とある国の出来事 −4−
話の途中から、正確にはカジノに出かけた話の辺りから、ナミの額には2つくらいの青筋が走ってピクピクと脈打っていた。
ゾロはそんなナミを見て、心の中で「堪えろ」と呼び掛ける。
しかしその呼び掛けは通じなかったようだ。
ルフィが話し終わった途端に、
「こんの、大馬鹿者!!!」
ナミがルフィに向かって一喝した。
「お、怒らないって言ったじゃん。」
ルフィは身体をビクつかせて、ちょっと逃げ腰で恐る恐るナミを見る。
「これが怒らずにいられますか!あれほど、賭け事はするなって言ったのに!!あんたは賭けのルールを知っているとか知らないとか以前に、賭け事のセンスが無いのよ!分かる?」
ナミはルフィの顔をビシッと指差した。
「それに、紋章って『ストロー紋章』のことよね?なんであれを付けて外に行ったりするの!!」
さほど物にこだわらないルフィさえがこだわる「紋章」は、この国が信奉する宗教の大本山であるグランフェイト寺院の最高位の僧侶、シャンクス大主教が信愛の証として特別にルフィにお預けになったもの。本来は門外不出の品だ。
紋章は言い伝えによると先史以前から受け継がれたもので、その細工は芸術品として最高のものだという。
また、紋章の真中にある宝石は生成が非常に難しい稀少なもので、世界の秘宝と言っても過言ではない。
その秘宝をルフィはナミと結婚して間もない頃にグランフェイトを表敬訪問した際に見せてもらい、一目で気に入った。
子供の頃から自分に目を掛けてくれていたシャンクスに自国に持ち帰ることを強く望んだが、なかなか受け入れられる願いではなかった。
しかしシャンクスもその地位にもかかわらず、とても気さくな人物であったので、長年のルフィの申し出をついに受け入れて、昨年、グランフェイト史上でも一度も無かった『ストロー紋章』の持ち出しが1年に限り許された。
このことは、グランフェイトと「とある国」の親密な関係ぶりを伝えるものとして、国際的にも広く知られている。
そして、その紋章の返却期限が5日後に迫っている。
「しかもそれを質に入れた…。」
ナミは青ざめて呟く。
「おい、顔色が悪いぞ。チョッパーを呼ぼうか。」
ゾロがナミの顔色に気づいて言う。
「ううん、後で自分で呼ぶからいい。」
ナミはルフィの方を向いたままゾロに返事をする。そして更にナミはルフィに言い募る。
「その上借金のカタに娘を差し出した!」
「いや、そんなことしてねぇよ。」
ルフィがナミの言い方に語弊を感じて反論する。
「黙れ!やってることは同じよ!あんた、女の人生何だと思ってんの!?」
今度はナミは顔を紅潮させて叫んだ。ナミのあまりの剣幕にルフィもゾロも驚く。
「だいたい、どうしてルフィが紋章を持ち出せたりしたの?宝物庫の役人は何をしていたの?」
「あ、それなら。」
「何?」
ナミが今度はゾロに向き直った。
「こいつがキレイだからいつでも眺められるようにしたいって言うから、だいぶ前に俺が宝物庫係に話つけて持ち出したんだ。」
「そうそう。それを執務室の机の引き出しに入れて、いつもこっそり見てたんだよな。」
ゾロとルフィが顔を見合わせてうんうんと頷きあっている。
「馬鹿者!」
「ぐわっ。」
ゾロの顎にナミの右拳のアッパーが決まった。
「ななな…なにあんたまでそんなことやってんのよ。信じられない!もうやだ!王妃やめたいっ。私ばっかり国の心配して、あんた達はいつもいつも能天気なんだから…!!」
ナミは顔を両手で覆い、俯いてしまった。
「まぁまぁ、そんなに心配すんなよ。」
ルフィが労わるようにナミの肩に手をかける。
「あんたに言われたくない!」
今度はルフィの右頬にナミの平手が入った。
「ま、偶然が重なって最悪の事態になったってわけか。」
顎を赤くしたままのゾロが真面目な顔で言った。
「大半は人為的なものだと思うけど。」
「どのへんが。」
「まず、伯爵がルフィをカジノに連れていったこと。彼はルフィなら必ず賭け事に乗ってくると踏んでたのよ。」
「しかし、賭けに負けたのは偶然だろう。初日は勝ったんだし。」
「多分、イカサマだったんだわ。初心者に最初ちょっと勝たせて、のめり込ませる。そのうち借金をさせてますます足抜けできないようにする。借金づけにして、借金の取り立てに家に押し掛ける。財産を根こそぎ取り上げ、妻や娘がいたら娼館に売り飛ばして骨の髄までしゃぶる。マフィアの常套手段よ。おそらく店と伯爵はグルなんでしょうね。そうでなければルフィが賭け事で100倍も当てるわけがないもの。」
「おい、それはちょっと偏見が入ってないか?」
「とにかく、店と伯爵がグルだったとすると、伯爵は10億ベリーを払わずして紋章を手中に収めているはず。ルフィはそれを知らず10億ベリーの借金証文にサインしてしまった。当然ルフィに払える訳がない。それも彼はお見通し。でも、ルフィには紋章を返してもらわなくてはいけない理由がある。ルフィが泣きついてくるのを待って、借金の帳消しと紋章の返還を条件にアリス王女の結婚を持ちかける。」
「えらく回りくどいことをしているように思うが。」
「うん、なんだか何が目的なのかを分からなくさせてるみたいに感じる。彼の真意が分からない。単にお金が欲しいのか、本当にアリス王女と結婚したいだけなのか。尤も、アリス王女と結婚すれば降嫁支度金も手に入るから、彼には丸儲けね。」
「ということはやはり金か。」
「そう考えるのが妥当ね。」
「しかし、ルフィが王の権力を笠に着て、借金を踏み倒すとは思わなかったのかな。」
「だから『ストロー紋章』を押さえたんでしょうね。借金の証文なら踏み倒せても、『ストロー紋章』が向こうの手にあるとなると、こちらは何らかの手を打たざるを得ないもの。大国の宝物庫にあるはずの秘宝が商人の手に渡ったことが国の内外に知られるだけでも面目丸つぶれなのに、法外な値での買い取りを求めてグランフェイトに紋章を持ちこまれた日には、この国は赤っ恥もいいところだわ。」
「しかし、いくらなんでもそんなことしたら、サンジの評判だってがた落ちだぞ。」
この国の評判を落とすような行為をこの国の人々は誰も望むまい。それを自国の人間がやったとなると、そんなことをした人物に非難が集まるのが普通だろう。サンジは事業をこの国を中心に行っている。どんな理由があるにせよ、この国の評判を落とすようなことをした人物の事業をこの国の人々が後押しするとは思えない。つまり、事業にも悪影響が出るに違いない。
「別に本人が売り付けに行かなくてもいいのよ。子飼いの商人に行かせればいいんだもの。礼金さえたっぷりはずめば、足のつく心配もないし。」
ナミはそこで溜息をついた。
「しかし、金が目的でないとしたら?」
ゾロが問い掛ける。
「お金でないとしたら・・・。純粋にアリス王女と結婚したいのか・・・。実際、20歳以上離れた婚姻も王家では頻繁に行われているし。あと、考えられるのはルフィ、或いは王家に対する怨恨ね。ただ単にルフィや王家を痛めつけたいだけなのかもしれない。」
「何か心当たりでもあるのか?」
「分からない・・・。今、ウソップに伯爵のことを調べてもらっているから、それで何か分かるかもしれないけど。あと、今回の件で一つだけ分からないのは、どうして伯爵はルフィが『ストロー紋章』を手元に持っていることを知っていたのかということ。それを知っていないと、今回の計略は成立しないんだもの。私でさえ知らなかったのに。」
「あー、俺、サンジに見せたかもしんねぇ。」
ルフィがのん気に答える。
「あっそう!もう何を聞いても驚かなくなったわ。
ということは、彼がルフィが紋章を手元に置いているのを知っていたことになる。もしルフィが夜遊びで紋章を持たずに出かけようとしたら、彼の方から『あと数日で返却しなくてはならないから付けていけば』とかなんとか言ってそそのかしたかもね。そうなると、何だかゾロの国外出張も怪しいわね。この時期に都合良くゾロがルフィから離れるなんて出来すぎだもの。これも仕組まれた気がする。」
「おいおい、それぐらいにしておけよ。もう終わったことをとやかく言っても仕方ないだろ。今後の対策を考えよう。」
ゾロが思考をエスカレートさせていくナミを止める。
「そうね。話の原点に戻るとしましょう。何か策はある?」
「要は金の工面だな。ナミ、お前金は無いのか?」
「ある、と言いたいところだけど、残念ながらないわ。2人とも知ってるでしょ。私、地理院の創設にほとんど注ぎ込んじゃったから。」
「期待してたのにー!!」
ゴチンとまたルフィが殴られる音。
「お前の実家は?お前と同じでお金をよく貯めてただろ。」
「なんか失礼な言い方ね。私を見てれば分かると思うけど、私の実家から借りるとそれこそ3倍返しよ。30億ベリーなんてあんた達、払える?」
「絶対に払えねぇ。」
ルフィは頭を抱えて断言する。
「俺は関係ねぇだろ!」
ゾロは借金の連帯保証人のような扱いに慌てた。
「こうなるとやはり王家の固定資産を処分するか、国庫から捻出するしかないわね。」
「しかし、どちらにしても元老院の承認が必要だろ。それに今回のことが露見してしまう。」
そう、ルフィが『ストロー紋章』を持ち出したこと、質に入れたこと、賭け事で10億ベリーの借金をしたこと、その借金のカタにアリス王女の縁談を飲んだこと・・・などが次々と明らかになってしまう。
また、元老院がお金の捻出を却下し、アリス王女の縁談で事を済ませようとする可能性もある。それも断じて避けねばならない事態だった。
事のあらましは秘匿して、お金だけを捻出するにはどうしたらいいか・・・・。
そんないい方法があるのだろうか。3人ともすぐには思いつかない。
3人の話合いはここで膠着状態になった。
ナミは後宮に戻って策を練ることにし、思いついたら報告に行くから今夜は後宮に戻ってくるように、とルフィに厳命してその場を辞した。
その日の夕方、ナミは宮殿の典医を呼んだ。
「ストレスと疲労が溜まっているようです。この薬を飲むと気分が落ち着きます。」
「ありがとう、チョッパー。」
ナミは診察を終えた愛くるしい人獣型のトナカイに微笑みかける。
「い、いや、そんな・・・。」
言葉とは裏腹に自分に向けられたお礼の言葉と笑顔に嬉しさを隠し切れない様子。
チョッパーはヒトヒトの実を食べたトナカイであったが、その志は高く、幼い頃から医者を目指していた。
しかしヒトなのか、獣なのかの分からないこともあって、医学校への入校許可が降りなかった。
そんな彼を不憫に思ったナミが医学校に入学できるように取り成したのが2人の出会いだった。
その後、優秀な成績で医学校を卒業したチョッパーは、誰もが予想もしなかったことに、典医として王家に仕えるようになった。
「今日は第二王妃殿下も僕を呼ばれました。大そうな御心痛の様子でした。何か良からぬことでも起こっているのですか?」
いくら言葉を崩せと言ってもこの医者はなかなか言う通りにはしてくれない。
「そう、ビビも・・・。いえ、別に何も無いわ。ルフィが後宮に帰ってこないからちょっと心配しているのよ。それより、第四王妃がご懐妊されたとか・・・。その後お加減はどうなのかしら。」
「いや、残念ながら妊娠ではなかったんです。多分ストレスか何かの影響で月のものが来なくなったんだと思うのですが。」
「ストレスってこの後宮での生活でってこと?」
「はい。彼女はここに来てもう3年になるのに御子ができないことを気にされてるんです。」
「そう、難しいわね、こればかりは。私も子供いないもんね。」
「あ、あの、ナミ王妃だって健康なんだし、身体に問題は無いんだし、いつかできますよ!」
チョッパーはナミが子のないことを気にしているのだと思い、慌てて励ますように言った。
夫婦生活があればね―――とナミはそんなことを思いながら、チョッパーの反応を微笑ましく見ていた。
「ありがとう。いずれにせよ、チェリー王妃(第四王妃)には私から何かお見舞いをするわ。」
その時、ノックの音が響き、侍女が侍従長の来訪を告げた。
チョッパーの退出と入れ替わるようにしてウソップが部屋に入ってきた。
「ウソップ、ランスール伯のこと、何か分かった?」
「ああ、色々と。しかしこれが役に立つ情報かどうかわからねぇぞ。詳しくはこれに記してある。まずは読んでくれ。」
几帳面なウソップは僅か1日の調査内容をきちんと報告書にまとめていた。
報告書に目を通したナミは、我知らず興奮してきた。頬が紅潮する。
その中になんとか使える情報が入っていたのだ。
それは悪巧みを考える時の興奮に似ていて、思わずナミは苦笑いした。
「これは使えるかもしれない。準備が必要だわ。ウソップ、これから言うこと全部書き出して!」
その夜、第一王妃付きの侍女達は興奮に包まれていた。
ここ半年ばかり無かった王の夜のお召しがついに今夜あったのだ。
ナミ王妃は昼間に王に呼び出されたり、王が王妃の部屋に来ることはしょっちゅうあったが、夜となるとトントご無沙汰だった。
「これで御子でも授かれば私達も安堵いたしますのに・・・。」
「本当に。ナミ王妃は王に尊重されていらっしゃるけれど、御子のある王妃様のご権勢はやはり違いますのもの。」
「そうね。第三王妃は御子が3人もいらっしゃるから、今をときめいていらっしゃる。侍女まで態度が大きくて悔しいわ。でもお人柄は第三王妃とナミ王妃とでは比べ物にならないけれど。」
実際のところ、夜の秘め事には違いなかったが、侍女達が想像しているものとは大いに違った。
ナミはその夜、ルフィとゾロにサンジ攻略作戦の報告と詳細の打ち合わせのために召し出されただけなのだから。
『ストロー紋章』の返却日まであと5日。
それまでになんとしても決着をつけなくてはならない。
だから2、3日のうちにランスール伯爵サンジと直接対決することになるだろう。
しかもこの勝負は決して負けられないのだ。