そもそも――“コト”の発端は、何気なくかけた1本の電話だった。


「もしもし、ノジコ? んん、私。みんな元気? 変わりない?」

『やだ、ナミなの? こっちは変わりないけどあんたも元気そうだね、何よりだわ。それにしても随分久し振りだね、仕事忙しかったの?』

「うん、大分ね。けど一段落着いたからもう大丈夫よ」

『そう、ならいいんだけどね。あんた何気に無理して倒れたりするから心配だよ。その辺りは平気なわけ?』

「ん〜・・・ま、まあ何とか」

『――あ〜、判った。そういうことにしといてあげる。どうせ今更なんだろうし』

(ばれてるし。やぶへびだったわ)

姉の深い溜息は、ナミの薄っぺらな嘘を見事に看破して真実を悟っている。伊達に長年ナミと姉妹をやっていないノジコの勘はピカ一だ。
過ぎたことは仕方がないと、ノジコは別の話題を振って来た。

『ところでさ、電話して来れるってことは今は暇なんだ!? エルたちも会いたがってるし、今度遊びに来れば?』

「うん、そのつもり。でさ、物は相談なんだけど・・・人、連れてってもいいかな?」

『いいけど? な〜に、まさかオトコでもできたってか〜?』

「え? ええと、それは、その・・・何と言うか・・・」

『はぁっ? まさかマジ? ホントにっ!? 冗談抜きであんたにオトコができたって? うっわ、こりゃ本気で雹が降るわ!』

ケラケラ笑って揶揄してはいるが、そこはこの姉のこと、祝福ムードは満点だ。

『そっかぁ、良かったぁ。あんた意外に堅いから心配してたんだよねー。うんいいよ、連れといで。ゲンさんにもよく言っとくからさ』

「それがねぇ、そんな素直に喜べるほど、愛想のいい奴でもなくってさぁ・・・」

『そんなんへーきへーき! 大体あたしが何年、あの強面のゲンさんの女房やってると思ってんの?』

“お〜、ただいま〜。”

そこへ丁度帰ったのか、背後でゲンさんことゲンゾウの声がする。
よせばいいのに、ノジコは大声で言った。

『ほら、噂をすれば。ゲンさんお帰り〜。今ナミからの電話でね、今度オトコ連れてこっち遊びに来るってさ〜♪ もうすぐ連休だし、家に泊めてやってもいいよね〜♪♪』

“な、ななな、なぁんだとおぉぉぉ〜〜〜ッッ!?”


だだだだだだッ! ガタン!! ゴンッ!!! ブツッ!


ツー、ツー、ツー、ツー・・・。



――通話は、ものの見事に切れた。






海の見える丘にて      −1−
            

真牙 様




「ゾロ、今年の連休予定ある? ううん、予定が詰まってたって意地でも時間を作ってもらうつもりだけど」

「あぁ? 出し抜けに一体何なんだ?」

プロポーズの一件以来、居直ったのか堂々と毎日夕飯を相伴しに来るゾロの前に小皿を並べながら、ナミはきっぱりと言い切った。

「ノジコたちのとこに遊びに行きたいから、どうせならつき合ってもらおうと思って」

「いーんじゃねぇか? どうせ祭日連休は仕事になんねぇし、出掛けるってんならつき合うのもやぶさかじゃねぇが・・・」

「ん〜ま?」

「そ。じゃあ決まりね。日にちが決まったら教えるから、予定に入れといてね」

ナミは満足げに微笑んで、スープの入ったカップを置いた。もちろんレンに悪戯されないよう、小さな手の届く範囲からは外して。

「んで、その『ノジコ』ってのは誰なんだ? 友達か?」

「隣町に住んでる、私の姉さんよ。両親はもういないから、彼女が実質私の唯一の肉親てわけ」

「ふーん、唯一の肉親――!」

何気なくスープを口に含み、ナミの言った言葉の真意を悟ったゾロは思わずそれを噴き出しそうになった。

「やだもう、何やってんのよ!」

吐き出すわけにもいかず、思い切り涙目で噎せながらゾロは苦しそうに咳き込んだ。
いい加減胸を叩き、差し出された水でようやく口の中の物をすべて嚥下すると、恐る恐るといった具合に言葉を絞り出した。

「げほっ・・・それは、イコール『実家』って意味か?」

「そうね。そういうことになるわね」

あっさり言ってのけるナミに、ゾロは今更のように表情を歪めた。一種情けない顔に、ナミはやれやれと苦笑した。

「何よ、いやなの?」

「い、いや、そうは言わねぇが・・・そりゃ、けじめだしよ。行かねぇわけにもいかねぇだろうが、その、心の準備ってモンが・・・」

「なぁに今更繊細ぶってんのよ。あんたみたいな朴念仁誰も取って喰いやしないって。まさか、そんなでかいなりして怖気づいてんの?」

一際揶揄するように言ってやると、ゾロはまんまとそこに喰いついた。

「なっ、んなわけねぇだろ! ただ俺だってそれなりに段取りってモンがあってだな――」

「段取りが聞いて呆れるわよ。今までの経緯のどこにそんなものがあったのか、説明がつくなら是非してもらいたいもんだわ」

ぴしっとゾロを指差し、綺麗に片目を瞑って見せる。艶然とも見える表情に、ゾロは言葉を呑むしかなかった。

「あ、でも本気でいやなら別に無理しないで構わないわ。ノジコの旦那のゲンさんは、あんたに負けず劣らず無愛想な強面のおじさんでねー。ちゃーんと伝えといてあげるわよ、あんたがゲンさん怖さに尻込みして来れなかったって」

「――行く」

「だから、無理しなくてもいいってば」

「男が挑まれて黙ってられっか。んなおっさんひとりに、いちいち負けてらんねぇだろうが」

(単純王)

ナミはあっさり対抗意識に火をつけたゾロに、可笑しくて吹き出しそうになるのを堪えるのに必死だった。




あれほど全盛を誇っていた桜が一斉に散り、世間ではいつしか大型連休の話題で持ち切りになっていた。

別に遠出をしなければならないわけではないが、どうしても休みを取りにくい勤め人にとっては貴重な連休には違いない。

特に自営業に分類されるゾロは、平日の帰宅は概ね遅いことの方が多い。
休み前などは飛び込みの連絡が入ることも多いらしく、4月も後半に入ると見かねたナミがレンを迎えにいったことも数回あった。
なので、こんな機会でもなければナミは自分の肉親にゾロを紹介すらできないのだ。


そう――考えてみれば、ナミはこのところいろいろな情報が入ったのでかなりゾロの事情に詳しくなっていた。

その最たるものは、やはり前妻くいな関連のことだろうか。

小さい頃から同じ道場で剣道をやっていたこと。
成長するに当たって、ライバルとして認識しあっていたこと。
くいなとよく似た女性たしぎとその夫スモーカーがいて、ゾロたちと良き友人関係にあったこと。

そして――約1年前、生後1ヶ月のレンのお宮参りの際に、身重の友人たしぎを庇って神社の階段を転落し、そのまま逝去したこと・・・。


ナミはくいなの月命日に彼女の墓前へ行き、世紀の大啖呵を切ってふたりをもぎ取って来た。
少なくとも、そう自負している。もちろん、ゾロはそんなことは知る由もないだろうが。

ナミにしてみれば、それが志半ばで命を落としたくいなへの手向けだと思ったし、何より自分自身へのけじめと覚悟を認識しての行動だったのだ。

(肝心のゾロの覚悟なんて、セクハラの陰に隠れて全然見えなかったけど)

それでも。


“周囲にいた者すべてが、あの時の奴にとって何の意味もなさなかったんだ。自らの痛みに気づけないほど、身も心もボロボロだったから・・・。”


教職から住職へと転身した、スモーカーという男の言葉が甦る。

今の傍若無人なゾロからは、まるで想像もつかない姿にナミの心は切なく揺れた。


(大丈夫? ゾロにとって私の存在は、少しは救いになってるの? あんたを癒す糧になれてるの?)


無論そんなことを心の中で思いはしても、気恥ずかしくてとても正面から訊けはしないが。




「む〜・・・ん〜ま〜・・・」

満腹した顔を横座りしたナミの太腿に擦りつけ、レンは自主的に寝る体勢に入りつつあった。

「こらこらレ〜ン、お風呂まだなのに寝ちゃ駄目よ。今寝ちゃったら怪獣ゾロゴンに叩き起こされるわよ〜?」

「だから、誰が怪獣だよ」

「じゃあ野獣」

「なお悪ィわッ! ったく、どっちもケダモノじゃねぇかよ」

水割りのグラスを無造作に揺すり、ゾロは口をへの字に曲げた。

(とことんセクハラ星人のくせして、自分がケダモノじゃないとでも思ってたのかしら。見上げた根性してるわ)

ナミは自分の身が可愛かったので口に出しては言わなかったが、視線が雄弁にそれらを物語っていたらしい。

ゾロは半眼に伏せた瞳で、じっとナミを上から下までを舐めるように見つめた。
肌の表面が思わずざわつくような眺め方に、ナミは僅かに頬を染めながら、それでも精一杯虚勢を張るようにゾロを睨みつけた。

「な、なぁに? 私何も言ってないわよ?」

「・・・ああ、言ってねぇ。けどお前の目が、思いっ切り誘ってるように見えんのは俺の気のせいか?」

「さささ、誘ってない誘ってない! 気のせいよ、全然ッ、まったくッ、とんでもなくッッ!!」

半分寝ぼけたレンを抱えたまま、どうにか壁際まで後退る。グラスを置いたゾロは、そのままナミを捕獲するように背後の壁に両腕を伸ばした。

「な、何、ゾロ・・・?」

「――ここでいつも夕飯食うのもいいけどよ、たまには下の俺んとこで違うモン喰わせろよ。ああ、別にここでも一向に構わねぇが?」

「違うものって何よ? あんたの好物は以前聞いて知ってるから、ちゃんと作ってあげてるじゃない」

「『作る』必要のねぇモンだよ。ここにあんだろうが」

そう言ったゾロの指がナミの顎に掛かり、そのまま翡翠色の視線に絡め取られる。

ナミはようやく言われた意味を理解し、一気に首まで真っ赤になった。
ゾロに触れられている頤が熱い。そこに熱が集中しているようで、高鳴る心音までが耳元に聞こえるようだ。
膝にレンを抱えているため動けず、ナミは言葉に詰まって硬直した。

その様子を眺めていたゾロは明らかに憮然となり、渋々といった具合に腕を引いた。

「改めて訊くのも間抜けな気がするが、婚約までした惚れた女抱きてぇって思うのがそんなにおかしいかよ?」

「――もう一回言って」

「あぁ? だから、俺がやった指輪をお前は捨てなかったし、ちゃんと返事も・・・」

「そこじゃなくて、後の方よ。『なに』をどうするのがおかしいですって?」

「何ってそりゃ――!」

そこまで言いかけ、ゾロはようやく自分が何気なく何を告白したのかを理解した。

(今、『惚れた女』って言ったわよね? プロポーズん時ですら言わなかった告白、今確かに言ったわよね!?)

その台詞を聞きつけてしまった今、今度は反対にナミが相手の言葉を言及する立場になっていた。

「ねえゾロ、今の最後のとこもう一回言ってよ」

「な、何で急に強気になってんだよ。逃げるか迫るかどっちかにしやがれッ!」

「じゃあ迫る。白状して♪」

「――帰る」

ゾロはすいっと顔を背け、ナミの膝に凭れかかっていたレンを抱き上げると、そのまま玄関へと向かった。

「ちょっとゾロってば!!」

靴を履いたゾロが急に振り返ったので、ナミは勢い余ってその胸に体当たりする体勢になってしまった。
それをさり気なく抱きとめ、ゾロはじっとナミを見下ろした。

「・・・そんなに聞きてぇなら、続きは俺んとこで聞かせてやるよ。俺ァどっちでもいいんだぜ?」

ニヤリと口の端を上げ、お得意の艶っぽい表情をする。やはりこれは、狙ってやっているとしか思えなかった。

顔が間近に迫り、熱い吐息が耳元に下りて来る。
ざわり、と背筋を走り抜ける感覚に慌て、ナミは思わず大きく身動ぎして叫んだ。

「だ、駄目! い、今アノ日なのッ!」

「あのな・・・お前、この前もそんなこと言わなかったか? お前にゃ月に何回アノ日があんだよッ!?」

渋面から更に憮然となったゾロは、何を思ったのかそのまま唇をナミの首筋へと下ろした。
止める間もなく、耳朶のすぐ後ろへきつい口づけを落とす。鏡で確認しなくても、そこに緋色の刻印が刻まれたのは明らかだった。

「や、やだもう、こんなとこに痕つけてー! 髪掻き上げたらバレバレじゃないのよーッッ!!」

「そんくらいで勘弁してやってる俺に感謝しやがれ。今度わけ判んねぇ言い訳しやがったらその場で押し倒すぞ」

ドアノブに手を掛けたゾロは肩越しに振り向き、冗談とも本気ともつかないなかなか怖い捨て台詞を吐いてくれた。

その内容に一瞬怯んだナミは壁に張りつき、すぐには言い返す言葉が見つからなかった。


「こ、こ、このケダモノ――ッッ!!」



ようやくそんな間の抜けた言葉が発せられたのは、ドアが閉まって数秒が経過した後だった・・・。




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(2004.05.21)

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<管理人のつぶやき>
真牙さんの『
Baby Rush』『Baby Rush2』『桜の花の咲く頃に』の続編です。
ああん、子ゾローー!元気だったかーい?(ハグハグv)
婚約までしたゾロとナミ。今回は結婚への登竜門、ナミの実家への挨拶編です。
結婚までの道のりには、姉ノジコの夫であるゲンさんが立ちはだかってる様子(笑)。
さて、ゾロはこの難関を無事クリアすることができるんでしょうかーー?
連載スタート!これまた長編になりそうですよ。どうかお楽しみにね♪

 

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