さらさらさらと風が吹く。
はらはらはらと薄紅色の花びらが舞う。
そこに佇むのはありし日の思い出か、亡くした人の面影か――。
風が踊る。
散り行く花びらが舞い踊る。
過ぎ去りし日々の思い出を抱きしめ、愛しく懐かしむかのように・・・。
桜の花の咲く頃に −1−
真牙 様
季節は花の盛衰と共に移り変わり、梅を名残惜しみながら桜の季節となる。
商店街や神社の街路には様々な種類の桜が我先にと枝を伸ばし、豪華絢爛にその短い時を謳歌するかのように咲き誇っている。
4月に入って街中の桜が一斉に綻び始め、一足飛びに春の気配が辺りに漂っていた。
「まだ夜は涼しいけど、ここってなかなか絶景よね」
読み終えた雑誌を放り出し、ナミは何気なく窓辺に寄ってカーテンを開けた。
ベランダから南の方角を望むと、長い階段状の参道に沿ってライトアップされた桜が、ぼんやりと幻想的な色合いを浮かび上がらせているのが見える。
まだ充分な開花状態とは言えないが、気分は既に花見モードだ。
「そういや、私がここに越して来たのは去年の夏だったから、こっちで花見はしてないのよねぇ。いい穴場なんかあるのかな」
ふと独白する。
ナミの姉ノジコの住む実家のある海沿いの町は、桜の隠れた名所があちこちに点在している。
暫く帰っていないので、みんなの顔を見ながら花見に行くのもいいかもしれない。
双子の姪たちも大きくなり、この間電話した時など先を争っておませなことを言い合っていた。
その後ろで、彼女たちの父である交番勤務のゲンさんことゲンゾウが激しく動揺した様子が窺え、ナミは笑い過ぎて危うく携帯を切ってしまうところだった。
(ここんとこ仕事も一段落してるし、近いうちに一度顔でも見に行こうかな・・・)
瞼の裏に焼きついている、懐かしい町並みに想いを馳せる。
なだらかな丘の斜面に造成された広大なみかん畑。そこから一望できる紺碧の大海原。頬をくすぐる心地好い風――。
懐かしい思い出が次々と甦り、胸の奥がすんと熱くなる。
――が、そうした優しい思い出に浸っていられる時間は、そう長くは続かなかった。
唐突に玄関のベルが鳴る。ふと時計を見れば、丁度9時半を差していた。
「・・・・・」
黙ってドアを見つめ、耳を澄ます。すると、
かしかしかしかし。
子猫が何かを引っ掻くような微かな音がし、ナミは肩を竦めて苦笑した。やれやれである。
“・・・シカトしてやがんなぁ。おら、もっかいやってみろ。それでも黙ってんならこれ使ってやっから。”
“まー? んま〜!?”
ぺしぺしぺしぺし・・・べしゃっ。
“んぎゃ〜〜〜〜〜〜ッッ!!”
“なぁにやってんだよ、荷物持った上で鍵出ししてんのにそんなに乗り出すから落ちんだろうが。自分が悪ィんだから泣くんじゃねぇ。”
「ち、ちょっと何勝手なこと言ってんのよ! 自分で子供落っことしといて、それが父親の言い草ッ!?」
慌てて勢い良く玄関を開ける。
がこんっ!
「っでぇッッ!!」
鈍い衝撃と共に何か重い物にぶつかり、ドアは半開きの状態で止まった。
全開にならないドアの隙間から覗くと、そこにはべそをかいた子ゾロことレンを抱えたゾロが額を押さえて蹲っていた。
「あらゾロ、そんなとこにしゃがんで何やってんの。ところで子ゾロは大丈夫?」
「〜〜〜〜、俺の方はどうでもいいのかよ!?」
「だってあんた頑丈そうなんだもん。そのくらいでどうにかなるわけないでしょ? それとも、どうにかなっちゃうくらいヤワなの?」
ニンマリしたナミの言い草に、思い切りドアの襲撃を喰らったゾロは痛みに対する文句を封じられてしまったことを知った。
「ひでぇ女・・・」
「何かおっしゃいまして、ロロノア・ゾロさん!?」
「べーつにィ」
ナミは未だめそめそするレンを抱き上げ、優しく背中を撫でた。半泣きではあったが、ナミの抱擁にゆっくり落ち着きを取り戻す。
「今日はどうしたの? 何か、荷物がどうとか聞こえたけど」
「ああ、これか」
そう言ってゾロは、思い出したように持っていた紙袋をナミへと手渡した。
「今日の仕事先での貰いモンだ。何でも、東北の方の有名な地酒だとよ。お前にやるわ」
「わ、ホントだ――ってこれ、かなりいいお酒じゃない! こんないい頂き物私にくれちゃっていいの?」
「ああ、構わねぇぜ」
ナミは渡された地酒とゾロとを等分に眺める。ゾロは立ち上がってナミを見下ろし、さも当然のように屈託なく言った。
「だから、つまみと晩飯頼むな。それで相伴すっから」
「・・・やっぱ、そう来るわけね・・・」
とは言ってもこうなることは薄々判っていたので、ナミは軽く肩を竦めて苦笑した。
3月にサンジと知り合ったことに端を発した騒動は、ゾロとナミの関係を大きく近づけた――かに見えた。
事実、それは間違いではない。
実際ふたりの雰囲気は周囲から見れば一目瞭然で、既に誤解もへったくれもない関係があるように思われる。
ふたりを知る者ならば、誰もが口を揃えてかれらを「恋人同士」と言うだろう。
いや、休日に3人で買い物に行ったりもするので、その光景はなかなかどうして「新婚家庭」の雰囲気も漂っている。
当初から「それでも構わない」と居直っているゾロの内では、既に確固たる心情ができあがっているのかもしれない。
だが――ゾロはともかく、ナミの内心はなかなか穏やかではなかった。
ゾロのナミに対するセクハラ発言は日常茶飯事で、幾度となく深い口づけも交わし、無遠慮に触れた無骨な手はナミの身体を絡め取って撫で回し、最近では胸元に緋色の刻印を派手に散らしてくれたりもした。
訴えれば淫行罪と名のつく立派な犯罪だ。
ここまで派手な行動をやらかしておきながら、ゾロは肝心な言葉を何ひとつ口にしていないのだ。
まったくもって失礼な話である。
当人は言う必要がないと思っているのか、言うつもりもないのか。
いや、実際何か言いかけたことはあったのだ。
ゾロの通っていたという剣道の道場に、挨拶に行った折に。
意を決して振り返ったナミに、ゾロは口籠もりながらも確かに何か言おうとしていた。
だが――門下生たちの余計な詮索が仇となり、ゾロは言いかけた言葉を打ち切って復讐に走った。
期待に胸躍らせていただけに、ナミの気持ちは昇華されずに奈落へと急転直下した。
果たして、あそこで門下生たちが茶々を入れなければ、ゾロは自分に何と言うつもりだったのか――それは未だ謎である。
(まったく、男のくせにはっきりしないんだから)
溜息をつく。
あれ以来それらしい言葉はすっかりなりを潜め、今日に至っているというわけなのだ。
(女心を何だと思ってんのよ・・・)
もうひとつ溜息をつき、半ば下処理の済んでいた食材で夕飯を作る。なので、さして待たせずに食事の支度は済んだ。
「ほら子ゾロ、お腹空いてちゃ眠れないからしっかり食べてね」
「まー。んま〜、あー」
「んん、この和え物凄ェうめぇな。まだあったらも少しくんねぇか?」
「はいはい。食欲旺盛なのは元気な証拠なのかしらね」
あれ以来ゾロ親子は、日曜だけでなく平日も頻繁に訪れるようになっていた。
3日に一度は当たり前で、ちょっと油断すると1日置き、下手をすれば連日の時もある。
大抵何かしらナミの好物を手土産として持参するので、そう無碍にも扱えないのが痛いところだ。
「ねえゾロ。何度も言うようだけど、うちが定食屋じゃないってのはホントに判ってる!?」
「んなこた充分知ってる。普通定食屋にゃ手土産はいらねぇしな」
「失礼ね。まるで私が手土産強要してるみたいじゃない」
「同じようなモンだろ!?」
どこまでも減らず口の失礼な男だ。この口からあんな、心臓が止まりそうになるほどの口説き文句を聞いたとは到底信じられない。
「まったく・・・あんたの口ってセクハラと減らず口叩く以外、どんな使い道があるのかしらね〜」
「――そうだな。とりあえず、喧しい女を黙らせることはできると思うぜ?」
あっさり言われたので、ナミは素直に聞き流して頷きかけ――不意に間近に迫ったゾロに反応できなかった。
目を閉じる間もなく唇が触れ、小さく差し出された舌が軽くナミの唇をなぞる。
一度離れて再び近づいて来たので、はっと我に返ったナミは赤面しながら拳を突き出した。
拳は見事にゾロの眉間にヒットした。
「だからあんたはセクハラオヤジだっつーのよッッ!!」
そうして食事を終え、テレビを見ながら今日あったことを取り留めなく話す。
もっとも大抵話しているのはナミの方で、ゾロはそれに対し相槌などの受け答えをすることが多い。
そのうち子ゾロの身体がゆらゆら揺れ始める。11時近くもなれば当然というものだ。
「む〜・・・ま〜・・・」
「やべ。本格的に寝られちまう前に風呂入れにゃ」
「ああ、そうね。あんまり眠気がひどいと泣かれちゃうから、早くしてあげた方がいいわ」
頭がふらふら揺れているレンを肩に抱え、ゾロは玄関で靴を履く。
その背中を眺めていたナミは、ふと大事なことを思い出した。
「ねえゾロ、そういえば子ゾロの誕生日4月って言ってたけど、それって何日?」
「あ? あー・・・そういや、昨日だった・・・」
「・・・あんた、バカ? 先月あんたと一緒にまとめてお祝いしてあげるって言ったじゃない。何忘れてんのよッ!?」
ナミは額に手を当てて、大きく首を振りながら肩を聳やかした。
忙しいのは判らないでもないが、我が子の、しかも初めての誕生日を忘れる親がどこの世界にいるのか。
(いやだわ、そんな薄情者が目の前にいるなんて・・・)
情けなさに軽く眩暈がした。
「ったく、しょうがないんだからぁ。い〜い? 2日遅れだけど明日改めてお祝いしてあげるから、なるべく早く帰って来んのよ? 主役が眠くて船漕いでるようじゃ話にならないんだから。あんたはついでだから別にどうでもいいんだけどね」
「俺はついでかよ」
「そうよ。前にも言ったじゃない。子供は盛大に、大人はさり気なく。いい? せめて8時前には帰ってよ!?」
「へぇへぇ、せいぜい努力するよ。ってことは、明日は堂々と旨い飯期待していいんだな?」
肩越しに振り返り、確認するように軽く肩を上げる。
「・・・しょうがないから、明日だけは手土産なしでも許すわ。でも、遅刻厳禁よ? 判ったわね!?」
「了〜解。んじゃな」
「ま〜・・・?」
「じゃあね、子ゾロ。明日の夕飯は腕によりを掛けて作ったげるから、目一杯楽しみにしてんのよ?」
「おぅ。んじゃ、明日はそっちからの手土産を期待してっからな」
にやりと口の端を上げる。ナミは一瞬飛び跳ねた心臓を宥め、必死に平静を装って腰に手をやった。
(やっぱりこの表情って、変にやらしいんだからもぉッ!)
そんな乙女心を、この無骨な男が理解するはずもない。ナミは斜に構えてゾロを睨み上げた。
「この際はっきり言っとくけど、変な期待はするだけ無駄だからね!?」
「変じゃなくて、純粋な期待なんだがなぁ・・・」
ぼそりと呟く。ナミは言葉の代わりに、握り拳をひとつ脇腹にくれてやった。
2へ→
(2004.04.08)Copyright(C)真牙,All rights reserved.
<管理人のつぶやき>
お待たせしました、真牙さんの投稿第3弾。『Baby Rush』『Baby Rush2』の続編です!
可愛い子ゾロもセクハラオヤジな大ゾロも健在ですね。
前回、プロポーズ?ってところでお預け喰らいましたが(笑)、今回ゾロとナミの仲は進展するのでしょうか。
さて連載スタート。長編になるよ。どうかお楽しみに♪