とある国の出来事 −2−
翌朝、ナミはいきなり不機嫌になった。サウス宮殿での王との謁見の願い出が却下されたからだ。
却下の理由が「多忙のため」。
一体ルフィは何がそう多忙なのだろう。
しかし、夜に後宮にも戻って来ないというのは、サウス宮殿での政務が忙しいからとしか考えられない。
何か国に一大事でもあったのか?もしそうなら、そのことをルフィが自分に相談しないなんてこと、今までならあり得ないのだが。
ルフィはナミの政治的手腕を高く評価しており、事あるごとにナミの意見を求めてきた。事実、ナミの意見が採用されることが多い。
御前会議に出席することも求められたが、丁重に断った。ナミが表に出ることでルフィの求心力が削がれてしまうのではないかと恐れたからだ。一国に王は二人もいらないから。
ルフィはナミのことを尊重してくれたし、大切に扱ってくれた。妻としての寵愛は薄いが、盟友のような絆がある。
それなのに今日はナミが頼んでも会ってもくれない。後宮にも帰ってこないルフィ。
今回の縁談の話といい、ルフィの言動には理解できないものがある。
ルフィはどこか変わってしまったのだろうか。
ふとそんな不安がナミを襲った。
しかし、クヨクヨしているヒマはない。この縁談が表沙汰になるまでに何としてもルフィを翻意させなくてはならない。
かといって、会ってくれないルフィにどうやって意見ができるだろうか。
どうにかして会えないものか。
第一王妃は国王に継ぐ権力者なので、無理矢理サウス宮殿に出向くことはできる。しかしそれでは大騒動になってしまう。普段は王の呼び出しでもない限り後宮からほとんど出てこないナミが、ルフィの許しも請わずにサウス宮に現れたりしたら、その騒ぎは大変なものになるだろう。
それは困る。
大事になっては困るのだ。
このことは内々に済ませなくてはならない。
ではどうすればいいか。
「!」
次の瞬間、ナミはニンマリ笑って、良いいたずらを思いついた子供のような顔になった。
サウス宮殿―――王政が行われる場所―――の一室で、ロロノア公爵ゾロは朝早くから政務についていた。彼は「とある国」の国防長官であり、王の直属の軍隊である近衛隊の隊長であるとともに、王の側近としてルフィに仕えていた。なかなか真面目に働かない王の首根っこを抑え、仕事をさせる。ルフィの失敗や仕事のフォローする。などなど、とても大変な仕事に彼は従事していた。
今朝も昨日ルフィがやり残した仕事に目を通し、彼に代わって次々と決済印を押していく。ものすごい集中力でもって仕事にあたっていたため、背後の気配に気付くのが遅れた。
彼は振り向きざまに剣を抜き、闖入者に突きつけた。いや、突きつけようとしたが、一瞬早く、闖入者が刀の切っ先から離れるように跳び退った。
「いきなり物騒ねぇ。」
「ナミ!」
そこには、近衛兵の隊服に身をまとったナミが楽しそうな顔をして立っていた。
「おまえ、何だ?その格好は。それにどこから入ってきた?」
ゾロは剣を納め、ナミをジロリと一瞥して訊いた。
この部屋のドアはゾロが今まで政務をとっていたデスクの目の前にある1つだけ。ゾロの真正面にあるので、開かれればいくら何でも気付くはずだ。
あと出入りできそうなのはゾロの背後にある窓だが、開けられた形跡はない。
それでなくても、後宮にいるはずのナミが、騒ぎ一つ起こさず警備が非常に厳重なサウス宮殿にどうやって入れたのか?
よしんば宮殿内に入れたとしても、数々の門番や衛兵の見張りを掻い潜ってどうやってこの部屋まで辿り着けたのか?
「ふふ。似合う?けっこういけるでしょ。変装よ。これなら私だと一見して分からないでしょ?やっぱ、ドレスよりこういう服の方が私には性に合ってるわね。」
ナミはゾロの意に反して、服装のことばかり。
赤く、所々に金の刺繍が施された近衛兵用の上服に黒のズボン、そして黒光りしたエナメル質のブーツ、それに白いマントを背中にひるがえし、ご丁寧にサーベルまで腰にさして、得意そうに答える。
ゾロは一番の疑問の答えを得られていないので、さらにナミを睨みつける。
「あ、私がどこから来たかね。覚えてないの?ここ、昔はあなたのお父様の部屋だったでしょう?」
「あ・・・。」
ゾロは思い出した。昔、まだ幼い頃、王子ルフィとゾロ、ナミ、ウソップは、この宮殿を遊び場にしてよく遊んでいたことを。
彼らの父親達は強い信頼で結ばれたルフィの父王の側近で、彼らは王子や王女達のよき遊び相手として、自分達の子供達をよく宮殿に連れて来ていたのだ。ルフィの父も側近達がそうすることを望んでいた。
子供達は宮殿の中を隈なく冒険してまわり、ついに秘密の抜け穴なるものを発見した。そしてそれは後宮とも繋がっていて、宮殿の外にまで通じていていることが分かった。
おそらく戦が絶えなかった頃の王家の緊急脱出用の逃げ道だと思われる。一時代の遺物で、平和になった今では無用の長物となり、宮殿にいる人々の記憶から消えていったのだろう。
その抜け穴はここ、ゾロの父の執務室―――現在のゾロの執務室―――にも繋がっていたのだ。
「思い出した?これを使えば私は突然サウス宮殿に出没できる。誰も気付かないってわけよ。でも、さすがに子供の時とは違って通るのは大変だったわ。」
ふーっとナミは大きく息をついて、額の汗を手の項で拭った。
しばし、ゾロはナミのそんなのん気な様子を見ていたが、やがてハッとして、
「そんなことはどうでもいい。何しに来た?」
「ルフィに会いに。」
「王との謁見は却下されたのを知っているだろう。一体どうしたんだ、こんなことまでして宮殿に来るなんてお前らしくないぞ。」
「だって、ルフィに会いたいんだもの。」
「ダメだ。王の命令だ。」
ゾロの強い口調に一瞬ナミは黙り込む。
「分かったら、もう行け。俺とお前が一緒にいるところを他の誰かに見られたら、またどんな噂を立てられるか分からんぞ。」
苦い経験が二人の脳裏を過ぎる。しかし、
「いいえ、会うわ。でも、その前にあんたの持っている情報を聞き出したい。ゾロは今回の件、どう思う?」
ナミが先ほどまでと調子を変えて、真剣な眼差しを向けて訊く。
「何の話だ。」
「アリス王女の縁談。」
ゾロは目を見張る。
「いや、俺は聞いてない。」
その返答を聞いて、ナミは驚いた。ゾロはルフィの側近中の側近だ。そのゾロが知らないなんて。
つまり、ルフィはゾロに秘密にしてまでこの縁談を受けたということ。
これは相当、
「裏がありそうね。」
ナミは独り言を漏らした。
「おい、一体何が起こったんだ。」
ナミは今までのことをゾロに説明した。
ゾロは黙って聞いていたが、段々眉間に皺を寄せて考え込むような様子を見せた。
「なるほどな。そういうわけだったのか。この頃ルフィの様子が変だったのは。」
「変て、どんな風に?」
「ルフィの奴、最近、後宮に帰るのを嫌がるんだ。そうかと思えば仕事中に溜息ついたり、ぼーっとしたり。まぁあいつがぼーっとしているのは今始まったことじゃないけどな。」
「後宮に帰るのを嫌がる・・・。なんでかしら。この前ピチピチに若い第五王妃を迎えて有頂天になってたじゃない。」
「いや、まぁその、なんだか、おそらく・・・。」
ゾロが何か言いにくそうにしている。
「何よ。はっきり言いなさいよ。」
「怒るなよ?おそらく、お前に会うのが嫌だったんだろうよ。」
「はあ?!ちょっと、それ、どういう意味よ!!」
「怒るなって。つまり、ルフィはお前に会わせる顔が無いってことだよ。今回、謁見を断ったのもそのためだろう。」
「うーん、私に会わせる顔がない・・・。それぐらい本人に何か後ろ暗い所があるってわけね。」
「ま、そういうことになるな。」
「これはとっちめて何が何でも吐かせてやる!ゾロ、案内して!」
「分かった。今回のことを把握してなかった俺にも落ち度がある。」
「ねぇ、ゾロ、最近国外に出てたってことはない?」
「ああ、一週間ほど留守にしていた。2日前に帰国したところだ。」
「多分、その間にルフィは伯爵と接触したのね。ゾロがいないと途端にルフィはハメを外すから。そして縁談を受けざるを得ないような窮地に立たされた。」
「しかし、あのルフィがサンジごときにそう簡単にあしらわれるかねぇ。」
「ゾロは伯爵のことを過小評価してるわ。あの人、相当頭が切れるわよ。」
「は、そうかよ。」
なんだか急に不機嫌になるゾロ。
「何むくれてんの?さ、早くルフィのところへ行きましょう。」