イースト宮殿は、かつては王宮として使われていたこともあるだけに、規模は小さいながらも基本的に現在のノース宮殿(後宮)と同じ形式になっている。王太子と複数の妃が想定されていて、それぞれ別々の室に住まい、夜になると王太子が自分の寝所に妃を呼ぶという形だ。
しかし、今は妃が一人しかいないこともあり、ルフィとナミは結婚当初から同じ寝所で寝ることが許されていた。





王を継ぐ者  −3−





結婚の儀の当日の行事をなんとか一通り終えた時、さしものルフィもヘトヘトに疲れ切っていた。
バカみたいな体力を誇るルフィがこの有様なのだから、いわんやナミをや、である。
ようやく寝室に入って良いという許可が出て、疲れきった二人は先を争うようにベッドに入り込み、そして泥のように眠った。
そんな初夜だった。

二日目以降も様々な結婚に関わる儀式は続いた。ルフィはもう既に体力気力ともに回復していたものの、ナミは全然ダメで、ベッドに倒れこんだ瞬間に眠りに落ちてしまう。
仕方なくルフィは寝そべりながら肘をついた手のひらの上に顎を乗せ、ナミの寝顔を見つめる。オレンジの髪を引っぱったり、鼻を摘んだりしてみたが、全く目を覚ます気配がない。諦めて大人しく枕に頭を沈め、自分にも睡魔が訪れるのを待った。

そんな日々がおよそ1週間も続いただろうか。
それなのに、お付の侍従は毎朝「どうでした?」などと聞いてくる。ルフィがナミと無事にコトを終えることができたのか、平たく言うと結ばれたのかどうか、確認してくるのだ。
その度にルフィは「んなもん、できるわけねぇだろう!」と怒鳴りつけた。他人の神経をとやかく言える筋合いでは全くなかったが、そういう問いは無神経だと感じたし、ナミと自分の間に、土足で踏み込まれるようで不愉快だった。

ナミが疲れのあまり体調を崩してしまって休養を挟むなどし、結婚の儀から3週間経った頃になって、ようやく日常にゆとりが生まれ、ゆっくり寝室で(起きている)ナミと向き合えるようになった。
ナミはひどく緊張した面持ちでベッドの上で正座してルフィを迎えたけれど、その頃にはルフィは普通に寝てしまう習慣がついていたので、いつものようにさっさと布団の中に潜ってしまった。
このルフィの態度にナミは当惑し、茫然としている。或いは、これから自分達がしようとしていること、しなくてはならないことで頭の中がいっぱいで、気持ちが張り詰めて硬直しているようでもあった。
ルフィはそんなナミが少し可笑しくなった。
ついこの間まで、ナミの方こそ目の前で無防備に寝ていたくせに。

実際のところ、ナミのことは友達として好きだったが、女として見たことがなかった。
だからその気にもならない。いや、男なのでその気になろうと思えばなれるのだろうが、ナミに対してそんな気持ちになるのは、何か今まで大切にしてきたものを壊してしまうような、汚してしまうような畏れを感じて、できないでいた。

ナミがいつまでも横になろうとしないので、仕方なくルフィも起き上がり、ナミの正面に座り直すと、そのことを正直に話した。
そうするとナミは意表を突かれたようだったが、顔を俯けてしばし考え込み、次に顔を上げた時にはスッキリした表情に変わっていた。

「そうね、焦ることないわね。どうせ一生の付き合いになるんだし、ゆっくりやっていきましょう。」

それを聞いてルフィもいっぺんに気が楽になった。
そして何よりも、ナミの言った「一生の付き合い」という言葉が気に入った。
そうなのだ、ナミとはこれから“一生”一緒にいるのだ。
どこへ行くにも、なにをするにも。
もう二度と離れることはない。
それが結婚というものなのだと、ルフィは初めて理解したような気がした。

ルフィはまだまだ男女の営みについて疎いところがあったが、知識としては教えられていた。それに普通、王太子ともなる者は、姦計から身を守るためにも早くから性の手ほどきを受けるものなので、ルフィも一度だけそれを受けている。しかし、それ以降は拒否して二度と受けなかった。
けれど、たった一度の経験は強烈だった。だからこそ、そんなことをナミにするなどということは想像もつかなかった。余りにも生々し過ぎて、すぐにはとても無理だと思った。
でも長い付き合いとなるのなら、いずれそういうことができる日も来るかもしれない。
いや、きっと来るのだろう。
そうなったらそうなったでいい。
そんな風にして、いつか自然に結ばればいい。
そう、自然に。
だからあとはただ、その時が来るのを待てばいいのだ。

ようやく緊張を解いたナミが、ルフィの横にするりと身を滑り込ませてきた。
ルフィも同じように再び布団の中に潜り込む。
枕に肩頬を埋め、顔を見合わせる。
そしてお互いニカリと笑った。
それは、幼い頃によくした、こっそりと大切な秘密を共有した瞬間にも似ていた。

それからナミは、寝室にルフィが興味を示しそうな、様々な絵物語や遊び道具を持ち込むようになった。
燭台の灯りだけが灯された寝室の中、二人で使うにも大きいフカフカのベッドの上で、15歳の若夫婦は二人してだらしなく寝そべったりして、一日の出来事について、絵物語について、或いは思い出話などを語り合ったり、ゲームに興じたりする。
毎夜、どちらかが眠りに落ちるまで。
昼間以上に夜は心の垣根を取り払う。そうやって二人で過ごす時間はとても楽しかった。

そんな風に二人は鷹揚に構えていたのだが、周囲はそれを許してはくれなかった。
ある日、ノース宮(後宮)付きの侍従が、イースト宮に派遣されてきた。
イースト宮全体に緊張が走る。侍従達は皆騒然となった。
ルフィが会ってみると、その侍従は、いつまでも「本当の夫婦」とならない王太子夫妻の現状を、深く憂慮していると告げてきた。その上であからさまに夜の営みについて聞かれた。ルフィはまたも怒りにかられたが、辛うじて抑えて自分達の考えを伝えた。
しかし、その侍従はルフィの意見を一蹴し、厳しい顔つきで、とくとくと世継ぎの重要性をルフィに説いてくる。とにかく、一刻も早く子作りを始めるようにとの一点張りだった。

続いて、かかる事態まで放置しているのはイースト宮付き侍従の落ち度だとして、侍従達を激しく叱責し始めた。
普段は国王付きのノース宮の侍従と、王太子付きのイースト宮の侍従は、互いに不干渉を通している。お互いのことには口を出さないのが暗黙のルールだ。両者とも高いプライドをもって己が主に仕えており、お互い張り合っていると言っても過言では無い。
だからノース宮がイースト宮に口出ししてくるのは異例であり、ルール違反でもあった。しかし、現在の王太子夫妻の現状についてはノース宮の言い分の方が正しく、イースト宮側はその批判を甘んじて受けるしかなかった。
けれど、これにはルフィが黙っていられなかった。
イースト宮の侍従達とルフィは決して良好な関係とはいえなかったが、それでも他所からいきなりやって来た奴に身内のことをとやかく言われるのは、我慢がならなかった。
しかし、そんなルフィに対し、ノース宮の侍従は厳しく進言した。

「お付の者に恥をかかせているのは、他でもない、貴方なのです、殿下。」

その点を、どうかよく心にお留め置きくださいますように


侍従の言葉が、ルフィの耳に痛く残った。



***



その夜は、少し塞いだ気持ちで寝室に入った。
柄にもなく溜息などをついたりして、ベッドの上に仰向けに寝転がった。
あの侍従に言われた言葉を考えながら天井を見上げていた。
思い出していると、どんどん苛立ちと焦燥が込み上げてくる。

コトリと音がして、顔だけ振り向けると、ナミが寝室に入ってきた。
昼間はまとめ上げているオレンジ色の髪を背中に垂らして、薄くて白い夜着に身を包んでいる。
ゆらめく蝋燭の灯りが、そんなナミの全身をほのかに照らし出す。その様にしばしぽかんと見とれた。
しかし、ナミの顔を見て、ルフィはハッとなった。
ナミもまた、憂いを含んだ沈んだ表情をしていたのだ。
ルフィはがばっと起き上がり、

「ナミも、あいつに何か言われたのか!」

鋭く問うと、コクリと、思いつめた顔でナミは頷いた。
ノース宮から来たあの侍従は、ルフィだけでなく、ナミにも忠言したということだ。
ルフィは内心で舌打ちした。

「あんな奴の言うことなんか聞くことねぇぞ。」
「でも。」
「でももヘチマもねぇ。」

でも、ともう一度ナミは言った。

「あの人の言うことには一理ある。お世継ぎの問題は、とても大切だもの。」

現在の王の子供のうち、王子はルフィを含めて3人いるが、正妃から生まれた王子はルフィだけ。
そのことに、ノース宮も元老院も強い危機感を抱いている。おそらくは王も。
安定した王位継承は国の要。これが崩れると国が乱れる。後継者争いは政争の具になりやすいのだ。
王は既に高齢で、もうこれ以上の王子は望めない。
だから、一刻も早く次世代の王子、つまりは王太子の子供、しかも正妃から生まれた男子がほしい、というのが彼らの言い分だった。

「言われたわ、貴女は何のためにここにいるのですかって。妃の第一の役目は何ですかって。」

頭を殴られたみたいだった、考えが甘かった、分かってたつもりだったのにと、ナミは俯いて唇を噛んだ。
ルフィのそばにいれば、ルフィのために何かできると思っていたけれど、それだけではダメなんだって。

「じゃぁ聞くけどな、ナミは俺とヤレるってのか!?」

勢いで出た言葉だった。当然、否定されると思っていた。
ところが、あるかなきかのか細い声で、できるわ、と返ってきた。
聞き間違いかと思ってナミを見た。
目元をほのかに赤く染めて目を伏せていた。

「本気で言ってんのか。」
「いずれはしなくちゃいけないんですもの・・・・・それがちょっと早まるだけ。」

それはそうだけど、そんなんでいいのだろうか。
ナミはまるで自らに課せられた義務を果たすためとでも言いたげなのが、どうも腑に落ちない。妻だからとか、妃だからとか、それが当然だと。
ナミは結婚してから、「ルフィのため」「国のため」という言葉をよく使う。自分のことを想ってくれていると、大抵は嬉しく頼もしく感じるのだが、時々寂しく感じることもある。
それでは、国など関係なかったら。
自分が王太子ではなかったら。
ナミはどうするのだろう。
時々、ナミの気持ちが見えなくなる。

けれど、ナミがこうまで覚悟したのを目の当たりにして、自分が引くわけにもいかない。
自分の中にもどこか焦りがある。
あえて忠言してきたノース宮の侍従と、いつも心配そうなイースト宮の侍従達の顔が頭の中で浮かんでは消える。
なんとかしたい。とにかく前に進まなくては。
ついにルフィも覚悟を決めて、ベッドの上で組んでいた胡坐を解き、膝をついて座り直し、正座しているナミと向き合う。
ナミもその気配を感じ取って、膝の上で痛いほど手を握り締めてルフィを見た。
視線を合わせ、痛いほど見つめ合う。

「じゃあ、するぞ。」
「ええ。」
「本当にいいんだな。」
「しつこいわよ。」

ナミはあくまで強情を張った。
そこまで言われて、ようやくルフィは腕をもち上げ、ナミの両肩を掴んだ。
強気な言葉とは裏腹に、ナミの身体が瞬時に強張ったのが分かった。瞳の中に惑いが生まれ、揺れている。
ルフィはナミから目を決して逸らさず、ゆっくりと腕を縮め、その距離を狭めていく。
今までになく二人の顔が近づき、ルフィは唇を合わせるために少し顔を傾ける。
すると、ナミは息を呑んで、ぎゅっと目をつむる。
そして、じっとその瞬間を待った。
でも、何も起こらない。
恐る恐るそっと目を開けると、間近でルフィと視線がかち合った。

「泣きそうな顔してるじゃねぇか。」

息がかかる程の近さで、ルフィが言う。

「無理すんな。」
「へ、平気よ。」
「嘘つけ。ビビってるくせに。」
「平気だってば。ルフィこそ、大丈夫なんでしょうね。」

ナミは話していると少し緊張が和らぐらしく、いつものような強気な言葉で切り返してきた。
ルフィはというと、そんなことを言われて少し目を丸くして、うーんと口のへの字に曲げて考える。

「わかんねーけど。まぁ1回やったことあるから、きっと大丈夫だ。」

と何気なく答えた。

「ええっ?」

今度はナミが驚いて目を見開いた。

「そうなの?」

したことあるの?いつ?と、いつになく詰問口調になっていた。
そんな風に言われて逆にルフィの方がたじろいだ。

「え?いやだから、その、」

ルフィはしどろもどろになりながら、結婚前に性の手ほどきなるものを受けたことがあるのだと白状した。
まるで浮気がバレて言い訳をしているようだ。
そして意外なことに、それって誰と?と更に追求されてしまい、ルフィはますますうろたえる。
相手の女のことは、もう一度会えばおそらく分かるだろうぐらいにしか、顔もろくに覚えていないのだ。
王子への性の手ほどきは、後宮の既婚あるいは未亡人の女官が担うものなのだが、もちろんルフィは知るよしもない。

「別にいいけど・・・・」

そうは言いつつも、ナミの顔はどこか気色ばんでいるし、しかもまだ何か言いたげだ。
そんなナミの反応に、ルフィは内心たいそう慌てたが、でもなぜだか分からないが少しくすぐったい気持ちにもなった。

「もういいだろ。」

黙れよと、ルフィはナミの肩を抱き寄せ、一気に顔を近づける。

ああ、女を黙らせるというのはこういうことなのかと、ルフィは身をもって初めて知った。




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<補足説明>
 「とある国の出来事」では王女にも王位継承権が与えられていますが、
この物語の時点では、王位継承権は王子(男子)にしかありませんでした。


 

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