イーストレイクの魔女 −3−
次に気がついた時は、ゾロは馬屋の干草の上に横たわっていた。
「ゾロ!」
「ミスター・ブシドー!」
コーザとビビが、心配そうに覗き込んでいる。
「大丈夫か? 突然、天井から落ちてきたんだ。その時から気を失っていて。」
「すごく心配したわ。魔女に何かされたの?」
二人の問いには答えず、飛び起きる。
「コーザ!お前今までどこに行ってたんだ!いや、そんなことより、なんで二人でいるんだ!一体どういうつもりなんだ!?」
畳み掛けるようなゾロに、コーザはその肩を抑えて宥める。
「すまん、ゾロ。俺は、この馬屋の裏に掘られている濠に入って隠れていたんだ。」
「濠、だと?」
「そうだ、昔の戦争で使われていた、敵襲があった時に逃げ込むための穴倉だ。今はもう使用されていないから、出入り口も板で覆ってあるが。」
そう言って、コーザは馬屋の奥に視線を向けた。今は板塀の一つが外されていた。
灯台元暗しとはこのことだ。
まさか館内に留まっていたとは。いくら外を探しても見つかるはずがない。
「ビビは、このことを知っていたのか・・・・?」
ゾロのその問いに、ビビはふるふると首を横に振る。
「私も今日まで知らなかったの。今日、私も馬で市中を捜そうと思って馬屋に来たら、突然コーザが現れて。死ぬほど驚いたわ。」
困ったようにビビはコーザを睨みつけると、コーザは苦笑いを浮かべた。
ビビは知らなかった、コーザの居場所を、今日までは。
ということは、ビビはゾロを欺いたわけではないのだ。
騙そうとしたのではないのだ。
「俺は、ここでビビと二人きりになれるチャンスを待っていた。ビビと逃げるために。」
ああ、やはり。
コーザはそのつもりだったか・・・・。
「でも、やめた。」
コーザとビビは視線を交わす。
ゾロは何度も目を瞬かせて、そんな二人を交互に見つめた。
「周囲を悲しませてまで、二人で幸せになりたいわけじゃない。そうビビに諭されて、目が覚めた。」
「逃げて隠れするんじゃなく、皆に認められて祝福されて、堂々とビビと一緒になりたいんだ。」
「何としても、親父達を説得してみせる。それまでは、どんなに縁談が来ても、断っていくつもりだ。」
こんな風に時たま姿をくらませたりしてな、とコーザは白い歯を見せて笑った。
ビビはそんなコーザを甘く睨みつけた後、はにかむように微笑んだ。
それは、ゾロが今まで見たことのないほどの美しい笑顔だった。
その後、ゾロが主人にコーザ発見の報を届けた。
息子が無事発見されて、主人は涙を流して喜んだ。
湯浴みと着替えを済ませたコーザが主人の部屋へ出向くと、主人は息子を抱き寄せて喜びを表した。
主人は息子が自らの意思で姿を消したことを大層嘆いたが、責めはしなかった。逆になぜそんなことをしたのか、理由を問いただそうとし、自分に非があるならば改善したいとまで言った。
しかし、コーザがビビと結婚したい旨を告げた時、主人はそれまでの態度を豹変させた。
「許さん、絶対に許さんーーーー!」
「お前は由緒正しきユパ家の跡取り息子!それを給仕女なんかと結婚させられるか!末代までの恥だ!」
「ビビもビビだ。私はあの娘にはことのほか目をかけてきてやった。幼い頃から知っているのだ、実の娘とまで思うほどに。それなのに、恩を仇で返す気か!まったくもって見下げた娘だ。もうガマンならん。即刻、荷物をまとめて出て行ってもらう!」
ビビがこの場にいなくてよかった。もしもここにいたら、今の主人の言葉に胸も張り裂けんばかりだったに違いない。
この時、主人が興奮のあまりフラフラと倒れそうにならなかったら、主人はそのままの勢いでビビを追い出しにかかったかもしれない。
倒れかかった主人を執事とゾロの2人がかりでベッドに寝かせ、なんとか落ち着かせると、コーザとゾロは主人の部屋を辞した。
自室に戻った頃には、とっぷりと日が暮れていた。
ランプに火を灯すと、大きく息を吐いてベッドに座り込んだ。
疲れ切っていた
今日一日に起こった出来事があまりに多すぎて、頭の中で整理がつかない。
魔女と会った―――イーストレイクの魔女に。
コーザが見つかった。
コーザとビビはお互いの想いを確認した。
しかし、主人は二人の仲を認めず、怒り狂っている。
それにもかかわらず、コーザはサバサバした表情だった。
積年の想いを告げることができて、満足しているようだ。
これから長期戦になろうとも、根気よく父親を説き伏せていくつもりなのだろう。
しかし、ゾロは懸念が先立った。
二人は主人を説得したいというが、ゾロには楽観的な考えに思えてならなかった。
ユパ家は歴史ある名家だ。
その歴史と名誉を守るため、主人も命を懸けている。
そんな主人を折れさせるのは至難の業だろう。
お坊ちゃま育ちのコーザに、簡単に太刀打ちできる相手とは思えない。
説得などと悠長なことを言っている間に、ビビがこの屋敷から追い出されかねない。
こうなると、主人にコーザのことを知らせたのは間違いだったのではないかという思いが募る。
コーザは姿をくらましたままの方が、よかったのではないだろうか。
そして、コーザとビビの二人で逃げた方がよかったのではないか。
どうしたらよかったんだろう。
そして、これからどうすべきなのだろう。
主人の意思を変えさせるには、一体どうしたらいいのか。
それができなければ、二人に未来はない。
その時、ゾロのベッドサイドのテーブルに置かれている木製の水桶の水が揺らめいたかと思うと、ゆらゆらと青い光を放ち始めた。続いて、その中にぼんやりと人影が現れる。
今日幾多の不思議な経験をしたゾロは、それが魔法による現象だとすぐに分かった。
「ナミ?」
かすれた声になっていて、我ながら情けなかった。
「ううん、ごめん、俺だよ・・・・。」
チョッパーだった。
ゾロはため息をつかないようにする努力が必要だった。
「どうした?こんなところまで。」
「えーと、請求書を持ってきたんだ。」
「せ・・・・・。」
なんだか唐突にこの場にそぐわない言葉を聞いた気がして、ゾロは少し拍子抜けする。
チョッパーが封筒を差し出すので、それを受け取った。不思議なことにチョッパーの姿は幻影だったが、封筒だけは実体となってゾロの手に残った。
封筒の中から折り畳まれた紙を取り出し、開いてみる。
請求書―――金1億ベリー也。
「1億ベリーだぁ!?」
ゾロは目を剥いた。どんな法外な要求だ。
いや、そういう要求をすると噂では聞いていたが。
「え?普通だよ。まー相手にもよるけど。」
事も無げにチョッパーは言う。
その、なんというか、少ししか言葉を交わさなかったが、けっこう気心が知れたような気がして、もしかしたらちょっとアジつけて、マケてもらえるのではないかなどと考えていた。
それはまさしく甘い考えだった。
「それより、ナミに会いたかったの?」
「あ?」
「俺だったから、ゾロ、残念そうな顔してた。」
「!」
バカな、と言おうとした。
しかし、そう思った自分もいたことも確かで、何も言えなくなった。
「待ってて!ナミを連れてくるから!」
すぐさまトナカイは身を翻し、水の上に揺らめく映像の中から消えた。
マジで呼んでくるつもりか。
しかし、だかといってナミに会ったからといって何をどうしたいかというと、何も考えつかない。
逡巡しているうちに、ゆらゆらと光が立ち上り、女の上半身が現れる。
目深にかぶっていたフードを今は外していて、オレンジ色の髪が顕わになって、肩の上で揺れる。
大きくて澄んだ瞳が、またもゾロをまっすぐ捉える。
「参ってるようね?」
「・・・・・。」
そう言われ、ゾロもまた、ジロリとナミを睨み返した。
「せっかくコーザの行方を見つけてあげたのに、余計なことをしてくれたって顔してるわよ。」
その通りだ。
魔女になんか頼らなければよかった。
そもそも、コーザは自分から姿を現したんだ。魔女に頼る必要なんかなかったのに。魔女の元へ行ったのは、全くの無駄骨だった。
もちろん、それは今だから言えることであって、当時は分からなかったことだと頭の中で理解しつつも、そんな考えに陥らざるを得ない。
それだけ問題が複雑になっていて、ゾロの手に負えなくなっているからだ。
「あなたが気を揉むことないわ。こういうことは、なるようにしかならないものよ。それに―――」
ナミは思わせぶりに言葉を切る。
「この展開は、あなたにとって、好都合なんじゃないの?」
「は?」
一瞬意味が分からず、怪訝な目をナミに向ける。
薄ら笑いを浮かべている魔女に。
魔女は甘い囁き声をゾロに浴びせる。
「あなた、あのビビっていうお嬢さんのこと、好きなんでしょう。」
ゾロは目を剥いてナミを見た。
突然、冷たくて鋭利なナイフで、喉を撫でられた気がした。
「このままいけば、コーザは婚約者と結婚するわ。」
「そしてあなたは、晴れてお嬢さんと結ばれる。」
「それが、あなたの本当の望みなんでしょう?」
(やめろ)
「だから、あなたはもう何もしなくていいのよ。」
(やめろって言ってんだ!)
「このままいけば、全てはあなたの思いのまま。」
「彼女はあなたのものに・・・・。」
「黙れ!!」
バシッと手の甲で水桶を薙ぎ払う。
その拍子に上がった水飛沫とともに、ナミの姿はかき消された。
ガランガランと派手な音を立てて、水桶が石の床の上を転げ回る。
水桶の中の水が、床にぶちまけられた。
ハァハァというゾロの荒い息遣いの音だけがこの場を満たす。
よろよろとベッドから立ち上がり、ゾロはへたりこむように床の上に両膝をついた。
床に広がった水に、拳を打ちつける。
「そうだよ、お前の言う通りだ!心の底では、そう願っていた!」
コーザの縁談がまとまってしまったら、
その時は―――俺が、コーザに代わってビビを幸せにしようと考えていた。
いっそ、コーザとビビの仲が壊れちまえばいいと。
そうすれば、ビビは俺のものになるとさえ。
親友とその恋人の幸せを表面では願いながら、裏ではこんな汚い気持ちを抱えていた。
己の奥底に淀む、消そうとしても消えない、醜く、暗い欲望を。
そんなことおくびにも出さす善人面をして。まったくお笑いだ。
けれど、
「なんで、なんでそんなことを言う! そんなこと、言わなければ済むことなのに!」
そうすれば、気づかないままでいられた。
このまま汚れた心を覆い隠して生きていけた。
それなのにお前は、俺の心の奥に巣食う欲望を、表に引きずり出した。
ああ、そうか。
お前は魔女なんだ。
こうやって、人の心を惑わせるんだな。
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