近はこんなに接近して顔を見たことがなかった。
琥珀色の瞳がもうすぐ傍にあった。その瞳がゾロを見上げている。

「じゃ、いくよ。せーの。」

というナミの声に我に返り、ゾロは慌てて足元に注意を移した。
基本のワルツのステップを踏む。

1、2、3。1、2、3。1、2、3…

ステップはなんとかこなせているが、二人とも足元ばかり見ている状態。
そうしないと足を踏んづけそうなのだ。
しかし、これではダンスという優雅さからは程遠い。

「ダメだ、ダメだ!」

サンジはダンスの先生のごとく、手を打ち鳴らして、二人を止める。

「もっと、姿勢正しく!」

そう言って、ゾロの背中を叩いて反らす。

「そして、目線は上!」

サンジはナミの顎の下に手をかけると、無理やり上向かせた。
だから、ゾロはまともにナミと目が合ってしまった。


―――うわっ


目を逸らしたいのに、ゾロは惹きつけられるようにナミの瞳を、顔を見つめてしまう。
ナミもそんなゾロに気づいたのか、少しはにかんで微笑みを返してきた。
それは今までにゾロが見たことがないような表情で、もう子供のそれではなかった。
ナミはこんな顔をするようになったのか。



ああ、分かった。
ナミの変化をどう表現すればいいのか。


ナミは、
綺麗になったんだ。






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