とある国の第17代目の王、ルフィ。
彼は自分の執務室の控えの間に置いてある簡易ベッドの布団の中で、震えていた。
彼の野生の勘が告げている。
ナミが来る、ナミが来る、と。
とある国の出来事 −3−
ビビにアリス王女の縁談の件を伝えるため、昨日の昼間に一瞬だけ後宮に帰り、また逃げるようにしてサウス宮に戻ってきた。
あれからもうすぐ20時間が経とうとしている。
おそらく、あの後、ビビはナミに相談に行ったはず。
つまりもうナミの耳に縁談の話が届いているということ。
事実、めったに自ら進んでサウス宮に出向かないナミが今朝、謁見を申し入れてきた。
もちろんすぐ断った。
とてもナミには会えない。
このことが知れたらきっとものすごく怒られるだろうから。
でも、心のどこかでナミを待っている自分がいる。
このことはもう自分一人では対処できない。ナミの助けが何としても欲しい。
けれど本当のことを話すのは怖い。―――堂々巡りだった。
その時、ノックの音が響いた。
ベッドから抜け出して、ドアのそばまで行き、恐る恐る問い掛ける。
「誰だ?」
「俺だ。」
ゾロの声だった。
安心したルフィはどうぞ、と言ってしまった。
開いたドアの向こうに佇む人物を見て、ルフィはきゃーっと悲鳴をあげた。
そこには今ルフィが最も会いたくない人物、ナミが立っていた。正確にはナミとゾロが。
慌ててルフィは再びベッドに潜り込み、布団を頭からかぶった。
「ルーフィーッ!!」
ナミは叫んでルフィのあとを追い、ベッドの布団を引き剥がそうとした。
ルフィとナミの布団を巡る決死の攻防がしばらく続く。
ゾロは最初その様子をただ見ていただけだが、やがて、参戦する。ナミに加勢して、ルフィから布団を引っぺがす。
それでもルフィはナミに顔を向けられないのか、シーツの上にうずくまり、顔をシーツに押し当てて、背を丸めていた。まるで泣いているかのような姿勢。よく見ると、彼はまだ寝間着のままだった。
「ゾロ!この裏切り者!!なんでここにナミがいんだ!!」
ルフィはシーツに顔を押し付けたまま、くぐもった声でゾロを非難する。
「あほ。お前自分の立場が分かってないな。お前はナミに頭を下げるような事態に陥っているんじゃないのか?」
「う・・・。」
ルフィはびくびくしながらも、ゆっくりとそのままの姿勢で顔だけゾロ達の方へ向ける。
ナミはゆったりと微笑んで、
「ルフィ?私、怒らないから、全部話して。一体ランスール伯との間に何があったの?どうしてアリス王女との婚姻を約束したの?」
いつにない、ナミのやさしい口調。
それにほだされて、ルフィは起き上がり、ベッドの際に腰掛けると、俯きがちにポツポツと話し始めた。
ゾロが国外に出張中の間に起こった出来事を。
***
「なあ、今日はどこへ行くんだ?」
「まぁまぁ、私におまかせ下さい。決して退屈な思いはさせませんから。」
ランスール伯爵サンジはゾロの不在を見計らったようにして、ルフィを夜に宮殿外にお忍びで連れ出した。もうこれで3夜連続になる。
ルフィの外出を阻もうとする側近や侍従達を、サンジが「王たるもの、もっと市井のことを知る必要があります」などと尤もらしいことを言ってうやむやに納得させた。もとより、ゾロ不在では、一度決心したルフィを止められるはずもない。
王都の歓楽街はこの国随一の華やかさと煌びやかさを纏っていた。
国中の富と野望と栄光がこの王都に集まってくる。
一夜にして億万長者となり、一夜にして靴裏の土を食む境遇になることもざらにある話。
いつも宮殿と後宮を往復するだけのことが多いルフィにとって、外の世界は未知なる刺激とワクワクするような出来事で一杯だった。
1日目はレストランで食事し、その後、オペラ鑑賞。
2日目はミッドナイトクルーズに乗り込み、船上で優雅な食事、出し物のショーを楽しんだ。
そして、3日目に向かった先はカジノ。
「俺は賭け事はしないんだ。」
ルフィがカジノの前で立ち止まって言う。
「それはまた、どうして。」
「ナミに絶対にダメだって言われてるんだ。」
「ナミ王妃にね・・・。」
「うん、何でも、よその国の王妃がこれにハマッて、国が傾いたとか言ってた。」
「なるほど。でもご安心を。ここは私が懇意にしている店。融通は利きます。それに、今お持ち合わせのものを限度に賭ければ国は傾きますまい。せっかくここまで来られたのですから、遊んでいかないのは人生の損失ですよ。近衛隊長が戻ってきたら、もう二度とこんなところへは来れないでしょう?」
ルフィの脳裏に厳格な、いつもいつも仕事をしろとうるさいゾロの顔が浮かんだ。サンジの言う通り、ゾロはこんなところへ行きたいと言っても連れてきてはくれないだろう。
「やる。」
それがルフィの返事だった。
ルフィが小説の挿絵や絵画でしか見たことがない賭場の風景がそこにはあった。暗くてちょっと猥雑で、でも興奮と情熱が溢れた不思議な世界。
初めはカードゲームを試してみた。でもルールが難しすぎて、よく分からない。
次にやったルーレットは非常に分かりやすかった。しかも、初っ端から大当りを出した。
気を良くしたルフィはこの賭け事にのめり込んでいった。
その日は大勝して、懐はほくほくと暖かい。持参したお金は100倍になって返ってきた。
すこぶる機嫌の良かったルフィは翌日もサンジにねだってカジノへと出かけた。
始めは好調だった。しかし少しずつ負けていく。悔しい。取り戻したい。
そんな気持ちで次々賭けていく。また少し勝ちはじめる。
もう少し賭け金を上げれば負けた分は完全に取り戻せ、本日の儲けも昨日以上に出るだろう。でももう手持ちがそこまでない。そのことを察したサンジが、ルフィの胸に輝く紋章を指差し、
「この紋章をお預けになればお金を貸してくれますよ。」
と助言してくれた。
この紋章は大切な紋章だ。
でも他に方法がない。
どうせ次勝てば、お金は全て返ってきて、儲けも出る。
その儲けでお金を返せばいい。
紋章は良い品だったので、とてもたくさんのお金を借りることができた。
--------そして、ルフィは賭けに負けた。
「残念でしたね。まぁこういうこともあります。」
そんなサンジの言葉が耳に入らないほど、ルフィは茫然自失の態であった。
「あの紋章・・・。」
「困りましたね。ここの質草はその日にお金を返さないとすぐに流れてしまうんです。」
「え・・・。」
「つまり、今お金を返さないと、あの紋章はもう二度と戻ってきません。」
「それはダメだ!」
「ご心配なく。ここは融通が利くと言ったでしょう?私がお金を払ってあの紋章を貰い受けます。そして王が私にお金を返せばいい。そうすればあの紋章がどこかに行ってしまう心配はありません。」
「あ、そうだな!頼む!金は・・・その、必ず返すから。」
サンジが金を払い、紋章が戻ってきて、ルフィは安心した。
一方、サンジはちょっと渋い顔をしている。
「どうかしたのか?」
「いえ、思ったより融通が利きませんでした。競争が激しくて、借りたお金の10倍とられましたよ。」
「じゅ、10倍?ってことは、10億ベリーってこと?」
「はあ。まぁ、王なら返して頂けると信じているのですが、一応証文を書いていただけますか。」
「あ?ああ、いいぞ。当然だ。なんでも書類にしておかないと、後で水掛論になるからな。」
ルフィはきっぱりと言ったが、これはゾロの受け売り。
証文にサインはしたものの、翌日になって冷静になって考えれば自分に10億ベリーもの自由になるお金があるわけがない。
そもそも王族は現金を持たずに生活している。土地や建物の固定資産は多いが、処分するには議会に諮らなければならない。
こんな理由で資産を処分することが許されるはずがない。
しかし、あの紋章は何が何でも取り戻さねばならない。何故ならあれは本来、人に貸してもらっているもので、ルフィのものでは無いからだ。
つまりルフィは人様の預かり物を質に入れてしまったのだ。
しかも、紋章の返還日まであとわずかしかない。もし、ありません、借金のカタに取られましたなどと言ったら、その人と自分の関係が壊れるだけでなく、この国のメンツは丸つぶれ、インターナショナルに恥を晒すことになろう。それくらいはルフィにも分かった。
しかし、無いものはない。自分が自由にできるお金はカジノで賭けたものが全てで、もうビタ一文、彼の懐には無かった。
ナミの顔が頭に浮かんだ。ナミに頼めば何とかしてくれるかもしれない。でもすごく怒られるだろう。お金を借りたりしたら、更に3倍返しとなるにちがいない。
ゾロは今はいないし、相談してもゾロがお金のことで役に立つとはとても思えなかった。
ルフィはサンジを改めて宮殿に呼び、正直にサンジに話した。
お金はありません、でも紋章は返してください、と。
「それはちょっと・・・。私もある事業に投資しようとしていたお金をああいう形で失ったので、とても痛いんです。でも、事情が事情です。この国の名誉が傷つくのは私の本意ではない。紋章はお返しします。」
ルフィの目が輝いた。
「でも、只というわけにはいきません。投資に見合う代わりのものとして、あなたの大切なものを頂きたい。」
ルフィはきょとんとした顔をした。
「私には妻がいません。かねてより、ランスール家にふさわしい貴婦人をと高望みしていたら、そのまま年月が経ってしまいましてね。
でも私はついに見つけました。貴婦人中の貴婦人を。アリス王女です。
あの方と初めてお会いした時の私の感動をどう伝えればいいのでしょう。
あの方はダイヤモンドの原石です。それも飛び切りの。
きっと素晴らしい貴婦人になりますよ。ぜひ私にお預け願いたい。
あ、歳が離れ過ぎていると思っておられますね。愛に年齢は関係ありません。どこかの国でも男が年端も行かぬ娘を引き取って育て、後に自分の妻にした、という話があります。
男にとって女性を自分の理想に育て上げるのは究極のロマンですよ。」
畳み掛けるようなサンジの言に、ルフィは何だか翻弄された。もう正常な判断ができない。紋章も返ってくるし、アリスは貴婦人中の貴婦人になれるのだし、それでいいかな、などと思ってしまった。
そしてアリス王女との結婚の勅命と引き換えに紋章を返してもらう約束をした。
これもまた証文に記して。
そして後に冷静になって考えると、またしても自分がとんでもない約束をしてしまったことに気がついた。
どうしてサンジの前で冷静な判断ができないのか分からない。
あの可愛いアリスを、なんでサンジなんかにやらなくちゃならないんだ!
自分で約束したことなのに、腹が立って仕方が無かった。
しかし約束は約束だ。約束は守らなくてはいけない。
それと同時に紋章はどうしても返してもらわなければならない。
でも、お金も無いのに、アリスを取られずに紋章を返してもらうにはどうしたらいいのか分からない。
いい考えなんて自分ではもう思いつかない。
そんな状態のまま、ビビにアリスの縁談の話をしに行った。
話を聞いた途端に顔を強張らせたビビ。
目には涙を浮かべて。
それを振り払うようにして、ナミに見つからないようにして、サウス宮に逃げ帰ってきたのだ。