懸命に走った長い廊下を、ルフィはナミを抱きかかえたままゆっくりと戻っていく。
寝所まで戻ってくると、ナミのお気に入りの侍女と、ルフィを医務室へ途中まで先導した侍従が部屋の手前で待っていた。
王太子妃の無事な姿を見て泣いて喜ぶ侍女にナミを預け、耳打ちして支度を頼むと、侍女は目を輝かせておまかせくださりませ!と張り切ってナミを湯殿に引っぱっていった。
女達が立ち去った後、ルフィは侍従の方に振り返り口ごもりながら、
「俺も風呂に入りたいんだけど・・・・・」
後にその侍従が語ったことには、
風呂嫌いの王太子が自ら望んで風呂に入りたいと言ったのは、後にも先にもこの時だけだったという。
王を継ぐ者 −7−
ルフィが風呂から戻ってくると、ベッドの上には白やピンクの小花や花びらが散りばめてあった。
王太子夫妻の初めての夜を少しでも華やかに彩ろうという、侍女の心遣いであるらしい。
その気持ちがうれしくもあり、くすぐったくもある。まるで全てを始めからやり直しにするみたいで照れくさい。
しばらくするとナミが寝所に入ってきた。ナミも落ち着きを取り戻しているようだった。入浴を済ませたおかげでほんのり頬が上気している。
薄桃色の夜着をまとい、オレンジ色の髪をまとめて右肩に流してルフィのそばまでやってきた。
いろいろあったおかげで、時刻はもうとうに午前1時を過ぎている。
本当に長い夜となった。
でも、まだこれからだ。
ナミはベッドの上の花びらに目を細めて嬉しそうに笑った。
花びらを拾い上げて手のひらの上に載せ、つついたり、数を数えたりしている。
「今日はありがとう、助けてくれて。」
目を伏せて花びらを弄んだまま、ナミは感謝の気持ちを口にした。
「そんなん、当たり前だ。」
ナミは、俺の妻なんだから。
そう言うと、ナミは少し驚いたように顔を上げてルフィを見る。そんなことをルフィが言うのは初めてだった。
「そうだろ?」
真面目くさった顔のルフィに、ナミは柔らかく微笑み頷いた。
そうして、ナミはそっとルフィの胸に頭を預けてきた。
心地よいナミの重み。ルフィもそれに応えて、ナミを囲うようにして両腕を背中に回す。
ナミが顔を上げたので、その額に額をぴったりと合わせて上目遣いでナミを見つめ、そして力強く宣言するように言った。
「今夜は絶対途中で止めないからな。」
「うん、私ももう絶対逃げない。」
あなたの妻にしてくださいという言葉に、気がつくとルフィはナミを強引にベッドの上に組み敷いていた。
あれれっとルフィはそんな急な行動に出た自分に驚いたが、ナミもまた目を丸くしてルフィを見上げている。
なんだか可笑しくなって二人して笑ってしまった。
改めてナミの顔をまじまじと見つめる。
ナミの茶色の瞳の中に自分が映りこんでいて、澄んだ光を宿してナミもルフィを見つめ返してくる。
シーツの上に広がったオレンジ色の髪から優しくて清潔な石鹸の香りがルフィの顔にふわりとかかり、その髪をルフィはそっと掬い上げ、毛先をその手で優しく弄び口付けた。
いつものように絹のような心地よい手触り。
髪から手を離し、目を閉じて、唇をナミのそれに触れ合わせた。
ナミが口うるさい時、大人しくさせるためによくしていたキス。
でも今夜はそのためではなく、自分の気持ちが伝わるようにと想いのたけを込めて。
夢中になって何度も馴染ませるように触れ合わせ、吸い上げる。
しっとりと暖かみのあるその感触が伝わってくる。
交わした唇はやがて深くなり、二人の身体は重なった。
この夜、ようやく二人は真の夫婦となった。
***
ウソップから心が伴わないと女の身体は開かないと聞いてからは、ナミの心が自分に向くまでひたすら待とうと思っていた。
けれど、そんな悠長なことを言っていられなくなって。
このままではナミを守れないと分かって。
とにかくナミを抱いて、ナミを完全に自分の妻にしなくてはいけないと。
だから、心は後からでいい。
まずは、ただ身体を繋げる。
全てはそれからだ―――
その一心でナミを抱いた。
こういう風に結ばれたことに後悔はしてないが。
でもそうしたことで、ナミの気持ちが余計にわからなくなってしまった。
もうあれから何回もナミを抱いたけれど、いまだに繋がる時は痛がるし。
急に触れるとビクッとするし。
それはなぜだろうと考えると、ウソップの言った通り、まだナミの心が伴ってないからではないだろうか。
俺のことそんなに好きじゃないのかな。
ナミはどういう気持ちでいるのだろう。
俺をどう思っているのだろう。
親友だったのだから、好きには違いないだろうけど。
焦って俺のこと好きかと問えば、ナミは不思議そうな顔をしてもちろんと答える。
なぜそんなことを聞くのか分からない様子。
そう言われてしまうとそれ以上つっこめない。
どう言えば自分が求めている答えをもらえるのか。
ナミの心が見えない
ナミの真意が分からなくて不安になる。
だって俺は、もうすごくナミのことが好きなのに。
ほとんど無意識で語られた長い長い告白を聞き終えた後、シャンクス大主教は目の前で物思いに沈んでいる王太子を静かに眺めていた。
話を聞いて、本当にルフィはひとつ大人の階段を上ったのだとしみじみ思った。
そして何よりよく分かったのは、ルフィは王太子妃のことをとても愛しく想っているということ。
愛しているからこそ、その本心が気になるのだろう。
片思い絶好調というところか。
では、王太子妃の方は?
ナミはルフィをどう想っているのだろう?
幼馴染で親友ということだから好きには違いないだろうし、事実、身体も結ばれている。
でも愛しているのかとなると・・・・。
ここは直接本人に問いただしてみたい―――と、むずむずとシャンクスの悪い虫が騒ぐ。
だがしかし、そういう打ち明け話ができるほど、シャンクスとナミは親しい間柄ではない。
この件でシャンクスがルフィのためにしてやれることは無さそうだった。
しかし、このまま目の前で気落ちしている男を放ってもおけまい。
どうしたものかと考えを巡らせて、ふと思いついた。
「ルフィ、いいもの見せてあげよう。ちょっとついておいで。」
シャンクスはとっておきの打ち明け話をするように少し声をひそめ、立ち上がってルフィを促す。
誘われるようにルフィもシャンクスの後をついていった。
シャンクスの私室を出て、いったん建物を出る。続いてルフィが僧侶達の前で演説をぶった広い中庭を横切り、大時計塔へと入っていく。
てっきり上へ上るのかと思いきや、あにはからんやシャンクスは1階にある一室へと向かっていく。
シャンクスは見るからに扉の前に佇む門番達に一声かけると、門番は鍵を開けガチャガチャと鎖を解いて、大きな閂を外す。
大男二人がかりでないと開かない頑丈な石の扉だった。
門番からランプを受け取ったシャンクスは先に入り、その中へとルフィを導いた。
「ここは?」
「宝物庫だよ。」
「へぇー。」
ルフィは物珍しげにきょろきょろと辺りを見回した。部屋の中はどっしりとした木製の棚が並び、大小様々な箱が整然と積まれている。その中の一つ一つに寺宝が納められているのだろうか。
壁には2メートル四方はありそうな肖像画が掲げられており、天井を見上げると天井画があった。人物であったり、白い羽の鳥であったり、白馬だったり。ルフィにはそれらが何の絵かよく分からなかったが、何かしら神聖なものであるらしい。
「おーい、ルフィ、こっちだこっち!」
シャンクスに呼ばれ、声のする方へと駆け寄っていく。
テーブルの上に置かれた白木の箱の蓋が開けられていて、シャンクスはそれを覗き込んでいた。
ルフィも倣って覗き込み、そこで目にしたものに軽く息を呑み込んだ。
「これは・・・・?」
「ストロー紋章だ。」
濃紫のビロード布の上に載せられた紋章には、クロスに重ねられた剣とグランフェイト大寺院の聖獣とされている双頭の竜、それを取り巻くように豊穣の印とされる金色の麦穂の紋様が豪華な刺繍によって象られている。
何よりも目を引くのが、双頭竜の首の付け根に当たる部分に納められている宝石だ。
一見黒い石に見えるが、明かりとりの窓から入る光とランプの光に照らされると緑色と紅色に光を放つ。
見る者を一瞬で虜にするような魅惑的な輝き。
「なんか・・・・すげぇ・・・・。」
「この石はすごく珍しくてなぁ、世界的に見てもこれだけ大きいのはそうそう無いんだぜ。」
そんな説明も耳に入らない様子でルフィはストロー紋章を見入っている。
「いいなぁ。なぁシャンクス、これ俺にくれよ!!」
本能剥き出しのようなセリフに、シャンクスは呆れたようにわははと笑う。
「残念ながら、こればかりはやれねぇなぁ。」
「なんで。」
「この紋章、うちの寺院の中でも一番価値あるもんなんだよ。秘宝中の秘宝っていうか。もともと門外不出の品で、俺でも自由に持ち出せないんだからな。」
「そうなのか・・・・。」
「というわけで、今日はこれだけで我慢してくれよ。」
そう言ってシャンクスは白手袋を嵌めて、箱の中からそっと紋章を取り出し、ルフィの胸に宛がってくれた。
「うん、なかなか似合ってるんじゃねぇ?言っとくが、普通はこんなことできないからね。これは俺とお前の間柄だからで、特別なんだからな。」
ルフィが自分で触りたいと言うと、シャンクスはもう一つ手袋を渡してくれた。それを嵌めて紋章をシャンクスから受け取ると、大事そうに目の前に掲げてみせた。
顔を輝かせて紋章を見つめるルフィを見て、元気が出たようでよかったとシャンクスは思う。
すると、
「ナミにも見せてやりてぇなぁ・・・・。」
無邪気な顔でルフィがポツリと呟いたのを聞いて、シャンクスはふっと笑みを漏らした。
何かに夢中になっていても、次の瞬間には妃のことに頭がいくようになったとは。
すっかり男になったな。
「いいだろう、ナミを呼んでこよう。ナミも女人棟訪問がそろそろ終わった頃だろうし。」
誰かにナミを呼びに行かせようとシャンクスが宝物庫の出入口へ向かおうとする途中で、都合よく門番が入ってきた。
まだ呼んでないのに手回しがいいというかよく気がきくことだと思っていたら、門番だけでなく、一人の侍従も一緒に入ってきている。
その侍従は明らかに顔色を失っている。それを見て、シャンクスはこれはただ事ではないと思い、ルフィを呼び寄せた。
「どうした?」
「殿下・・・・。」
ルフィがシャンクスのところまで来ると、侍従は力なくひざまづく。
何か伝えようとしているのだが、声が小さくて、しかも震えているので聞き取れない。
ルフィも膝をついて、侍従に顔を寄せるとようやく聞き取れた。
「ただいま伝令がございまして・・・・・・国王陛下が倒れられた由にございます。」
今度は、ルフィの顔色が失われていった。
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