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「剣道」と聞いて思い浮かぶのは、お父さんの職場にある道場での風景。学生剣道とは違う警察剣道の鬼気迫る白熱した様子に、気が弱い人なら道場に入ることも出来ないんじゃないのかな。実践を想定しているから、礼儀よりも勝つことに重きを置いているみたいだし、剣道というより剣術と言う感じだ。

警察署の敷地にある武道場には、とうぜん警察官しかいない。休憩している人もいるけれど、勤務時間の合間をぬっての練習には気迫が半端ない。素人でもピリピリした空気に居住まいを正してしまうくらい。その中を歩く制服姿の女子高生。補導されたわけでもないわたしに無遠慮なちくちくとした好奇の視線を感じる。みなさん、わたしのことは気にしないで練習してください。お願いだから。


「ゲンさん、お客さんだぞ」


壁際で何人かの人たちと談笑していたお父さんと視線が合い、手を振った。


「忘れ物、持って来たの」
「わざわざ持ってきてくれたのか」


「きっと困っているから」というノジコに言われて予備校の途中に寄ったんだけど、お父さんのこの調子なら、そんなに急ぎじゃなかったんじゃない?でも配達料は請求してやるんだから。見世物にもなったんだから、上乗せもしてやる。


「ビスタに連れてきてもらったのか。よくナミだとわかったな」
「小さいころゲンさんにつれられて、よく遊びにきていたじゃないか。それにこんなべっぴんさん、忘れるわけないだろ?」


そうか、やっぱり知り合いだったんだ。ビスタさん…。ビスタさん…。だめだ、全然覚えがない。


「ま、このオレンジ髪が目印ってのもあるけれどな」


豪快に笑うビスタさんに何となく髪を耳にかけた。そんなに目立っているのかしら、この髪。愛想笑いを貼り付けたまま、予備校への時間があるからというわたしに、お父さんも居心地の悪さを感じてくれたらしく


「気をつけてな」


という言葉に「じゃあね」とだけ言って早々に道場を後にした。

階下の練習の汗を拭きながら休憩している人たちの隙間を縫った先に、さっきのお巡りさんがいた。すっごい真剣な顔している…自販機の前で。胴着姿であごに手を当てながら腕組みしている様子は、なかなかカッコいいんだけれど、悩んでいることが飲み物のチョイスなんて可愛いんじゃない?
その姿に小さく敬礼し「お疲れさまです」とつぶやいてドアを押した。

外は熱気に包まれていた道場とは違い、秋の気配を感じさせる冷気が火照った頬を撫でた。昼間はまだ暑い日が続いていたけれど、どこかから聞こえてくる虫の声に夏が終わったんだなと、感じた。


***


「ゲンゾウさんのお嬢さん、超美人っすね!」
「実のお嬢さんなんすか?」
「彼氏は?」
「ええい!うるさい、うるさい!」
「やだ、お父さん。そんなに怒鳴らないで」
「誰が誰のお父さんだああああーっ!!」


竹刀をふり回して野次馬を追い払ったゲンゾウは肩で大きく息をつきながら、普段から強面の顔をさらに険しくした。


「そんなにムキになることでもないだろう」


年頃の娘を持つ父親特有の反応を見せるゲンゾウにビスタは言った。ビスタのところは早々に片付いており、「じいじ」と呼ばれるまでカウントダウン待ちである。


「ムキになどなっとらん!」
「だけど考えてみろ。嫁に行かなければ行かないで心配だが、どこの馬の骨かわからん奴にくれてやるなら、そこらへんにいるよく知った若い奴に預けるのもいいんじゃないのか」
「上のノジコだってまだ大学生だぞ。気の早い話をするな。それに嫁にやるとしても、わしより弱い男は絶対お断りだ」
「あんたに適うような若い奴なんて…」


いまは地域課という署内でも平和な部類になる部署にいるゲンゾウだが、本庁の捜査四課にこの人ありと言われているほど名をあげていたときもあったのだ。警察のいう荒波にもまれているとはいえ、最近流行っている「草食男子」と呼ばれる部類に入りそうな若手の警官など、鼻息だけで震え上がってしまうだろう。

が、「ああ!」と言ってゲンゾウに振り向くと


「いるじゃないか。ひとり」
「なんだと?」
「警官じゃないが、高校生の分際でここにきているやつが」


そういえば小遣いをやったきり戻ってこない。まさか、この道場がある建物のなかで迷子になっているとかいうんじゃないだろうなとビスタは思った。


「あいつか…」


言い淀んでいるところを見ると満更でもないのだろう。思わず真剣に考え始めてしまったゲンゾウはビスタのニヤニヤ顔に我にかえると、羞恥をかなぐり捨てるように怒鳴った。


「尻の青い小僧しか出ない大会で一度や二度優勝したくらいで、娘をやれるか!」


それは世間では十分すぎるほど称賛に値することなんだがなと、ビスタ自身も覚えがある事でぶつぶつ怒っている同僚を、彼から見えない角度から好意的にこっそり笑った。


***


バスの車内で到着するまで予備校のテキストを開いていたナミはふと顔をあげた。

車窓から見える街はポツポツと明かりが灯り始め、窓ガラスには白い自分の顔が映っていた。その顔をじっと見つめ、記憶をゆっくり手繰り寄せる。

階段から落ちそうになったナミをつかんで引き戻してくれたあの警官が、どうも記憶に引っかかってしょうがない。たまにゲンゾウが自宅に若い警官をつれてくることがあるので、その時にでも会ったのだろうか。いやいや。もうちょっと最近に会ったような気がするのだけれど、いくら考えても思い出せない。

背はナミより頭一つは高かった。180は余裕であるだろう。髪の色は手拭いで覆われていてわからなかった。一見鋭い目つきの悪そうな顔だが、笑うとビックリするほど子どもっぽかった。あのぶつかりそうになった距離で感じた空気になんとなく身に覚えがあるようで、ないようで、でも引っかかって…。だけど女子高で、特に親しい男友達がいるわけでもないナミにその距離を思い出せる相手のあてが全くない。


「どこだったかな…うーん。なんとなく出てきそうで…









                                                               ま、いっか」


先ほどの邂逅は記憶の片隅にぽいっと追いやると、ヘイゼルの瞳は再びテキストの文字を追いかけて行った。




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