「こっちよ、ルフィ!」

ナミが声をひそめつつ鋭い声でルフィを呼ぶ。
ルフィはナミに手を引かれ、ノース宮(後宮)の中庭までやってきた。
そこには、先日ルフィがウソップと語らった東屋がある。






王を継ぐ者  −9−





後宮内にいる侍従や女官達の目を掻い潜っての移動は、本来なら至難の業だった。
ルフィは侍従長達をいったんは振り切ってきたものの、真正面から王の寝所へ向かえば、待ち構えられて捕まるのは目に見えている。最初はルフィがナミの腕を引いて走っていたが、すぐにナミがこれではまずいと悟り、ナミがルフィを追い越して先導し始めた。

東屋に着くころには、太陽が傾き、中庭を赤く染め上げていた。
石造りの東屋内に設えられたテーブルと椅子の間に身を隠す。ルフィに見張りを命じると、ナミは石畳となっている敷石にしきりに手を這わせ始めた。最初は何をしているのか分からなかったが、手袋が汚れるのも構わず、ナミは必死で50センチ四方の敷石の淵が露わになるように土や草を払いのけている。
次いで、その敷石を持ち上げようとした。さすがにナミには無理だろうとルフィが代わってやる。敷石を上げると、そこにはポッカリと穴のような空間が現れた。覗き込むと、地面の下へと続く石の階段が見える。

「覚えてない?小さい頃よく遊んだでしょ?」

ナミが言っているのは、“秘密の抜け穴”だった。
まだ幼かった頃、ルフィはゾロ、ナミ、ウソップとともに、宮殿内を冒険して遊び回っていた時に見つけた、ノース宮殿とサウス宮殿、王宮外まで通じている地下通路。おそらく王族達の緊急脱出用だったのだと思われる。まだ戦争が激しかった頃の大昔の遺物で、既に大人達はその存在すら忘れてしまっているようだった。つまり、自分達子供だけの、まさに“秘密の”抜け穴。
とはいうものの、ルフィもとっくにその存在を忘れていた。成長してからはコレを使って遊ぶこともなくなっていたから。
しかし、ナミは覚えていたのだ。これを使えば誰に会うことなく、王の寝室にもダイレクトに侵入できると。そういえば、遊んでいた当時もナミだけが、この抜け穴の全通路を正確に把握していた。

「ここから王の寝所まで行けるわ。いい?通路に入ったら壁に右手を添えて・・・・」

ナミがルフィに言い聞かせるように懇切丁寧に王の寝所までの道筋を教える。何番目のどんな印のある通路を曲がればよいのか。中は暗いけれど、その手を頼りに歩けばたどり着けるからと。ナミは周囲の様子を伺いながら、さぁ行ってとルフィの背中を押した。

「ナミは?」

ナミは来ないのか?
行き方を教えたということは、ルフィ一人で行けということだ。

「私は行けないわ。だってこんな格好だもの。」

ナミは沈んだ表情で首を竦めて自分の格好を見つめた。ふわりと広がった紺色のドレス。その裾は敷石をゆうに覆っている。
それに子供の頃は身体も小さくて身軽で、難なくこの抜け穴も通ることができた。しかし今は違う。ましてやこんなぞろっとした格好では。

「一緒に来てくれ。」

けれどルフィはまるでそんなこと意に介さないかのように、ナミの背後からドレスの裾を抱え込むようにして持ち上げる。途端にナミから小さな悲鳴が上がるが、ナミの抗議の声など取り合わない。

きっと俺は、ナミがいないと王のところにたどり着けない。
だって分かりきったことだ。
自分ひとりではダメだということは。
だからナミが導いてくれないと。




***




「ああ・・・・、ルフィか。」

寝室の扉が開くこともなく現れた息子夫婦の姿を目にしても、王は大して動じなかった。

「父上・・・・。」
「お前のことだから、こうなるのではないかと思っていたが・・・・。皆も困っていよう。全くしようのない奴だ。」
「・・・・。」

幸いにも、王の寝室には王以外には誰もいなかった。
ルフィ達がノース宮に出向いていることは報告があったののだろうか。
そして、こうなることを予想して、王が人払いをしてくれたのかもしれない?

「でも、会いに来てくれて嬉しいよ。最期にお前達の顔が見れて。」

大きな天蓋つきのベッドの上で王は少し涙ぐみながら震える手を伸ばし、そばに寄って覗き込むルフィの頬に優しく触れた。

「最期じゃねぇって。これから何度でも顔見せに来るから。」

ルフィができるだけ明るい声を出してそう反論するも、弱々しく王は首を振る。
そんな王の様子にルフィは絶句する。
幾筋もの皺が深く刻まれた土気色の顔に荒い息遣い。伸ばされた腕の細さと頼りなさ。
少なくとも出発前に会った王は、こんな風ではなかった。
確かに痩せて細身にはなってきていたが、生気にあふれ力強く闊達としていた。
何より眼光が違った。人々を射すくめるほどの鋭い光が今は消えている。たった数日でこうまで人は変わってしまうものなのか。それが病のせいなのだと推し量れはしても、何の予兆もなかっただけに容易に受け入れられるものではない。隣にいるナミも息を詰めて驚いているようだった。

「せっかくだから、お前達に言っておこう。後で皆に伝えておくれ。」

その言葉から、もう王は死を覚悟しているのだと悟る。
王は接見が制限されてここへ来ることができない王位継承者達ひとりひとりへの言葉を、ルフィとナミに託していく。女達には直接伝えるつもりなのだろう。

遺言は長く続いた。
王は何度も目を閉じて休みながら、言葉を選んでゆっくりと遺言を紡いでいく。
時折、額に浮いた汗を、ナミがタオルでそっと拭ってあげた。
ルフィは王の顔をひたすらじっと見つめて言葉を受け止め続けた。
また一つ王が大きく息を吐き、口を開いた。

「・・・・それから、エースに。」

エース。第一王子で、ルフィの腹違いの兄で、前の王太子。

「もし、万が一、再びお前の前に姿を現した時は・・・・」

失踪してしまったエース。
王はこれまでエースの話をルフィにはほとんどしてこなかった。王がエースの名を口にしたことも久しくない。
まだエースがいた頃、母親は違うがエースとルフィの仲は悪くはなく、むしろ良かった。
しかし、やはり王太子となる王子とそうでない王子との壁は大きく、特にエースが王太子となってノース宮を出てイースト宮に住まいを移してからは、ほとんど接触することがなくなった。そうこうしているうちにエース失踪という事態。当時のルフィには何がなんだか訳が分からなかった。
そしていまだにエースに何があったのか、何が原因で失踪したのか、ルフィは知らない。真相は闇のままだ。
噂では、今現在も王の密命により隠密裏に捜索が続けられているという。
そんなエースへの王の最期の言葉は。



「愛している――と伝えてほしい。」



「うん、わかった。」

ルフィは大きく頷いた。

「そして、ルフィ――」

王が横たえた枕の中で頭を動かし、ルフィを真っ直ぐ見つめた。

「随分とお前には手を焼かされた。お前は小さい頃から問題ばかり起こしてきた。気性は荒いし、わがままだし、どうしようもないヤツだった。でもその天真爛漫で自由奔放な姿に時には救われもした。私にはできないこと、言えないことを平気でやってのけるその無神経さが、羨ましかったものだ。」

ルフィは困ったような複雑な顔をする。これでは褒められているのか、けなされているのか分からない。

「それにお前は真っ直ぐな性格をしている。単純だが素直だ。騙されやすいところもあるが・・・そこはナミがうまくやってくれるだろう。」

王がナミを見やり、小さくウィンクした。ナミも淡く微笑んだ。

「私がいなくなれば、お前が王にならなければならない。そこで一つだけ言っておきたいことがある。今日お前は無理矢理、私に会いに来てくれたが・・・・今後は二度とこんなことはしてはいけない。」
「!」
「侍従達がお前を制したのは正しいよ。彼らは、次期の王であるお前の命を、守ろうとしたのだ。」
「・・・・・。」
「国が一番危機に晒されるのは、どんな時か分かるか?」
「戦争。」
「ああ、そうだね。確かにそうだ。でもそうなる前に国が危機に瀕してしまうことが少なくない。それはどういう時かというと、王が死ぬ時だ。王が不在の時、王位が空位となる時、国は混乱し、恐ろしいほどに弱体化する。そこを他国につけこまれる。混乱に乗じることは、国を陥れる絶好の機会だからだ。その時に戦を仕掛けられたりしたら、例え屈強な兵力を持っていても苦しい戦いを強いられることになる。王国でありながら王のいない国など、ひどく脆いものだ。」

「平時であれば尚更だ。無用な危機を呼び込んではいけない。敵にスキを与えてはいけない。王は、簡単に死んではいけない。王は常に安泰であらねばならない。王たる者は、決して自分の命を危険に晒してはいけない。王は生き永らえてこそ、王なのだ。それを自覚してこそ、王を継ぐ者として認められる。私は、お前にこの国を託していく。だから、どうかそのことを肝に銘じてほしい。わかるな、ルフィ?」

長い沈黙の後、意味をなんとか咀嚼したルフィが頷いた。
それを見届けて、王は深く安堵のため息をつく。
まるで最後の力を振り絞ったかのように脱力し、ベッドに身を沈みこませた。
そして、ゆっくりとナミの方を穏やかな視線を投げかけた。

「最後に・・・ナミ、もっと近くに。あなたにも言っておきたいことがある。」

そう言われ、弾かれたようにナミは王のそばへと寄り添った。ルフィがナミに場所を譲り、二人並んで王に相対した。

「ナミ、どうかルフィを助けてやってほしい。ルフィには、貴女の力が必要なのだ。貴女がいなければ、とてもルフィに王は務まらないだろう。」

コクリと、ナミもまた頷いた。

「それから・・・・貴女には謝らなければならないことがある。貴女にはひどい無理強いをしてしまった。本当に申し訳ないことをしたと思っている。全ては私に責任があるのだよ。私が貴女のお父上に、是が否にでも貴女をと請うたのだ。全ては、私の一存だった。お父上はたいそうお悩みだったが、最後には私のわがままを受け入れてくださった。だから、どうかお父上ことをお恨みになったりしないでほしい。」

王の縋るような語りかけに、ナミは目に涙を浮かべてそれを拭うと、小さくはいと答えた。
そして、王は視線を空に彷徨わせ、ほとんど聞き取れないような声で、

「本当は、ゾロにも一目会って謝りたかったが・・・・。」

そう呟いて、王は目を閉じた。



「ああ、少し疲れた。ひとまず眠るよ。」



「ルフィ、ナミ、おやすみ・・・・。」



それが、ルフィとナミが聞いた王の最期の言葉となった。





寝所から出て、ルフィは軽く混乱していた。
二人はいったい何の話をしていたのだろう?
無理強い?
ゾロが、なんだって?
なんのことか分からない。





今から思うと、その場ですぐにナミに聞けばよかったのだ。
あれはどういう意味だったのかと。
だけど、聞けなかった。
どうしてだか、聞けば取り返しのつかないことになるような気がして。




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