イーストレイクの魔女 −4−




眠れなかった。
明け方になってようやく浅い眠りがゾロに訪れたが、それも束の間のことだった。
部屋の扉をドンドンと叩く音で、目を覚ました。

「ご主人様がご乱心です!」

扉を開けるとともに、執事が唾を飛ばしながら喚いた。かなり取り乱している。
話を聞くと、主人が早朝にビビを屋敷から追い払おうと人をやったところ、ビビの部屋にコーザがいて、騒ぎになったらしい。
それを聞きつけた主人が怒り、剣を抜いて、コーザとビビを成敗しようとしているという。


ゾロが駆けつけてみると、ちょうど中庭のところで主人がコーザとビビに向かって剣を振り回している。
コーザはビビを庇いながら、必死で何か叫んでいるが、父親は聞く耳をもっていないようだ。

「お止めください!」

対峙している3人の元に飛び出したゾロは、後ろから主人を羽交い絞めにした。

「邪魔立てするな、ゾロ! 離せ、離せ! このままではユパ家は終わりだ! ユパ家の伝統は、名誉は、どうなる!?」」

「もう縁談は進んでおるんじゃ! 後戻りはできぬ! もししようものなら、莫大な補償金を支払うことになる! それを、お前達で払えるとでも言うのか!!」

「しかも、一度交わした約定を果せなかった私の信用は丸つぶれだ!この損害もどう償うつもりか! ええい、ゾロ、離せというに!」

命令に、ゾロはそろりと腕の力を緩める。
主人はゾロから逃れて向き直り、剣を振りかざして命じた。

「この二人を引っ捕らえよ!」
「・・・・・。」
「できぬのか?お前もこやつ等の味方か?この私の恩を忘れたかッ!」

主人の恫喝にも、ゾロは動けなかった。
一晩考えて出た結論は、それでも、二人の幸せを願う気持ちに嘘偽りはないということ。
コーザとビビは、ゾロにとって幼き日より親しんできた何よりも大切な存在なのだ。
友情を裏切ってまで得たいものなど何も無い。
自分の行いが彼らの幸せを永遠に絶つかと思えば、たとえ主人の命令でも従うことができなかった。
そんなゾロを見て、主人はますます激昂する。

「お前達3人共、私をたばかりおって・・・! もうよい、かくなる上は!」

業を煮やした主人は、剣を自分の胸に突き立てた。

「父上―――!?」
「ご主人様!!」
「いやぁぁぁーーー!」

悲鳴をあげて、ビビは両手で顔を覆う。




「あ・・・れ?」

少しして、主人の間の抜けた声が聞こえてきた。

ゾロもコーザも、そしてビビも、恐る恐る主人を見てみる。
主人の胸に突き立てたはずの刃は、水となって零れ落ちていた。
柄だけになった剣を、主人は狼狽しながら見つめている。
いったい何が起こったのか、その場にいた誰にも分からなかった。

しばらくして、中庭にある池から青白い光とともに、水柱が上がり始めた。
それは人の背の高さにまでなると、黒いローブを身にまとった一人の女の姿を形作った。
誰もがぎょっとしたが、ゾロだけはそれが何か理解した。
やがて女は、池から中庭に降り立つと、ゆっくりとした足取りで主人のそばまで歩み寄る。

「物騒なことはおよしなさい。」

優しく諭すような声。
恐る恐る、主人は女と目を合わす。
女はにっこりと微笑んだ。

「私はイーストレイクの魔女。」
「イースト・・・・レイク、の・・・・!?」

主人の顔に驚愕の色が浮かぶ。
なぜ、魔女がこんな、私の屋敷なんかに・・・。
そんな主人の様子などおかまいなしに、魔女は優雅に主人の前に立ち、話し始める。

「イーストレイクの魔女が、ユパ家当主に進言しよう。心配せずとも、この縁談は早々に先方から破談の申し入れが来る。」
「な、ななな、何を根拠に!?」
「見るがいい。」

ナミが、自分が現れた池に向かってサッと手を上げた。すると、池から青白い光が立ち上る。
ゾロが魔女の城で見た水盤と同じ現象だ。
その光の中に、一人の娘が浮かび上がった。
金髪でおちょぼ口、長い髪をおさげにしている、可愛い娘だった。

「彼女の名前はコニス。スカイピア家の息女。そう、そこにいるコーザのお相手の娘です。」

やがて、水の中に映るコニスという娘は、何かを見つけたようで、その表情を輝かせた。
足早に駆け出すと、水の中にもう一人、男が現れる。
目つきの鋭い、屈強な体躯。前髪を頭頂近くまで剃り上げ、後頭部には豊かに長い髪が腰の辺りまでうねり、一つに結わえられている。
その男の前に立つと、コニスは頬を赤く染め、恥ずかしそうに顔を伏せながら、そっと逞しい胸元に額を寄せた。
男は一瞬うろたえたように仰け反ったが、すぐに周りをきょろきょろと見渡した後、コニスの背に腕を回し、その身体を優しく抱き寄せた。

「ご覧の通り、この二人は恋仲です。この家のご子息と侍女が、そうであるように。」
「と、いうことは、この男は。」
「そう、この男は馬丁です。ご息女の相手としては相応しくない。まさしく身分違いの恋。しかも!」

ナミの声が一際大きく響く。

「この娘のお腹には、既に子が宿っている。」

衝撃的な発言だった。
その場にいた者全員が、おおっとどよめきの声を上げた。

「というわけで、この縁談は先方から破談の申し入れがくる。すなわち、ご主人が気にされるような賠償金は発生しない。それどころか、こちらから賠償請求も可能ですよ。」
「しかし、スカイピア家との縁談が流れたとしても、コーザとビビのことは別問題!身分が違いすぎる。断じて許せん。」

主人の反論に、魔女は顔色一つ変えない。
むしろ目を細め、余裕の笑みすら浮かべて、主人ににじり寄る。

「ご主人は何も分かっておられない。私には、この家の未来が見える。コーザがビビを娶れば、このユパ家に、かつてない繁栄がもたらされるだろう。それでも、この二人の仲を裂こうというのか?それは愚かというもの。」

魔女の進言に、ようやく主人は折れて、コーザとビビのことを認めた。
元々、主人はビビのことを気に入っていたのだ。身分が違い過ぎることがが問題だっただけで。
しかし、ビビを迎えることがユパ家の繁栄に繋がるという魔女のお墨付きを貰った今は、主人はユパ家にビビを迎え入れることに、もはや何の躊躇も感じることはなかった。
主人はビビに詫びを入れ、ビビも受け入れて、そして主人、ビビ、コーザの3人で肩を寄せ合って喜びを表現した。
新しい家族の誕生の瞬間。
それは実に美しい光景だった。
ゾロは、その様子を少し離れたところから眺めていた。

「さて、私は退散するとするわ。」

不意にナミはゾロの傍らに立ち、面倒くさそうにオレンジの髪をかき上げる

「・・・・・。」

ゾロは目を伏せる。昨夜のことが気まずくて、すぐには言葉が出てこない。

「これ、今日の分の請求書。特別料金を上乗せしてるから。」

ナミは強引にゾロの手を取って封筒を握らせると、スタスタと歩いて中庭の池の中に足を踏み入れる。
そして見る見るうちに水となって溶けていき、やがては消えた。
魔女が消えていった池を、ゾロはじっと見つめる。

「チッ。」

ゾロは舌打ちした。

―――相変わらず、がめついヤツめ。




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