イースト宮殿―――王太子が住まう館


後宮で生まれ育つ王子王女達のうち、王太子だけが成人すると独立してイースト宮殿に住む。
もし兄王子エースが失踪などせず、ルフィが王太子になっていなければ、ルフィはこの館には移り住むことは無かっただろう。
現在、ルフィは多数の王太子付きの侍女や侍従に囲まれた生活を送っている。
けれど、実質のところ、この広いイースト宮殿に住んでいるのはルフィたった一人。


いつか王太子妃を迎えるその日まで。





誓い −6−





イースト宮殿こそがその昔、王宮だったという。
それが、「とある国」が大国にのし上がった際に新しくサウス宮殿とノース宮殿が建造され、王宮の機能がそちらに移った。
だから、イースト宮殿は「とある国」の中でも最も歴史のある建物の一つで、古き良き時代を今の世に伝える時代の遺物なのである。


年も押し迫ってきたある日、御前舞踏会に向けての特訓に明け暮れる日々の合間を縫って、ゾロ達はルフィのいるイースト宮殿へ向かうことになった。
ルフィが王太子になる前なら、特に前触れもなくノース宮殿(後宮)に出向いても難なくルフィに会うことができた。
しかし、王太子となり、イースト宮殿に移った今、事前に謁見の申し入れをしておかないと会えないという不自由さができてしまった。

その日ようやくウソップ、カヤ、ナミ、ゾロに、ルフィとの謁見の許可が降り、彼らはイースト宮殿へと登殿した。





「いいから、お前ら下がってろ!」

「しかし、殿下…。」

「いつも言ってるだろ!こいつらは親友なんだから、俺を殺したりしない!」

ルフィはゾロ達を部屋に迎え入れた後も居残ろうとする侍従達にそう叫んだ。
彼らは王位継承権第一位のルフィの護衛でもあるのだ。
残って職務を全うしようとする彼らをルフィは邪険に追い返す。
ルフィは自分の親友達が、まるで自分を暗殺する刺客であるかのようにように扱われるのが我慢ならない。
強引に侍従達を部屋から押し出した。

「おい、いいのか?そんなわがまま言って。」

ウソップが心配気に訊く。侍従達にしてみれば、この上なく大切な地位にある者を守らねばならないという一心なのだろうから。

「いいんだ、あいつら心配しすぎなんだ。俺は強いっつーの!!」

「そういう問題じゃなのよ。あの人達にとっては。」

ナミがそう言っても、その言葉はルフィの耳を軽く通過するだけ。

「それより、ゾロ!久しぶりだな!元気にしてたか!」

ルフィが元気一杯に満面の笑みでゾロに向かって言った。

「おかげさまでな。」

そうかそうかとうなづくルフィ。

「それにしても広い宮殿だな。こんな所にお前は一人で住んでるのか。」

ゾロが首を回し、通された部屋を見渡した。
応接間なのだろうが、半端な広さではない。
高い天井から下がる豪奢なシャンデリア。一度腰を落ち着かせると次にはなかなか立ち上がれそうにないほどクッションの効いたソファ。床は磨き上げられ、ゾロ達の姿をくっきりと反射している。
ゾロはぼんやりと軍人仕官学校の食堂よりも広い・・・などと思った。

「そうだ!すごいだろ!ノース宮殿(後宮)とは訳が違うぞ。何でも俺専用の物があるんだからな!」

「ほー。もうすっかり慣れたか?ここでの生活に。」

「慣れたっていうか、慣れされたっていうか・・・。」

第二王子として生まれたルフィが王太子になったのは、1年ほど前のこと。
それまでは、ルフィの腹違いの兄で、第一王子のエースが王太子だった。
しかし、彼は突然失踪。
本当に何の前触れもなく、忽然と姿が消えてしまった。

そして王太子のお鉢がルフィに回ってきて、彼の生活は激変した。
心無い者から「山ザル」と呼ばれるほど、後宮に留まらず自由奔放に遊びまわっていたのに、王太子になった途端、後宮から出ることもままならなくなった。
そして、成人するや否や、一人イースト宮殿に引っ越しさせられてしまった。

「一番嫌なのが、毎朝風呂に入れさせられること。」

ルフィはまるで苦いものでも噛み締めているかのように、顔を歪めながら言う。

「朝風呂か〜。優雅じゃないか〜。」

ウソップが目を細めてうらやましげに呟いた。さぞや立派な風呂なんだろーなーとか思いながら。

「何言ってんだ。初めてここに移り住んだ日の翌朝、みんなに寄ってたかって服ひんむかれて、湯船に浸けられたんだぞ。どんだけビビったか!」

「ははははは。」

どういうわけか、ルフィは風呂が嫌いなのである。水遊びも不得意だ。


「でも、こんなに広い御殿に一人でいるなんて、寂しくない?」

カヤが小首を傾げながら、細やかな心遣いを見せてルフィに尋ねる。

「寂しい?」

しかし、ルフィは理解できないのか、キョトンとした顔をして逆に訊き返した。

「こいつにそんな繊細な感情があるわけないでしょう。」

ナミが人の悪い笑みを浮かべながら、ルフィを指差して毒づくと、ルフィは馬鹿にされたと思ったのか、口を尖らせて言い返す。

「分かるさ。遊び相手がいないってことだろう!」


(いや、どこかが違う・・・)


ルフィ以外の全員が心の中でそれぞれツッコミを入れた。


「でもさ。もうすぐ、一人増えるんだ。」

という突然のルフィの発言に、一堂が目を丸くしてルフィを見る。

「増えるって・・・なんで?」

「俺、もうすぐ結婚するから。」

ルフィは現在14歳。普通の男性なら、まだ結婚などしない歳だが、王太子は違う。
成人(この国では14歳)すると同時に結婚することもままある。
早くから外戚を作り、王太子としての後ろ盾を強固にするためだと言われている。
現に兄エースは失踪当時、既に結婚していた。

「け、結婚だって〜〜???」

ウソップのひっくり返ったような声。

「誰になるのか知らないけど、相手の方が本当にお気の毒ね。」

ナミは目を伏せ、心底同情気味に言う。

「で?誰とするんだ?」

とゾロが問うと、

「よく知らねぇ。」

という返事。

「よく知らないって、自分の結婚相手なんだろ?」

「うん。でも知らないんだ。」

ルフィはケロッとした顔で言う。

王太子の初めの結婚は国王と元老院が協議して決める。
王太子が最初に迎える妃は、ゆくゆくは第一王妃となるので厳格に人選される。
家柄、国との利害関係、父親の職務、本人の履歴、人柄、素質、容姿など、数あるチェック事項を通過して、候補者が選び出され、更に厳しく審査される。
まあ多少は王太子の趣向も取り入れられるが。

「候補者はもう上がってるんでしょ?」

「うん、たくさん。あまり覚えてないけど、ポートガス家が候補に入ってたのは覚えてる。」

「ポートガス家?」

ポートガス公爵家は失踪したエースの母親の実家だ。
エースの母親は現在の第一王妃(因みにルフィの母は第二王妃)。
実現すれば二代連続でポートガス家から第一王妃が誕生することになる。
またポートガス家は、ロロノア家などと並ぶ屈指の名門だ。

「それじゃあ、義理のイトコと結婚するのね。会ったことはあるの?」

「ない。」

「会ったこともない従妹かー。それじゃ、他人と変わんねぇな。」

「そうなんだよなー。何で顔も知らない奴なんかと結婚しなくちゃいけないんだ?」

ルフィが珍しく不平を述べた。

「俺達に訊くなよ。」

「仕方ないでしょ。王太子の結婚なんてそんなものなのかも。」

ナミが肩をすぼめ、ため息交じりに答える。

「どうせなら、ナミか、カヤが良かったのになぁ。」

ルフィのその言葉に、ゾロは目を見張った。


(―――な、)


「何てことを言うんだ!!」

叫んだのはウソップだった。
その剣幕にルフィはもちろんのこと、ゾロ達もギョッとして、ウソップを見た。
しかし、

「だって、顔も見たことない奴より、知ってる奴の方がいいじゃんか!」

悪びれもせず、ルフィは反論した。

「それでも、気安くそんなこと言うんじゃねぇ!」

ウソップは目を堅く閉じて、唸るように言った。
カヤに思いを寄せているウソップにとって、そんなことが現実のものとなることは、悪夢以外の何ものでもない。
ひとたび国王陛下からカヤにルフィとの結婚の命令が下ったら、どんな理由があろうとも、必ずカヤはルフィと結婚しなくてはならないのだから。

「ウソップ、落ち着いて。第一王妃は公爵家か侯爵家、或いは他国の王室から選ばれるのが通例。カヤも私も伯爵家の出なんだから、ありえないわよ。。」

「でも、全く前例が無いわけじゃない。」

ウソップが弱々しい声で呟く。心底、現実に起こらないかと心配しているのだ。

「それはそうだけど…。」

その気迫に押され、ナミの返答も力ないものとなった。

「わかった!もし、父上に『この中から誰がいい?』って訊かれて、その中にカヤが入ってたら、『カヤは嫌だ』ってハッキリ言う!」

ウソップの心意気を感じて、ルフィは宣言した。

「そういう質問をされなかったらどうするわけ?」

「だから、もし訊かれたら、の話だ。」


もしルフィの意向が問われずにカヤが選ばれれば、ルフィは結婚せざるをえない。

王の命令には、ルフィでさえも逆らえないのだから。





***





イースト宮殿からの帰途の馬車の中は、いつになく沈黙に包まれた。

ウソップもカヤもお互いを意識しすぎ、会話にならない。
宮殿でのウソップの発言は、ほとんどカヤへの絶叫告白にも等しかったから。
そんな様子の二人を見て、やはり声をかけられないゾロとナミは、時折顔を見合わせては溜息をつく。
ウソップはどうにか話かけようとするのだが、口をパクパク開けてはまた閉じるの繰り返し。
時折、助けを求めるようにゾロとナミの方に目を向けるが、その期待に応えることはできなかった。

やがて馬車はカヤの館に到着し、消え入りそうな小さな声で「おやすみなさい」の一言のみを残して、カヤは馬車を降りてしまった。
ウソップは尚も何か声をかけようとするが、どうにも言葉が出てこなかった。


「あんた、何やってんの!男でしょ、ビシッと決めなさいよ!」

カヤがいなくなると、二人を見てずっとヤキモキしていたナミが堰を切ったように話し始めた。

「そんなこと言ったって…。」

トホホな顔のウソップ。

「じれったいったら!私が男だったら、今日中に決めてたわね!」

「決めるって何をだよ?」

ウソップではなく、ゾロが眉をしかめてナミに問う。

「決まってんでしょ!プロポーズよ、プロポーズ!!」

「「プロポーズ??」」

ナミの発言に男二人は口を揃えた。

「ウソップ、カヤが王太子妃候補になるのがそんなに心配なら、絶対そうすべきよ。お妃候補者にはそれぞれ内偵が入って、その女性に結婚の予定がないかどうか調べられるの。相手がいると分かれば、即刻候補者リストから外されるわ。」

「え。」

「つまり、ウソップが即効でプロポーズしてしまえば、今の段階ならカヤは完全にお妃候補から除外されるのよ。別に今すぐ結婚しなくてもいいのよ。婚約だけでいいの。」

「そうなのか…。」

そう言って、ウソップは何か真剣に考え込み始めた。

「おい、ナミ、あんまりウソップをけしかけんな。これはお互い一生の問題なんだから、もっと熟慮すべきだ。」

「そんなこと言ってる間に、カヤが王太子妃に内定したら、あんたどう責任取るのよ?」

「どうもこうも、冷静に考えればカヤが選ばれるわけないだろ。公爵家と侯爵家の娘だけでも一体何十人いると思ってるんだ。」

「ゾロ、お前今、カヤのこと馬鹿にしたのか?カヤはあんなに美人でおしとやかで、頭もいいんだ!選ばれるに決まってる!」

カヤ命のウソップにはそう見える。

「ナミみたいにじゃじゃ馬の変わり者で有名だったら、すぐ外されるだろうけどな・・・。」

ウソップは俯き、頭を両手で抱え込みながら呟いた。
彼は己の悩みが深くて、自分の失言に気づいてない。
その発言を聞いて、ゾロは吹き出し、ナミはむくれた。

そうこうするうちに、馬車はナミの館に到着した。
ナミが降りたあと、ゾロも馬車から降りる。
ナミの館とゾロの館は敷地が隣接していて、いつもゾロがナミを館の玄関まで送り届けるのが昔からの習慣になっていた。

降り際、ゾロはウソップから小声で声を掛けられた。

「ゾロ、おまえもちゃんと対策練れよ。さっきはああ言ったけど、ナミだって分かんないぞ。」

そう言われたゾロは、思いっきり怪訝な顔をウソップに向けてしまった。



ナミが王太子妃候補に?
そんなこと―――



「ありえない。」

きっぱり言い切った。
このとき、ゾロは本気でそう思っていたのだ。






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