チョッパーが空を見上げる。
カモメが数羽、飛び交うのが見える。

カモメがいるのは近くに島がある証拠だ。





もう一度信じて  −2−





「ナミ!次の島のことがだいたい分かったぞ。」

昼下がり、ナミが食堂で海図を描いているところへ、チョッパーが入ってくるなり言った。
言った後でハッと口を噤む。他のクルーがいるかどうか確認するのを忘れていた。

「大丈夫。私一人よ。サンジくんにはみかん畑の警備に行ってもらったわ。」

ナミとチョッパーが2人でコソコソと話し合う光景がよく見られるようになっていた。
勘のいいサンジは何か気付いているようでもある。あくまでも紳士的に振る舞って追求するような真似はしてこないが。
それでも、気兼ねなく話せるように、さりげに人払いをする。

「次の島のことが分かったってホント?でも、どうやって?」
「カモメに聞いた。」
「なーる。で、どうだって?」
「そこそこ発達した街らしいよ。大きな医科大学もあるんだって。」

チョッパーは動物と話せる。その利点を生かして情報収集に当たった。

二人はどうやって手術のことをどうするかでずーっと話し合っていた。
チョッパーは船上では揺れがひどく、手術は無理だという。
それならば陸に上がった時に、しかるべき医者にかかって、そこで手術をしてもらうのが最善だろうという結論になった。
しかし、次の島の情報が全然無い。そもそも文明がある島なのかどうか。例え人がいても、手術をするだけの医療水準があるのかも分からない。
通りすがりの船に聞こうとも思ったが、そんなに都合よく通りすがる船もなく。
ええい、こうなったら出たとこ勝負!医療が遅れた島だったら、どこか場所だけ借りて、チョッパーに手術してもらおう。当たるも八卦、当たらぬも八卦、と半ば投げやりな境地に入っていた矢先のことだった。

「そうか、良かった。」
「・・・・・・」

島に着けば、なんとかなる。すぐにでもこの状況を崩すことができるのだ。そう思うとナミは少なからずホッとした。
しかし、チョッパーは難しい顔をしている。

「何よ?」
「なぁ、ホントにそれでいいの?」
「しつこいわね。もう何回も言ったでしょ。私だって言うの辛いんだから何度も言わせないで。」
「『その人』に話したんだろ?止めなかったの?」
「お話にもなりませんでした。」
「ナミ、もっかい訊くけど、ちゃんと話したか?茶化したりせず?」
「まさか・・・・・覗いてたの?」

チョッパーはふるふると頭を横に振る。

「俺、分かる!相手が誰であれ・・・子供ができたって聞いてほっとく奴なんて、この船にはいやしないよ。だから話にならなかったのは、ナミに問題がある。ナミがちゃんと話さなかったんだ!」

怯えた表情を見せながらも、これだけは言わねばならないという風にチョッパーはキッパリと言った。
それに対し、ナミの目がスッと細められた。

「話したからどうだっていうのよ。ええ、確かに言ってくれるかもね、「責任とるよ」とか?そんなもの真っ平御免。そんな言葉がほしいわけじゃないわ。」

「チョッパーの言う通りきちんと話したわけではないけれど、子供ができたとは言ったわ。そしたらどう?あの反応。この世の終わりって感じよ。この正直者。そんな本心を見せつけられて、どうして「生んでもいい?」なんて聞ける?例え聞いたとして、あの姿を見てから「いいよ」なんて言われても!何がいいっていうのよ、全然ダメじゃない。惨めだわ、私も子供も。生むなら、ちゃんと、ちゃんと・・・」


想われて、生みたい


喉元まで出かかった言葉を必死でこらえた。事実はそうではない。だから、言うともっと惨めだった。


「ナミは・・・その人のこと本当に好きなんだね。」
「え?」
「俺さ、その人とは弾みみたいな関係なのかなって思ってた。人間は酔った勢いとかで寝るっていうし。でも、ナミはその人のこと、真剣に考えてる。」

ハッとしてチョッパーを見る。
ゾロのことが好き?
・・・・そうね、そうかもしれない。あの真っ直ぐに夢を追っていく姿とか、強い意志とか。
プライドが高くて、生き恥をさらすぐらいなら死んだ方がマシだとか。足を切って戦うだとか。ナミには到底理解できない思考をしている。
そんな自分には無いところに惹かれてたのかも。

でも、それは、ゾロに限ったことではないし、今始まったことでもない。
理解できないことにかけては、ルフィの方がはるかに上を行くのだから、ルフィに惹かれる方が自然な気がする。

ナミが特にゾロを意識し始めたのは、やはり関係を持ってからだ。
二人とも意図せずに、その状況が故に持った関係だった。
それ以降、ゾロはナミに対して罪悪感を持ち続けている。
それを感じるのが辛かった。
自分のためにそんなものを感じないでほしい。
いつも前だけ向いて歩いていればいい男が、立ち止まり、ナミの方を何度も振り返る。
そんな状態が辛く、苦しい。
早く忘れて。私も忘れるから。

ナミ自身もそれ以降、ゾロが今何を見ているのか、何を感じているのかが気になった。
それこそ一挙手一投足が。
目の前にゾロがいなくても、常にゾロのことを考えてきた。いつもゾロに心を配ってきた。
そんな状態が数週間に及ぶと、まるでゾロが自分の一部のようになってしまった。

今頃どうしてるだろう、もう眠っただろうか。
今、ゾロが怒ってる、ゾロが笑ってる。
ゾロがルフィを殴り、ウソップと話し、サンジくんとケンカして、チョッパーを小突いて、ロビンにはわざと苦々しげな目を向け、そして自分には・・・。

だから、ゾロがこの事実をどう受け止めるかが、手にとるように分かる。そして、きっとナミのことを慮った言葉を掛けてくれるだろうということも。
でも、それもこれも罪悪感からだ。ゾロはナミに対して負い目がある。「責任」という言葉でくるめて、事態に当たろうとするだろう。
それが例え自分の夢に片目をつぶり、心に重い気がかりを抱えるとこになろうとも。
それが、分かる。
そして、それが、我慢ならない。

「もっとちゃんと話し合うべきだ。きっと『その人』はすごく混乱してるんだと思う。俺だって急にそんなこと言われたら、口聞けなくなるくらいビックリする!」

黙りこくったナミに、経験があるわけでもあるまいに、チョッパーはそう言い切った。

「できない、できないわ。次は冗談で済ませられないもの。」

今となっては一体ゾロがどういう反応だったら自分は納得したのか、それすらも分からない。
ただ分かるのは、ゾロがこの妊娠を歓迎してないことだけ。
まずそれが分かってしまった。
それが先に分かった今、もう気持ちがくじけてしまって、もう一度なんてとても聞けそうにもない。

それに、ひょっとしたら・・・本当に拒否される可能性だってある。
ゾロに「堕ろしてくれ」とはっきり言われるのが怖い。
そんなこと言われるぐらいだったら。

ナミは俯いて、両の手で顔を覆ってしまった。

「今なら間に合う、まだ元に戻れる、そう思ってしまうの。元に戻りたい。何もなかった時に。そして、もう一度、一から始めたい。この子を堕ろすことでそれができるなら、そうしたい。」

そのまま、ナミは泣き出した。

そうはいっても、そうすることでナミの心がどれだけ傷つくか・・・とチョッパーは心を痛めた。
今はよくても、いつか後悔する日も来るのではないかと。

また、これだけ感情の起伏が激しいナミに、チョッパーは少なからず驚いていた。それは今までに見たことがないナミだった。
妊娠初期にはホルモンのバランスが乱れて感情が激しやすくなると、医学上の知識としては知っていたが・・・・。

「お願い、チョッパー、見捨てないで。今アンタに見捨てられたら、私・・・」

ガバッと顔を上げたナミが、すがりつくような目をして必死に訴えた。

「俺、そんなことしないよ。医者が患者を見捨てたりしたらおしまいだもん。」

ナミは感極まったようにチョッパーを引き寄せ、抱きしめる。
何度も頬ずりした。この世で唯一の頼りだと言わんばかりに。
チョッパーは抵抗しないでそれを受け入れた。
毛皮を通して染み込むナミの涙が冷たかった。




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