「結局、昨夜もダメだったそうよ。」
「まぁそれはそれは。」
「お気の毒ですこと。」

言葉とは裏腹に、声音には明らかにからかいが含まれている。
既に王太子夫妻の夜のことは、後宮の女官達の格好の噂の餌食となっていた。





王を継ぐ者  −4−





「もうご成婚から1月半。一体どうしたことでしょう。」
「要は、王子が不能なのでしょ?」

一人の女官の率直であからさまな意見に、きゃぁと嬌声があがる。

「口が過ぎてよ。それにもう王子じゃないわ、王太子殿下とお呼びしなくちゃ。」
「でも確か、どなたかがご成婚前に夜のお相手を努めたのではなくて?」
「そうそう。その時は滞りなくできたそうよ。」
「じゃぁ不能というわけではなさそうね。」

その言葉にまた女官達が反応し、明け透けな笑い声をあげる。

「だとすると、王太子妃の方に問題があるってこと?」
「あれじゃないの、処女じゃないのがバレるのを恐れてるんじゃないかしら。」
「あらでも、お輿入れ前の検査では・・・・・。」
「だから、その後にやっちゃったんじゃないの。そこら辺にいる下男とでも。」
「何度も何度も、入れ代わり立ち代わり?」
「まぁ激しいこと。」

今度はあざけるような忍び笑いが響く。

「そもそも、伯爵風情が第一王太子妃になるだなんて―――」

「いいかげんになさい、貴女達。」

カツンと扉のそばで大理石の床に立つヒールの音が響き、女官達は青ざめて一斉に口を噤んだ。
次いでその扉に向かい、ひれ伏すように頭を下げる。
女官達が恐る恐る上目遣いに見ると、そこには彼女達が仕える黒髪の女主人が眉を顰め、悲しげな表情で佇んでいた。



***



「そうか、そんなに痛がるのか・・・・。」
「うん。」
「そりゃぁ、ナミは初めてだからなぁ。仕方ないといえば仕方ないがなぁ。」
「カヤはどうだった?」
「そりゃ初めてだったよ!当たり前だろう!!でも俺たちはがんばって乗り越えた!」

その誇らしげな発言で、そうか、ウソップ達はやっぱりもう済んでるんだとルフィは思った。

結婚の少し前から、ルフィは日中をサウス宮(政務の宮殿)で過ごすようになっていた。
王の補佐役ということで、王の執務室にルフィのための机も置いてある。
本来なら別部屋を与えられるべきなのだが、下手に別室を与えるとルフィは大人しく机に向かっていられないので、それならいっそ王の部屋に入れておいた方が良いとの判断だった。
いろいろと無鉄砲なルフィも、父王には敬意を払い、それなりの礼儀をわきまえている。それを侍従達に見事に見透かされていた。
そして今日はついでにノース宮(後宮)を訪れた。
目当てはウソップに会うことだった。

ウソップは春から後宮で侍従見習いとして仕えており、更にルフィ達の結婚の後、あとを追うように婚約者のカヤと結婚した。
結婚した時期としては、ルフィ達の方が早いが、真の夫婦になったのはウソップ達の方が早い。
なので、ルフィはウソップから何らかの教えを請おうと思ったのだ。

というのは、ルフィとナミは、二人の懸命の努力も虚しく、いまだに結ばれていないからだった。
主な原因としては、ナミが痛がって、肝心なところでルフィを遠ざけてしまうこと。
ひどい時はルフィをベッドから蹴り出してしまう。
ルフィもナミがあまりに痛がることもあり、それ以上強く出られない。
結局、そんな状態が一月近く。さすがに精神的に参ってきていた。
ナミなどは、ルフィを受け入れられない自分を責め始めている。
しきりに自分が悪いのだという。
終いには、自分の身体はどこかおかしいのだと泣き出す始末。
そんなナミにルフィはただオロオロするしかない。
何か打開策が必要だと感じていた。

ルフィは時間を見つけてサウス宮殿から抜け出し、お付きの侍従をまんまと巻いた。
そして、サウス宮殿とノース宮殿を繋ぐ長い回廊をそろそろと渡り、侍従達の控えの間の前で見張る。そこから出てきたウソップをすかさず捕まえて、中庭にある人気の無い東屋へと誘った。
そこでウソップに事細かく夜の営みについて聞く。ウソップもなけなしの知識を親友のために開陳する。
こんな話をするようになるなんて、俺たちも大人になったよなぁなどと言い合いながら。

「ゾロもいりゃ、もっと聞けるのになぁ。」
「いやいや、案外ゾロの奴、童貞だったりして。」
「わははは!」

この場にゾロがいれば目を剥きそうな話をして、二人で腹を抱えて笑った。

「元々ナミは頭でっかちというか、やたら観念的なところがあるからな。こうと思い込んだらまっしぐらーみたいな。」
「うん、頑固だし、考えを曲げねぇの。」
「まぁルフィもそうだけどな。」
「ゾロもだろ?」
「そーだ、俺以外は頑固者ばっかだ!」

それで俺がどれだけ苦労したかとウソップは苦笑いしながら喚く。
つられてルフィも笑う。しばし幼い頃、4人で遊んでいた時のことを思い出していた。
ひとしきり笑って、ふうと一息ついてから、ウソップがいつになく真顔になった。

「ルフィ、お前、ナミのこと好きか?」

唐突でストレートな質問に少したじろぐ。

「なんだいきなり。」
「いきなりもなにも、一番肝心なことだろ。こういうことはなぁ、身体を重ねるのと同時に心を重ねるんだ。お前らはまずそれがなってないと思う。」
「・・・・。」
「形にばっかりこだわりやがって、もっと大事なもんがあるだろう。人間はなぁ、心と身体が直結してるんだ。心が開いたら、おのずと身体も開くもんだ。だからルフィがありったけの気持ちでナミを想ってやれば、ナミもそれに応えてくれる!」

フンと鼻息荒く言い放った後ウソップは、「俺、今いいこと言ったよな」と一人合点してにんまりしている。

そんなウソップを横目に、それだ、とルフィは思った。
俺もそう思う、と。
侍従達が、ナミが、そうしなければならないからというのが理解できなかった。
ナミは世継ぎのことが大切だ大切だと耳にタコができるぐらいに言うが、世継ぎなんて、ハッキリ言ってどうでもいい。
それよりもこんなことでナミとギクシャクする方が嫌だった。
夜にナミを抱こうとするようになってから、昼間でもナミは思いつめたような顔をしている。
笑顔が無くなった。
それに、ルフィだって苦しい。
ナミにキスをして触れていれば、身体はそれなりに男として反応を見せるのに、結局はナミに拒絶されてしまう。それを何度も味わうのは正直かなり辛い。
逸りだした身体を止めるのは、それこそ頭がおかしくなりそうなぐらい辛い。
かといって無理矢理は絶対に嫌だった。収まりのつかない心と身体に、毎晩どうにかなってしまいそうだ。
ナミを抱こうなどとは考えず、二人で笑い合っていた夜が懐かしい。
あんなにも楽しくて幸せな夜はかつて無かった。
どうしてみんなは自分達を放っておいてくれないのだろう。
こんなことに躍起にならなくても、俺とナミの間には、誰にも負けない絆があるのに。
ナミだってそれは分かっているはずなのに、無理に周囲と合わせようとしている。
そうではなくて、いつかそういう気持ちになって、ナミも俺のことをそんな風に見るようになって、そうしてナミを抱けたらどんなにいいだろう。

「ここらで一発、ガツンとナミのハートを掴んでくれよ。もう俺はここでお前らの変な噂を聞くのはコリゴリだ。それに、このままじゃ最悪の場合―――」

そこまで言ってウソップはひどく顔をしかめ、息を飲み込むようにして言い淀んだ。

「なんだ?」
「いや―――だから、お前がしっかりしてりゃ、何も問題はないんだ。ちゃんとやれよ!」

バシッとウソップがルフィの肩を叩いた時、

「王太子殿下。」

不意にそう呼ばれ振り返ると、一人の年配の侍従が頭を垂れて、東屋のすぐそばまで来ていた。
これを見て、ウソップは青くなって竦み上がる。彼にとっての大先輩に当たる侍従が、ルフィに深々と頭を下げているのだ。それなのに自分ときたら、しがない侍従見習いの身でありながら王太子とタメ口を叩いてるだけでなく、肩まで叩いてしまったのだ。顔色が変わらないはずがない。
そんなウソップの内心の葛藤には気づかず、ルフィはその侍従になんだと問う。

「第二王妃様が、室までお越しくださるようにとの仰せです。」
「わかった。すぐに行く。じゃあな、ウソップ。いろいろありがとな!」
「ああ、が、が、がんばってくれたまえませ。」

大先輩の手前、ウソップは声が裏返って変な言葉遣いになってしまう。
ルフィは先に立って歩く侍従を追うように駆け出して、ふと立ち止まり、ウソップの方へ振り向いた。
言い忘れてたけどと前置きして叫ぶ。

「俺、ナミのこと好きだからな!」

ウソップは困ったような笑顔を浮かべ、今度は先輩侍従を見習って深く頭を下げる。
マジで頼むぜルフィと、心の中で祈るように呟きながら。



***



第二王妃の室の前で、引率の者が侍従から初老の女官に引き継がれた。
その女官とは小さい頃から面識があったので、陽気に声を掛けたが、その女官は片方の眉を跳ね上げただけで口も聞かず、ルフィを先導していく。相変わらずだとルフィは肩を竦めた。
室の中を進みゆくと、その背後で木の葉のささやきのような声が広がっていく。目には入らなくても、かなりの数の女官達がこの室で働いているはずだった。


「後宮に来ているのなら、こちらにも顔をお見せなさいな。」

やわらかくゆったりとした口調で第二王妃はルフィに言葉を掛けた。
背筋をピンと伸ばし、それでいて優雅にソファに腰掛けている黒髪の女性を、ルフィは真っ直ぐ見つめた。

「マキノ・・・・。」

ルフィがそう呼ぶと、マキノはにっこりと優しく微笑んだ。
マキノ第二王妃は、ルフィの母でもある。
第二王妃は元々その落ち着いた控えめな性格のせいもあって、エースがいた頃にはエースの母である第一王妃の権勢に完全に押されていたが、ルフィが王太子に立ってからは、マキノの後宮での立場も強くなった。
それでもマキノは驕ることもなく以前と少しも変わることなく、慎ましやかに過ごしている。

「そんなところに立っていないで、こちらにお掛けなさい。」

マキノはルフィを自分が座るソファへと促した。
ソファの前に置かれたテーブルの上には、既にお茶の用意がなされていて、所狭しとケーキやプディングといったキラキラとした可愛らしいお菓子が並んでいる。この部屋に通された時から、美味しそうなバニラエッセンスの香りに鼻腔を擽られ通しだったのだ。
ルフィは目を輝かせてマキノの横にストンと座り、さぁ召し上がれの言葉と同時に手を付け始めた。
ものの数分でルフィはマキノの心づくしのご馳走を食べつくし、人の目も憚らず満足そうにげっぷをした。
そんなルフィをマキノは目を細めて楽しそうに見つめている。
テーブルの上が綺麗に片付けられて、新たな茶が出されると、マキノは人払いをした。

「元気そうですね。」

マキノはルフィの頬に両手を添えて、まるで肌艶を診るかのように顔を傾げる。

「おう。マキノは?」
「私は、大丈夫ですよ。」
「そっか、なら良かった。」

その後もマキノは、また少し背が伸びたかしら、身体つきもたくましくなったし、やはり男の子は違うわねなどと、しばらくルフィの身体をためつすがめつして、ようやく気が済んだのかルフィから手を離した。

「ナミは、元気にしていますか?」
「うん、元気だ。」

そう言ったものの、無意識に目を逸らしてしまった。
それをマキノは見逃さない。

「本当に、そうですか?」

その声があまりに真剣だったので、少し驚いてマキノの目を見た。
マキノの瞳はどこか物悲しく揺れてルフィを見据えている。
それで分かった。
マキノも知っている。
自分たちの夜のこと。
そして、憂いている。
おそらく、女官達があること無いことを言い、それが耳に届いているに違いない。
ルフィとてこの後宮で生まれ育ったのだ。
だから女官達の噂話がどんなものかもよく知っている。
ルフィですら耳を塞ぎたくなるような口さがない言葉も平然と飛び出すのだ。
今、マキノはそんな噂に晒されている息子夫婦のことで、ひどく胸を痛めている。

「ルフィ、この王宮でナミを守れるのは、あなただけなのですよ。」

再びルフィの頬に触れながら、マキノはルフィの目の奥をじっと見つめ、噛み締めるように言う。
その言葉から、母として、そしてナミと同じ立場の妃として、ルフィ達の状況を憂う気持ちが痛いほど伝わってくる。
ルフィは頬に触れるマキノの手に自分のそれを重ね、ゆっくりと握り締めた。

「うん、わかってる。ナミも俺も、大丈夫だから。だから心配すんな、マキノ!」

何の根拠もなかったし、まだ前途多難であることには違いはなかったが、マキノにこんな顔をさせるのが嫌で、ほとんど本能的に答えていた。
マキノもその言葉を額面通り受け取ったわけではないだろう。それでも力のこもったルフィの言葉に、ようやくその表情を和らげた。

「今度はナミと一緒にいらっしゃい。久しぶりにナミともお話がしたいわ。」
「おう、わかった!」

再び笑顔が浮かんだマキノに、ルフィは大きく頷いた。




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