もう一度信じて −3−
翌朝に到着した島には立派な港があり、船着場を争うほどにたくさんの船がひしめいていた。
それらの船から下りた人々が頬をほころばせながら街へと向っていく。
港からすぐに市場が続いており、人の往来が盛んで活気に満ち溢れていた。
島の奥には大きな建造物が建ち並んでいる。
カモメの情報は正しかったようだ。たいそう文明が発達した街のように見える。
これなら相応の医療水準を期待できる。
港へ船をつけるための慌しい時間が過ぎ去ると、下船のための準備に入った。
いつもジャンケンで、クルー達のチームの組み分けと買い出し等の役割分担を決めるが、今日はナミが有無を言わせずパパッと決めた。
今回の下船ではナミとチョッパーが組まねば意味がない。
ナミとゾロが組むハメになったら目も当てられない。
港の地元住民に聞いた情報によると、ログが貯まるのは1週間。また、大学の附属病院が隣町にあるという。隣町へは駅馬車が通っていて、約2時間で辿り着けるということだった。
1週間で病院へ行って手術して静養して船に戻ることができるのか。
チョッパーは渋い顔をしながらも間に合うだろうと言った。
行くとなると小旅行だ。この時、節約根性が働いたナミはサンジにお弁当を二人分作るよう頼んだ。
せめて1日目の食事代くらいは浮かせようという目論見だった。
しかし、それが裏目に出た。ルフィが聞き逃さなかったのだ。
「弁当〜?弁当持ってどこ行くんだ?遠足か?ピクニックか?なんでもいい!俺も、俺の分の弁当も作ってくれ〜!俺も一緒に行くぞー!」
この発言にはナミとチョッパーは慌てる。
ルフィがついてくるなんてとんでもない話だ。
「あんたはサンジくんと一緒に買い出しでしょ!」
「なんで俺は買い出しでお前らは遠足なんだ?ずるいだろ?」
ウッと言葉に詰まる。ナミとチョッパーはあえて行き先を皆に告げていなかった。正直に言える訳もないし、だからといって嘘をつくのもためらわれた。だから何も言わなかったのだが。
しかし、弁当の要求はいかにも拙かった。不審がられても仕方が無ないし、遠足と誤解されても仕方がない。
けれど、よりによってルフィに指摘されるとは。弁当を申し付けられたサンジは何も言わなかったとういうのに。
「私達は日常衛生品の買い出しよ。いい品物は隣町にあるらしいから。」
「隣町まで行くのか?ますます行きてぇ!」
「あー・・・・っと、ついでに大学へ寄るの、調べ物をしに。ルフィ、そこにはね、本がこーんなに山積みになっててね。それでも行きたい?」
ナミが両手を一杯に広げて大きな円を描く。
かなり苦しい言い訳だったが、ルフィには効いた。
たくさんの文字を見ると三秒で眠れる特技を持つルフィは、本と聞くだけで嫌そうに顔をしかめた。
「俺、いいや・・・・。」
「アラ、それなら私が行きたいわ。」
「「!!」」
思わぬ伏兵が現れた。ロビンだ。
「何か目新しい考古学の本があったら目を通しておきたいし。」
「・・・・ね!」
「ね?」
「年齢制限があるのよ!! 一般の人は18歳以下でないと入場できないの!」
そんなワケなかろう・・・・チョッパーは冷や汗を流しながらナミの言葉を聞いていた。
他の連中もポカンとしてナミを見つめる。ナミが何をそんなに慌てているのか理解できないのだ。
さしものロビンもこの返答には少々鼻白らんだ様子だった。
次いでナミを静かに見つめ、一つ溜息をつくと、じゃぁ仕方ないわねとだけ言った。
ごめんロビン、と心の中で呟いて、ナミはもう質問は受けないとばかりに解散を宣言した。
甲板でチョッパーと一緒に荷造りをする。
サンジに作ってもらったお弁当をリュックに詰め込む。サンジは水筒も用意してくれた。
おそらく入院することになるので、着替えや寝巻きを持っていく。
あとタオルも。小さいのと大きいのを。コップや歯ブラシ、化粧品も詰め込む。
そうだ、お金がいる。いったいどれぐらいかかるんだろう。
そんな瑣末なことを考えている時、チョッパーが手に持っている物に気がついた。
「チョッパー、何詰めてるの?」
「毛布」
「毛布?!この暑いのに?」
「必要な時もあるかもしれないだろ」
「毛布なら、向こう(病院)にもあるでしょ?」
「うーん・・・」
歯切れ悪く唸りながらも、チョッパーは自分のリュックに折りたたんだ毛布を詰め込んだ。ナミはもう何も言わなかった。
「えらい荷物だな。」
低い声が背後から掛かる。
ナミは息が止まるかと思った。
「あ、ゾロー。」
「そんなに持って、大丈夫か?」
「人型になったら、これくらい全然平気だよ!」
ゾロを、ナミの腹の子の父親とは気付いていないチョッパーは、得意げに胸を反らして気安く受け答えをしている。
「しかし、遠出をするなら、この荷物は大変だろう。」
そう言いながら、ゾロはチョッパーのリュックではなく、ナミのリュックを掴み上げる。
それに釣られるようにして、ナミはゾロを振り仰ぐことになった。
ゾロは落ち着いた目でナミを見下ろしている。ナミは自分の顔が強張っていないことを祈った。
しかしそれは杞憂に過ぎなかったようだった。
ナミが大丈夫よ、と改めて言うと、ゾロはそうかとだけ答え、またリュックをナミの手元に戻した。
「気をつけて行けよ。」
ゾロはそれだけ言うと、二人のそばから離れていった。
後姿を見送りながら思う。
今日もゾロは自分に気遣いを見せてくれた。そのことが嬉しい。
関係を持つまでは決してなかったことだ・・・・そのことが心苦しい。
けれど、気遣ってはくれても、先夜告げたことの真相には決して気づいていない。
(どうして気づいてくれないの?)
先日告げたことが真実であること
(お願い、このまま気づかないで)
また元の屈託の無い仲に戻りたい
2つの相反する想いがナミの心の中で渦巻く。
気づいてほしいのか、気づいてほしくないのか。
一体どちらが本心なのか、ナミ自身にも分からない。
「ナミ?」
ナミの様子の変化にチョッパーが気づいた。
「あ、なんでもない。さて、そろそろ出発しましょうか。」
船から港に下ろされた縄梯子を降りて、人型になったチョッパーと二人、賑わいを見せる港町の雑踏の中へと進んで行った。
しばらくしてから、ゴーイングメリー号の方を振り返った。
緑頭の男がこちらに背を向けて欄干にもたれてながら、サンジと何か話しているのが見える。
すると、サンジがこちらに気づいて手を振ってきた。
ゾロは振り向かず、手だけを上げた。
***
港から1キロ歩いたところに大きなターミナル駅があった。そこから郊外に向けて駅馬車が出ているらしい。
隣町行きは30分に1本の間隔で出ていた。これに乗れば、2時間ほどで到着するという。
それを待って乗ったが、二駅目にたどり着く前に降りることになった。ナミの気分が悪くなったのだ。
ナミは妊娠を自覚してから急に様々な妊娠症状に見舞われるようになった。
尿が近くなり、喉が渇き、妙に倦怠感がある。また、時々身体中が痒くなったりする。
つわりが始まり、精神的に不安的になり、食べ物の好みが変わった。
島への上陸直前には皆が食べる食事は受け付けなくなった。暑さで食欲がないと言い訳して食事を抜いたり、サンジに好みを伝えてナミの分だけ特別に調理してもらったりした。
普段なら、どんな乗り物でも酔うなんてことはない。むしろ乗り物は大好きで得意な方だった。
それなのに、今は馬車内に漂うかすかな油の匂いにすら過敏に反応する。まるでそれだけが増幅されたかのように感じる。これには参った。胸がムカムカし、胃の底からこみ上げて来るのを止められなくなった。
ナミが口元を押さえてその場にしゃがみ込むと、チョッパーが大丈夫かと問うた。
返事が無いのを見てとると、チョッパーは大声で御者に向って叫んだ。「降ります」と。
馬車が止まり、二人が降りる際も、他の乗客も御者も別段迷惑そうな顔も素振りも見せなかった。物事に鷹揚な気質の土地柄であるようだ。
降りたのは、何の変哲もない街道だった。畑のあぜ道を少しばかり広くしたような道で、現に周りは見渡す限りの畑だった。畑は夏の日差しをいっぱいに浴びて、今は作物よりもむしろ緑色の葉を生き生きと茂らせていた。
馬車から降りた途端にナミは畑と街道の間に茂る草むらに分け入ると、両膝をついて前のめりになって吐き始めた。間一髪だった。
チョッパーはタオルに水筒の水を滴らせておしぼりを作ると、ナミのそばまで寄って行き、手渡した。
ナミはそれで口元を拭くと、そのままその場にしゃがみ込んだまま動かなくなった。
寝てはいない。目は開けて、まるで地面をじっと観察しているかのようだ。
二人の傍らの街道を、次の駅馬車もガタガタと音を立てながら通り過ぎて行った。
どれくらいそうしていたか、ナミの様子を窺いつつ、チョッパーが声を掛けた。
「ナミー。」
「うん、分かってる。」
ナミは水筒を受け取り、水を一口口に含むと、ゆらりと立ち上がった。それをチョッパーが手助けする。
街道に戻り、覚束ない足取りで歩き始めた。
まだ港町から数キロと離れていない。それなのに太陽はそろそろ南中しようとしている。
ナミの体調を考えるともう馬車には乗れない。そうなると歩いて行くことになるが。
地元の人の話では、隣町へは馬車を使って約2時間。歩いたら半日はかかるだろう。しかし、体調が万全でないナミにそれほどの長時間の行脚ができるとも思えない。
チョッパーは背にしょっていたリュックを前に回し、胸に抱え込んだ。そして、数歩前に出て、ナミに背を向けて座り込んだ。
「チョッパー?」
「おぶっていくよ。その方がナミも楽だし、早いよ。」
「そんな、悪いわ。」
「なに言ってるの。フラフラじゃないか。俺、力あるし大丈夫。」
それでもまだ逡巡するナミに、野宿したいの?と言うと、ようやくナミは背中に乗ってきた。
(もしかしたら、本当に野宿することになるかもしれない)
(念のために毛布持ってきて良かったナ)
「重いでしょ?」
「うん、重い。」
「なんですって?!」
背負われたナミが、チョパのピンクの帽子をパシッと叩いた。
「ハハハハハ。」
背中からぷりぷり怒ってる空気が伝わってくる。
自分で「重い」と言っておきながら、いざ言われると怒るなんて面白いなぁとチョッパーは思った。
そんなことを考えながら、背中に当たる柔らかなふくらみをなるべく意識しないようにした。
チョッパーの背中は広くて温かかった。思わず眠りに誘われそうになるくらいに心地よかった。
そして、ふとアラバスタでゾロに背負われた時のことを思い出す。
なんとか歩けそうだったにもかかわらず、ゾロに無理矢理背負わせた。
結果的にその方が早くみんなのところまで辿り着けたのだから良しとしよう。
あの時のゾロとの言い合いを思い出すと笑みがこぼれてくる。
何の屈託もなくポンポンと言いたい事と言い合っていたあの頃。
なんだかあれから随分隔たってしまったような気がする。
時間が経ったというよりも、自分とゾロとの距離が。
(もう一度あの頃に戻るのよ。そのためには・・・・)
心を鬼にして、なんだってする
そう思った途端、身体が鉛のように重くなった。
南中した強い日差しがじりじりとナミの頭髪を焼く。
チョッパーが前でゴゾゴソとしたかと思うと、ポスッと頭に被せられた。帽子だ。ナミのために用意していたのか。
ありがとうと囁いて、首に回す腕に力を込めると、チョッパーの耳が赤くなったような気がした。
帽子のツバで作られる影のおかげで目の前に暗がりができる。
それに誘われるようにまぶたを閉じると、ナミはゆっくりと夢の世界へと落ちていった。
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