私、ここに来て良かったの?
ここに来る冪じゃなかったのかも……

ううん、弱気は禁物!

もう、後には引けない様に、全て棄ててきた。
後悔する結果になっても、覚悟は決めてきた。

後は…………





嘘つきは泥棒の始まり  後編

CAO 様

 

そう、本当にバカなのは、私だわ……

あんなに大切にされてたのに、何も気付かなかった。
あんなに優しくされてたのに、当たり前だと思ってた。
あんなに支えてくれたのに、自分だけで立ち直った気になってた。

本当にバカ。

失って初めて分かるなんて……






やっとの事で渡した切符は、ナミの行く先が印刷されていた。
車掌から戻された切符を手にし、終点の駅名を確認する。
目的の場所に目的の人物がいるとは限らない……そんな不安がナミを襲う。


「あのぅ、ご気分が優れない様でしたら、お薬でもお持ちしましょうか?」

「…あ……お気遣いありがとうございます。でも、大丈夫だから…」

「そ、それに鞄が…」

次の乗客が気になる筈なのに、真面目そうな車掌は足を運べないでいた。
戸惑っている様子が、ゾロを思い起こさせる。

ナミとルフィが話しに花を咲かせていると、必ず一歩引いて眺めていた男。二人が揉め始めるまで、口を挟まず見守っていたアイツ。なんだか、いつも躊躇している様で…

少年然とした車掌に、似ても似つかないゾロの姿が重なり、ナミは自然と微笑んでいた。


「自分で出来るから…本当に大丈夫ですよっ。」


ゾロを思うと、自然に笑える自分に、切なくなった。

あの日、ルフィの結婚式の日……凄く楽しくて、些細な事もおかしくて。
あれは、ゾロが隣で見守っててくれたから。
ゾロの存在を間近に感じてたから。



「………分かったよ。」



炎天下のガーデンパーティは、ナミにとってはあまり喜ばしい場所とは言い難い。暑いは日焼けの心配はするわで、本気でルフィとビビを恨みそうになっていた。
ただ唯一の救いは、隣にいるゾロ。ゾロに不平をぶつけ、互いにルフィへの悪態を吐くと、不思議と気分がスッキリした。

見慣れぬゾロの畏った姿は、面白くもある反面、以外に見栄えする事に驚きも憶えさせられる。


「……ゾロ、ちゃんとエスコートしなさいよっ!」


照れ臭い様な、けれど、見知らぬ他人といる様な。


「俺がか?…ガキじゃねぇんだから、一人で行けよ。」


そう言われて、はいそうですか…と、素直に従うのもシャクで。


「約束したじゃない……隣にいるって。」


ゾロの右手に指を絡めた。そっと縋り付く様に。


「………分かったよ。」


その口調は仕方がないといった様子で、少し寂しく感じた。

歓声が上がっている。

でも、そちらに顔を向ける気にはなれなかった。


「バカ共のご登場か?……行くか?」


触れている指先にあるゾロの手から視線を外せない。


「人がいっぱいで、近付けないわよ。」


ゾロの手の甲をなぞる様に触ったまま、その手を見つめながら呟いていた。


「じゃ、酒だ!」


ゾロの手がナミの指先を捉え、その手ごと優しく包み込む。その仕草をじっと見つめていた。


「バカ!料理が先よっ。」


ゾロの手ばかり見ていた自分が気恥ずかしくて、一瞬肩をすくめたが、顔を上げゾロに微笑み手を握り返した。

一瞬の躊躇の後、ギュッと握り締められた手に、いつもとは違う感触を受けたのは、私の勘違いじゃなかった。

何が分かったよ、分かってないじゃない…
ルフィから聞いたわ。
何が『オメデトウ』よっ!ちっともメデタクなんてないわ。

嘘つき。






車窓から見える風景は、キラキラ光る夏の陽射しを受け、山の緑を鮮やかに煌めかせている。
愚かな私を嘲笑っている様で。
少し、悔しくなった。


嘘つき……


外はこんなに明るくて、眩しいくらいなのに。
どうして私はこんなに沈鬱な気持ちでなきゃならないの?

全部アンタのせいよ……ゾロ。

あの時、アンタがあんな事言わなきゃ、こんなに腹立たしい思いしなくて済んだのよっ!

そうよ、絶対アンタが悪いっ!

私をこんなに心配させて。
一体どこをほっつき歩いてるんだか。

私を一人っきりにして。

勝手に一人で途中下車する訳?

アンタの事ばっかり考えさせて……どういうつもりよっ!



「ゾロはどこっ?」



ルフィは披露宴の後、直ぐに新婚旅行に出かけていた。二週間もの。
ナミは流石にお金持ちは違うと、単純に憧れを覚えつつ、式の前の手伝いやら何やらで有休を消化していたので、自分は仕事に追われる毎日を送っていた。
それでも週末は休みなものだから、ゾロを誘って飲みに行こうと連絡を入れてみる。

すると、携帯電話は……

「おかけになった電話は、現在電波の届かないところにあるか、電源が入っていません。」

というアナウンスが流れる。

ゾロも疲れて爆睡しているのだろうと、その週末は実家で過ごした。

翌週半、また思い立って連絡を入れてみる。しかし、携帯は相変わらず、女性のアナウンスが聞こえるばかり。メールも送ってみたが、返信はない。

イライラする気持ちを抱えながら過ごしていると、上司に呼び出された。
今月いっぱいで部署異動の内示だった。

ナミの勤める会社は、かなりの男性優位で、女性社員は大きなコネでもない限り、望む地位は手に入らない。そんな中でも負けず努力を重ねてきた彼女は、それなりの信頼を得ていると自負してきたのだが、25という年齢が節目とも言わんばかりの突然の異動。断れば、退職を余儀なくされる様な雰囲気。

沈痛な思いで迎えた週末。再びゾロに連絡する。
応答はない……

ナミは焦りを憶えた。

ゾロのアパートに行ってみると、鍵が掛ったまま、ノックをしても返事はない。
駐車場にも行ってみたが、いつもの大きな四駆の姿もない。
夜になっても、車の戻る気配も、ましてやアパートに明かりが灯る様子もなかった。

週明けには返事をしなくてはならない…
ゾロに聞いて貰いたい……
それより、ゾロは何処にいるの……

居ても立ってもいられない思いに囚われ、ナミは週明け早々ゾロの仕事場に足を運んだ。
受付で名を告げ暫く待っていると、ゾロの上司らしきガタイの良い白髪の男が現れた。


「ロロノアは退職しましたが、ご用件は?」

「退職……い、いつですか?」

「先々週になりますか…」


ルフィの式の直ぐ後…?


「何で、理由は何ですか?」

「失礼ですが、どういったご関係の方で?」

「あっ、ごめんなさい……友人です。」


友人。ゾロとナミは、ただの友人だ。そういう関係。


「連絡が取れないものだから、心配になって伺ったんです、こちらへ。」

「そうでしたか。退職理由は『一身上の都合』という事で、詳しくは聞いていません。」

「では、行き先も……」

「えぇ、存じません。お力になれなくて申し訳ない。」


早々に礼を述べ、会社を後にした。これ以上ゾロに関する情報は、得られないだろうと判断して。まともな会社なら、身元もハッキリしない人物に、簡単に関係者の情報を知らせる訳がない。

もう、後は……ルフィだけ。

頼りになるかどうかなど、その時考えもしなかった。ただ、ゾロがルフィに何も話していないなど、あり得ないと信じていた。

2日後に戻るルフィを、焦り焦りしながら待ち続ける…



空港は夏休みを海外で過ごした乗降客でごった返し、待ち合わせでもしない限り人一人見付けるのは難しい状況だ。
それでもナミは、ルフィの乗った筈の飛行機が到着するロビーに足を向けずにはいられなかった。
次々に出口から吐き出される人々を、茶褐色の瞳を凝らして捕え続ける。
そんな努力が実ったのか、それとも元々目立つ男のせいか、思いの外ルフィは簡単に見付かった。


「ナミッ!迎えに来て…」


……否、ルフィが先に彼女を見付けたのだが。


「ゾロはどこっ?」


ルフィの襟首を掴み、責め立てる。揺さぶられるルフィは、頭が前後にブンブン振れて返事もままなら無い。


「な…ナミ…ど、どしっ…」

「ナミさんっ、落ち着いてっ!ゾロさんどうかしたんですか?」


ビビが間を割って声をかける。ナミの肩を抑える様に回された小さな手が、浮足立った体と心に微かな冷静さを取り戻させた。


「ビビ……ゴメン。でも、ゾロが居ないの!アパートにも、会社にも、何処にも。アンタ達の式の日から……ずっと会って無いのよ。」

「「…………」」


驚いた様に目を見合わせるルフィとビビに、ナミは失望を覚えた。

ゾロがいない事実を改めて思い知らされ、支えていた杖を失って歩く事さえままなら無い、そんな恐怖に囚われた。


「会社も辞めたって……」


瞳に涙が滲んで、今にも溢れ落ちそうで。


「何処行ったの?」


ルフィのシャツにある手が、小刻に震え始める。


「ねぇ、ゾロは何処にいるの?」


取り縋るナミを、黒い瞳が捉える。


「会いたいか?」

「会いたいっ!」


言葉が、気持ちよりも先に、口を吐く。
会いたい、会いたい、会いたい…会いたいと、溢れ出した気持ちが、どんどん降り積もる。ナミの心に。


「知ってるの?ゾロの居場所。」


希望をかけて、ルフィを見つめる。


「知らんっ!」


自信満々に答える男に、ナミの肩から手を外し、ビビが責める様にルフィに取り着いた。


「ル、ルフィさんっ!」

「……いいのよ、ビビ…」


ビビをなだめながら、ナミは少し滑稽な気持ちになる。
ルフィらしい、ああ、コレがルフィだと。
自分に可能な事と不可能な事を良く理解していて、無理な事は無理だと告げる勇気を持っている。でも、だからこそ、他人を頼る事を恥じず、心から信頼を寄せる事が出来る男。
それに応えたいと、それを返したいと、思い続けてきた。ナミも…ゾロも。
惹かれ続けてきた……
共にある事で、三人で……


「ナミ、お前。本当に分かんねぇのか?」


三人……ゾロがいない。


「………」


私の隣にゾロが……


「アイツの行きそうな所…」

私の見つめる先に、ルフィがいた……


「アイツのやりそうな事…」


私の掌にゾロの温もり……


「アイツの言いたい事…」


仲間だから……


「ゾロの居場所。」


私の隣に……!


「うん、知ってる。」


ナミは、笑顔を見せた。
ハッとする程美しかったと、後にビビは皆に語った。


「ナミ、俺達からの土産……」


ルフィの胸ぐらから手を外し、駆け出すナミに声が掛けられる。


「土産なら、ここにあるわ!」


自分の胸をしっかり叩き、二人に向かってウィンクを返した。

空港ロビーの人混みが、逸るナミの足を幾度も止めさせたが、想いを止める事は出来ない。

ゾロ、アンタの事なんて、全部お見通しよっ!
直ぐに見付けてやるわ。
覚悟なさい!
アンタの居場所はここでしょ?私の……

嘘つき。






降り立った駅は乗降客でごった返し、陽射しの眩しいホームでナミは暫し立ち尽くす事を余儀なくされた。
都会と違って足元からくる照り返しによるムッとした暑気は無いが、天中から直接降る光は目を開けるのもやっとといった具合で、一人立つホームで心細くなりかけた心に、ルフィの笑顔の如く勇気を与えてくれた。
真っ直ぐな、何処までも照らし出す陽射しで。

改札に向かおうと、表示板を探しキョロキョロしていると、


「もう、お体は大丈夫ですか?」


と、声が掛った。見れば、先程の可愛い車掌。


「えぇ、もうすっかり。ありがとうございます…お優しいんですね。」

「べべべべ、別に、ややや、やさ、優しくなんかないっで、で…ししし、仕事ですからっ!」


その顔は満面の笑みで、褒められた嬉しさを隠せないでいる。


「な、にか、お探しですか?」

「改札を…」

「それなら、中央の階段を上がって、右に。突き当たりの階段を下れば、正面に見えますよ。」


「ありがとうございます。」

そう言えば、アイツ地元だって言うのに、改札の場所も分からなかったわ。本当にすぐ迷子になるんだから。自分の居場所も目的地も、何にも分かってない…きっと今も迷子になってるに違いないわ。早く探してやらなきゃ。



「……んなわきゃねぇよ。」


4・5年くらい前。冬休みだった、三人でこの駅に降り立ったのは。

ゾロの実家は小さな町道場をやっていて、近くに温泉や風光明媚な観光地も点在する場所にある。そんな話が酒の席で出て、それじゃあと言う事で実家訪問旅行の計画が持ち上がった。
最初は嫌がっていたゾロも、その場で実家に電話を入れ、誰がいるとかいないとか確認を取った後、漸く頷いてくれたのだ。

雪こそ降ってはいなかったが、正月過ぎの冷え込んだホームに降り、鼻の頭を赤くしたゾロが先頭に立ち歩き出す。


「姉貴が改札に迎えに来てる……急ぐぞっ!」

「何でだ?いいじゃねぇか、ゆっくり行きゃ〜」

「……さ、寒みぃだろ。」

「はは〜ん。お姉さんが、怖いんでしょ?」

「ち、ちげーよっ!」

「何だ?ゾロの姉ちゃん、恐い顔してんのか?」

「ルフィ〜それは、失礼よぉ〜仮にも女性に対して。ゾロに似てれば別だけど…」

「ゾロとおんなじ顔で、女って………ひぇ〜怖っ!」

「お前らな……」

「ゾロッ、改札こっち。」


階段を登り迷いなく改札に背を向け突き進むゾロに声を掛けると、ふてくされた顔で振り向き踵を返した。
その背中に「迷子〜」と、ヤジを飛ばす。鬼の様な形相で見据えるが、その眼は照れを含んで愛らしかった。
「怖い、怖い」とフザケつつ階下へ行くと、


「いらっしゃい!」


伸びやかな明るい声が聞こえてきた。
目を遣れば、ルフィと良く似た漆黒の髪に縁取られた、目鼻立ちのはっきりした美しい女性が、大きく手を振っている。改札から身を乗り出さんばかりに。


「待ってたわ。いつも弟がお世話になって…」

「俺が世話してんだ…!」


近付いたゾロに容赦なく、頭から鉄拳制裁が加えられた。姉の手は素早く、顔は優しい笑顔のままで。


「な〜〜んだ、綺麗な姉ちゃんじゃねーか…つまんねぇの!もっと…」

「バカっ!」


ルフィの暴言を止める為、ナミの手も素早く動く。
手刀が脳天から降り下ろされた。

共通項を見付けて、心通い合った笑顔を見せる二人の女に対し、その足元で頭を押さえて蹲る男共。
真冬の改札口は、二人の女王と愚民といった、奇妙な光景に包まれていた。


ゾロの姉に纏わり付きながらルフィが前を行く。駐車場に向かう彼女の横顔を視界に捉え、ナミは比較的小声でゾロに話し掛けた。


「素敵なお姉さんじゃない?」

「そうか?」

「ホント、美人ね……ゾロ、アンタに彼女がいない訳が分かったわ!」

「……ん?」

「結構モテんのに、変だと思ってたのよ〜あんな素敵な人が近くにいたんじゃ、多少可愛い子が現れても気持ちが動かない…でしょ?」


「……んなわきゃねぇよ。」


あの時のアンタの顔、何故だか忘れられない。

さっきまで照れた様な幼さを秘めた笑顔が一気に凍り付き、苦笑ともとれる引きつった薄い唇と翳りを及びた暗緑色の眼。

吐き捨てられる様に発した声が、今でも耳に残ってる。

今まで少し嬉し気で甘さのあるハスキーボイスが、深い哀しみを隠す様に響いた、掠れた低い声。

もうずっとあの頃から、ううん、きっともっと前から、アンタは私を偽り続けてた……そうでしょ?
私を騙してきたのよ!
アンタはきっと「そんなつもりはない」って言うんでしょ?
何ひとつ口にしなかった癖に…言葉にしないって事は、嘘を吐いたと肯定するのと同じじゃない!
何が、仲間よっ!
仲間だなんて思ってもない癖に。
仲間って思ってないって、言ってよ……

嘘つき。






焼け付く8月の陽射しが照り付ける中、重いボストンバックを抱え、オレンジ色した髪の女が町を歩く。歩道が隔離されていない道路の上を、何台もの車が通り過ぎる度その髪を揺らす。
髪が自分の視界を塞ぐ。汗で貼り着いて、鬱陶しい。


私、ここに来て良かったの?
ここに来る冪じゃなかったのかも……

ううん、弱気は禁物!

もう、後には引けない様に、全て棄ててきた。
後悔する結果になっても、覚悟は決めてきた。

後は、あの大嘘つきを見付けるだけ…………


白線一本だけで区切られた歩道の横には、蓋のされていない側溝があり勢い良く流れる水音が、多少だが残暑を緩和させてくれた。
一歩一歩踏みしめると、着実に目的地に近付く。そう、信じて。


暑い……涼しく感じる水音が、私を急かしてる気がする。早くバカを見付けなきゃ、また何処かへ押し流してしまうぞ。この流れの先に、誰にも探し出せない大海へ、アイツを隠してしまうぞって。

確信があって此処まで来た訳じゃない。
ルフィが、会いたいかと私に尋ね、迷わず「会いたい」と答えたから。本当に居場所を知らないのか?と聞いたから、此処だと勝手に思い込んだ……それだけ。
もし、此処に居なかったら、私はどうすればいいの?
教えてよ、ゾロ…
私はアンタがいなきゃ、なんにも見えない……バカ。


初めてゾロの生家を訪れた時、駅から車で五分程の距離だった…そんな曖昧な記憶に頼り歩を進めるナミに、容赦なく振り注ぐ夏の光は、左手にあるボストンバックと共に、徐々に彼女の体力を奪って行く。
焦り焦り焼ける太陽を仰ぎ見れば、心は高揚するかと思いきや、眩しさに目を閉じ、気持ちも伏せがちになってしまう。
蝉の声が耳につき、ナミを非難している様にも聞こえる。


そう、本当にバカなのは、私だわ……

あんなに大切にされてたのに、何も気付かなかった。
あんなに優しくされてたのに、当たり前だと思ってた。
あんなに支えてくれたのに、自分だけで立ち直った気になってた。

本当にバカ。

失って初めて分かるなんて……アンタを。
初めて出会ったアノ時から、私の世界には必ずルフィとゾロがいた。
目の前に座るルフィ、隣にいるゾロ……前ばかり見ていられたのは、私の隣で空気みたいに存在してるアンタが居たから。

……空気がないと、息もできやしない。


正午を過ぎた太陽は、やや西に傾き始め、素抜ける様な透明感を持っていた輝きに、ほんの少しの朱を混じらせ、オレンジ掛った光へと変化を遂げつつあった。
しかし、気温に変化はなく、足元の水源から上がる涼も、その暑気を緩和する能力を失いつつある。
ナミはその熱に当てられただけでなく、自身の想いに押し潰されそうで、歩を止めていた。


暑い……私がアンタを苦しめてきた、これが、私への罰なら幾らでも受け止める。アンタが、私を、私だけを見つめてくれて来たとしたなら、私が「抱いて」と口にした罪も、その後隣に居続けさせた罪も、どんなに償っても償いきれない。
大き過ぎる罪、犯罪にも等しい行為……
そんな私が、アンタを見付けて何と言えばいいの?
「ごめんなさい」?「ありがとう」?言葉でなんて償えない。そんなの、分かってるわ……
でも、会いたいの。
許して欲しいからじゃない、礼を言いたいからじゃない。
ただ、会いたいの。

でも、それが叶わなければ、私はどうしたらいいの?

会うのが怖い、会えないのはもっと怖い。なにより信じてやって来た場所に、アンタが居なければ、私は……

もし会えたとしても、ルフィにビビがいるように、アンタに大切な人がいたりしたら……

止めよう。考えたって無駄。なるようになるしかないんだわ。
暑いから、下らない事ばかり考えてしまうのよ。

……あのお店で一休みしよう。そうすれば、全然私らしくない負け腰な考えも、きっと無くなるに違いないんだ。

そうよ、昨夜から何も食べてない。だから、おかしな事ばかり考えるのよ。
そうだ、お店の人にゾロの家の場所聞けばいいわ。随分歩いたのに、ちっとも着かないんだもの。
方向間違ってるなんて、私には有り得ないけど……
ゾロのバカじゃあるまいし……


ナミの歩む前方50mくらい先に、小さな駐車場を完備した、西欧風のこじんまりしたレストランが目に入る。裏手に田畑を従え、遠くに深緑に染まる山々を見せ、和風の風景にあってさほど違和感なく建つ素焼き煉瓦に彩られた店。

近付けば、何と無くホッとした気持ちが生まれ、昨日から急かされ続けて来た想いに、小休止が与えられた様で。
可愛いらしいだけでなく、どこか品の良さを漂わせる建物に、ナミは引き寄せられる様に足を踏み入れた。





『いらっしゃいませ〜』

ドアを開くと同時に、冷えた空気がナミを取り巻いた。店内の冷気が我先にと、一気に外へ出ようと集まって来たからだ。

掛けられた挨拶の声に、自然と首を回せば、直ぐ近くに柔らかそうな金髪に蒼い瞳の長身の男性が、嬉しそうなやや目尻の下がった笑顔で立っている。


「ようこそ我がレストランへ。俺の名はサンジ…貴方の様な美しいレディをお迎えする為だけに、この店を構えて居ります。いえ、貴方と巡り会う為、此処で待ち続けて居りました。」

「は、はぁ?」


立て板に水。正に。
黒いスーツに覆われたその体躯は、細身の為か、真夏だというのに暑苦しさを感じさせないが、その口調は今のナミにとって多少の息苦しさを感じさせていた。


「さぁ、貴方の為に特別なお席をご用意致しましょう。つきましては、輝く美貌の持ち主である貴方のお名前を、お聞かせ下さい…」

「あ、あの、私人を探して……」


呆気に取られつつも、何とか自分の意思を伝え始めた時、


♪〜〜〜


携帯電話の着信音が店内に響いた。

目の前の黒いスーツの男が、半身になり振り返る。
その奥にいる携帯電話の持ち主に、声を荒げて怒りをぶつけている。


「マナーモードにしとけっ!」


向けた声の方向に、ナミも目が奪われる。

カウンターに座った携帯の主は、彼女達に背を向けたまま左腕を上げ、悪いという素振りを見せていた。

緑色の短髪が小首を傾げて、携帯画面を覘き込んでいる。

その左耳に、見慣れた三本のピアスが揺れていた。


「申し訳けございません。人をお探しとか……」


「見つけた……」


ナミは誰に言うでも無く呟くと、金髪の男の隣をすり抜け、店内へと歩み出す。

シキリと首を捻る広い背中を目指して。

一歩一歩確かめる様に、その足を前に出す。

曖昧だった自信が、確信に変わった。


やっぱり………いた。






「隣、空いてる?」


空いてるに決まってる……わよね?


「……あぁ?お前、何で此処に?」


アンタに会いに……他に何があるの?


「その言葉、そっくり返すわ!アンタこそ、何でこんな所にいるのよ?」


私を置き去りにして……どういう了見?


「そ、そりゃ、姉貴が…」


綺麗なお姉さん……太刀打ちできないかしら?


「そんな事聞いてんじゃないわよっ!」


私を放り出して……平気なの?


「じゃ、何だ?」


アンタにとって私は……何なの?


「約束も果たさないで、何でこんなトコに居んのか聞いてるんじゃない!」


『オメデトウ』って、私はそんなに……おめでたい?


「約束って……お前、笑ってたじゃねぇか。果たしただろっ!」


約束が終われば……それまでなの?


「アンタ……バカ?」


なら、約束は終わらせない……終ってないでしょ?


「なっ?バカじゃ……」


知ってる、バカなのは……私ね?


「今、私、笑ってる様に見える?」


バカだから、もうアンタが何考えてたって……分かんないわよ。


「いや、見えねぇ……どっちかっつうと、怒ってるか?」


怒ってる、自分自身に……私バカでしょ?


「そうよっ!何でか分かんないの?」


アンタがいない事がこんなに悲しい……知らなかったでしょ?


「分かるかっ!」


アンタを見つけて幸せを感じてる……不安も。


「ハァ〜、全く……アンタが勝手に約束破って、居なくなっちゃたからに決まってんでしょっ!」


アンタが誰かのゾロに……なっちゃったの?


「だから、約束は…」


約束が最後の砦……


「今私が笑って無いのに、果たしたなんて、よくそんな事がいえるわね!」


なら、私は最後の手段に……


「ナミ、お前なー、何が言いてぇんだ?」


私、みっともない?


「……だから、バカだって言ってんじゃないっ。」


許してくれない?


「いい加減にしろ…」


それでも私は……


「笑えるようになるまで、ずっと隣にいてくれるんじゃなかった?」


アンタの……


「…ナ…ミ…?」


隣に……


「私、笑ってないわよ。」


嘘を吐いたのは……


「…………。」


アンタよ……


「アンタがいたから、笑ってられたんじゃない!」


知ってる?


「……………お前?」


嘘つきは……


「アンタが……ゾロが隣にいないと、笑えないのよ。バカ…………。」


泥棒の……


「う・そ……だろ?」


始まり……って?


「嘘っ!て…………なんでわざわざこんな遠くまで、仕事辞めてまで、こんな暑い真っ昼間汗かいて倒れそうになってまで、会いに来てやってんのに……」


アンタは泥棒よ……


「悪リィ………」


私の気持ち……


「悪リィで済まされる問題だと思っ……!」


盗んでった……




気付けば、ゾロの腕の中にナミはいた。
引き寄せられ、抱き締められていた。
ナミの想いがその腕に、全て包み込まれていた。

今まで、気付く事無く過ごし、気付いた時にはそこには無く、恐れながらも必死で追い駆けて……
やっと辿り着いた、ゾロの腕の中で喜びを噛み締め、気が遠くなる。




「約束だったよな…………いつも隣にいるから。ずっとだ、今までも、これからも。ずっと………」




これは、嘘じゃないわよね?










「……ここは……どこ?」


見たこともない部屋の片隅で、オレンジ色の光が射し込む窓の横にあるベッドに横たわっていた。
不意に襲われた不安感に、飛び起き、辺りを見回す。
壁には、外国の言葉が綴られたメモが所狭しと貼られ、美味しそうな料理の写真も添えられている。

見知らぬ空間に一人放り出され、ナミは現実を図り兼ねていた。

何故ここにいるのか、どうしてこうなったのか、一体ここは何処なのか。

そして、ゾロを見つけたのは幻覚だったのか?あの大きな胸に身を埋めたのは、自分自身が見せた夢だったのか?隣にいると響いた誓いは嘘……


『コン、コン。』


ノックの音と共に、扉が開かれた。


「よぉ。起きたか?」


深緑の瞳が、心配そうに見つめている。


「…ゾ…ロ…?」


まだ、醒めきらぬ夢現の中で、緑の男が近付いてくる。


「お前、まだ、寝惚けてンのか?」


ベッド脇に立ち、ナミの髪に手を伸ばす。クシャっと掴まれた、頭頂部のオレンジ色が、形を歪める。


「……いきなり、人の腕ン中で寝るんじゃねぇよっ!ビビるだろ?」


隣に立ち尽すゾロの腰に、縋り着く様に手を伸ばし引き寄せる。


「わ…あ、危ねっ!」


勢い余って倒れ込んだゾロがナミの上に覆い被さってくる。その厚い体を抱きしめた。キツク。


「ナミ……?」


現実が実体を伴って、ナミの上からその重みを伝えている。


「嘘つきっ!」


間近にゾロの顔がある。嬉しそうにも、恥ずかしそうにも、驚いた様にも見える瞳に、涙で潤みそうになるナミの顔を写し出して。


「隣にいてくれるんじゃないの?ずっと、これからもずっとって…嘘つき、嘘つき嘘……」


この現実を引き離すまいと、ナミは必死に言葉を紡いでいた。


「嘘じゃねぇ。ナミ…」

「いつもって、言ったでしょ?いつもって……」

「あぁ……俺の居場所はココだけだ。」

「ほんと?」

「本当だ……ったりめぇだろ?」


ゾロが笑った。子供みたいに、真っ直ぐな笑顔で。
眩しくて目を開けて要られない程。
そのまま、近付いてくる男の顔に、幸せを感じて目を閉じた。


「ゾロ………好きよ。」


一言告げると、空気が甘くなる。
更に、近くなる気配を全身で受け止めて、秘かに結んでいた唇を緩め…………




『バンッ!』


「嗚呼、俺の運命の人〜〜お目覚めで………テ、テンメェ〜、マリモ何してやがる!俺のベッドでっ!殺すっ…」




終り


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(2006.07.15)

Copyright(C)CAO,All rights reserved.


<管理人のつぶやき>
CAOさんの前作「いつも隣にいるから」のナミ編です。
前作ではゾロの視点から描かれていましたが、今作はナミ視点。
ゾロ側だけでは分からなかったことが明らかになっていきます。もちろん、肝心のナミの心の動きもね^^。
ああ、こんな風に列車に乗って、愛しい人に逢いに行きたい夏です(笑)。

CAOさんの8作目の投稿作品でした。どうもありがとうございましたっ!
なお、このお話にはルフィ編もございます。あわせてぜひご覧くださいませ。



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