7月 ff      - PAGE - 1 2 3 4
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ナミは手早く夕食を済ませた後、灯りを消して、窓際のテーブルに移動した。
お酒の入ったグラスとおつまみを置いて座る。
たった一人で晩酌。
そして観察。
ゾロが帰ってくるところを・・・・。
明かりを消しておけば、ゾロは私がいないと思って油断して、自然な素振りを見せるってことが分かったから。

きっかけは偶然。
帰宅して明かりを点けないまま窓際まで行った時、ちょうど下の道をゾロが歩いて帰ってくるところだった。
ゾロがまずしたのは、私の部屋を見上げることだった。
マンションに入る前にもう一度見て、部屋に入って明かりを点けて、窓を開けて、またじっと私の部屋を見た。

私はというと、暗い部屋の中でその様子をカーテンの隙間から息を潜めて、そっと覗いていた。
それ以来、よく明かりを点けないままゾロの帰りを見るようになった。
もちろん、毎日じゃないけれど、週末なんかによくやる。
今日は週末じゃないけれど。
誕生日なんだもの。特別でしょ?

そろそろ観念して来たらどうなの。
じれったいったらないわ。

その時、パッと明るい光がナミの視界に侵入してきた。車のヘッドライトの明かりだ。
スーッと音もなく一台のセダンがナミのマンションの前を通り過ぎ、やがて停まった。
バタンと音がして、ドアが開き、黒い影法師が降りてきた。
それが街灯の明かりの下にまで差し掛かった時、姿かたちが浮かび上がった。
あれは・・・・。

(エース!)

ナミは咄嗟に椅子から立ち上がり、窓枠に寄り、身を隠した。レースのカーテンはしているものの、それだけでは見破られてしまいそうな気がした。
エースは駆けるような足取りで、ナミのマンションに近づいてくる。

(どうして!? どうして、エースがここに?)

混乱した頭のままのところへ、ピンポーンと呼び鈴が鳴った。
ドキーンと心臓が大きく鳴った。
ドアに近づくものの、ドアノブに手を掛ける勇気が出ない。

(どうしよう? どうすればいい?)

間を置かず、もう一度、呼び鈴が鳴る。
ビクッとナミは身を震わせた。心臓がドキンドキンと音を立て始める。
落ち着こうと一つ深呼吸して、覗き窓から覗いた。
やはりエースが立っていた。

覗き窓から見られているのを意識してるかのように、いつものように白い歯を見せた笑みを浮かべている。
どこで聞いたのかは知らないが、エースは今日がナミの誕生日と知ってやってきたのは明白だった。
手に、花束のようなものを抱えているから。

そんな、今夜はダメよ。
今日はダメなの。
出られない。

(ごめん、エース)

今夜あなたと会ったら、きっと、ゾロを裏切ったような気持ちになるわ。

だから、会えない。


ドアに額をつけて、心の中で謝った。

しばらくそうしていると、ドアの外にいるエースが何か言葉を漏らしていることに気がついた。

最初は独り言かと思った。

でも、一人だけの声ではない。

もう一人、誰か、いる。

この声は。

まさか。



♭          ♭          ♭




仕事帰りでバス停に降り立った時には、ゾロは迷いは消えていた。
それまでは、行くべきか、行かざるべきか、葛藤していた。
でも、もう自分をごまかしようもない。
ただ純粋な感情の発露として、自分は今ナミに会いに行きたいと思っている。

もっとも、今日がナミの誕生日だと気づかなければ、何もしないでいられたかもしれない。
けれど、一度思い出してしまったからには、無視することなんてできない。
そうするには、自分はナミを想い過ぎてしまっている。

いつものように、ナミの部屋の窓を見上げる。灯りが消えている。
まだ帰ってないのか・・・・こうなったら、部屋の前で待っていよう。
今日中に絶対に会いたい。
今日でなければ意味がない。

その前に、仕事道具を部屋に置くことにする。
すぐ出るつもりだったが、ふと思い直して、冷蔵庫の中に突っ込んでおいた小さな紙の手提げ袋を取り出した。
こんなものを持っていくのは照れくさくて仕方がないが・・・・誕生日というのはそうした方がいいのだろう。
姉がいるので、女が誕生日をどう考えているかぐらいは、知っていた。

道を渡ってナミのマンションの玄関に入ろうとした時、道の少し先に見慣れないセダンの車が停まっていることに気づいた。
たいして気にも留めずエントランスに入り、エレベータのボタンを押したが、待ちきれず、階段で上がることにした。

一段飛ばしで上っていく。
けれど、途中の踊り場で足を止めた。
ナミの部屋は階段のすぐそばだ。
そこに、人の気配がする。
ナミではない。
ナミではないからこそ、緊張が走る。
そして、嫌な予感がした。

「そう警戒しないで出てこいよ。」

聞き覚えのある男の声。
この声は。
先月ナミと一緒にいた男のものだ。
やはりそういう男だったのか・・・・苦い想いが込み上げる。ゾロはギリっと奥歯を噛み締めた。
意を決して、ゾロはゆっくりと残りの階段を上っていった。

男は、ナミの部屋のドアにもたれて立っていた。
共用廊下に灯る小さな白熱灯が、男の風貌を顕わにする。
黒い髪にそばかす顔。いけ好かないニヤけ面をして、スーツの上着を肩にかけ、手に花のカゴを持っていた。

「生憎、ナミは留守だよ。」
「誰だ、テメェ。」

あの時も訊いた質問を、再度する。



のっそりと、その男は現れた。
眼光が鋭い。暗い階段ホールからでも、その鋭い視線が光って見えるかのようだ。
お前は誰だと、あの日と同じサビを含んだ声で訊いてきやがった。
あーあ、まさか鉢合わせるとはな。
エースは肩を竦めた。

「さて、誰でしょう。」
「ふざけてんのか。」
「俺は、お前さんのこと知ってるぜ。」

効果が出るように、ことさらゆっくり言う。

「ゾロだろ。」

名を呼ばれて、その男は目を剥いた。

「お前さん、ナミの彼氏なんだろ? それなのに、俺のこと聞いてないの?」

ことさら嫌味ったらいしく聞いてやる。それでもホントに恋人か?という風に。
途端に男はバツの悪そうな顔をする。
いい気味だ。

「そりゃ聞いてないよな。お前さん、ずっとナミとケンカしてんだもんなぁ。」

ギロリと男が睨んでくる。きつい視線とは裏腹に、その瞳の奥には警戒と不審が見え隠れしている。
俺の口から、ナミとの関係のことを聞かされて動揺しているのか。
おうよ、俺ァ、ナミから打ち明け話をされるような親しい間柄よ。
そう思わせときゃいい。
アドバンテージは有効に使わないとな。
せいぜい焦れ、若造。

「それで? 彼女の誕生日に仲直りしようって寸法か?」
「別に・・・・。」
「おやおや、どの口が言うかね。そのバラティエの紙袋は? 彼女へのプレゼントだろ?」
「・・・・バラティエを、知ってるのか?」

なんか、どうでもいいことにツッコんでくるねオタク。

「あれだろ、歓送迎会やったとこだろ。」

何気なく答え、俺は行ってねぇケドとも付け加えた。
すると、ヤツは何か閃いたような顔つきになった。

「あんた、イーストブルーの人だな。」

ゲ。
それだけで言い当てちまいやがった。

「もしかしたら、ナミの新しい上司か。」

ご名答。
一体どれだけ勘がいいんだか。
あー、短いアドバンテージだったなぁ。

観念するかのように、ふっとエースは笑みを漏らす。

「俺はポートガス・D・エース。お前さんの言う通りナミの上司だ。お前さんはえーと?」
「・・・・・ロロノア。ロロノア・ゾロ。」
「フリーの記者なんだって?」
「・・・・・。」
「そんな怖い顔で睨むなよ。他愛のない恋バナとして聞いただけだ。しかしまぁ奇遇だなぁ。」

一呼吸置いて、エースがニヒルな笑みを浮かべ、ゾロをまっすぐ見据える。


「ナミを好きな者同士が揃うなんて。」


ゾロの眼光がいっそう鋭くなった。
射殺さんばかりにエースを睨みつける。

「だから、そう怖い顔で見るなって。お互い様だろ。俺ァ、ナミのこと気に入ってる。」
「・・・・・・。」
「はっきり言えば好きだ。お前さんもそうだろ?」
「・・・・・・。」
「煮え切らない態度だなぁ。なんか言ったらどうなんだ。ナミを好きなんだろ? だから、抱いた。違うか?」
「・・・・・・ッ!」
「俺は腹を割って話したぞ。お前もはっきり言えよ。」

「テメェには、関係ねぇよ・・・・。」

それは静かな、しかしその分重く、絞り出すような声だった。
その声音に、エースが片眉を跳ね上げてゾロを見る。
それからは、いくら挑発してもウンともスンとも応えない。
これ以上深追いしても無駄なようだ。
エースはとうとうため息をつき、降参という風に両手を挙げた。

「そうかい、分かったよ。ひとまず退散だ。」

エースはゆっくりとナミの部屋のドアから背中を離し、ゾロに一歩近づいた。
腕を伸ばせば届く距離で、二人は対峙した。
白熱灯の明かりの下で、睨み合う。
どちらも一歩も譲らないとばかりに。

不意にエースが手を上げる。
ゾロは反射的に片腕を上げて胸の前で構え、受身の態勢を取ってしまった。
その腕を、がっちりとエースが掴む。
意表を衝かれ、ゾロが目を剥いた。腕越しに見える、エースの得意満面な顔。

「何のつもりだ。」
「ほら、お前さんも行くぞ。」
「ああ?」
「アンタも退散しないと。」

意味が分からないとゾロは目を細める。

「お前さんもナミの誕生日を狙って来たんだろうが、俺と鉢合わせた時点で作戦失敗だ。だから出直すしかねぇんだよ。」

「でもお前さんは、ナミのご近所さんなんだろ? ということは、俺が帰ってからも、ナミを待ち伏せられる。」

「それは困る。出し抜かれるのは趣味じゃねぇんで。だから今日はお互い退散。今夜は、俺もアンタも、ナミには手を出さないっつー紳士協定だよ。分かるか?」

そこまで聞いて、チッと舌打ちして、ゾロはエースの腕を振り払う。
エースが先に階段を下り、ゾロがその後に従った。

マンションを出た時、二人はともにナミの部屋の窓を見上げた。

「なぁ、ナミ、部屋の中にいたと思わないか。」
「・・・・・。」

窓の下にエアコンの室外機を置くスペースがあるのだが、それが稼動していた。
今夜はかなり暑い。
ということはつまり。

「ということは、あえて出てこなかったということか・・・・いや、違うな。」

俺が、先に行ったから、ナミは出なかったんだ。
もし、ゾロだったら?
ケンカした恋人が、誕生日の日に仲直りにしようと部屋を訪れた。
ただそれだけのこと。とても自然なことだ。
きっと、部屋に招き入れていただろう・・・・・。

(結局、野暮は俺かよ。)

おもむろにエースはゾロの方に向き直ると、飲みにでも行くか?と手で杯をあおる仕草をしたが、「誰が」というつれない返事。
エースはまた肩を竦めて、ぶっきらぼうに歩いて車に向かう。
車のドアを開ける前に、エースはもう一度ゾロを振り返る。

「アンタさ、なんで何も言わねぇんだ? ・・・・・いや、俺には関係ねぇことか、ハハッ。」

エースの脳裏には、一緒に飲んだ日のナミの姿が思い浮かんだ。
愛の言葉を囁かない男。
愚痴のようでいて、それでも男の話をしているナミの口元は、段々とほころんでいく。
やがて優しい笑顔になる。
その時、相手の男を羨ましいと思った。

エースは車に乗り込むとすぐにハンドルを切って、発進させた。かすかにタイヤの軋む音が響く。
ゾロの前を通り過ぎた後、ハザードランプを数回点滅させた。
挨拶のつもりらしい。変な野郎だ。

ゾロは車のテールランプが見えなくなるまで見届けた後、もう一度ナミの部屋を見上げた。

エースの言ったことが分からないわけではない。
自分は肝心なことを何一つナミには伝えてない。
しかし、軽々しい気持ちで、ましてやナミ以外に言うわけにはいかない。

(それに、やっぱり柄じゃねぇし)

俺は俺なりのやり方でいくしかねぇんだ。



♪          ♪          ♪




男二人が階段を下りていく足音が聞こえる。
段々と遠ざかっていく。

そうしてやっと、ナミはずるずるとドアに押し付けた背中を滑らせてしゃがみこんだ。
立てた両膝の上に額をつけて、大きく息を吐き出した。
緊張で強張っていた全身の力がようやく抜ける。

何もしてないのに―――ただ、立ち聞きをしただけなのに、全力疾走したかのような疲労感。
気づくと全身汗でびっしょりだ。

ああ、息が止まりそうだった。

そして、当分の間は、胸を強く打つ動悸は止まりそうにない。


窓の外から、かすかに車が発進する音。
ナミは暗い虚空を見つめ、それをただ遠くに聞いていた。

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